第48話

 ーー交渉決裂


 その時から互いの峻烈な『魔』のオンパレードが始まった。

 猪熊が繰り出す変幻自在の魔法陣の刃を、悪魔王が寸分隙を見せぬ高い『魔』の壁で跳ね返す。尽きぬ戦闘力に対抗する冷静かつ沈着な防御。僕も悪魔王の防御壁の中で時折、猪熊が繰り出す魔法陣を解除しては無に帰していく。

 攻守の切り替えが無い。まるでこれはボクシングで言う激しいパンチを両手で防御してるファイトのようだ。

 互いに隙も無く、鋭い一撃の決定打を打てない緊張が続く。

 お互いが撃ち合いながら、何かを探っているにかもしれない。


 それは・・・

 拳が折れるのが先か?

 それとも防御する骨が折れるのが先か?


 猪熊が放った槍のような魔法陣を僕は解除して無に帰すと言った。

「猪熊さん、あんた、一体何故そこまでクトゥルフに入れ込むんだ?」

 次の動作に入ろうとした猪熊の動きが止まった。

「何故、入れ込むのかですか?」

「そうだ。僕なんか、そんなに正直、神なんて存在に頼る事なんて、あんまりないよ。まぁ受験とか何か自分に都合の悪い時があるぐらいだけでね」

 それを聞いて悪魔王の首がひょひょひょと笑う。

「お前は信仰の欠片の薄い奴だな」

 

 かもね・・

 まぁそんなもんじゃない現代に生きる人にとって神の存在は


 僕の疑問を見つめるように猪熊が言った。


「そうですね。まぁこだま君、君が言う通り何をそんなに私が入れ込んだかですよね」

 ゆっくりと手を下ろす。

「私は ブリタニアの森を出た後、遥かシルクロードを経てアジアにやって来た。それまで沢山の神に在った。しかし私はクトゥルフに出会ってその神話を聞くに及び初めて『宇宙』というものを意識したんです」


 宇宙を・・?


「そうです。ルーン鉱石も地球のビッグバンと共に宇宙の遥か彼方から地球に飛来して今は鉱石として眠っている。つまりこの宇宙は果てしなく広い。クトゥルフは眷属と共に宇宙のゾス(Xoth)星系から飛来し、地球に降り立ってムー大陸を支配し、ルルイエと共に海底に没したと聞いた。つまりだ。私はこの惑星以外の外宇宙にも神が存在するのを知ったんだ」


 じっと耳を澄ますと言葉の裏で猪熊の熱量が上がってきているのが分かる。


「それは驚きだった・・そこで私は思ったんだ。今まで見てきた地球上の土着の神の力では、宇宙から飛来してくる神に対抗してこの惑星を守る事などとうていできないだろう!!そう、この美しい惑星を」


 美しい惑星・・

 

 その言葉とともに猪熊の隠れた思いが伝わる。


「だから私はクトゥルフに賭けることにした。まだ見ぬ宇宙から飛来する神に打つ勝つ・それには強大な力を持つクトゥルフを中心に一つにまとまり、ミレニアムロックを解除して地球全体を巨大な自然の城砦にして宇宙外の神と対抗すれば美しいこの惑星を守ることができるのだと決めたのだ」


 理はあるように思う。


 しかし


「異常気象を起こすことで人間が犠牲になってもいいのかい?」


 そう、

 イズルが犠牲になってもいいってことか?


 猪熊が笑った。

「こだま君、地球にとっての本当の災厄は人間です。人間の科学の進歩が結局は地球を壊滅状態にしていませんか?今多くの環境問題の全ての原因は人間です。だから少しぐらい人間が減っても地球にとっては良いことなのですよ」


 最後の言葉が僕の鼓膜を震わせたとき、寂しく冷たい風が吹いた。それは秋の木枯らしのような夏を惜しむような風。

 猪熊の理論は確かにあっているかもしれない。でもそれはどこか若々しい。

 それは人間の一生で言えば、太陽が降り注ぐ夏のようだ。

 それを時代としては青春と言えばいいのかもしれない。

 でもそれはどこか子供でもあるんだ。

 僕の心に吹いた夏風は斜陽する秋の木々にかかる夕暮れを吹きぬけた。

 彼は知性があるが、それはどこか幼稚さが抜けない子供なのだ。


 だから

 子供には大人がお灸をすえなきゃいけない。


 僕は首を横に振った。

 猪熊が僕を見ている。

「猪熊さん、あなたの考えは分かりました。あなたのクトゥルフに対する思いもね」

 僕は悪魔王の首を脇に抱えるとゆっくりとルーン鉱石を取り出した。

「僕は聞きたかったんです。あなたのクトゥルフに対する思いの深さ・・いや、信仰心をね。でなけりゃ・・いまから行うこの魔術は効果を出さないかもしれないと思ったから・・」

 僕はルーン鉱石にゆっくりと文字を書いた。

 書き終えると緑の蛍光色がぱっと浮かんだ。

 僕は頷く。


 ――魔術は発動した。


 僕は猪熊に向かって言った。


「猪熊さん、もう終わりです。僕達の戦いは」

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