第40話

 息を切らせて「正慶寺」と書かれた門を潜った。僕は本当に冷静さを欠いていたんだと思った。

 河童の後を追った僕はこの門を出たことすら覚えちゃいなかったんだ。

 足を引きずりながら、僕は仲間がいる場所へと向かった。

 やがてその場所を見た時、僕は驚いた。 そこには満開の桜が咲いていたからだ。


 ――なんだ、これは!!?


 僕は降りしきる雨の中、暫くその見事な桜に見とれてしまった。

 僕の居ない間に何が起きたのか?

 ゆっくりと周囲を見回す。

 そこには桜の木の側から三上、松本、和傘を差す猪熊が立っていた。


「み、皆・・」

 僕は声を出した。

 その声に松本が手を振る。

 僕は猪熊を見つめながら、注意深く歩いて行く。

「ぶ、無事だったんだ・・」

 僕は頭を下げる。

「御免、僕・・頭が真っ白になって・・勝手に行動しちゃった」

 しょぼくれる僕を松本が力強く背を叩く。背中に触れる松本の手が温かかった。

「いえ。。とりあえず結果オーライですよ。こだま君が帰って来たということはつまり・・」

 僕は頷いた。

「うん、なんとか。できるかどうかわかんなかったけど。新しい魔術をかけてみたんだ」

 松本がにこりと笑う。

「上手くいったということですね。まぁそれで良しとしましょう。ちなみにあのミノタウロスも、三上さんがやっつけてくれましたから」

「えっ・・あの怪物を?」

 僕は彼女を振り返る。

 にこりと微笑む。


 しかし・・一体、、あの怪物はどこに??


 僕の心を見透かしたように松本が言う。

「まぁそれは後にしましょう。つまり花開いたのです。新しい花がね。新しい命の花が」

 僕は松本の謎めいた言葉を聞きながら、咲き誇る桜の木を見た。

 おそらくあの怪物はこの桜の木と何か関連があるのだろう。


 ならば・・あとは唯一人。

 

 僕は猪熊を見る。


 彼は和傘を差したまま和服を乱すことなく冷静に雨の中に佇んでいる。

 本当にその冷静さはラスボスには相応しい。それも生半可じゃなく、やはり長い年月を生きて来た人間の強さというものを感じさせた。

「私だけが残りましたか。あっという間でしたね・・形勢が不利になるのは」

 片手で眼鏡を直しながら言った。

「まぁ・・仕方ないことですが」」

「利休!」

 松本が言う。

「降参しろ。いくらおみゃーが頭良くてもこの状況でお前が勝てる見込みはないぞ」

 松本の降伏勧告。


 それに応じるだろうか?


「何故?私が負けると?秀吉」

 眼鏡の奥で目が開いた。

 その時、激しい頭痛が僕を襲った。

 いや頭痛というもんじゃない、何か耳を突くような金切り音。神経を逆なでするような・・金属を切る様な刃の音。それが渦を巻いてぐるぐると僕の身体を何かから切り離していく。

 ――何かから!!?


 それは肉体を、精神を、魂を繋ぐ根源の存在から人間の霊質ともいえる何か根源を引き離していく・・


 僕は目を閉じて地面にのたうち回る。

 

 いやぁぁぁああぁあああああ


 声を叫びながらのたうち回り、激しく痙攣した。


「な、なんだ・・これは!!」


 僕は蹲る、叫ぶ。何とも言えない恐怖。

 あの悪魔王に在った恐怖と似ているがどこか異質な恐怖。


「やめろっ!!やめろっ!!」

 叫ぶと、目の前が真っ暗になった。それが段々と明りを取り戻してゆく。

 僅かだが息を整えることができた。それをゆっくりと何度か繰り返すうちに視界が広がる。 


(こ、これは一体・・)

 息を強く吐いて恐る恐る目を開けると目の前に立つ二人を見た。

 二人とも僕みたいにのたうち回ってはいなかったが、耳を押さえて顔を歪めていた。

 その時、三上が思わず片膝をついた。

 息を荒げながら言う。

「な、何よ・・今の。何か精神異常を起こすような・・悪夢を見たわ」

 はぁはぁと息をつく。

 松本も同じように息をつく。

「何だ、いまのは・・」

 言って、猪熊を見た。

「利休・・おみゃーいつの間にこんな力を手に入れた?」

 額に脂汗を浮かべて、猪熊を見る。


「秀吉。どうだ?私の信じる神は?私の信じる神はただ一つの言葉を唱えるだけで、全てを体現できる」

 松本が言った。

「おみゃーはルーンをさっき油で書かなかった。一体どこにそれを書いた。書かなければ『魔』は発動しない・・」

 猪熊が和傘を差したまま松本の側まで歩いてくる。側まで来るとゆっくりと屈みこんだ。

「そうだな。そうとも書かなければ『魔』は発動しない。じゃぁ常に発動できるようにするにはどうしたらいいか」

 じっと松本の眼差しを見る。

「それは、つまり文字を掘るのさ、秀吉」

「掘る?だと」


 掘る?とはそれは一体何なんだ?


 僕は猪熊を見た。

 ハハハと声を上げて笑う。

「つまり、あんた・・」

 三上がふらつく頭を押さえて言った。

「ルーンを身体に掘ったんだ。入れ墨にして」


 入れ墨??


「そうとも。君の言う通り。インディアンたちが神の姿を模してペイントすることにヒントを受けた。私は背中に文字を掘り、尽きことなく苦痛の中、石油を塗り込ませたのさ。そうすることで書く必要がない。それは人間魔法陣ともいえるかもな」


 すると和服をおもむろに脱いで僕達に向けて背を向けた。


 そこには文字が書かれていた。


「"Ph'nglui mglw'nafh Cthulhu R'lyeh wgah'nagl fhtagn" 」

「こう読むのだ。これは死せるクトゥルー、ルルイエの館にて、夢見るままに待ちいたり。私は自分にルーンを描き、また自分の心臓の電気を『魔』の増幅につかっている。それは全てクトゥルフの為に!!」

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