第3話


 獣臭・・

 これほどすごいものか。

 ロッカーの中に隠れながらも鼻孔に漂ってくる。

 僅かな隙間から外を覗く。

 オフィスチェアを間隔あけて置いた四方形。

 この四方形がやつらへの罠だ。

 ゴクリと唾を飲みこむ。

 街から降り注ぐ外灯の灯りだけがこの部屋を照らしている。

 開かれた窓から風が吹き、空に月が見えた。

 段々と薄暗闇に目が慣れるにつれ恐怖が溢れて来る。


 ―――所以亡き追跡者達

 そう思っていたが今は違う。

 やつらは最強の狩人。

 刈るべき獲物は僕と松本。

 


 僕は息を大きく吐く。

「落ち着いて」

 松本が呟く。

 僕と松本はロッカーに身を隠している。しかし、それは鼻の利くやつらにはあまり意味が無いことだろう。奴らは人間の匂いなど造作もなく嗅ぎ分けるに違いない。

 気づかれるのは時間の問題だろう。


 大事なのはやつらに気付かれることだ。

 それこそがこの戦いで一番大事なことなんだ。

 そう、僕らは囮なのだ。

 やつらを四方形に誘い込む為の。


 階段を駆け上がる音が聞こえた。やがて大きな影が視界に飛び込んできた。

 薄暗い暗闇の中でよりはっきりとやつらの眼が見える。


 燃えるような赤い目に黄色く輝く瞳孔。


 鼻を動かしながら追い詰めた獲物をしとめる強き狩人の自信が口から垂れる涎となって床に滴り落ちている。

 一頭が鼻を上げた。

 燃えるような眼がこちらを見ている。

 それに呼応するようにもう一匹が同じように顔を上げる。

 四つの眼がこちらを見ている。


 気づいたな


 僕は横目で松本を見る。

 揺れ動く空気で松本が頷いたのが分かった。

 隙間越しにやつらの動きを見る。

 緩慢なようで油断のない狩人達の四足がゆっくりとこちらに近づいてくる。

 やつらの視線の直線状に僕達の潜むロッカーとオフィスチェアで囲まれた四方形がある。

 狩人達は身体に薄暗い闇を纏いながら迫りくる。


 来るが良い・・

 その四方形こそ

 おまえらの死に場所だ


 一歩・・

 一歩・・

 死が狩人共に迫ってきている。


 狩人の垂らす涎が見え、

 ついに

 最後の一歩を獣共が踏み出した。



 しかし



 ーー お、

 おぉお


 ‼!


 こ、!!


 これはっ‼!


 やつらは死地へ踏み出した足を下ろすことは無かった。

 それは僕等を喜ばすための演技だったのか、それともこれから始まる悲劇をより劇的に演出するためなのか。

 全てを知っている完璧な強き勝利者という威厳を漂わせ、やつらは上げた足をそのままゆっくりと元の位置に戻したのだ。

 無知な獣では無く、崇高な知性と意思を持った怪物がそこに居た。


 冷たい空気が背を伝う。

 互いを分かつ死が逆転した。


 唾を飲みこんだ。松本の息が細く吐き出されてゆく。


 二頭は顔を合わせると同時にその四方形を軽々と飛び越えた。

 大きく開かれた赤い眼に輝く黄色い瞳孔。


 こいつら

 化け物だ。


 冷たいフロアの床を歩く四足の音がはっきりと耳に聞こえた。

 やつらは目の前に居た。

 鼻を動かし、確認をした。

 やつらは獲物の場所を今はっきりと認識したのだ。


 ―――勝ったのは、我々だ


 そんな声が聞こえた。

 数歩ゆっくりと後ろに後退してゆく。それは相手をしとめる突撃をするには、十分な距離だった。

 

 グルゥゥゥゥ

 ゥうううううううううう


 獣の低い咆哮が聞こえた。

 その瞬間、激しい衝撃音がした。


 ドぉスン!

 

 うおぉおお!!


 ロッカーがひしゃげた。

 衝撃が続く!!


 ドォぉおン!!


 ひしゃげたロッカーに巨大な塊が突っ込んできて、僕と松本は外に投げ出された。

 これはアメフトやラグビーのタックルなんて目じゃない!!

 なんていう衝撃だ!!

 まるでカーレースで車がぶつかり合ってクラッシュするそんな衝撃だ!!


 外に投げ出された僕達。

 それはプロテクターを外されたキャッチャー。投げ込まれる剛速球を受け止める準備なんてできちゃいない。

 僕らは唯の肉塊だ。

「こだま君、下がって」

 松本が手を出して僕を後ろに引き込む。

 僕達は化け物と対峙した。


 しかし、この対峙がどんな意味を成すというのか。


 その意味を知っているのは

 やつらだけ。


 そう、死を届けるまでの最後の生の時間という意味だ。


 ブゥフゥォおおおおおお

 咆哮をあげて一気に加速した弾丸が僕と松本の身体に突き刺さる!!


 静寂が僕の耳に響く。

 それは酷くゆっくりで美しかった。

 クラシックの曲が終わった直後の静寂。

 あとは鳴りやまぬ拍手が聞こえるのだ。

 それは勝利したものに。



 そう、勝利したものに・・・



 化け物共の塊を受けて僕と松本の身体は大きくひしゃげた。  

 それは大きくU曲を描いて。


 ―――これは、なんだというのか‼!


 未来への異常が化け物共の防御本能に危険を察知させたのか。

 弾け飛ばし、引きずり回す死の惨劇を否定された驚きが空気を震わす!!


 何が起きたのか?


 恐れが化け物共を支配し、異常ともいえるその場から後ずさりさせてゆく。


 うふふふふふ


 イヒヒヒヒぃ~


 僕と松本がひしゃげた身体のまま笑い声をあげた。

 とても卑しい、冷徹な嗤い声。

 僕達は一瞬で崩れ落ちて黒い影となって渦巻いて床に落ちた。

 やつらにはそう見えた筈だ。


「馬鹿め、こっちを見ろ!」

 松本の声にはっとして鼻を突き出し、せわしく化け物共が臭いを嗅ぐ。

 その鼻先が臭いを嗅ぎつけて止った。

 その臭いの先は!!?


 驚く化け物の黄色い瞳孔が大きく見開いている。

 まさか!!

 そんなところに!!


 目が大きく見開かれ、身体が感じたこともない驚きの為か、硬直していた。


 信じられない!!


 そう、叫べばいい!!


 天上に浮かぶ僕等からは驚きながら化け物共が罠である四方形の中に入っているのがはっきりと見えた。

 やつらは自ら恐怖のあまり死地へと足を踏み入れたのだ。

「かかったな!!」

 僕が叫んだ。

「こだま君、今や!!」

 スマホの画面に文字を書き込み、化け物に向かって言葉を投げつけた。

「くらえ!!かまいたち!!」


 びゅうぅぅううううぅうう

 

 化け物共の四方から風が巻き上がり、つむじ風となって襲いかかる。

 僕達が仕掛けた四方形の死地。それはかまいたちを四方から襲わせるための死のリング。

 突如現れた超自然現象に化け物共が咆哮する。

 つむじ風は化け物共の身体を渦に巻き込みながら空へと浮かび上がらせる。

 

 フッゴォゥッ!!フゴォっ!!

 

 びゅぅぅううううううぅうう


 咆哮をつむじ風が切る。

 

 しかし、

「駄目だ!!風を四つに分けたから風の威力が足りない」

 

 あの時の傘の様に空へ運べない!!


 化け物共の重さがそうさせないのだ。見れば空に浮かぶ化け物共のバタつく足が今にも地上に着きそうだった。


「御安心にて候!!」

 松本が叫ぶ。手早く取り出した四角いルーン鉱石に文字を書く。

「夜はルーン鉱石の力が最大限発揮される刻。我が松本の魔術かまいたちにより、化け物共を消し去ってくれますれば!!」

 その声が終わるのと同時にビルが大きく横に揺れた。

 

 ゴォン!!


 ゴォン!!


 びゅぅう

 びゆうぅうううう

 びゆぅうううううううううううう


 おお!!


 見れば巨大なかまいたち、いやつむじ風なんかじゃない、見事な竜巻が現れた。

 引き寄せられる風の力に身体が激しく揺れる。

 それは突如として現れた巨大な竜巻の渦が引きこもうとしているんだ。


 ごぉおおおおおぉぉぉお!!!


 竜巻は化け物共に向かって突き進み、一瞬で奴らを渦の中に巻き込むと、そのままビルの窓を破壊して化け物共を空高く運んで行った。


 ごるぐふぁぁぶひゃぁぁああああ!!


 化け物共のけたたましい咆哮!!

 しかしそれは竜巻が巻き起こす風の音にやがてかき消された。


 僕達に静寂が訪れた。

 それはクラシックの曲が終わった時にも似た美しい静寂。


 ―――プギャァ・・


 遠くで断末魔の声が聞こえた。

 空高く巻き上げられ地上へ叩きつけられた化け物の最後の叫びだった。


 ポツポツ・・

 ポツポツ・・・・


 それはやがて

 ざぁざぁと音を立てた。


 雨が激しく降り出した。

 それは大きな音をたてて、僕の耳に聞こえるくらいになった。

 それだけではない。パトカーのサイレンの音が聞こえて来た。誰かが通報したのだろう。

 となれば後は警察の処理が待っているだろう。

 しかし、空から降って来たあの化け物イノシシをどう説明できるのか?

 僕はぷかぷか天井に浮かびながら思った。


 まぁいいや・・

 そんなこと、今は。

 僕らは助かったんだから。



 そう思って力が抜けた時、急激に自分を支える何かが消えた。


 ――ドスン!!


 僕は天井から勢いよく大の字で落ちた。

 勿論、思いっきり腹を打った。

 見れば松本はすらりとフロアに着地する。

「痛ててて・・」

 腹を襲う激しい痛みの中、拍手が聞こえた。

 松本だ。

「魔術の合わせ技、トリプルAというところでしょうか。『ドッペルゲンガー』、『運は天にあり」それと『かまいたち』・・見事に決まりましたね」

 拍手の音を聞きながら僕は頬を床につけた。

 先ほどの戦いの熱はもうどこかに消え去り、平常の誰も居ないオフィスの冷たさが伝わってくる。

 それは沸き上がる勝利の熱を冷ますにはちょうど良かった。

 壊れた窓から雨風が吹き込んでくる。その風の中に僅かな血の臭いを僕は嗅いだ。


 雨が血を洗い流してくれるだろう。


 鳴り響く拍手の音を聞きながら、涙が浮かんできた。



 よかった・・。

 僕達はとにかく勝ったんだ。

 あの化け物共に。

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