第2話
駅から出て来る人の姿がカフェの窓から見える。
時刻は午後六時半。
それは帰宅を急ぐ人達。
もしかしたら、ネットで既に話題騒然になっている台風の事を家族と話そうとして帰宅を急ぐ人が多いかもしれない。
ネットだけじゃない、テレビ等のメディアでも巨大台風を取り上げて様々な分野の学者や識者が議論をしている。
突然現れた巨大な異常台風。
もしそれが僕の仕業だと知れたら
ネットにそのことを書かれたら
ぞくりとする。
そうなれば自分はこの世界では生きてはいけないだろう。
水を一口飲んだ。
駅から足早に降りて来る人の中に松本が見えた。僕が指定したカフェを探してるのか辺りを見回している。
LINEを送る。
目の前っす。
それに気づいた松本がカフェの扉を開けて入って来た。
「いやーすんません。少し遅れて。中々契約がね・・まとまらなくて」
仕事上のトラブルを少し口にして僕の正面に座った。
「それで・・猪熊にまた会ったんですか?」
僕は頷く。
「成程ね・・、まぁLINEで内容は見ましたけど、魔術書の存在も知っていて・・中も見たわけですか・・」
「空白だったと言ってたけど」
松本はウエイターが出したおしぼりで顔と首を拭くと、「アイスコーヒー、一つ」と言った。
「まぁそうですね。こだま君がLINEに書いた通りです。あれは特定の人物にしかその内容を示さないのです。なんせ神の言葉ですからね。また示しても鏡言葉でその内容は暗号のようになっている」
話が途切れたところでアイスコーヒーがテーブルに置かれた。グラスにストローを入れてくるくる回すと松本が言った。
「と、なると・・」
「あんたが言ったはぐれとかいう?」
松本が首を振る。
「可能性は低いでしょう。僕の方では天草四郎以降、誰もそんなはぐれなんかいませんから」
天草四郎ねぇ
「じゃ・・それ以降、つまり魔術師は常にそのぉ・・一子相伝みたいな?」
アイスコーヒーをストローで一口吸って松本が言った。
「まぁ~そんなとこですね」
どこかはぐらかすような感じだった。
「じゃ聞くけどさ。他にもギルドってあるんだろ。じゃそこの海外ギルドに聞けばはぐれとか分かるんでは?」
「勿論です。それも既に確認済みです。回答はNOです」
そうなんか
僕がそこで何か言おうとするのを松本が言葉で押さえた。
「ま、そのことは終わりにしましょう。その内分かるでしょう、猪熊の正体は。それより、ハンドル捜索が先です」
あ・・確かに。
松本がタブレットを取り出し、地図を画面に広げる。
「ここが僕達のいる場所です。こだま君、図書館ではなにも目ざといものは見つからなかったですか?」
首を縦に振る。
「そうですか・・まぁそうでしょうね・・これだけ範囲が広ければ。となると地道に探すしかありませんね」
「地道に?どうやって?」
松本がコンパスをテーブルに置いた。
「コンパスが指し示した方向は北西。示された針はハンドルに向かってるんです。そのハンドルに向かって北か西かどちらかに進めばいずれ針が少しずつ傾いてくる。例えば北に行けば少しずつ西に、西に行けば北に」
なるほど・・
「だからそのどちらかに進んでコンパスの針が真っ直ぐ北か西かのどちらかになった場所を探せば・・」
僕は頷いた。
それは簡単だ。
「ですね」
松本が一気に残りのアイスコーヒーを吸い込む。
「さて北に行くか、西に行くかですが・・」
松本が腕を組む。
僕はカフェの外を見る。既に陽は遠い空に消え、夜が始まっている。駅から出て来る人の姿も夜の闇に交れば、影の一つに過ぎない。
夏の夜風が吹けば、暑い夏の夜を行く影の慰めにでもなるだろう。
その夜風はいつ吹くか。
「西にしますか・・海沿いに西へ進みましょう。北に行くと京都へ向かい山沿いになりますし。神戸へ向かいましょう」
つぶらな目で僕を見る。
「僕はどっちでも・・」
「では。決定ですね。バイクは今からでも行けますよね?」
え?今から?
「なんです?その顔。こだま君、ほらほら、この異常台風、誰のせいですかぁ~?もう時間がないんですよぉ~」
タブレットを叩きながら台風の写真を見せて僕に言う。
うぐぐ・・
鼻につく語尾の伸ばし方。舌打ちしたくなる苛立ちを覚えたけど、それを歯の奥で噛み殺す。
「今から一時間後にこの先の交差点で待ち合わせしましょう。僕も家に帰り原チャリを取りに行きますから」
「原チャ?」
「そうです?何か不満でも?」
「車無いんすか?」
「こだま君、これは捜索ですから二輪の方が言いにきまってます。もし森深い細い林道を車が行けますか?でしょう?二輪が言いにきまってます」
「でもさ・・原チャじゃ」
僕の不満ありありの顔に松本が言う。
「原チャほど燃費も良く、操作性に優れたものは無いです。それに小回りも効く。高速を走るならこだま君のバイクの方がいいですが、今回はずっと下道です。さぁ文句はここまでにして、さっさと行きますよ」
松本が立ち上がりレジに行った。僕は松本の小さな背を見て少し溜息をついた。
リュックを背負って席を立った時、僕は窓の外の夜を行く影と視線が合った。
あれ・・
この視線。
振り返った時、影は既に夜の闇に紛れていた。
これって・・・
「こだま君‼早く!」
松本のけしかける声に僕はそこで考えるのを止めてカフェを出た。
もう一度僕は、影の消えた方を振り返った。
その時、夜風が吹いた。
夏の夜風、それは暑い夏の夜を行く影の慰めに吹くのかもしれない。
僕達は走る。神戸方面へ向かう夜の国道をただひたすらに。
LINEを通じて互いに走行時にルメットしながら会話をしながら時折停まっては、コンパスが指し示す方向を二人で確認する。
尼崎、西宮と移動するにつれてコンパスの示す方向が若干北寄りになる。
つまり探すハンドルの位置が段々北になっているということだ。
となれば兵庫のどこかにハンドルがあるということだろうか。
神戸まで来ると少しヘルメットのバイザーが濡れ始めた。
#こだま君、雨ですね
松本の声がイヤホン越しに聞こえる。
#少し三宮の街で停まりましょう
#了解
返事をして松本の後についてゆく。
原チャの後に二輪がついていくのは大変だ。殆どスピードを出せない。しかし燃費はあまり使うことは無いだろうな。
おっと!!
少し注意が横道に逸れた時、角を曲がった松本の原チャが急ブレーキをかけて停まった。
背にしたリュックが揺れる。
#おいおい!!
#あ、こだま君。すんません。警察です。
#警察?
僕は首を伸ばして前を見る。ここは三宮の繁華街近くの入り口だ。警察官が赤灯を持って松本に声をかけている。
バイクを停め、松本の側に行った。
「なんすか?」
警察官が僕に振り返る。
「御免ね、お二人さん。実はこの先の所でイノシシが数頭出てきてね。街の中を走り回ってるんよ。悪いんやけどここ通行止めやから、他回ってくれる?」
それに答えて言う。
「そうなんすか?でも・・三宮の土地勘無いんすよ。どういったらいいか分からないんやけど」
「どこまで行くの?」
「えっと明石の方です」
松本が言う。
ほんなら・・、そう言って警察官が後ろを指さす。
「ほらあそこの交差点あるでしょう。そこを左に回れば六甲山側に行けるから、それをからJRの高架を潜って下さい。そしたら北野に出る道有るんで、それをまた西に行けばいいよ」
「了解です」
松本がそう言って僕に合図する。
警察官は松本の返事を聞くと僕らの後ろにいる乗用車に声をかけようと歩き出す。
#少し戻って警察の言う通りにしましょう
僕はバイクに戻りエンジンをかける。動き出した松本の後について行く。
#イノシシかぁ、いるんやな。
#こだま君ここら辺は六甲山が近いですからね。まぁでも言われた通り行きましょう。それにお腹も空いたから少し食事をしましょうか
#賛成
そう言って進んで行く。
JRの高架を過ぎた。道路案合図が見え、北野を示している。
#北野へ行きましょうか。レストランもありますし・・。あ、丁度いい。あそこが広いから停めましょう。
僕らは
「少し広い通りの所にバイクと原チャを停めた。
空から降る雨粒が大きくなってきた。
ヘルメットを脱いで、空を見ながら松本が呟く。
「雨ですね。本降りになるかな」
同じようにヘルメットを脱ぎ、乱れた髪を直す。
交差点に立ちながら松本が指を指す。その方向に北野の入り口が見えた。夜だが明りが見え、なだらかな坂が見える。
交差点を渡りながら話しかけた。
「明日は仕事なん?」
首を横に振って松本が言う。
「いえ、明日から三日間は有給にしました」
「へー、そう?」
「そうです。まぁハンドル探しもありますし、何よりも今月は残業が多かった。それもサービス残業ですよ。サービス残業」
最後の方は少し怒り気味だった。
「休まんと身体がもちましぇ~ん」
松本が語尾を伸ばして首をすくめる。
そんな姿を見て思った。
へぇ・・・魔術師ってのも大変なんだな。
介護に
残業に
なんか分からないことばかりやけど
なんか超絶スーパーヒーロじゃないし・・・
少し同情気味になって松本の背を見た。猫背になるその背に雨粒が落ちる。
その背が気のせいか、微動だにせず停まった。
それが何か強烈な異常を感じさせた。
#こだま君、直ぐに隣のビルへ
はぁ?何?
そう思う間もなく、松本が飛び込む様に雑居ビルの階段へ跳びこんだ。
ち、ちよっ・・!!
――――思考が切れるのを待つことなく僕の網膜に映る影を見た防御本能が横っ飛びにさせた。
足先に突き抜ける風を感じた。
獣、そう野獣。
いや、なんかそんなもんじゃない。
何かビーストと言った方が言い力強さ。
階段に掴まる様に横倒しになった僕へ過ぎ去った影とは別の所から、危険な影が夜を切り裂いて迫ってくる。
―――間違いない!
―――こいつは!!
バンッ!!
激しい音が響いた。
やられた!!
そう思って目を開くと閉じられたガラス戸にイノシシの怒れる目が見える。
それは真っ赤に充血していた。
体格のいい良く超えたイノシシだった。ガラス戸に衝突したのが分かった。
扉を閉めたのは?
「こだま君、早く上の方へ。ガラスがひび割れてます。もう一度突撃を喰らったらひととまりもない!!」
松本が叫ぶように言う。僕ははっと我に返り、雑居ビルの階段を駆け上る。
松本が手で踏ん張るガラス扉の向こうでもう一頭のイノシシの姿が見えた。
―――二頭だ
僕は夜の中で輝く二頭の赤い目を見た。それがどこか異常に見えた。いや、異常だ。イノシシの眼は赤い、燃えるようだ。その中心の瞳孔が黄色になって輝いている。
―――まるであの異常台風のようだ!!
「おい、松本さん。あんたも早くこっちへ!!」
必死で扉を押さえる松本が鍵を施錠する。
カチリ
その音と共に松本がダッシュで階段を駆け上がる。
転がる様にフロアに滑るこむと僕を見てにやりと笑った。
「こだま君、初めて僕の事『さん』づけで言ってくれましたね」
はは、と乾いた笑い声をあげた。
「あんた、余裕あるな」
ドスン!!
ドスン!!
扉に身体をぶつけるイノシシの音が階段に響く。
「早く!!あっちに行け!!・・いやどっか行け!!」
僕の叫ぶ声の横で松本がじっと扉に身体をぶつけるイノシシを見つめる。
「こだま君、あのイノシシ・・・僕達を狙っている感じがしませんか?どこかおかしいです。何か狂っているような凶暴性が僕等に向かっている気がします・・なんか禍々しいですよ」
松本の横顔を見る。
イノシシ共の相貌に浮かぶ異常で凶暴なあの黄色に輝く眼が浮かんだ。
「あんたもそう思う?」
ちらりと松本が僕に同意の視線を送ると、自分達が居るフロアを見回した。
電気が点いていないが外から入り込む街の外灯のおかげでこのフロアの間取が分かった。
それ程広くはないが、最近までオフィスとして使われていたのか数個の机と椅子とロッカーが薄暗い闇の中で見えた。
「上へ繋がる階段は無いですね・・となるとこのフロアで終わりですか・・」
ドスン!
ドスン!
イノシシ共の体当たりする音が響く。
パシッ
ガラスが割れる音がした。
僕は松本を見る。
目が薄く閉じられ、細い息を吐いている。息を吐き終わると松本の全体から何か異様な気が発されて来た。
これって
殺気・・・・。
確かこいつ武道の心得あったんだよな。
「しっかたないですねぇ~」
軽妙な口調で語尾を伸ばす。
「身を守るためです。仕方ない、決めましたよ、こだま君。気の毒ですがあのイノシシ共には死んでも貰いましょう」
さらりとそう言って松本が僕の耳元で呟く。
―――松本の呟き。
それは生命を奪う、まるで儀式のような冷徹な響き。
耳を立てて全てを聞き終えると、僕は「うまくいくかな?」と言った。
松本は
「大丈夫です。既に実証済みですから」
と、言ってにやりと嗤う。
「では、こだま君。ビースト、いやモンスターハンティングと行きましょうか」
階段下の扉を覗き込む。
所以亡き僕等を狙う追跡者の姿が消えんことを願う・・。
しかし・・・、
ドスン!
体当たりの音の後に、ガラスの悲鳴が聞こえた。
パッリーーン!!
ガラス戸が激しく割れる音が響く。
下の扉がイノシシ共の為に開かれた!!
思わず身震いした。
来るな・・こいつら!!
街の外で風が吹いたのか、濡れた雨風に乗って獣の匂いが覚悟を決めた僕の鼻孔に伝わって来る。
もし来るなら来いだ!!
やってやる。
僕の肩に松本が手を置く。
「では、こだま君。話した通りに」
ひどく冷静な松本の声に僕は頷くと、薄暗いオフィスの中へ飛び込んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます