その6

『探偵?』酒焼けした目が丸く広がる。


 俺は手短に、しかしなるべく細かく依頼の内容を話して聞かせ、ポケットに忍ばせていた『先生』からの手紙を渡した。


『そう・・・・だったの・・・・』


 俺が手渡した『手紙』、つまりは先生からの『ラブレター』を彼女は一字一句確かめるように読んだ。

 

 読み進めるうちに、彼女の濁った眼の端に涙が溢れ、手が震えた。


『知らなかった・・・・先生が・・・・』


 ラッキーストライクの灰が、テーブルの上に落ちる。


 読み終わると、彼女は手紙を膝の上に置き、手を額に当て、顔を伏せ、しばらく嗚咽を続けた。

 

 さっきまで流れていたジャズも、いつの間にか止まっている。


 誰も口を聞かない。


 俺が噛むシナモンスティックの音だけが店の中に響いている。


『あたし・・・・あれから・・・・』彼女が思い出話を始めようとすると、俺は敢えてそれを制した。


『君の思い出話はどうでもいい。俺の仕事は君の返事を聞いてくること、それだけだ』


『・・・・探偵さん、だったわね。お願い。先生に会うには準備が必要なのよ・・・・手を貸してくれない?』


 俺は一本目を齧り尽くすと、二本目を取り出し、彼女の目を真っすぐに見た。


 仕方ない。


 乗りかかった舟だ。


 これも仕事の一環だと思えばいい。


 翌日、俺は『切れ者マリー』に電話をかけた。


 警視庁さくらだもんにその人ありと言われたほどの人物だ。顔は広い。


『オーケー、何とかするわ。』

 珍しく『』もなく、彼女は快く引き受けてくれた。


 一週間後のある晴れた日曜日、俺は国分寺の特別養護老人ホーム『東雲荘しののめそうを訪れた。


 前もって連絡して、『はつえ先生』の状態を確認しておいた。職員の話によれば、

この頃は落ち着いてはいるものの、『もやがかかった状態』の感覚が前よりも長くなってきており、この頃ではいつも身近にいる介護士の顔さえ判別出来なくなってきているという。


 しかし、これ以上待っていても仕方がない。


 幸い日曜日は昼食後はこれといったプログラムも組まれていないので、夕食まで十分に面会時間が取れるという。


 職員が先に立って案内してくれ、個室のドアをノックする。


 しかし中からは返事がない。


『先生(彼女は職員たちにこう呼ばれているそうだ)、お客様ですよ』


 呼びかけた先にいた『安田はつえ』は、椅子を窓際に移動させて、外から入ってくる陽の光を浴び、横を向いて腰を掛けていた。


 職員が二度呼びかけたが彼女は何の反応も示さない。


 まっすぐ前を向いて、えんじ色のセーターにスカート、キルティングの肩掛けという姿で、微動だにせず物思いに耽っている。


 最初に会った時と、明らかに様子が違っていた。

 まだひと月も経っていないというのに、明らかに初対面の時に比べて老けてしまっている。

『美しく老いた芦川いづみ』は何処にもいなかった。


 


 それでも三度目に職員が呼びかけると、やっと夢から覚めたようにこっちを向き、


『あら、ごめんなさい。お食事?』


 と聞いた。


『先生、お食事は先ほど召し上がりましたよ。お客様です。』


『そうだったの・・・・ごめんなさい。で、どなた?』


 ここで俺が『お久しぶりです』なんて言っても、もう分かるまい。


『初めまして・・・・私はこういうものです』


 そういって認可証ライセンスとバッジを提示する。


『探偵さんなの・・・・乾さんとおっしゃるのね?で、今日はどんなご用件?』


『実は今日、安田さんにある方を逢わせようと思いましてね。お連れしたんです。』


『それはどうも、構いませんわ。どんな方?』


『先生もよくご存知の方です』


 俺は後ろに立っていた職員に、目線を送り、


『いいですか?』


 と、小声で訊ねると、彼は黙って頷く。


 滅多に使わないスマホを出し、外に向かって『いいよ。許可が出た』


 と、伝える。


 






 

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