その4

『五条院、先輩、ですか・・・・』その名前を出した途端、彼女は辺りをはばかるように声をひそめた。


『昼休みに30分だけ』という約束で出てきてもらった彼女は、漫画やアニメ、テレビドラマなんかで、

『女官僚』というとすぐにイメージできる服装と化粧で身を固め、公園のベンチに腰を下ろすと、ふうっとため息をつく。


 昼休みの官庁街の公園。少し離れたところに二人。もう少し離れたところに四~五人、似たようななりをした連中がランチを食べたり、煙草をふかしたりと、忙しいわずかな時間を縫って、休憩時間を過ごしている。


『五条院先輩は私の憧れの人でした・・・・』彼女はうつむき、それから

 空を見上げて、大きくため息をついた。

 彼女は五条院涼子とは三年間、いや、中等部時代も合わせると、都合六年間、なぎなた部で汗を流した同士である。

 


『4年位・・・・いえ、間違いなく4年前でした。私が同じ役所の友人と勤務が終わって呑みに行った時の事です』


 同僚が、いつもとはちょっと変わった店に行ってみよう、と、横浜のあまり人のいかないバァに入った時の事だ。


 店に入った途端、嬌声がしたのでそちらに目を向けてみると、一人の女性が数人の男たち・・・・・中には横須賀基地の米兵もいたという・・・・・に囲まれ、卑猥な声を上げているのが目に入った。


『その女性というのが、五条院さんという訳なんですな?』


 彼女は唇を噛み締め、小さくうなずく。


『ショックでした。あの気高くて美しく、淑やかだった先輩があんな風になっているなんて、だらしない服装にだらしない厚化粧・・・・私、思わず友達に「もう出ましょう」といって店を出てきてしまいました』


 彼女が何かをこらえているのは、こちらからもはっきりと見てとれた。

『どうしてあんなに変わってしまわれたのか、私にはまったく理解出来ませんでした。いえ、理解したくもありません』


『その店の名前は?』


 あまり言いたくないような様子だったが、どうしても聞いておかなければならない。

 彼女は逡巡していたが、ようやく話してくれた。伊勢佐木町の外れにある通りを入ったところにある、本当にごみごみした小さな店だという。


『でも、今でも来ているかどうか分かりませんよ。それにあの店だって、今でもあるかどうか分かったもんじゃありませんし』


 その言葉には、出来ればもう彼女・・・・五条院涼子にそこに居て欲しくない。いや、いないでいて欲しいという、願望の表れでもあったように、俺は思った。


『有難う。色々どうも、今晩にでも行ってみます』


『あ、あの・・・・』


 ベンチから立ち上り、頭を下げて俺が立ち去ろうとすると、彼女が声をかけてきた。


『先輩、何か悪い事でもなさったんでしょうか?』


『その質問には答えられません。私はこう見えても探偵です。守秘義務ってやつがありますからね』


 俺は手を上げ、踵を返す。


 彼女はまだしばらく俺を見送っていたが、やがて諦めたようにため息をついて去っていった。






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