その3
『私、こんな病気でしょう』
何と答えて良いか分からず、俺が黙っていると、
『分かっているんですのよ。自分がどうなっているか。時々頭の中に
切実な響きだった。少なくとも俺にはそう感じられた。
『少ないですけど、これを・・・・』彼女はまた立ち上がり、財布を取って戻ってくると、その中から8枚ほどの一万円札を持って戻って来た。
『本当は施設内では現金の自己管理は出来ないことになってるんですけど、こっそり』
『足りなければ、あの人・・・・い、・・・・』
『妹さんですか?』
『そう、妹におっしゃってください。ちゃんとお支払いするように話は通してありますから』
『分かりました。お引き受けしましょう』
俺がそういうと、彼女はほっとしたような顔を見せた。
すると、同時にドアをノックする音がして、ポロシャツにジャージ姿の青年が顔を見せ、
『先生、入浴の時間ですよ」
如何にも気を使ったような声で恐る恐る呼びかける。
『あら、もうそんな時間?まさか貴方が入浴介助?だったら・・・・』彼女は少しだけ気色ばんだような声を出す。
『心配ありません。僕はお連れするだけですから』
彼の言葉に、
『ならいいわ。じゃ、行きましょ』と、椅子から立ち上がる。
青年が手早く入浴の道具を棚から出すと、彼女は俺の方を振り返り、
『くれぐれもよろしく・・・・え、とお名前は?』
『
『そうだったわね・・・・ごめんなさい』
そういってまた丁寧に頭を下げた。
俺は彼女の卒業アルバムにあった住所録(昔は末尾にこういうものが付いていたんだがな)に従って、五条院涼子の住所を探った。
まず、電話をかけてみる。
50年前の住所だ。どうせ”おかけになった電話番号は・・・・”と来るに違いない。
そう覚悟していたが、
『はい、五条院でございます』という答えが返って来た。中年の女性の声だった。
俺は自分の身分を告げ、涼子について訊ねると、
”あいにく涼子さんは今こちらにはおられません”ときた。
”それでもかまいません。ちょっとでもお話が伺いたいんですがね”俺が言うと、
”よろしゅうございます。それではいらしてください”だった。
意外だったな。俺はそう思ったが、とにかく訪ねてみることにしよう。
都内といえば、どこもビルと道路ばかり、殺伐とした風景を思い浮かべるが、調布となると、まだ結構緑も残っている。
”五条院”なんて姓ならば、さぞかしばかでかいお屋敷を想像しがちだが、なんのことはない。
木造二階建てではあったが、割とこじんまりした造りの日本家屋だった。
小さな屋根のついた門に筆太の文字で『五条院』という表札が出ている。
呼び鈴を鳴らすと、丸顔に眼鏡をかけた、何処にでもいそうな50代半ばほどの中年女性が出てきた、
俺が
『お待ちしておりました。さ、どうぞ』と門を開けてくれた。
家の中は外と違って、洋風な造りになっており、畳の上に絨毯。その上にごついテーブルと椅子が置かれてあった。
『散らかっておりますが、どうぞ』彼女は俺に椅子を勧め、しばらくしてから湯気の立ち上るコーヒーカップを盆に載せて現れた。
何でも彼女は涼子の兄の妻、つまり義姉にあたるのだそうだ。
『せっかく訪ねてこられて申し訳ないのですが、涼子さんは今ここには居られません』そういって少し迷うような仕草を見せた。
彼女の話によれば、高校を首席で卒業、その後都内にあった国立大学に入学したところまでは良かったのだが、問題はそこから先だった。
そこで出会った男・・・・まあ、良くいる『見かけはいいが中身は得体の知れない』という類のロクでもない人物、その男に見事にたぶらかされてしまった。
何しろ温室育ちのお嬢様だ。無理もない。たちまちのうちに両親と衝突し、家を出てしまった。以来、ようとして行方が知れないという。
『月に一度くらいの割で連絡は寄越していたんですがね。義父と義母が亡くなってからは音信不通で、今はどこで何をしているやら、まったくわからないんですよ。』
彼女はそう言って肩を落とし、大きくため息をついた。
実家で得られた情報はここまでだった。
止むを得ん。
ここがダメなら次は友人関係といこう。
彼女はああ見えて高校時代、結構友達が多かった。
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