恋をつなぐ味と匂い

 商店街の中にひっそりと佇むいつもの喫茶店で煙草を咥え、彼女を待つ。カランと扉についた鈴が鳴るたびに、視線を入り口へ移すが彼女は来ない。

 腕時計を確認するとかなり早く来てしまったことに気づく。彼女の分で頼んだホットカフェオレと自分用のアイスコーヒーを飲み干し、店員に同じものをもう一度注文する。

 煙草に火をつけ、目を瞑りながらゆったりとした時間を味わっていると、何かを引きずる音がして目を開く。彼女が座っている。


「寝てたん? なんかごめんな?」


 彼女はそう言いながらカフェオレをそっと口につける。時計を確認すると一時間が経過していた。おそらくぼくは眠っていたのだろう。ぼくはいつのまにかフィルターだけになっていたタバコを灰皿に置き、またタバコに火をつける。


「体に悪いで。そろそろやめよーや」

「今日はなんか緊張しててね。本数がいつもより多い」

「そういえば話がなんかいうてた気がするけど、どうしたん?」


 ぼくはどう切り出すべきか悩みながらも口を開く。彼女はぼくから視線を外さず不思議そうな顔をしている。


「転勤になっちゃってさ。このままこの土地にはいれないんだ。だから君に説明しようと思って」


 彼女は地元であるこの土地で、友人は多く仕事もこなしていて、昇格の話も出ていると踏まえた上で、ゆっくりと問いかけるように僕は続ける。


「だから、もし君がよかったら一緒にこない?」


 彼女の顔がわかりやすく曇る。火に焼けた頬が少し引きつっている。


「あたしはここにおりたいかな? あんたともおりたいけどさ。この街には思い出が詰まっとうから。ちなみにどこに行くん?」

「北海道支社。札幌付近らしいよ」

「遠いわ。ごめん。ついていけん。ごめんな」


 彼女はホットカフェオレを飲み干し、アイスティーを店員に頼むと、ぼくのタバコを一本取り出し、火をつける。咽せながら彼女は笑う。


「遠距離になってもさ、このタバコの匂いが街中でしたらあんたの匂い。あんたはホットカフェオレかアイスティーを飲むとあたしを思い出す。別れるつもりなんかないから。転勤終わったらまた一緒にいようや。な?」


 二口ほどしか吸っていないタバコをぼくに押し付け、ぼくは少し照れながら紫煙をくゆらせる。

 届いたアイスティーを一気に飲み干すと、彼女は笑いぼくの肩を叩く。


「今生の別れでもないんやからそんな暗い顔せんでええやん?」

「帰ってくるまで待ってくれる?」

「当然やん」


 ぼくは軽く涙が溢れそうになるのを堪え、会計を済ませて店を出た。

 彼女が住んでいる社員寮と、ぼくが住んでいる社員寮は商店街のアーケードの真逆にある。強く握手を交わし、キスを交わす。当分できないであろうキスの香りは、紅茶の香りがほのかにした。


 ぼくはそのまま自分の社員寮の方へ歩き出した。ふと後ろを見ると、彼女が悲しげな顔で手を振っている。ぼくは先程堪えたはずの涙を流しながら手を振った。異様に人が多い商店街は最愛の人を埋めていくように、最愛の人が見えなくなるように歩いている。彼女は人混みに埋もれ、見えなくなった。

 アーケードを出ると初雪が降っている。小さな虫のように空に舞っている。ぼくはタバコをまたつけ、自販機でホットカフェオレを買った。紫煙を吐きながら、カフェオレを飲んでいると、カフェオレを持っている手に雪が付着する。そして体温ですぐに溶けていく。


「こんな感じで消えちゃわないよな? この恋」


 ぼくはそう独り言を吐く。ホットカフェオレを飲み干しタバコを吸いながら寮に帰った。

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