小さな希望ささやかな平和


 錆びた鉄製の柵に手を掛ける。あぁ、私も歳を取ったと柵に掛けた手を見て実感する。手に力を込め柵を越えると懐かしい風景が私を待っていた。胸ポケットからタバコを取り出し火をつける。夜の闇を照らすように火種がくすぶる。

 走ることをやめたメリーゴーラウンド。子供達を沸かせることをできなくなったジェットコースター。昔ピエロがショーをしていたであろう、今は静かな布製のテント。誰も滑らなくなった滑り台。

 私はまずメリーゴーラウンドに向かい、走ることをやめた馬に跨る。咥えていたタバコを、胸ポケットの携帯灰皿でもみ消し、新たなタバコに火をつける。目を瞑りゆっくり紫煙を吐き出すと、仲良い同士で動かない馬に跨り、談笑していたあの日の記憶がセピア色に浮かび上がる。私は懐かしさに心が暖かくなり、ゆっくりと紫煙をもう一度吐き出し、目を開く。フィルターギリギリまで燃えているタバコを見て、長い間回想に浸っていたことを知り、タバコを消し、灰皿に入れる。私は馬から降り、そっと馬を撫で、小さくありがとうと呟く。

 足を一歩踏み出すと回想のおかげで若返っていたつもりの私に年齢を告げるように体が重く、私は自らの老いを思い出しとぼとぼと歩く。そしてテントへ向かい、布製の入り口をくぐる。私は本来なら椅子があったであろう、場所の最前列に腰を下ろすと、懐かしい笑い声が聞こえた。仲良しグループのメンツで私がいつしか好意を持ち告白をしたあの頃の声だ。目を瞑ると瞼に当時の景色がセピア色に蘇る。私の右横に彼女が座り、その横に他のメンツがずらっと座り、ステージに立ち親友は当時の流行りのお笑い芸人の真似をしている。みんな楽しく笑っている。私も懐かしみながら目を開くと涙を流しながら枯れた声で笑っていた。私は涙を拭い、誰もいないステージに向かいそっと親指を立て、テントから出る。背中からまだ楽しそうな笑い声が聞こえる。

 私は鼻をぐずらせながら、大きな滑り台を登る。滑面に足を伸ばし、腰をかけると寒さが体に染みる。タバコを取り出そうと胸ポケットに手を伸ばすと、後ろから誰かに押されるような感覚に襲われる。滑り落ちながら後ろを振り返ると、若かれし親友が叫んでいる。


「油断するからだよ。バーカ!」


 私は彼に叫ぶ。


「お前がいるだなんて俺は思ってなかったんだよバーカ。でもありがとう」


 自分で驚くほど若い声が出たことに驚きながら、滑り台を滑落し、滑り台の頂上部を見ると、誰もいなかった。ズボンのポケットから、親友が愛煙していたショートホープを取り出し火をつけながら、ジェットコースターへ向かう。動くことをやめ、錆に塗れたジェットコースターの最前席に腰掛けると甘い声が右隣から聞こえる。


「ねぇ、みんなキスしてるし、私たちもしようよ」


 私はまた回想の世界に引きずり込まれる。若かれし彼女が右隣に座り上目遣いで見ている。私が左で右に彼女がいるのはいつの頃からかできた、私たちの落ち着く位置だ。彼女は目を瞑り静かに首を傾ける。私は優しく彼女の髪を撫で、右腕で頭を抱き込み優しくキスをする。目を開くと、唇の感触はあったが、右隣に彼女はいない。後ろを見ても誰も座っていない。

 記憶が深い場所は全て巡った。小さな夢の園。私の青春の地。私はズボンの中のショートホープを取り出す。小さな希望。胸ポケットから私が愛煙しているショートピースを取り出す。ささやかな平和。私は両方の箱から一本ずつ取り出し、呟く。


「なんでお前ら私を残して言っちまったんだよ」


 大量に溢れ出る涙を気にせず二つのタバコに火をつける。少しむせるが、さらに力強く吸い込むとタバコのキツさで頭が白くなる。白くなる頭に50年前の親友の声が響く。


「おーい。みんなこっちで遊んでるぞ。遅刻してんじゃねえよ」

「わかってるよ今行くさ」


 さらにタバコを吸い込むと頭はさらに白くなり、身体は冷たくなる。そして心は身体から出ようとする。

 私は夢の園であの日の夢を見ながら、大いなる希望を持ち、永遠に平和の園へ行くよ。と心の中で呟く。

 身体が動かなくなる。そして頭に声が響く。


「おせーんだよ。みんな待ってたんだぜ?」

「ごめんごめん。遅刻したのさ。許してくれよ」

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