第4話 インザホスピタル [2/2]


 目が覚めると自分の部屋にいる。


 タツヤもいた。わざわざ来てくれたのだ。

 タツヤはまだ眠ったままだった。


 蜜蜂はとても嫌な気分でいた。ついさっきの映像を思い出す。引き出したせい子。

 蜜蜂はこれから何をすればいいか分からなかった。タツヤを見下ろす。

 気持ちよさそうに眠っていた。


 蜜蜂は家をでた。どこへ行く当てもなく、財布も持たず、携帯電話すら持たずに歩いた。意味もなく住宅街をだらだらと歩いた。いよいよ蜜蜂も、作者と同じところまで落ちたのである。落ちるところまで落ちた。絶望は、死に至る病なのである。



 午後四時をすぎて、蜜蜂は家に帰った。タツヤはいなくなっていた。


 机のうえの携帯電話に、メールが届いてるのが見えた。見てみるとまた匿名のメールである。蜜蜂はそのメールをひらいた。そこには写真が添付されていた。


 その写真に写っていたのは、縛られた子猫だった。可愛い猫ちゃんじゃなくて、柿崎子猫のほう。げっそりと頬もこけて、髪も乱れていた。写真の下に場所が書いてある。


 蜜蜂は前にメールを消したのを思い出した。昨晩のことだ。それからずっと、ほったらかしにしてしまっていたのだ。蜜蜂は、ここを許せば本当にすべてを失ってしまうように思った。そんな予感がした。

 すぐに家をでて、指定された場所まで駆けていった。



 到着したところは、暗い廃工場だった。水色と桃色に上下二分される空を背景に、灰色の誰もいない廃工場が佇む。大きなシャッターはあけっぱなし。床は砂でじゃりじゃりする。中にはいると、とたんに夜のようになる。屋根によってできた、広い影だ。


 蜜蜂は物音のしない中を歩いた。彼の足音がしたした鳴るのみだ。


 ある程度までくると、急にパチンという音で、電気がつく。それはスポットライトのようになって、椅子に縛られた子猫を照らした。子猫は力ない瞳で、ゆっくりと蜜蜂を見上げた。


「ごめんね、お姉ちゃん」

 と蜜蜂。


 子猫は口を動かした。けれど口も布で縛られていて、あごが幽かに動くだけである。

 蜜蜂はすぐに彼女の拘束を解きにかかる。口の布をはずしたとき彼女は、「まなぶ……」とかすかにもらした。

「だいじょうぶ?」と蜜蜂。


 蜜蜂は縄をほどき終わる。すると子猫は明るく笑った。

「ありがとうみっちゃん。私元気だから」

 そう言って彼女はボディビルのポーズをとる。


 それに少し安心した蜜蜂だったが、そんな蜜蜂のうしろから、不審者が近寄った。


 不審者は一気に蜜蜂に走りよると、その勢いのまま蜜蜂の背中にナイフをつきたてた。子猫が悲鳴をあげる。蜜蜂は、首を回してうしろを確認した。黒い覆面をかぶった人間。誰だかは分からなかった。


 蜜蜂は、みるみる力が抜けるのを感じた。意識が遠くなる。そしてそのうちに彼は床へ横になった。さっきの覆面男のはしりさる足音だけが、床につけた耳を伝ってやってくるのだった。



 目が覚める。そこから見える天井は、自分の部屋のものではなかった。けれど見覚えがある。小学校の時など、よく見ていた。学の家だ。

 半身をおこす。時計は九時。お腹が空く。周りを見ると枕元にお盆に並べた食べやすそうな食事があって、そのときになって初めて隣に子猫が座っているのに気づいた。看病してくれたのだ。子猫ペンギンを抱いていた。ペンギンはニヤニヤしながらこっちを見てくる。


「この子に感謝しなきゃだねー」


 子猫は言った。蜜蜂が首をかしげると、子猫は説明してくれた。


「あのねえ、みっちゃんに刺さったナイフあったでしょう。あれにねえ、たぶん毒が塗ってあったの。麻痺する毒。それをね、この子が吸い取ってくれたんだよ」

「……ありがとう。ペンギン」

 蜜蜂は傷心気味。ペンギンを一瞥いちべつする。

「ペンギンって。名前くらい付けてあげなよ。ああそれとね、この子窓割って入って来たから、その弁償はみっちゃんがしてね」


 蜜蜂はまた寝ころんだ。

 時計の針の音が聞こえる。子猫の両親がテレビを見ている音も。


 蜜蜂は子猫に背を向ける。

 それから彼は、ぼそぼそと話し始めた。

「なにが起こってるのか分からないんだ。何のために何をやってるのかも。なぜ僕がこんな痛い思いをしなくちゃならないのかも。……もう何もやんなくてよくなったらいいのに」

「つらかったね、みっちゃん」


 子猫は蜜蜂の肩に手を置く。


「学のことも、あの男も、それから手塚せい子のことも、僕にはもうたくさんだ。何だかつかれちゃったよ。すべて捨ててしまいたい。僕だけのために僕は生きてていいんじゃないかな」

「もちろんだよ。だけど……全部捨てる必要はないよ、みっちゃん」

 子猫の話声はいつになく優しかった。

「みっちゃんがちゃんと守りたいものひとつ、それを守ればいいんだよ」子猫は言う。それから彼女は蜜蜂の横に寝ころんだ。「それがみっちゃんにとっての大切」

「俺にとって」

「そう、みっちゃんにとっての大切なこと。私の守りたいのはみっちゃん。みっちゃんが寂しそうにしてるのは、見てられない」

「……寂しがってるのはお前だろ」

「あのねえ、みっちゃん。女の子にお前って言っちゃだめだよ」

「うん」

 蜜蜂の素直な返事。

 それから彼は、呑み込むように慎重に言葉を繋いだ。そうやってこんなことを言うのだった。


「ねえ、子猫姉ちゃん。俺が最後に、学に会っただろ。公園で会ったんだ。それで、そのときにさ、俺と学は、喧嘩したんだよ」

「そう」

「そうなんだ」

「なんで喧嘩したの」

「わからない。喧嘩の原因は全くはっきりしないし、どんな流れだったかも曖昧で覚えてないけど、公園で待ち合わせて顔を合わせた瞬間から一直線にその方向に向かっていた、あの奇妙な感じだけは覚えてる。学は俺に対して、何か認めがたいことがあったみたいなんだ」

「それは、後悔? 喧嘩して別れた事」

「どっちかと言えば、そうだね。けど、昔の僕だったら、そうやって学に対して言い返したりはできなかったろうし、それだけ僕も大きくなったんだなって思うと、僕にとってはそんな経験も悪くはないんだと思う」

「みっちゃんにとっては、ね」

「うん。でも、そんなの寂しいだろ」

「そうかも」


 子猫は布団から起きあがる。それから彼女は蜜蜂にも起き上がるよう促した。そして彼に、ご飯を食べてシャワーを浴びたら寝るよう言った。


「でも俺、今日寝てばっかりなんだ」

「いいの、それでも寝れるの。つらい時は寝るに限るんだよ」

「ふん、まあいいよ。眠りは死のいとこだからね」

「そうそう、現実逃避には寝るのが一番手っ取り早い。子どもは早く寝なさい」

 蜜蜂はお盆にのった、すでに冷め切っている夕食に手をつけるのだった。



 ぐっすり眠った翌日。

 朝。

 早くに起きた蜜蜂は、布団にぐっすりの子猫を起こさないように抜け出して、一度自分の家に帰る。それから、服を着替えて、家をでた。


 彼の向かった先は橋の下。その通り、まおのいるところである。

 蜜蜂は車のなかを覗く。まおは寝ころんで携帯電話をいじっていた。ドアノブに手をかけるとカギはあいていた。不用心だなと思う。蜜蜂は中に体を入れて、まおを叩く。


「何だってこんな時間に私を起こすんだ。重罪だぞ」


 まおは寝ころんではいたが、蜜蜂がきた時にはすでに起きていた。


「君って……まおって一体何時から何時に寝てるんだ」

「眠たい時間から、起きる時間までだね」


 まおは窓から手をだす。そしてその手をひっこめると蜜蜂に中にはいるように手招きした。彼女は両肩を抱いて寒そうにする。


「そんな生活で体壊さない?」


 車に入った蜜蜂は聞く。後部座席に二人腰かける。まおはあぐらをかく。ホットパンツなんてはくから寒いのだ。


「精神衛生的にグッドだからな。そして、そんな健康まおちゃんから朗報」

「なんだ」

「と、その前に、朝食だ! 走れ。若造」

 まおは蜜蜂に指を突きつける。

「俺が買いに行くの」

「あたりきよ」

 蜜蜂は了解した。それは彼女から朗報が聞きたいためでなく、単に彼女に対してそうしたくなったからだった。


 蜜蜂は近くのコンビニに走った。そこでパンと紅茶とお菓子を買う。そのチョイスにまおは喜んだ。


「朗報というのは、君が持ってきた写真の男の正体が知れた。これだよ」

 と言って真央は蜜蜂に紙、三枚を渡す。

「焼村寺男」蜜蜂は紙にでかでかと書かれた名前を読む。

「それが男の名前だ」

 まおは自慢げに胸をはる。

「そりゃそうだろう。この男の名前じゃなかったら何でわざわざ書いてるのさ」


 そんなことを言っても、まおの機嫌は悪くならなかった。今日は上機嫌を極めている。

 蜜蜂はそんなまおにつけこんで、もうひとつ仕事を頼むことにした。彼はまおに自分の携帯電話を渡す。


「くれるの?」

「あげないよ。頼みたいことがあるんだ。このメールなんだけど」

 蜜蜂は匿名からのメールをひらける。「このメールアドレスの持ち主とか、調べられるの」

「調べられるに決まってるだろ」


 今日の彼女は本当にテンションが高い。

 蜜蜂は、それじゃあ、と言って彼女に任せた。

 それから蜜蜂はまおに別れを言って家へ帰った。



 焼村寺男。

 紙にはこの男の住所や、職場それから昔通っていた小学校から書いてある。

 道すがら蜜蜂はそれを読んだ。そう言った個人情報を読む限りは、普通の人間だった。


「こいつが、」

 学を……それから……、と蜜蜂は呟く。

 家に到着。


 今日は朝から父親は仕事に出ていた。CMの撮影があるらしい。


 蜜蜂は自分の部屋に行き、机に紙を置いた。

 それから学校から出された大量の宿題に取り掛かる。まずは数学から手をつけた。


 下から掃除機の音が近づいてくる。階段をがこがこと鳴らす怪物の音。蜜蜂は鉛筆と机のつくるカリカリ音でそれに勝とうとする。けれど鉛筆の音は、風がゆらす窓の音にすらかなわなかった。数学は、苦手である。


 掃除機の音が消えた。かと思うと、蜜蜂の部屋のドアが勝手にあく。

 そして母親が入ってくる。


「あら、勉強じゃない。偉いわねえ」

 と言いつつ、「邪魔します」

 と言って無遠慮に掃除機をかけた。


 本棚にもどしどし当てる。今この部屋は無政府状態である。掃除機は蜜蜂の足の下も通った。

 そのとき、蜜蜂の母は机に置かれた紙を見つけた。それから掃除機をとめて、

「あらぁ。寺男さんじゃない」

 と言った。

「知ってるの?」

「知ってるわよ。焼村さんはね、お母さんがデビューしたころからのファンだったのよ。おっかけってやつ?」

「はあ……」

「みっちゃん、寺男さんとどこで知り合ったの?」


 なるほどな、と蜜蜂は思った。


(だとすると寺男は、僕と間違えて学を狙ってしまったのかもしれない。学のほうが美少年だし。寺男にとっても一番の敵は、母さんの夫であり、僕の父さんであるあいつだ。単純に奪われた悔しさもあったろうし、母さんが芸能界を引退したのも、いわばあいつのせいなんだから)


 そのときチャイムが鳴る。

 蜜蜂は玄関まで行き、扉をあけた。

 倖せ探究会だった。



 四人いた。

 四人はそれぞれまばらに位置し、立っていたり座っていたり、腕を組んだりたらしたり。蜜蜂は彼らをカニエウェストや2チェインズらの「マーシー」みたいだと思った。

 そして彼らは、ときおり揺れたり、数歩動いたりするだけで、結局何もしゃべらなかった。

 蜜蜂はそろそろ飽きて、扉をしめるのだった。

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