第4話 インザホスピタル [1/2]


「はっ! ボヘミアン・キング!」


 黒ぶち眼鏡と、マスクで顔を隠した男が、蜜蜂の顔を見て驚いた。背の高い男。ちょうど二十歳くらいだろう。

 道を歩く男にいきなり言われたもんだから、蜜蜂だって驚く。

 そうやって一時的に固まった蜜蜂をもう一度見直して、男はつづけた、


「いや、違う。ボヘミアン・キングではない。それもそうだ、あいつはもういるはずがないんだから」

「あのう、そのボヘミアン・キングっていうのはいったい……」

 蜜蜂は聞く。男は親切に答えてくれた。

「いやあ、たまたま君に似ていてね。驚かせてすまなかった。……あれ、それはそうとして君、もしかして、きみは、この世界の人じゃないのかな?」

「ああ。はい。ペンギンの口から来ました」

「そうか、そうか。で、今回は地図を届けなくちゃいけないんだよね」


 そう言って男は蜜蜂の手元に視線を落とした。


「はい。それで僕は地図を見つけたんですけど、これをどこに届けていいかわからなくて」

「なあんだ、もう見つかっていたのか。届け場所は東京タワーの上だよ。見えるだろ、あそこに東京タワーがあるの。とても高すぎるように見えるけど、実際は中に入ってから上に行くまでそれほど時間はかからないから安心して。じゃあ、今回は君にまかしていいかな」

「はい、行ってきます」

 蜜蜂はやっと手に持った地図の届け先を知ることができた。



 蜜蜂はタクシーに乗り込む。

 行き先を伝えて、ゆったりと座った。少しして、タクシーは東京タワーの下に到着した。


 蜜蜂は、ひらいた入り口から入る。中のエレベーターは利用することができた。蜜蜂はそれに乗る。


 エレベーターの中はとても静か。そして、現実では少しありえないくらい広い。ちゃんとした公園くらい広かった。繊細な機械音が鳴る。蜜蜂は周りを見まわした。近くには何もない。遠くに小さく人形が見えた。おかっぱの、赤い着物の日本人形。幼い表情。数体あった。


 弾いたようなピーンという音で最上階に到着する。蜜蜂はエレベーターをおりた。

 全面ガラス張りで、街並みが一望できる空間。空の楼閣のようだ。


「やあ、僕だよ。ありがとう」


 右から声が聞こえ、見ると少年が歩いてきた。黒いパーカーをきている。腹のポケットに両手ともを入れていた。


 蜜蜂は彼に地図を渡した。


 そのとき少年は、蜜蜂のことを興味深げにじっと見つめた。蜜蜂は、またか、とうんざりする。それで、直接彼に聞いてみることにした。


「そんなに俺が、その、ボヘミアン・キングっていうやつに似ているのか」

「あ? ああ」

 少年は威嚇的な声質をしている。それから「似ているな」と言った。

 蜜蜂は聞いた。


「ボヘミアン・キングっていったい誰なんだ。どんな奴だったのさ。なぜそいつがどこへ行っても、有名で、そいつに似ているだけで俺は敵対的な目で見られなきゃいけないのか」

「別に敵対的ってわけじゃあねえよ」少年は言った。「別にあいつを嫌ってるやつばっかてわけじゃねえ、っていうよりそんな奴はむしろごく一部だ。ただ、多くの奴が、あいつのことを恐れていた」

「ボヘミアン・キングを?」

「そうだ」

「彼について知ってるなら教えてくれないかな」

「ああ、悪くはない」少年は地図を折りたたんでいる。「ちょうど地図も持って来てくれたからな。ご苦労なこったよ」


 それから少年はその地図を、彼自身の尻ポケットに入れた。彼は窓にもたれる。蜜蜂から見ると、宙に浮いてるようだった。


「彼のやったことというのは、数えればいろいろあったが、決定的なのはひとつだ。彼自身の世界を無意識世界に近づけようとしたのさ。そりゃあ、消されるさ。いろんな軍の上層に目をつけられてな」

「消された?」


 蜜蜂は少し体が浮いたような気がした。これはこの世界から自分が消えてしまう前兆だ。だんだん世界が薄くなって、実感がなくなる。……目覚めが近い。


「消されたといっても、実際に消えるわけじゃあない。厳密には——」




 目を覚ました。蜜蜂はベッドから起きあがり、朝の支度をする。

 洗面台に行く。顔を洗う。口を漱ぐ。部屋へ帰って制服へ着替える。居間へ行き、母親の作った朝食を食べる。それからカバンを確認して、学校へ行くため家をでた。


 クラスではせい子はもちろん、ハコ美も休んでいたし、それ以外にさらに三人来なかった。カネミクが教室にきて、その三人ともがハコ美と同じように、夜出歩いて背中を刺されたのだと告げた。それを言うカネミクは、能面のように青ざめていた。


 当分の授業は中止となった。朝から「今日子どもを休ませます」という連絡が続き、それがすべて傷害事件によるものであると発覚すると職員室は大騒ぎになった。それで、今日から数日間は生徒たちに、家の中で安全に暮らしてもらうことを職員室で決めたらしい。ボランティアの人たちと教師で街中を見まわりながら、生徒たちを帰すことになった。出来るだけ数人でかたまって帰ることを言い渡される。

 さすがにみんな恐怖感を胸に宿しているようだ。特に被害者が固まっている蜜蜂のクラスはそうだった。ここのクラスメイトが標的になっているように思えた。



 蜜蜂は自分の家に帰ったあと、タツヤのうちに電話をする。彼の学校も、生徒を帰したらしい。けれど彼の学校では、蜜蜂のほど深刻さはなかったらしい。


「犯人を突き止めたいんだ」

「心あたりがあるんですか」

「はっきりとはしないけれど。けれど、はっきりさせたいことがあるんだ。それで、被害にあったクラスメイトに聞きに行きたいんだ。犯人の顔を覚えている人はいないらしいけど、個人の世界ならもしかすると」

「そんなことないと思うけどね。でも、特定の個人の世界に入る方法ならなくはないですよ」

「どうするんだ」

「その人のものをもらえばいいんだ。所有物の受け渡し、貸しでもいい。それを持ったままペンギンに呑まれるんです」

「わかった、ありがとう。……じゃあ俺は病院に行ってくるよ。それで、もしよかったら俺のペンギンを家に置いたままにしておくから、手伝ってくれるんならそこから来てくれ」

「はい。行けたら行きます」

 タツヤは言った。

 蜜蜂は病院へ向かう。



 病院の中はいつもちょっとした異世界である。

 現実の世界がどう変わろうと、病院の中だけはいつだって同じ時間の流れ方をしている。ベンチで待つ老人。清潔な足音が重なる。入ったとたんに誰だって無口になる。蜜蜂だってそうなる。意味もなく自動販売機を眺める。知らない名前が呼ばれる。女性が立ち上がる。それを見もしない。けれど一回だけ見る。

 蜜蜂はクラスメイトの服部麻衣の病室を訪ねた。彼女はひとりで本を読んでいた。


「天罰、みたいな」


 蜜蜂が入って来たことに気づくと、彼女はそう言った。


「天罰なんてないよ」

「因果があるだけ? けどその因果で私に起こったことを、私は天罰と呼んでるの」

「犯人の顔は覚えてないんだよね」

「うん。でも強い力だった」


 彼女がこういう体験に、それほど応えない性格であることを見越して蜜蜂は来たわけだが、正解だったらしい。少々自嘲気味にはなっているものの、自失はしてなかった。


「なにか……服部の持ち物を一つ欲しいんだ。貸してくれるだけでいい」

「なんで」

「なんでも」

「あなたって、いつも何かしてるよね。誰にも知られない何か。ホームレスに知り合いがいるって聞いたこともあるし。なんでそんな気味の悪い人と付き合うわけ?」

「何だっていいじゃないか。けれど、持ちものを欲しいのは、何と言うかお守りみたいなもの」

「犯人を捜すつもり? なんであんたがそんなことしなくちゃいけないの? それにそのためのお守りが何で私の所有物なわけ?」

「それは……。それはそうと、犯人を捜したのはちゃんとした理由があるんだ。……せい子への疑いを晴らさなきゃ」


 彼女は自分の手元に目を落とす。


「……なるほど。でも、絶対にあんたの出る幕じゃない。警察が動いてるから」

「それでもいいんだ。中学生にしかできないことだってある」

「ふん。じゃあ、これ貸してあげる」


 服部麻衣は今読んでいた本を渡した。


「いいの?」

「すぐ返してよ。今面白いところなんだから」

「ありがとう」

 蜜蜂は病院を出て、家へ急いだ。



 しかし、無事家に到着することはできなかった。

 ということもなく、いたって無事に着き、彼は部屋にいるペンギンから集合的無意識の世界へ移った。

 すると果たして服部麻衣の姿があった。

 蜜蜂は彼女のなかへ入った。




 電車の中にいる。地下鉄だ。他に人はいない。車内は小さい。日本の乗り物の匂いではなく、蜜蜂は流れてきた放送からフランスかと予想した。ギーギーうるさく鳴りながら走る。時たまひどく揺れた。


 電車は駅に到着する。蜜蜂は降りて、腰を抜かすほど驚いた。駅では、強烈なほどのうるささで教会音楽が流れていたのだ。


 それは駅から出ても変わらずだった。この世界中に流れている。蜜蜂は耳をふさぐ。頭ががんがんずきずきする。音は心臓にまで響いた。音というのは逃れる方法がなく、右にも左にも行くことができずにいると、うしろから指でトントンと肩を叩かれた。


 見ると服部麻衣がいた。

 彼女は口を動かした。


(はじめまして。だいじょうぶですか)


 たぶんこう言った。

 彼女は耳にイヤホンをつけている。そして手にも別のイヤホンを持っていた。彼女はその手に持った方を蜜蜂に差しだす。


 蜜蜂は受け取って、耳にはめた。そこから流れてくるのは無音だった。イヤホンの無音のお陰で、うるさい音からのがれた。蜜蜂は、


(ありがとう)と口を動かす。(筒井康隆的だね)

(そうだね)麻衣が答える。

(僕のことは知らないかな? 君とは知り合いだと思うんだけど)

(悪いけど、全然知らないわ。初めて見たもの)

(そうか。祭銀デルトロンっていうんだ)

(それが名前? よろしくね)


 ふたりは歩きながら話した。お互い口元を見ていないといけないので、とてもゆっくりとしたスピード。


(最近おそろしいことはなかった?)

(あった。二週間前にね。ええっと、あれを見て)


 彼女が指さす方を見ると、そこには巨大な黒い塊があった。


(あれが何か知ってる)

(悪よ)

(あく、か。あれが何なのかわかるかな)

(もとはあそこにエッフェル塔があったの。けれど、黒い塊に覆われちゃって、今は誰も近づかない。たしか、何かがエッフェル塔に入った。それで黒くなったんだ。彼女が、エッフェル塔を奪ったの。どんな奴か、正体を暴いてやりたいけれど、近づくだけで何か、こう……漠然とした恐怖感が広がるのよ)

(……まあ、行ってみるよ。正体を暴けばいいんだね)


 蜜蜂はエッフェル塔にむかう。



 途中、蜜蜂はこの世界の人に、せい子のことを聞いてみることにした。


 生地を売っている老女。

(すみません。手塚せい子について訊きたいんですけど)

(なにぃ?)

(手塚せい子です)

 老女は首をふった。


 蜜蜂はスーツを着た男の人にも聞いてみた。けれど、彼も手塚せい子について何も知らないようだった。何も知らないどころか、手塚せい子の存在そのものを認識していないようだった。それは誰に聞いても同じことだった。


 歩いていると、中に何か入っているのかガタガタ揺れるゴミ箱があった。

 蜜蜂は訝しんで、そのゴミ箱に近づき、蓋をあけてみた。


 なかにタツヤが詰まっていた。


(やあ、アイステイ)


 話しかけても、タツヤは蜜蜂に気づきもしない。彼は必死に耳を抑えていた。

 蜜蜂がゴミ箱をひっくり返すと、中からタツヤがゴミと一緒に出てくる。彼は耳をふさいで転げ回った。ごみの中にイヤホンを見つけた蜜蜂は、それを拾ってタツヤに渡す。彼は震える指で装着した。そんな一連の騒動を、待ち行く人は見向きもしなかった。


 ようやくタツヤが復活した。


(誰もせい子のことを、知りすらしていなかった)


 蜜蜂がそう口を動かすと、聞えなかったのか、タツヤはイヤホンをはずし耳を傾ける。それでまた耳に音楽が流れてきて、跳びはねた。


(口の動きで会話するんだ)


 蜜蜂が教える。


(難しいなあ)

(まあね、そのうちなれるよ。それよりさ、あれをみてくれ。あの黒い塊。あそこの中心にクラスメイトをさしてまわる犯人がいるはずなんだ)

(その犯人なんだけどさ。ええっと、その事件の発端が、水田……)

(ハコ美)

(そうそう。ほんとうにそうなのかな)

(どういうこと?)

(だって、そのたった一週間前に学くんが)

(そこから事件が始まってた、と言うのか)

(とするとだよ、その男は前に眼鏡で仕掛けを作ってたって言ってたよね。そういうことをこのむ人ってなんだか、僕のイメージだけど、出来事をものがたりにしたくなったりする印象がある。だから、本当の目的があって、それは学くんに始まって……)

(俺で終わるってこと?)

(それと、うかうかしてられないと思うのは、僕たちがこうしてる間にだって、もしかすると)

(新しい被害者が増えるかもしれない、ということか。なるほどね。まあ、それなら急ごう)

 ふたりはエッフェル塔に急いだ。



 バスの運転手にどれほど言っても、エッフェル塔には近づけないの一点張りだった。

 出来るだけ近くまで走ってもらい、それからふたりは自分の足で走った。


 ようやく到着する。だがそこで思わぬ相手に出会った。

 彼は「物濃キャレド」と名乗った。キャレドは決して二人にエッフェル塔に近づけないと言い張るのだ。


(俺は行かなきゃならないんだ)


 蜜蜂は抗議するが、キャレドは首をふった。


(それはお前の個人的な理由だろう。俺の組織にとって、この世界は邪魔なんだよ。申し訳ないが、このエッフェル塔は爆破させてもらう)


 彼はそう言って右手に持ったスイッチを掲げた。

 とっさにタツヤがそれを蹴り上げた。それを見た蜜蜂がエッフェル塔にむかって走る。タツヤは大声で、


「急げ! デルトロン」


 と言ったが、勿論それは蜜蜂には届かなかった。けれど言わずもがな、蜜蜂は全速力で走った。


 目の前に黒い闇、その境界線。風をごうごう吹き出している。散り散りになったその破片を見てみると、とてもこまかな黒い粒になっているのが分かる。粒の集合なのだ。それによって巨大な闇が形成される、

 蜜蜂は到着してすぐに、中に突入する。


 中にはいると、その黒い闇はごわごわとした人の手のような感触で、蜜蜂を押しだそうとする。蜜蜂はそれを掻き分け進む。中には木の板でできた階段だけがあって、彼はそれを上った。


 色のついた風のようだな、と思った。かたまりになったり糸になったりして、体にぶつかっ来る。それでも負けずに進むのだ。


 ついに最中心部にただりつく。そこはより一層黒が濃く、本当の闇であった。目がくらくらする。蜜蜂は手をいれてみた。するとそれはぐよぐよした感触。

 気持ち悪いったらなかった。


 けれど蜜蜂は決意して、勢いよくその暗闇に顔から突っ込んだ。

 体じゅうが揉まれる。泳ぐようにしてさらに中心へ進む。そうしてやっと手が何かに触れた。人の腕のような触り心地。


(これだ)


 蜜蜂の口から出た言葉は、黒い闇にすぐさま吸収された。彼はその腕を掴んで、今度は外へ出ようとする。そしてようやくのこと黒い塊の外に出る。

 闇の中心に居座っていたものの正体がしれた。

 その正体は、手塚せい子だった。

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