第3話 インザトーク [2/3]


 ベージュ色の世界にて。

 蜜蜂はやはり黄色いつなぎにサングラス。タツヤはモーニングコートにシルクハットだった。


「ここは集合的無意識の世界です。僕たちはペンギンを通して、世界中の人間共有の脳髄に入り込むんです」

と、タツヤ。

「インターネット空間じゃあなかったのか」

「ええ、大外れです。それで、この集合的無意識以下の世界では、——なぜだかはまだ解明されてませんが、僕たちはこの世界にだけ通じる名前を用いるんです。僕の場合、衛音アイステイです。」

「俺は祭銀デルトロン。……それで、ここに浮かんでる子に触れると、この子の個人の世界に入るというのか」

「大正解です」

「欲望の世界だと思ってたんだけど」

「それは、大外れです。フロイト的な解釈のやつですか? 厳密にはそれとはまた違うんです。それではじゃあ、この男の子の世界に入ってみましょう。ええっと、先輩怖がってますから、僕が先に入りますね」

「怖がっちゃないやい」


 タツヤは男の子に触れる。すると、彼は蜜蜂の目の前で、小さな光の粒を数滴だけ残して消えた。蜜蜂も男の子に触れる。




 古めかしい館のなか。長い廊下は埃でコーティングされてるように感じる。なぜなら、まったくもって色というものがなかったからだ。モノクロの世界では、音も時間もないように感じる。実際はある。けれど、写真の中にいるみたいだった。


 右には扉が並んで、左には窓が並ぶ。

 タツヤがひとつ扉をあけてみたが、なかを覗いてから首をふった。


「なにも動いてないですね。カーテンも、時計も、花瓶も」

「花瓶はもともと動かないさ。……それより向こうを見てみろよ」


 蜜蜂が指さす先は、廊下のもっと進んだ先だった。


 窓の前に少女が立っていて、そこにだけ鮮やかに色があった。その特殊な(といっても見た目は他と何ら変わりない)窓。その窓からさす光が、色を付けていた。


 少女は窓から、空を見上げる。


 蜜蜂たちは彼女のところまで進んだ。

「あのう、ごめんね」タツヤが声をかける。「男の子知らないかな。髪の短い、線の細い」

 少女は首をふる。それを見て、男子二人は固まった。


 白いブラウスに、黒のロングスカート。細い首にペンダントをかけた彼女は、夢のような少女であった。黒くてきれいな長い髪。白い肌。幼い目と小さい鼻と口。緊張したように髪を触る彼女の手は、葉脈のように柔らかで繊細に見えた。


「彼女だよ」

 蜜蜂が言う。「この子があの少年だ」

「いえいえ、男の子でしたよ。だからたぶん、この子はこの世界にとって重要ではあっても、けっして、」

「いや、彼女さ。彼女があの男の子なんだ。目の下のほくろが全く同じなんだ」


 タツヤは少女の目の下を確認する。少女は言葉もなく、不安そうに首をかしげるだけだった。まったく、窓から流れるオレンジ色の光は、彼女をか弱く、けれど人の心を抱くやさしさを抱懐するように見せた。


「じゃあ、」とタツヤは、どうにか納得する。「話を進めよう。君は何でここに立ってるのかな」

 そう聞いて、ようやく彼女は口をひらいた。


「この館から出られないの」


 ふたりは彼女を連れて、館の出口を探すことにした。



「きみ、名前はなんていうの?」

「わたし……、ゆき子」

 蜜蜂はタツヤと目があう。タツヤが言った。

「少ないくないんだ、自分の名前が異なる場合が。性別が変わる場合は初めて見たけれど。僕は、同じ名前を言っていたんだね」

「うん」

「でも、デルトロンさんよく気づきましたね、ほくろの位置。普通はそんなによく見ないもんですよ」

「顔がタイプだったんだ」

「……なるほど」

「勘違いしないでくれよ、女の子にも恋するんだ」

「今ので確信しましたよ。なにかを」


 やはり廊下はモノクロである。三人の足音はしとしとしとしと、静か。

 階段をおりる。その途中で、少女は蜜蜂の袖をつかんだ。怖がっている。蜜蜂は大丈夫だとなだめる。そうやって、ゆっくり階段をおりる。おりた先は一階だった。

地上階。

 三人は扉を探して歩く。少女はずっと蜜蜂の袖をつかんでいた。

少しして、タツヤが何かに気がつく。ふたりに、その場に止まり静かにするよう示した。


 ガシャラン、ガシャラン、ガシャラン、


「何の音かな」

 と蜜蜂は言う。

 そんな蜜蜂の袖によりいっそうつよく掴まるゆき子は、いまにも恐怖に押しつぶされそうに見えた。


 奥から歩いてきたのは、鎧の騎士であった。

 蜜蜂が彼女のほうを見て、安心させるよう微笑む。

その間に隣の部屋にはいり、そこで剣を見つけたタツヤは、それを二本とって来て一本を蜜蜂に渡した。

ふたりは剣をたずさえ騎士に向かう。それから、いざ間合いに入ると、二人は切りかかった。


 ふたりの剣は騎士の胴に直撃した。けれど、騎士はびくともしない。こころもち鎧がへこんだだけだった。騎士は片手で持つ巨大な斧をふりかぶる。二人はうしろに跳ぶ。騎士が振り下ろすとき、騎士は予想だにできなかったスピードで前へ飛んだ。

蜜蜂の目の前にまで来て、斧を振り下ろす。蜜蜂はとっさに左腕でガードした。生きた木が折れるような音がして、腕に斧がめり込んだ。


「デルトロン!」

 タツヤが叫ぶ。彼はその間に鎧の後方へまわっていた。そこから攻撃する。けれどやはり剣は、おもちゃでおもちゃを攻撃するほどの威力しか出ない。鎧にかすり傷がつく。彼はまた距離を取った。


 騎士はまた斧をおおきく振りかぶっている。蜜蜂の真上。彼は山のように見える鎧の騎士を見上げながら、よろよろ立ち上がる。

それから、おおきく上がった腕のした、腋のところに、逆手に持った剣を突きさした。にぶい金属音が鳴る。

蜜蜂は、鎧にできた隙間を狙って刺したのだが、うまくいかず、彼の狙いはその少し上に当たった。しかし結果として、おかげで騎士の振り下ろす斧は、蜜蜂の体の横を通って床に突き刺さった。


 蜜蜂はうしろにさがる。騎士を周ってやってきたタツヤと合流する。蜜蜂は今見たものをタツヤに伝えた。


「中だ」

「なか? なかが、どうかしたんですか」

「あの鎧の中身。空洞だったんだ」

「……倒せないということですか」

「わからない」


 タツヤは果敢に騎士に突撃した。そして、首にできた鎧の隙間に上手く剣をさしこむ。すると、鎧の騎士はたちまち崩れて動かなくなった。


「だいじょうぶ?」

 とゆき子が蜜蜂に駆け寄る。

 蜜蜂の腕は、恐らく骨まで断たれ、それだけに出血もひどい。心臓の鼓動に合わせて、肉も内側から叩かれるような衝撃が走る。巨大な鋼鉄の機械でねじられ続けるように痛む。いつまでたってもうめき声が止まらなかった。


 抑える右手もベトベトになる。ともすると意識が浮かび、眼は何も見ない水晶になり、それから歩く振動の痛みによって、意識はまた引き戻される。首から下が鉛のように重いのに対し、上は風船のように感じだ。


 ゆき子がそうっと蜜蜂の傷口に手を添えた。

 すると不思議なことに、蜜蜂の痛みの熱は単なるあたたかさに変わった。腕から肩、胸、腹にまで広がっていた苦痛が、みるみる裏返るように感じた。


「はぁ、……ありがとう」

 目の冴えた蜜蜂は驚きとともに、感謝をした。ゆき子はこくりと頷いて笑った。


 タツヤがそんなに様子を見て、先に進むことを提案した。蜜蜂は了解する。

 ふたたび廊下を歩きはじめた三人。すると横から声がした。


「いやいや、お見事でした」


 見ると、柱から顔だけがでている紳士が、胡散臭い笑みを浮かべている。お見事でしたよ、ともう一度言った。

 三人ともがつれない様子をしていると、待ちきれなくなったのか、紳士は柱から出てきた。体が透けて見える。恐らく幽霊のような類の存在だろう。彼は言った。


「出口を、探しているのでしょう」

「ええ」タツヤが返事をする。

「ついてきなさい」


 紳士はそう言って、移動しはじめた。すこし床から浮かんでいるようで、歩く足と、実際の進むスピードが合っていない。三人は多少あっけにとられながらも、彼について行った。


 幽霊はある部屋の扉をあけた。そして中にはいるように促す。いたって普通の部屋。書き物机があって、書棚があって——書棚の中には不揃いな本がいくらか立ててある——窓があって、窓枠にほこりがたまってる。

タツヤが入って、蜜蜂も入った。その瞬間、とつぜん床がひらいた。

当然二人は下に落ちる。ゆき子だけが幽霊紳士に取り押さえられ、上に残された。


「彼女は連れて行かせられないね」


 上から声が響いた。何も考えず騙された三人であった。




 落ちた先は地下牢である。

二人が十分に寝ころぶことも出来ないくらい、とてつもなく狭く、じめじめと湿った空気と、壁や檻のどの部分を見ても汚れている景色に、二人はげんなりとした。結局ゆき子を助けられず、こんなところで幽閉されるのは、気分のいいことではない。それでもタツヤは何とか出ようと、押したり引いたり叩いたりしたが、壁はもちろん、檻も、その極めて太い格子は頑強すぎてびくともしなかった。


 ふたりは壁にもたれて座る。特に蜜蜂は、ゆき子に苦痛はやわらげてもらったといえど、出血がひどく、衰弱している。頭が濡れたようにぼやぼやした。


 何も起こらない時間が、二十分、三十分と続く。


 ようやく口をひらいたのはタツヤだった。

「あの…ありがとうございました、デルトロンさん。その、すこし前まで、僕は……とてもつらかったんです」


「つらかった?」

「ええ、そうなんです。半年前、父親が……、死にました。仕事中の事故だったらしくて、それで、母と僕は二人残されてしまったんです」


突然そんな話をしだしたタツヤ。

 蜜蜂はゆっくりと、話を聞くことにした。


「母は、気丈にふるまって、僕のために今まで以上に働いて……。僕は、中学に入って生活も大きく変わって、、何もかもつらくって……。小学校の時の友達たちとも、とたんに話さなくなりました」

「そういうことってあるよ」

「そうですよね。でも、それで僕はひとりでつらくなって……。それで……神様を嫌いになりました。……ええ、神様です。それまでは漠然と、この世界を見守ってくれる神様みたいなものが優しくいるように思ってたんですけど、とたんに、こんなタイミングで、僕からいろんなものを奪った存在が、いたとしたらロクなもんじゃないと思ったんです。それでも、こんなに厳しい現実を、生き残れるかどうかすら不安で。気がついたらいなくなってしまってるんじゃないかって……」

「君自身が?」

「そうです」

「でも生き残ったわけだ」

「部活動じゃなくって、委員会に入ろうと、ふっと勇気が湧いて。それで立候補したんです。その日の朝おきたときに、自分なら出来るんじゃないかという思いがしたのを、思い出したような気がします。でもたぶん、それがデルトロンさんの助力あってのことなんです」

「ああ、そういう話か。僕が君の個人の世界に入ったときのね」

「ええ、無人島だったんですよね」

「そう。確かに言ってたよ、生き残らなきゃ、みたいなの。変な子どもだなって思ってた」

「そうですか」


 タツヤは笑った。それから、また少しの沈黙が流れる。けれど、それはタツヤが先ほどまで感じていた重たく沈殿した無言ではなかった。空気の匂いや音まで変わったようだった。




 けれど、その沈黙は、蜜蜂にとってはまだ軽く思えなかった。彼の中ではまだ、鈍い灰色や黒色のぐるぐるした困惑や悔悟がうずまいている。蜜蜂の頭に重く抱える苦しい思いをほったらかして、何をひとりで心を軽くしているんだと、タツヤに対して思ったわけではない。


 けれども蜜蜂も、つい口をひらいた。


「話していいか」

 タツヤは意表外の声の暗さに、身を引き締めた。人には人の、それぞれの抱えるものがあるのだと、何となくそう思った。

 蜜蜂は話し始めた。


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