第3話 インザトーク [1/3]


 せい子が学校を休んだ。初めてのことだ。

 蜜蜂は空っぽになったせい子の席を見る。今日もクラスメイトからは離されている。本人の不在により、その机は一層ひとりぼっちに見えた。


 来ない人はもう一人いた。

 水田ハコ美。彼女は、いわばいじめグループのナンバーツー、といってよい。よく鶴子と顔を合わせて、いやらしい顔で作戦を練る姿が見えた。彼女が休んでいる詳しい理由について、鶴子は知らないようだった。


 チャイムが鳴って、カネミクが教卓の前に立った。そして、事件があったことを告げた。


 水田ハコ美は、昨夜何者かに、背中をナイフで刺されたのだ。

 全員の視線が一度せい子の席に飛ぶ。蜜蜂は、鶴子のほうを見た。心底おどろいているようだ。彼女は本当に何も知らないのだろう。


 早朝、散歩をしていた老夫婦が気を失っているハコ美をみつけ、救急車を呼んだらしい。ハコ美はいま、入院している、とカネミクは言った。病院の名前も教えてくれた。町の大きな病院だった。女子たちはすぐにでも見舞いに行こうと話し合った。



 サンタチャレンジは、テッチャンこと石丸哲也の番である。

 くじ引きにより、対戦内容は「指スマ」に決定した。一戦目のサブロウとの対決はテッチャンが勝った。

 そして、その次の対戦相手は、蜜蜂である。


 理科室。換気のため窓はあけられ、強い風を封じる重たいカーテンがしめられる。電気は明るい。理科の筒ヶ谷先生が黒板に今日の実験の手順を書く。何だか涎みたいな色——灰色とも水色ともつかない——机にはプリントと、アルコールランプだけが置かれてあった。落ち着きのない誰かが、椅子の脚をがたがた鳴らす。

 蜜蜂たちは、この四時間目の、理科の実験の最中に対決することにした。これが第二戦、テッチャンが勝てばその時点でサンタチャレンジからは逃れる。


 いざ、授業が始まった。

 女子たちは先生に言われた通り、実験の準備を始める。用具を理科実験室から運ぶ。男子は女子に叱られてやっと席を立つ。拳を合わせていた蜜蜂とテッチャンも、いちど中断せねばならなかった。

 実験の準備を終えて、ふたたび二人は向き合った。けれど、氷の包丁のごとく「ちゃんとやって」の一言で、また中断せざるをえなかった。女子は上司である。なぜそうなるのかという哲学的考証を述べると長くなるので、簡単にしか言わないが、簡単に言うと、男子が部下だからである。


 一応実験はちゃんとやった。「白く濁った」と紙に書く。そうして、やっと男と男の真剣勝負へと移行する。


 ふたりは拳を合わせて向い合う。


「なあ、ハコ美のことどう思う」テッチャンが話しかける。


「可哀想だなって思うよ。ハコ美はただの中学生で、刺される筋合いはない。それと痛そうだ。いや、実際痛いのかな、刺されたこととないから……。いや、痛いんだろうなぁ……、指スマ2!」

「よしっ。そうじゃなくてさ、手塚さんも休んでる。指スマ3!」

「くそっ。せい子が犯人かって?」

「みんなそう思っている」

「実際はそうは思ってないさ。正体の分からない怪物はあまりにも恐ろしいから、知っている何かを当てはめるんだ。正体がわかるとそれほど怖くない。それと、単に面白がってるだけだよ。不謹慎だけどね。彼女が犯人だとすると、そういう子だったというので、今まで彼女をクラスから省いていたことからくる罪悪感が薄まる。指スマ1!」

「ああっ! 残り一対一だな」

「ここからだぜ」

「怖いかい。いや、指スマのことじゃなくて、犯人のこと。次は自分が刺されるんじゃないかってさ」

「なんで俺が怖がるんだよ。ハコ美以上になんてことない中学生だぜ。おまえ、怖いのか」

「いいや別に。思いついて、聞いただけさ。あと俺は思うんだが、手塚さんは絶対に犯人じゃない。指スマ2!」

「そうだろうな。俺もそう思うよ。指スマ0!」

「指スマ1!」

「指スマ2! よしっ」

 勝負は蜜蜂が勝った。これにより、サンタチャレンジは最終決戦に持ち込まれる。



 放課後、蜜蜂が学校から帰ろうと校門の前まで来たとき、そこで彼は子猫が待ち構えてるのを見た。憶えているだろうか、蜜蜂のいとこの柿崎子猫である。やはり制服姿で、木蔭でしゃがんでいる。

 蜜蜂が来ていることを、彼女はまだ気づいていないようだった。蜜蜂はゆっくりUターンする。足音を立てないよう、つまさきでゆっくり遠ざかる。彼は、こういう時のために見つけておいた、裏門から帰ることにしたのだった。


 ☆☆☆


 財布を散財から守り切ったテッチャンは、一番遅くに教室を出た。というのも、宿題ができていなかったからだ。


 数学の教師のおハゲは、ハゲのくせに人に厳しく、宿題をしてこなかったものに、残ってでもやって出させるのだ。そういうことをしているから禿げるというのを、本人は気づいていない。入学して、上級生から教えられることの一つだった。


 誰もいない教室にひとり残されたテッチャンは、好きな女子の机のことろまで歩いていき、その机にキスしてから自分の席に戻り宿題を始めた。机を地震のように揺らしながら、バリバリ問題を解いた。それから、職員室にもっていく。やっと彼が解放される。


 そうやって校門まで来たとき、制服姿の女子高生がしゃがんで俯いているのを見つけた。

 中学生にとって本当に恐ろしいのは、夜中ナイフを持って近づい来るものより、自分が理解できるはずのない女子(年上ならなおさら)である。


 けれどテッチャンは彼女に見覚えがあった。一度だけ、見た覚えがある。


「あのう」

 と、眠ってるかもしれない、というくらい動かない、彼女に話しかける。「もしかしたら、高本蜜蜂くんの」

「そう!」


 女子高生は跳ね起きた。「蜜蜂の姉! みっちゃんはどこ」

「彼でしたら知ってます。ええっと、彼はいつも、放課後はあるところに行くんですよ。もしよければ、そこまで案内します」

「ありがとーー」


 子猫はテッチャンの頭を抱きしめて礼を言った。そしてふり回す。テッチャンは真顔で振り回された。もちろん、内心は歓喜に震えて。


 ☆☆☆


 その頃蜜蜂は、住宅街に来ていた。作者と一緒で、蜜蜂も住宅街が好きである。恐らく、作者と彼の気が合うのは、この一点くらいだろう。なぜ好きかというと、静かだからだ、だよねー、蜜蜂くーん。


 特に昼間の静かさといったら、湖の底のようである。これだけ人のいる用意がされて、全く人がいないのを見ると、その街自体が博物館の展示物のように思える。


 作者が何の用事もなく知らない町の住宅街を歩くのとは違って、蜜蜂には用事があった。


 ある人に会いに行くのだ。


 まおから渡された紙の住所。

 到着した家には、「中森」とあった。チャイムを鳴らす。誰も出ない。たぶん、親は仕事に出ていて、目的の少年はまだ帰ってないのだろう。


 出直そうと思い、蜜蜂はふりかえった。するとその正面に、買い物袋を手にさげた女性が立っていた。蜜蜂はのけぞる。何だか万引きを店員に見られた心地がした。


 そんな蜜蜂に、その女性はほほ笑んだ。


「あら、タツヤのお友達?」

「ええ、……そうです。あのう、タツヤ君は」

「まだ帰ってないんじゃない。よかったら家に入って待ったら? 粗茶しか出せないけど」


 予告粗茶に魅力を感じたわけではないが、蜜蜂は言葉に甘えて中で待たせてもらうことにした。確実で、かつ楽だからだ。公園で時間をつぶすことにならなくてよかった、と蜜蜂は胸をなでおろす。彼女はタツヤ君の母だろう。



 彼女はタツヤの母である。

 タツヤは蜜蜂のとは隣り同士の中学校に通う、真面目で、成績のいい一年生である。背が低く、小学生にだって見える彼は、中学生になってそれまで続けていたサッカークラブをやめ、図書委員になった。

 サッカークラブをやめることは誰にも止められなかったし、図書委員になることも誰かに勧められたわけじゃなかった。

 月に七、八回訪れる当番の日は、昼休みと放課後図書館に行き、職務を果たす。運動は苦手なわけではないが、そういったことも好きだった。


 そして今蜜蜂にオレンジジュースを運んだタツヤの母は、普段ショッピングモールの婦人服売り場で働いていた。タツヤの真面目さは彼女から受け継いでいた。

 彼女は、今日は休みだった。それだけに久しぶりに気張って、家じゅうの掃除と、録り貯めておいたドラマの処理をした。そして買い物に行った帰りに、家の前で立つ蜜蜂に出会ったのだ。


 彼女はコップを蜜蜂の前に置いて言う。

「もうすぐ帰ってくると思うんだけど」

「ええ、いいですよ。くつろいでますから」

「はあ……、では存分にくつろいでください」


 そう言ってほほ笑む。蜜蜂はありがたそうに頷いた。

 家のチャイムが鳴る。蜜蜂の家とは違った音だ。より最新だろう。蜜蜂の家はとても古いから、そう思う。

 チャイムが鳴ってからも、タツヤの母が動く気配がなかった。

 不思議に感じた蜜蜂が廊下に顔をだす。左が玄関んで、右がリビング。

右のほうを見ると、タツヤの母が同じように顔だけひょいとだし、

「ごめん、今ちょうど手が離せなくて、代わりに出てくれる。たぶん、何の用事もない、うちにとって関係のない、勧誘か何かだから。追い返してくれたらいいよ」


 蜜蜂は「分かりました」といって部屋をでた。

 扉をあける。心地よい感触でひらく扉だ。扉のむこうに、手作りの木製のブランコをおき、そこにくまの大きなぬいぐるみと一緒に座る男がいた。チャイルデッシュ・ガンビーノみたいだ。「3005」の。


 これは、まごうことなき「倖せ探究会」である。


「人生にいて、感受性というものは、とても重要です」

 声を高々、張りあげる。


「いや、あのう、感受性については前聞きました」


「ああ、そうですか。……では、ああ、じゃあ……うーん。感受性と勉学については」

「聞いてないです」

「では……。頭のいい人、勉強のできる人たちに共通する部分はどこでしょうか。それは他でもない、感受性の高さなのです。私たちが何かを脳に記憶するときというのは、どういう時か。それも、より強く記憶するときは、いつなのか。それは簡単です。感動を受けたときなのです。とある何気ない二年前のことは憶えていなくても、二年前に言った旅行のことは憶えているでしょう。ではそれほどドラマチックに、勉学と取り組むとどうでしょう。勉強の得意な人たちの多くは、一つの問題が解けたときに感動します。(なるほどこうやれば解けるのだ。こういう法則があるのか。こんなことまでこの考え方でわかるのだ)等々。やはり感動すると脳に焼き付きます。それだから感受性の高い人は勉強もできるのです。感受性が高いとそれだけでなく、人生の生きる目的も見つけることができます。何気ないことに、我々は感動を見つけることができます」

「聞いたような気がします」

「ええっと……。自分の価値は自分で決めましょう! この世の中には既存の価値というものがあります。何々が正しい、人生において何々はしておくべきだ。ほんとうにそうでしょうか。あなたにとって正しいこととは、あなたにとって大切な事とは」


 蜜蜂が倖せ探究会の話しを聞いてる最中に、向こうから制服姿の少年が歩いてきた。

 少年は玄関の前までくると、

「すみません」

 と倖せ探究会を迷惑そうに見て、横を通り抜ける。それから中にはいると、そのまま扉をしめてしまった。


 彼がタツヤだ。タツヤは蜜蜂を見つめて、恐る恐る、

「はじめまして」

 と挨拶する。

 しかしここに、奇妙な相違があった。


 蜜蜂にとっては、彼ははじめましてではなかったのである。というのも、彼に見覚えがあったのだ。確信をもって言える。忘れるはずのない少年だった。タツヤという名前も、そのときになってようやく思い出す。タツヤとは、蜜蜂が始めてペンギンに呑み込まれた後に、無人島で出会った少年だった。


「タツヤ君じゃないか!」

 蜜蜂は思い出してもらおうと、明るく言う。けれど、タツヤの蜜蜂を見る視線は変わらなかった。


「俺のこと憶えてない?」

「……え、ええ。憶えてないというか、まったく初めて見たような感じなんですけど」

「そんなことないよ、ほら、無人島でさ」

「無人島?」


 彼の目に、いっそう不信感が増す。「行ったことないです。無人島どころか、日本のそとにだって……」


 蜜蜂は直球だと思いフルスイングしたスライダーに空振りを食らった気分になる。彼はホームランを諦めて、手堅くヒットを狙うことにした。


「まおって女の子知ってる。橋の下にいるホームレス」

「ああ! 最近知り合いました。あなたも……、」

「高本蜜蜂」

「高本さんも知ってるんですか」

「もちろんさ」


 蜜蜂は鉄壁の三遊間に穴をうがった。ボールはレフトへ転がる。蜜蜂はもう一本狙う。


「ペンギンは?」

「はい!」


 タツヤはスクールバッグを肩から降ろす。そのチャックをあけると、カバンの中には、ペンギンがぎゅうぎゅうに押し込まれていた。蜜蜂はちょっと引く。


「蜜蜂くんも、このペンギンを知ってるんだ」

「いや、せめてさん付けで、蜜蜂さん。俺、年上だから」


 言ってる間にタツヤはペンギンをひっつかむと、カバンから引っ張り出した。ペンギンは、自分がでてきた後のカバンに手をいれ、そこからニット帽をだすとそれをかむった。このペンギンにとっては、大切な帽子らしい。ちなみに、蜜蜂のペンギンには眼鏡である。


 ここからは話がスムーズに進みそうである。それでは、ふたりの会話をダイジェストでどうぞ。


「ああ、俺のほうが先にペンギンに関わってたんだ。それで、初めて入ったのが君だったんだよ。だから憶えてる。君のもとには、その後ペンギンが訪れて、この世界を知ったわけだ」


「じゃあ僕は憶えてないですよ。個人の世界では、その持ち主の意識は介入しないですから。記憶とも関連していません。ただ価値観があるだけです。ペンギンはそうですね、ある夜遅く、夜食を食べようと思ってカップ焼きそばをあけたら、その中にはいっていました」


「せまい所が好きなんだな」


「ええ、お湯をかけると膨らんだんです。……ちなみに、集合的無意識の世界や個人の世界に、僕たちが一緒に入れるの知ってますか?」


「知らない」


「……そうですか。僕のペンギンの口の中にはいってください。そういう風にしたら、同じ旅を共有できるんです。ほら、怖がらずに」


「怖がっちゃないやい」

「それ」

「ひゃーーーー」

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