第2話 インザスクール [2/2]
「感受性には積極的な姿勢が不可欠なのです」
倖せ探究会だ。
「絵画鑑賞はなさいますか、では音楽は。あなたにとって全く興味の湧かない、その上鑑賞したってまったくよさが分からない種類の芸術があるとしたら、それをその芸術がつまらないものであるから、としてしまうのは間違っています。何が言いたいかと言いますと、芸術がつまらないのは、芸術のよさを理解できていないあなたのほうに原因があるというわけです。芸術鑑賞には初め訓練がいります」
そう熱心に語る女性は、見事でゴージャスな
「十八年、十八年。私がこれに気づくのには、十八年の人生を要しました。その頃私にはある習慣がありました。この習慣こそが、このことに気づくきっかけとなったのです。その習慣とは、ジャズを聴くことです。なぜジャズを聴いていたかというと、ジャズというものが当時の私にとって未知の存在であり、そのうえ実際聞いてみてもどこがいいのかさっぱり分からなかったからです」
男はどこかへ行ってしまった。女性はひとりで、どこを見ているかわからないが、斜めのほうを見て、顔も表情も動かさず口だけ動かして、早口に説明を続ける。
「ジャズの印象というと喫茶店でかかってそう、くらいのもので、実際聞いてみてもそんな感じがしましたし、これをポップスのような趣味として、あるいは娯楽としてなんて聞くことができるようにはなると思えませんでした。しかし世界には、大勢のジャズファンがいる事も確かです。ジャズを素晴らしいという人がいるのも確かです。では、「何がいいかわからない」と言っているのは、言ってる私が単に良さを理解していないだけだと、私は思ったわけです。そういう理由で当時の私はひたすらにジャズを聴き続けました。時間があれば耳にイヤホンをつっこみました」
どこかに行っていた男が、檻をもって帰ってきた。そしてそれを持ち上げて、女性の上にかぶせる。女性は檻に捕らえられた猛獣のように見える。
「そしてその当時私がジャズを聴く姿勢というものが、とても積極的なものでした。つまり、「どこかいい部分があるはずだ(メロディーにしろ、リズムにしろ)。気に入る部分を見つけよう。なぜジャズが素晴らしい音楽なのか、さぐりだしてやろう」と、こういうわけです。そうやって何曲も聞いて回るうちに、知らないながらに好きな曲というのも数曲出てきて、そういう曲を聞いているうちに、私はジャズを楽しんでいるというようになったわけです。この姿勢がなければ、私がジャズのよさに気づくことは一生なかったかもしれません。なぜそこまでしてジャズを聴く必要性があるか? もっとわかりやすく楽しい趣味を持てばいいじゃないか、簡単なポップスを聞けばいいじゃないか。そう思いますでしょ。それについてはこれから説明します」
檻はいつの間にか男が持ち去っていた。代わりに、今話している女性のとなりに、顔に袋をかぶせられた女性が椅子に縛られて座っている。
「このような姿勢はあなたたちが多く解さない、絵画鑑賞、それにジャズや詩の鑑賞などを楽しむのに必要なんです。簡単な娯楽だけが芸術だとしていると、どんどん低い方へ流れて行ってしまいます。時には鍛錬が必要です。わかりますかーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」
女性は椅子に縛られた女性の袋を取った。下からあらわれた顔は、今たって話している女性と同じ顔だった。ただメイクだけは違って、可愛らしくめかしていた。
「ハァ、ハァ……」
長く声を伸ばした女性は息切れする。その間に今度は代わりに椅子に座った女性が話した。
「しかし、このように芸術を楽しむことすら、いわばそれ自体が練習なのです。何の練習かって? 人生のですよ」
「その通りです。あなたが芸術によって得た豊かな感受性が拾うものは、あなたの生きる意味や生きがいです」
奥から数人の女性がこちらへ歩いてきた。椅子に座っていた女性も、自ら拘束を解き立ち上がる。
「あなたが生きる理由や目的は、そこらにあふれています。しかし、ともするとそれらは見落とされがちです。しかし、豊かな感受性をもってすればそれらは見つけることができます。とある美しい椅子を見て、「こういう椅子を自分で作りたい」と思うかもしれません。道を歩く子どもを見て「元気に育てたい」や「確かなことを教えたい」なんかも。見落としてはいけません」
女性は結局七人集まり、彼女たちは横一列に並んだ。それから何の意味があるのか知れないが、彼女たちは、そろって体をくねくねさせた。
「あなたもぜひ、感受性を高めましょう。「受」という漢字に騙されてはなりません。これは決して受動的な感性なんかではないのです」
動きが気持ち悪くなってきたところで、蜜蜂は扉をしめて部屋へ向かった。
一日の用事を全てすませた蜜蜂は、小説もある程度読み進め、あとは寝るだけになった。窓をしめ、カーテンもとじる。部屋の電気を消す。そのままベッドの上に横になった蜜蜂。頭に何か違和感があった。起き上がって、枕を叩いてみる。ザラザラしたハリのある変な感触。
蜜蜂は手を伸ばしてカーテンをあけ、月の光でその場を照らしてみた。
本来枕のあるべき位置に、ペンギンが寝ころんでいた。ペンギンはこちらを見ている。
ああ、またこいつか。と思う暇もなく、ペンギンは口をカパッとひらいて、蜜蜂を呑み込んだ。
ベージュ色の無限の世界。
(またか)
これで蜜蜂がここに来るのは四回目だった。彼は適当に移動して、人を探す。いつもここで眠っている人を見つけ、その人に触って別の世界に行く。そこで何かを達成すると、自分の部屋のベッドに戻れるのだった。
浮遊して探す。彼は服を着れるようになった。服を着ることを意識すればいいのだった。しかしどういうわけかいつも同じ服だった。着たこともない黄色いつなぎ。大きなサングラス。それと長いペンダント。ペンダントはみぞおちのあたり大きなリングがついていて、またその中に変なものがついている。この変なものが何を示しているのか、いないのか分からない。絵柄のようで絵柄でないのだ。凹凸のあるチップ、くすんだ金色の円盤である。
(一体この奇妙なものが何か、見覚えもないし、閃きもしない。それに今日は誰も見つからない。……思うにここはインターネット空間みたいなところだ。急に犬が出てきて消えたり、言葉が並んだり。なぜペンギンに呑まれてインターネット空間に入るかは分からないけど。……あ、女の子だ)
蜜蜂は彼女に触れた。
乾いた土の道の上に立っていた。
周りは山に囲まれている。蜜蜂のいる場所も山の上で、今いるのはそこにできた集落の中のようだ。けれどそこはのんびりとしたところではなく、家は過密状態。江戸風の古い家がぎゅうぎゅうに立ち並び、人も多い。人も江戸風である。
それはそうと、とにかく目に付くのは、煙やら水蒸気を絶えず吐き出す、大きな工場であった。工場は蜜蜂からは離れた、集落の一番端に位置していると思える。
そしてそれにくわえ、空には大きなイグアナが浮かんでいた。蜜蜂からはイグアナの腹がみえる。
蜜蜂は近くを通った人に、工場を指さしてたずねた。
「あそこでは何が作られてるのですか」
「わがんねえだ、何かに使うもんだろう」とても訛った話ぶりの老人だ。「けんど、わしたちは『たたらば』っつ呼んどる。若いもんがみなあそこで働くだ。それだがら、ここら一帯もまとめで『たたらば』だ」
「たたらば。ああ、ありがとうございます」
「いんえ」
蜜蜂は寝泊まりするところを探すことにした。
多く、誰かに触れてから来るこういった世界には三日くらい滞在する。なので三日分の生活はどうにかしなくてはならない。
蜜蜂は工場に向って歩いた。近づくにつれて人の数は多くなる。
(人を招くんなら泊るところくらい用意しておいてくれよ)
蜜蜂は商売好きそうな出っ歯の男を見つけ、泊れるところがないか聞いた。
「ああ、ありますぜ。ついてきんしゃい」
連れて行かれたところは、ただの一軒家だった。周りと何ら変わらないいでたち。
「ここですか? 何か特別な建物には見えませんけど」
「特別な建物じゃあねえや、ババアが一人住んでる。それだけだ。まあ、種明かしすると、そのババアってつうのが俺の朋輩のババアでさ、今そいつは工場で働いてるから面倒見るやつが必要なんだわ。ちょうどいいだろ」
「ええ」
中にはいってみると確かにババアがいた。ババアは囲炉裏のすぐ前に座っている。生きている。
「あのう、すみません。祭銀デルトロンと申しますが、実はですね、息子さんの友人さんから頼まれてですね、ここに寝泊まりすることになったんですが、大丈夫ですか」
蜜蜂がうやうやしく言うと、老婆はこくりと頷いた。
夕方になった。
何もすることのない蜜蜂が、部屋でただ座っていると、家ごと揺らす轟音が響いた。卵が爆発したようなぼこんという音のあと、掃除機のような騒音が続いてなる。
蜜蜂はあまりのうるささに耳をふさいで、外に出た。音の響いてくる方向を見る。それは工場だった。今、工場からまっ白な水蒸気が噴き出していた。
そして、ぎょうぎょうとなる音と一緒に、空から降ってくるものもあった。空から降ってくるものは、無数の紙だった。紙がひらひら工場から吹き飛ばされ、雨のように降る。蜜蜂は落ちてきた紙をつかんだ。
左上にゴシック体で大きく【裏】とあったので、裏返す。そちらには【表】と書いてある。
表には注意書きが書いてあった。
【注意】
「トゥルー・オア・フォルス」の問題です。次の分が合っていたら「トゥルー」間違っていたら「フォルス」。でも、断定してるからって、トゥルーにしちゃったら駄目だよ。だってね、そうだ、って言い切られると、そうだって思っちゃうでしょ。つまり、もし問題に、犬は植物です。というのがあったとしても、です。と言い切っているからといって、それにおされてトゥルーにしてしまっては駄目。ちゃんとこの紙の言うことを裏切って「フォルス」にしなくちゃ。もちろん答えがトゥルーになる問題は、トゥルーと書いてよし。
(なんだこれは。……ようは問題を解けということか)
蜜蜂は紙をもって、部屋へ戻る。それから、未だに囲炉裏の前にいるババアに紙のことを聞いた。すると彼女は教えてくれた。
「これはね、毎日十七時になったら工場からばらまかれる。わしらはそれを解く。全部解けたら、たたらばをでてすぐにある、坂をおりた先の祠に納める」
非常に簡潔だ。蜜蜂はさっそく紙を裏返し、問題に取り掛かった。
1.《地球の王はボヘミアン・キングに会ったことがある》
(知らないよ……)蜜蜂は悪態をついた。知らない名前と、知らない名前の関係性である。とりあえず彼は、「トゥルー」にしておいた。決して言い切ってあるからではない。
2.《『狼と香辛料』の作者は支倉凍砂である》
(これはトゥルーだ。笑福亭トゥル瓶……最近だじゃれ多いなぁ。何だか落ち込むよ)
3.《今、イグアナを飼いたい》
(飼いたくない、フォルス。……フォルスタイン。いや、待てよ! イグアナ?)
蜜蜂は、ある光景を思い出した。それはこのたたらばに来て一番衝撃を受けた光景だイグアナが空に浮かんであった。
(そうか、あの女の子は飼いたいと思っているということか。そうかそうか、彼女に触れて入って来たこの世界は、彼女の欲望なんだ。ついでにこの紙も。つまり地球の王とボヘミアン・キング、が誰かは知らないが、多分これも……)
4.《感受性とは積極的なものですか》
(あ、これトゥルーだ、ゼミでやったところだ)
5.(……
問題は十二問続いた。それらを何となく、すべて解き終わった蜜蜂は、老婆に祠への行き方を聞いた。
たたらばから出るための門は、相当に大きかった。人が十人いてもあけられる気がしない。その門は丈夫な綱で、滑車を使って引き揚げられた。蜜蜂はそこからでる。
そこからの坂は一本道。周りに草が生えてる以外、何もない。空も澄む。門の外に出ただけで、ときおりうしろに聞こえる水蒸気の上がる音が、妙に遠ざかったように思える。右は影のまっ黒な森。左はなだらかに坂になり、畑になっている。畑を切るように川がある。
順調に進んでいくと、小さな祠が見えた。犬小屋くらいしかない。お賽銭を受け取るためだけの機能しかない、神の別荘地だ。
蜜蜂はゆるく曲がった坂道をおりる。その祠の前には、人がいた。
「君も解けたの、この問題」
蜜蜂は話しかけた。相手は少女。
少女はノースリブのシャツと短パン、その多く露出した肌は、抜け目なく小麦色に焼けていた。とても健康的な少女だ。
彼女は振り返って、蜜蜂の姿をみとめると、首をふった。短い髪が暴れる。
「私は解かないの。その紙を受け取るだけ」
「君に渡すのか」
蜜蜂は彼女に紙を渡した。
彼女はまた首をふった。
「だめ、間違いだらけだわ。あまりに多すぎる」
蜜蜂は目を覚ました。自分のベッドで、正しく寝ている。まだ深夜真最中だった。彼は時計を確認し、それからすぐに目を閉じた。夢は見なかった。
☆☆☆
夜の道、幽霊が出る時間すら過ぎている夜中に、水田ハコ美は歩いていた。メールで近所のコンビニに来い、と呼ばれたのだ。
ねむい目を擦って、コンビニに到着した。誰もいない。キツネに化かされたような気分である。彼女はもう一度、自分の携帯電話を確認した。確かにメールは来ている。
黒カビのように恐怖感が、心臓からゾワゾワ広がり始めたとき、ぱちんと鳴って目の前のコンビニの電気が消えた。閉店の時間になったのだ。
「ねえ」
と後ろから声がした。
けれど振り返る隙もなく、背中がぐわっと押された。いや、押されたのではなかった。何かが熱く感じる。さっきの声の主は走り去った。その足音だけが、耳に聞こえる。
ハコ美は膝をつく。それからゆっくりうしろに手を回した。背中の下のほう、背骨の右に、取っ手のような硬いものがでていた。それに手が触れた。ハコ美は激痛にあえいだ。
……後ろから刺されたのだ。
あまりの恐怖に、手で顔を覆った。現実をさえぎった。
右の掌についたベトベトした液体が、頬にもついた。鉄の匂い。
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