第2話 インザスクール [1/2] 


 教室。一つだけ離れて置かれる机がある。手塚せい子の席だ。壁にひっつくように。周りとは距離がある。蜜蜂は、言葉にならない呆けた気持ちでそれを見て、それから自分の席に着いた。教科書を机に移す。頬杖をついて黒板を眺めた。端に今日の日付けと日直がかかれたきれいな黒板。


 手塚せい子は去年の終わりごろからいじめられた。主犯ははっきりしている。岡田鶴子だ。鶴子は長い髪。特徴のない美人だ。しいて特徴をあげるなら唇が少し厚いことぐらいである。モデル体型の彼女はモデルのように威張って見える。だいたいの手塚せい子への仕打ちは、彼女の指示によるものだった。


 貧乏から金持ちへの攻撃は、美人から可愛いへの攻撃であり、軍団のリーダーからどこにも属さないひとりへの攻撃で、貴族による町娘への攻撃だった。

 当時はまだ発覚しておらず、そのせいで二年生になっても続くこのいじめは、いちど体育の授業のあとせい子の制服が隠され、半日を体操服で過ごさざるをえなくなるところまでエスカレートして、それからはそれ以上の激化はなくなる。けれどそれは途絶えることなく、地道につづいた。


 せい子が教室へ入る。自分の席へ静かにつく。机の中に何もされていないのを自然に確認してから、授業の準備を始める。それから少ししてカネミク(金子三久先生)が来て、点呼が始まった。


 蜜蜂は一度せい子のほうを振り返った。彼女は普通に授業をうけていた。




 昼休み、蜜蜂は他の男子たちと腕相撲をすることになった。

 彼らは日直当番のように、順番に、サンタチャレンジをして遊んでいる。毎日だ。


 サンタチャレンジとは、まず順番がめぐってきた人が午前のあいだに時間を見つけ、他の男子と三番勝負をする。負けるてしまうと、昼休みにこっそり学校を抜け出しお菓子を三百円ぶん買い、学校に戻る。それから、サンタは立ち入り禁止の屋上に入り、ちょうど彼らの教室の真上になるそこからお菓子を降らせるのだ。

 これは多忙を極める。

 そして落とされるお菓子を、教室にいる餓鬼たちは窓から手をだして、サンタの恵みを掴むのだ。


 勝負の種類は「三枚ババ抜き」「あっちむいてほい」「しっぺ我慢」など書かれた紙の入った箱から引く。蜜蜂は「腕相撲」を引いた。

 勝負相手は男子たちから負けないよう選抜されたツワモノたちだった。


 二時間と三時間目のあいだにやったコタロウとも勝負は蜜蜂が負け、四時間目の体育の最中に行われたテッチャンとの勝負には蜜蜂が勝った。

 そして決定戦である。

 蜜蜂が勝てば平穏無事に昼食が食べられ、負ければ走り回った末に、善良なサンタとして屋上でひとりで昼食を食べなければならない。


 最後の相手はコウスケである。セイウチと間違えられやすい彼は、氷上のボスならぬバスケ部の補欠。ただ、こと腕相撲に関しては数々のバスケ部スタメンの枝のような腕を折ってきた。蜜蜂なんて、とうてい相手できるものではない。

 最初の二戦で取れなかったことが悔やまれる。コウスケが相手では望みが薄すぎるのだ。


 多大なる期待と、野太い歓声と唾液に包まれた最終決戦が、いよいよ幕を開ける。コウスケはぽきぽきと指の関節を鳴らした。これに何の効果があるかは分からない。蜜蜂は鳴らせない。ふたりは手を合わせる。そしてドシンと机に肘をつき、眼を睨みあわせた。レフェリーが合わさる拳をゆする。そしてためをつくってから「どん!」と手を放した。蜜蜂は0.3秒で敗北した。


 蜜蜂は校舎の裏の扉から出て、校門を目指す。誰もいないところ。


 しかし彼は、いつもは人けのないそこで、ある少女と出会った。手塚せい子だ。彼女は手にCDアルバムを持っていた。そしてそれを蜜蜂に差しだした。彼女は走って校舎に戻る。恥らしくするのでもなく、ぶっきらぼうでもなく、とても自然な行為だったので蜜蜂は首をかしげた。そして、そのアルバムは松任谷由実の『SURF&SNOW』だった。



 二九一円ぶんお菓子を買った蜜蜂は、屋上で弁当を食べながらお菓子を落とす。

 背後で扉がひらいた。蜜蜂は背中に冷や水を浴びせられた心地で、とっさにうしろを確認する。そして安心した。教師などではなかった。突然の来客者は岡田鶴子だった。


「まだそんな馬鹿な遊びしてるの? 絶対いつかばれるし」

「ばれる日を待ち望んでやってるのさ。そのばれる日が自分の番でないことほど楽しい出来事は他にないよ」

「ほんとバカね」


 鶴子は手すりに肘をかけ山のほうを見た。山と学校のあいだには低い民家しかない。蜜蜂は最後のガムを、腕をあげて彼女の肘のすぐ横に置いた。彼女はそれを下に落とした。誰かが器用にそれを掴む。


「ねえ、いつまで彼女を仲間外れにするの。手塚のこと。なんでそんなに彼女が気に入らないのさ」

「あなたには分かりっこないし、分かってほしくもない」鶴子は言ったあと、何かに気づいたように蜜蜂のほうを見た。そして彼に聞こえないくらいの音量で声をもらす。「けれど……」と。


「彼女にいなくなってほしいわけ?」

「気に入らないだけよ」

「どこが」

「存在が。けれど消えて欲しいわけじゃない。消えたら仕返しできないから」

「しかえし?」

「あなたも、そんなに気になるわけ? あいつのこと」

「どういうこと?」

「それよりさ」鶴子は蜜蜂のすぐ隣に座った。「高本が最後に会ったんでしょ。まなぶくんと。いとこ同士だっていう噂も聞いた。なんで黙ってたの」

「黙ってたって……別に言う必要ないだろ。いとこ同士でも、ただの同級生でも変わりないし」蜜蜂は弁当を片付けた。「あいつは最後まであいつだったよ。俺らとは違った。」

 蜜蜂は立ち去る。鶴子が、「一緒にしないで、あなたと私も決して違う」というのを無視して。



 放課後、蜜蜂は寄り道をして橋の下へ来た。

 乾いた土に雑草がはえる。アリの穴。ぺしゃんこになったペットボトル。ちょうど橋の真下、水色のビニールでテントをつくってある横に、これまた水色の廃車がある。

 蜜蜂はその車のガラス窓を叩いた。爪でトントンと。するとその何倍もの威力で叩きかえされる。はだしの足の裏だった。

 蜜蜂はテントの前で待った。すると車のドアがひらき、中から小柄な少女が出てきた。黄色いワンピースを着ている。頭にはカンカン帽、手首にシュシュを通していた。


「君ってさ——」

 と蜜蜂が言うと、彼女は手に持ったプラスチックバットを彼の頭に当てた。

「まおちゃんって呼べって言ってるだろ」

「……」蜜蜂はバットを掴んでとりあげる。「まおってさ、学校に行ってたことあるの」

「あるよ、三日くらい」


 まおは蜜蜂を押しのけテントの中にはいった。そしてその中にあるノートパソコンを起動させた。


 それから彼女は蜜蜂のほうを見て言った。

「それで、今日はなんできたの」

「下校途中にこれを見つけたんだ」


 そう言って蜜蜂が差しだしたのは、証明写真だった。同じ顔が六つならぶ。その顔を見てまおは、フン、と鼻で笑った。そこに写った顔は、いやしくひん曲げられた奇妙な変顔だった。


「証明写真撮る機械あるだろ」と蜜蜂はつづける。「その取り出し口に入っていたんだ。つまり」

「撮るだけ撮って、持って帰らなかった、ということか。それどころかたぶん、みっちゃんに見つけてもらいたかったんだろうな。で、なんで証明写真の取り出し口に

気づいたの?」

「近くに眼鏡が落ちていたんだ」

「めがね?」

「四つ、全部おんなじ方向を向いていた。それが、これだったんだ」

「よく気づいたね、そんな地味な仕掛け」

「眼鏡に目がねえ、ってこと? そんなだじゃれを言いにここに来たわけじゃない」

「……知らないよ」

「とにかく僕が言いたいのは、その写真が僕にとってとても重要だということだ。というのは、つまり、その男なんだよ。僕があの夜見たのは。間違いなくその顔だ。それと分かったことは、そんな写真を撮ってよこすってことは、こいつはまともな人間じゃないということだ。そしたらもしかすると、こういう世界の出来事に慣れてるのかも。まお、探せるか?」

「やってみるよ。あんたの恋人の為ならね」

まなぶは恋人じゃない。ただのいとこだ」


 まおは写真に写る男と同じ表情をしてみせた。蜜蜂は思い出す。あの日の夜、学と公園で話したその帰り、嬉しそうに夜道を歩く奇態な男とすれちがった瞬間を。

 男はじいっと蜜蜂を見つめてから、さも興味なさげに通り過ぎた。蜜蜂はそのまま家にかえった。次の日から、学は消えた。失踪したのだ。


 蜜蜂は財布を出して、まおにお金を渡した。お小遣いの半分。まおは帽子をちょいとあげてそれを受け取る。


「なんか嫌なもんだな」まおはお金を箱に仕舞ってから言った。「このお金のために働いてるみたいじゃないか。この男を探すのも、お金と引き換えに契約してるみたい。気に食わん。だいたい、もとは無償で、みっちゃんが私にお金をくれる。それだけの関係だったじゃないか。」

「昔みたいにはいかないよ。僕たちだって大人に近づく」

「なにをカッコつけて。まおちゃんを資本主義にとり込む気か! はあ、いかんせん現実で生きるのは思い通りにはいかない」


 まおはホームレスのくせに綺麗な髪を、ツインテールにくくった。


「昔みたいにしたら、昔の関係に戻してくれる?」

「うん」

「軽々しく請け負うな、ばか」


 まおはそう言いながら、手では紙に何か書いていた。そしてそれを書き終わると、蜜蜂に渡した。


「なにこれ」

「みっちゃんが前言ってた夢の話あっただろ。それを知ってる人を見つけたの。彼も夢で、人の中にはいったらしい。君の一つ年下かな。隣町の子。会ってきな、それが住所だから」

「ありがとう。じゃあ」蜜蜂は紙を鞄に仕舞う。「またいつか」

「じゃあねー」

 まおはツインテールを掴んで振った。彼女は作者のお気に入りのキャラである。




 家に帰る。父のやかましい笑い声。別に面白い何かを見ているわけではない。古い映画である。


「腰抜けるくらい美人だろ、なあ蜜蜂。今も綺麗だが、見ろ、見ろ。この頃はこんなにも美人だったんだ」

「バカなこと言ってないで、のけて。食事の準備するんだから」

「そう言わずお前も見ろよ、なあ」


 蜜蜂の父親が絶賛するのは他でもない、若い頃の蜜蜂の母である。彼女は昔女優だったのである。


 十七歳でチューインガムのCMでデビューした彼女は、それが小さく話題になり、それからドラマやなんかに出るようになって、人気女優に仲間入りした。主演映画も三本ほどとった。けれど三本目の完成と同時に、彼女は初主演映画で共演した俳優と結婚し、芸能界を引退した。


 そうである、この父親も俳優だったのだ。そして悲しいことに、今でも俳優である。若い頃はドラマで主演、なんてこともあったが、たいした成果をあげることはなく、そのまま歳を取りキャリアだけが薄っぺらくつみかさなって、今では何ら重要でない役に、飾りででるだけである。事件には絡まないが、舞台挨拶には出る。有名であるだけの存在。


 父は若い頃の恋人が何か台詞を言うだけでバカバカ笑う。そんな横で当の本人は、首をふりふり食事の支度をした。


 蜜蜂はそんな様子の居間を横目に、自分の部屋へ行こうとする。そうやって階段に足をかけたとき、廊下の奥から幽霊がやってきた。いや幽霊ではない、彼の祖父である。


「あら、どうしたんですか、お義父さん」


 母が声をかける。すると祖父は目玉を乾かせて、「喉渇いちゃった」と言った。

 母はすぐにコップにポカリを用意して渡した。決して毒は入っていないやつだ。

 蜜蜂は階段をのぼり始めたが、中断しなければならなくなった。家のチャイムが鳴ったのだ。

 奥から母の、

「蜜蜂出てー」

 という声が聞こえる。

 しょうがなしに彼は階段をおりて、玄関に戻った。

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