第84話 生みの親より育ての親……2

 ウォークスの家で酒を飲みながら干し肉や煎り豆を食べながら、積もる話をすること数時間。


 夕日が沈む頃。

 酒を飲みなれていないルーナはすぐに寝息を立てて、ソファの上で気持ちよさそうに笑っている。


「いやぁん、師匠のえっちい」

 どんな夢を見ているのかはツッコむ気も起きない。


「ゴホン。なるほど、チェンジリングの子か。彼女の腕前も聞いていたが、どうりで強いわけだ」


 酒に強いウォークスは、酒瓶を何本も空にしてもなお、素面と変わらない口調だった。  


 一方で、ノックスは可能な限り飲んでいるフリをしながら、最低限の酒で済ませたはずなのに、顔が熱く、心臓はバクバクと激しく苦しかった。


「えぇ。それも、同じチェンジリングの中でもとびきりの逸材です。単純な魔力量において、彼女を凌駕する人は限られるでしょう」

「彼女と結婚する気か?」 


 昼間に会った時とは違い、ややまじめな語調だった。


「十年経っても彼女がそれを望むなら、といったところでしょうか」


 ノックスの眼差しは一人のオンナを見るソレではなく、まるで娘や妹を見るようだった。


「とにもかくにも、彼女は世界を知らない。今はまだ、私以外の男を知らず、恩人である私に幻想を抱いている。今の私がすべきは、彼女に広い世界を見せ、多くの人と会わせ、彼女が幸せになれる方法を探すことですよ」

「過保護だな。元は縁もゆかりもない少女だろうに。そこまでする義理があるのか?」


 説教……ではなく、まるでノックスの覚悟を試すような口ぶりだった。

 なのに、ノックスは、思い出のアルバムを開くように微笑んだ。


「はは、おかしな師匠だ。それを言うなら、親戚を除けば、この世の全ての人と人は縁もゆかりもないでしょう。けれど、ゼロから友になり、チームになり、家族になる。何よりも、貴方は私を育てた。縁もゆかりもない、ただの汚いガキだった私をね」

「…………」


 ノックスの視線は、ゆっくりとルーナの笑顔に向けられた。その眼差しには、慈愛すらこもっている。


「彼女は何も悪くない。なのに、無理やり妖精の世界に誘拐されて、かと思えば突然また人間の世界に戻されて、実の両親に捨てられて……そんなの、あんまりじゃないですか……」


 ノックスの声は、同情というよりも、むしろ共感に溢れていた。

 実感のこもった声音に、ウォークスは押し黙る。


「師匠、私は師匠から多くを学びました。師匠に会わなければ傭兵になることもなく、彼女と出会うこともなかった。師匠は私だけでなく、間接的に彼女のことも救ったのです」

「………………」

「この場を借りて、改めて感謝の言葉を言わせて下さい。貴方に出会えて、私は恵まれていた。ありがとうございます」


 感謝の念でいっぱいのノックスは、穏やかな笑みを浮かべて、深く頭を下げた。


「……………………よしてくれ」


 黙して話を聞いていたウォークスが、やっと口にした言葉がそれだった。

 照れ隠しかと思いノックスが顔を上げると、これが違う。


 ウォークスは、本当に嫌そう、というよりも、むしろ許しを請うような顔だった。

「頼むから、わしに礼を言わないでくれ……わしは、礼を言われるようなことはしていない」


 後ろめたい想いに耐えるように、ウォークスの言葉は弱々しかった。


「酔っているんですか? 何故あなたに礼を言ってはいけない?」


 ノックスには、本当に意味がわからなかった。


 物心ついた頃から敵だらけだったこの世界で、ウォークスは数少ない心許せる人物だ。

 ノックスにとっては、親以上の存在だ。


「…………そうだな、お前には意味がわからないだろう。悪かったな、突然おかしな話をして……だがな、わしは本当に礼を言われるような人間ではないのだ……」

「何かあったのですか?」


 心配そうに尋ねるも、ウォークスは首を横に振った。


「違う、いや、確かにあった。だがそれはお前と会うよりもずっと前の話だ。わしは、罪もない人々を殺した殺人鬼なのだ」


 ウォークスの告白に、ノックスは眉間にしわを寄せて呆れた。


「何を今さら。我々は兵士だ。私だって、祖国を守るために戦う騎士たちを山ほど殺してきましたよ。しかしそれは戦争なら当然だ。暴徒やテロリストの一味を殺したこともありました。彼らは彼らなりの正義があったのでしょうが、私には関係ない。互いに殺しあう関係の中で一方を責めることはできません」


 精一杯フォローするも、ウォークスは手で顔を覆い、苦しむ。


「違う、違うんだ。本当に、なんの罪もない、無辜の民を殺したんだ……」


 神に罪の告白をするように、ウォークスは後悔の念を絞り出す。まるで告解だ。

 そこで、ようやくノックスは理解する。

 事態の重さに、深く息を呑んだ。


「まさか、本当に殺人罪を犯したというのですか。貴方が……」


 信じられなかった。

 ノックスにとってウォークスはヒーローだった。

 人生の師であり模範であり、理想像。


 自身もかくありたいと思いながら、自分のようなひねくれものには無理だと諦め自嘲していたほどだった。


 持ち上がった瞼は下がらず、上下の歯が離れ、自然と口に隙間ができたまま、ぽかんとして動けない。


「ああ本当だ。なぁノックス。お前は覚えているか、初めて会った日のことを?」

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