第75話 盲目の博愛主義……5

 ノックスは、ぐったりとした姫を小脇に抱えたまま、無感動に告げる。


「お前らの目的は食料だろ? ここに食料援助を約束する念書がある。姫は貰っていくぜ」


 ここに置いておくぜ、とノックスが付け加えると、ルーナは念書を床に置こうとする。

 幹部軍人風と貴族風の男は、一瞬表情を緩めるも、すぐに引き締めなおした。


「いや、貴様らには悪いが、アウリス姫にはこのままここに残って貰うぞ」

 貴族風の男が、厳めしい顔で言った。


「あんたにそんな権限あるのか? こっちはそっちの要求をのんだんだぜ?」

「ある! 私は外務大臣と国防大臣を兼任する身で、この件に関して、国王から全権委任をされている。それに、もとより、此度の作戦はそういう筋書きだ」

「それはどういうことだ?」


 ノックスの問いかけに、大臣は冥土の土産とばかりに語りだす。

「ふふふ。姫は人質として、生涯この国にいてもらう。そして、我が国が食糧難になるたび、グラ王国から援助を引き出す外交カードになってもらうのだ!」

 下衆の極みも甚だしいドヤ顔の大臣。


 だが、ノックスは不快感を露わにするどころか、呆れ顔だった。


「それは本当ですか!?」

 突然、アウリス姫が顔を上げた。意識が無いように見えたのは、ただの演技だ。


 まさかの事態に、大臣と幹部軍人風がぎょっとする。

「ひ、姫、眠らされていたのでは!?」

「ノックスさんの指示で、眠ったふりをしていたのです。それよりも、今の話はどういうことなのですか!?」


 ノックスの小脇から降りて、アウリス姫は悲痛な声で訴える。


「貴方がたは私の思想に賛同し、共に平和な未来を築こうと約束したではないですか! 私が王位に就かなければ、その理想は果たせません!」


 しかし、大臣は隣の幹部軍人風と顔を見合わせ、ニヤリと笑った。

「ははは、馬鹿な姫だ。そんな先の話など待てるわけがないだろう。それに、援助して貰っているなどという主導権を握られた状態に甘んじろなど片腹痛い」


 幹部軍人風も、続けて語る。

「平和とは与える側は甘美だが、強制される平和は屈辱でしかない。だが、貴様が人質である限り、我が国は常にグラ王国を組み敷くことができるのだ!」

「ふふふ。ゆくゆくは貴様に王子の子供を産ませ、その子を次期グラ王国国王として擁立し、グラ王国をマヌス王国の属国にするのだ!」

「そん、な…………」

 ショックのあまり、アウリス姫は青ざめ、その場に膝を着き、へたり込んでしまった。


「…………はぁ」

 ――やれやれだ。


 そんな姫の姿に、ノックスは一言もかけず、大臣たちと対峙する。

「ご高説どうも。じゃあ、次は俺のターンだな。ルーナ、姫様をキッズルームへ連れて行ってくれ。ここから先はR指定、大人の時間だ」


 大臣は、鼻にしわを寄せて声を濁した。

「なんだ、何を言っている?」

「まぁ、なんだ。今回に限ってはうちの姫様にも責任があるからな。命ばかりは助けてやるよ。ただし、他は全部貰うけどな」

 



 断末魔の悲鳴がこだまする廊下から、ノックスが姿を出すと、アウリス姫は呟いた。

「殺し、たのですか……」


 ルーナに肩を貸してもらい、青ざめた顔の姫様に、ノックスは首を横に振った。

「いや、死んじゃいないさ。まっ、元の生活に戻れるかは、あいつらの努力次第だけどな。さっ、帰るぞ」

「……………………」

 アウリス姫は、うつむいたまま、何も言わない。


 部屋では信念に燃えていた瞳には、暗い闇が垂れ込み、深い失望だけが映っていた。


 それから、ようやく口を開いたと思えば、


「嘘です……こんなの、嘘です…………」

 と口にして、顔を上げた。


「こんなの嘘ですよね? だって、だってあの人たちは貧困に苦しむ可哀そうな国の人たちで、助けを求めていたんです! だから、私が助けてあげれば私に感謝して、戦争なんてやめて平和な世界になるはずじゃないですか!」


 絶望に凍り付いた表情のまま、瞳からはぼろぼろと涙を流す。


 まるで、純潔を散らされた現実から逃れようとする元生娘のように、アウリス姫は痛ましい姿だった。


 けれど、ノックスは優しい言葉なんて持っていない。

 子供だましの、心地よい言葉をかける気は、毛頭なかった。


「貧しい可哀そうな人たちが善良だとでも思ったか? 富が足りなきゃ隣国から強奪すればいいなんて考える連中だぞ?」


 姫の喉から、小さな嗚咽が漏れた。


「……なんで……なんで、そんな酷いことを言うのですか……」

「生憎と、リップサービスはうちのサービス外なんだ」


 それから、姫様の嘆きが、砦中に響き渡った。


 現実に打ちのめされ、完膚なきまでに夢に破れた、乙女の嘆きだった。


 深く、重く、激しい嘆きは、長く、いつまでも砦に響いた。



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 本作を75話まで読んでいただきありがとうございます。

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