第72話 盲目の博愛主義……2

 ノックスの言う通りだった。


 先日、マヌス王国軍が、宣戦布告もなしに国境線を越え、グラ王国の農村地帯を襲ったのだ。


 農村の人々を殺し、穀物を略奪するマヌス王国軍から国を守るための防衛線、それが此度の戦だった。


「存じています! ですが、敵軍を退ければそれで良いでしょう。そのまま敵を追いかけ相手国へ攻め込む必要がどこにあるのですか!?」


 アウリス姫は声に力を入れながら熱弁した。


 一方で、ノックスの表情は酷く冷淡だった。


「ふっ、そりゃいい。なら、国境付近の村から略奪しては逃げるヒットアンドウェイ戦法を取れば、この国から奪い放題というわけだ」

「そんなことは言っていません!」

「言っているさ。逃げる敵を追いかけてはいけないのだろう? 同じじゃないか」


 言葉に詰まり、悔しそうに歯噛みしてから、アウリス姫は話題を変えた。


「ぐっ、ですが、相手の町を焼き払うのはただの虐殺行為です! 罪もない民を殺すなど、哀れに思わないのですか!?」

「思うさ。民が可哀そうだよ。食料問題解決のために強国グラ王国に攻め込むなんて愚かな王の治める国に生まれた上に、追撃を受けている軍が町に逃げ込むなんて悲劇だ」


 ノックスのふてぶてしい態度に、アウリス姫は話にならないとそっぽを向いた。


 彼女の怒りの矛先は、父親であるバルバ王へ向けられる。


「そ、そもそもです父上。マヌス王国が昨年も凶作で民が飢えているのはご存じでしょう? 先の戦は、飢える民を救うべく食料を得るための、人道的な戦だったことは明白です。何故食料を融通しないのですか? 父上がマヌス王国に食料援助をしていれば、我が国の村民が襲われることも無かったのです!」


 そこまで言われて、ようやくバルバ王はワイングラスを卓に預けた。


「我が国のあらゆる財は、我が臣民が額に汗を流し稼いだ臣民の財だ。他国の民に与える財は麦一粒とてありはしない」


 静かな、けれど威厳に満ちた語調だった。


 その威圧感に、アウリス姫はあとずさった。


 それでも、アウリス姫はここで引き下がっては駄目だと、己を鼓舞するように握り拳を作り反論した。


「自分さえよければそれでいい。他国の人間が苦しもうと死のうとどうでもいい。そうした独りよがりな考えが戦争と貧困を生むのです! 我が国は土地に恵まれ、民は飽食の時代を謳歌しています。隣の国では毎年何万人もの餓死者が出ているのにです!」

「そうだ。民が土地を開拓し、食べていける生活から飽食の生活にまで発展した。それを、クワひとつ振るっていない他国民を助けるから粗食に戻れと、お前は言うのか?」

「その通りです! 他国には、その粗食すら食べられぬ民が溢れています。それに、我が国には食べきれない程の食料があり、王都の倉庫街は貯蔵しきれない程の麦で溢れ返っています! あのほんの一部でも融通すればどれ程の命が助かるか!」

「アウリス」


 やや語気を強めた父の言葉に、姫は押し黙った。


「お前は姫という身分でありながら、そんな戯言を言うために、王都からわざわざこんな国境付近の砦まで来たのか?」


 鷹のように大きく鋭い眼光が、ギロリと彼女を射抜いた。


「部屋に戻れ。そして明日、王都に戻るのだ」

「…………ッッッ」


 目に涙を浮かべ、拳を震わせてから、アウリス姫は背中を向け、走り去った。


 開け放たれたままの出入り口からは、彼女の荒々しい足音がいつまでも聞こえていた。


「熱い娘さんだ」

「青い娘だ」

「ていうか、ちょこっと極端だよね」

 ルーナはちょこっと困り顔になる。


「お前でもそう思うんだな」

「いやいや、いくらなんでもあれはお花畑過ぎるでしょう」


 ないない、とルーナが顔の前で手を振ると、バルバ王は溜息をついた。

「娘には現実が見えていない。過保護に育て過ぎたか……」

「まぁ、娘さんの考えも、全否定はしませんがね」

 ノックスの意外な発言に、視線が集まる。


「平和主義と博愛主義は悪くない、むしろそうでなければ世界から不幸は消えない。けれど、それは全ての国が同時に掲げなければ意味がない。かつて、専守防衛、非拡大、博愛主義を謡った思想集団がいましたがね、あえなく滅びましたよ」

「獅子の巣窟において、己一人が羊となれば、骨までしゃぶられる、か。世の理だな」


 そう言って中空を見つめるバルバ王の瞳に、一種、哀憐の情にも似た寂しさが映り込んだ。


 それを見咎めたノックスは、すかさず口火を切り、新たな話題を振った。


「ところで、そろそろ仕事の話を聞きたいですね。マヌス王国への報復が済んだなら、けが人の治療がお望みですか?」

「いや、貴殿らは何もしなくてよい。それが依頼だ」

「?」

 意味が分からず、頭上に疑問符を浮かべるルーナは、ノックスの顔を見やった。


「なるほど、つまり、静観しろと?」

「察しが早くて助かる」

 バルバ王は、同士を見つけたような、好意的な笑顔を作った。


「貴殿の噂はわが国にも届いている。一騎当千、万夫不当、千軍万馬のワンマンアーミー。どの国も喉から手が出るほど欲しい逸材。しかしてどの国にも属さぬ一匹狼。我が国の兵は精強なれど、貴殿と戦うのはあまりにもリスクが大きい」


 勝てない、と言わないのが、バルバ王の自信であり、また、王たるものの品格であった。

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