第70話 縁の下の力持ち……6

 うっとうしい土煙と黒煙を風魔法で一掃してから、爆心地に佇むノックスは言った。


「深夜の徘徊老人の迎えにきた。その老人をこちらに渡してもらおうか」

「おじいちゃん、トイレはこっちじゃないよ。ボケちゃダメ」


 隕石のように飛来してきて、爆炎で兵士たちを円環状に飛び散らせておきながら、えらく間抜けたことを言う二人に、敵兵士たちはしんと静まり返る。


「おいルーナ、お前の考えたセリフだだスベリだぞ」

「ギクぅ!」


 ノックスのジト目に、ルーナはひとしきり視線を泳がせてから、

「ひ、人質を返せぇええええええ!」

 と叫んだ。


 そしてノックスにほっぺたをもみくちゃにされた。


「あ~、ごめんなさい師匠!」


 今回ばかりは、少し反省しているらしい。


「芸人を呼んだ覚えはないのだが?」


 魔法使い風の男が、殺気のこもった瞳でノックスたちと対峙した。


 ノックスも、ルーナの頬から手を離してから、剣呑な眼差しで彼の殺気を受け止める。


「ああ。芸人じゃなくて傭兵だからな。双黒のノックスと、一番弟子のルーナだ」

「ほぉ、貴様があの有名な」

 男の顔が、武功への期待と愉悦に歪んだ。


「ノックスさん、何故ここに……」

「何故って、だから言ったでしょう」


 心配そうな顔をするオクルスに、ノックスは気安く答えた。

「深夜の徘徊老人の迎えに来たんですよ。あんたの天幕を訪ねたら、案の定、留守だったんでね。それに、だ」


 ノックスが視線を投げると、ルーナが説明を引き継いだ。


「進軍は明日の予定だけど、迷子の味方を探して偶然にも遭遇した敵を倒す分には命令違反じゃないよね?」


 違反である。

 違反であるが、ようは建前だ。


 ノックスが自分自身を納得させられれば、それでいい。


 ようするに、ノックスはオクルスのことが気に入ったのだ。


 一時間にも満たない時間の間に、この人は死ぬべきではないと、確信したのだ。


 だから。


「今夜の俺は、超殺人的に介護するぜ。お前らを皆殺しにしてでも、その爺さんを連れて帰る!」


 両手に溢れた魔力の輝きが、ロングソードとジャベリンを形作る。


 ルーナも、両手に魔法の稲妻を作りだす。


 その光景に、オクルスは熱い涙を一粒流した。

「助太刀、感謝する!」

「何が超殺人的介護だ。貴様は俺の武功に――」

 言い切る前に、男の首が飛んだ。


 ノックスの手から放たれたジャベリンが地面に突き刺さった。


 男の首は、地面に落ちる前に、ノックスが拾い上げた。


「次は誰だ?」


 おそらくは、手練れであろう男の髪をつかみ、敵兵士たちの前に掲げてやると、恐怖は一瞬で伝播した。


 阿鼻叫喚が渦巻き、敵兵士たちは一斉に逃げ出した。


 後方にいて、今の惨劇を目にしていない兵士たちも、何かを察して逃げ出した。


 恐慌状態に陥った兵士たちは互いにぶつかり将棋倒しになり、仲間を踏み殺し、仲間に踏み殺されていく。


 五分と経たず、悲鳴は遠ざかり聞こえなくなる。

後に残ったのは、仲間に踏まれ、なお死にきれない兵士たちのうめき声だけだ。


「眠れ」

「眠れぇ」


 ノックスとルーナが指を鳴らすと、二人の手から青白い光が一発ずつ放たれ、兵士たちを順次眠らせていく。


 回復魔法もおまけしておいたので、死ぬことは無いだろう。彼らには捕虜になって貰う。


 それが終わると、ノックスとルーナは振り返った。


「じゃあ、帰るぞ、爺さん」


 ノックスが微笑むと、オクルスもまた、表情を緩めた。

「はい。そして、貴方の優しさに、感謝します」




「これは、どういうことですか!?」


 声の主は、スペルキリウム軍の斥候兵だった。


 そこでノックスは、ここに来るとき、急ぐあまりメテオが如く攻撃をぶっ放したことを思い出した。


 あれだけの轟音なら、森の外まで聞こえていても、おかしくない。


 己の迂闊さに、しばらく声が出なかった。



   ◆



 翌朝、伯爵の天幕にて。


 ノックス、ルーナ、オクルスの三人は、重臣たちが見守る中、スペルキリウム伯爵の前で、事の次第を正直に説明した。


 敵軍の将軍と指揮官を討ち取ったオクルスの武功に、誰もが息を呑んだり、驚愕に開いた口が塞がらなかったりと、反応は様々だった。


 けれど、大半は彼を見直しているように見えた。


 オクルスは出世を望んでいないものの、彼の実力が周囲い認められたことに、ノックスは少し安心した。


 だが、伯爵だけは不機嫌そうに、いや、葛藤に苦しむように唸り、オクルスを睨んでいた。


 今まで見下していた相手が、稀代の名将だとわかり、複雑な想いなのだろう。


 伯爵のようにプライドの高い人物ならば、なおさらだ。


 しかし、これだけの武功を挙げては、認めないわけにはいかないだろう。


 はてさてどんな言葉が飛び出すかと、ノックスはやや期待して待っていた。


 すると。


「な、なんてことをしてくれたんだ!」


 その言葉には、誰もが呆気にとられ、目をしばたかせた。


「本来なら今日の総攻撃でその二人の首を含めた数多くの首級を討ち取り、敵軍を壊滅させ、我が軍は大戦果を挙げる予定だったのだ!」


 伯爵は、口角に泡を飛ばしながら怒鳴り散らす。


「なのに貴様が功を焦り先走ったせいでみすみす敵軍を取り逃したではないか! この責任をどう取るつもりだ!?」


 あまりに馬鹿げた対応に、ノックスは言葉が出なかった。


 子供だ。いや、ガキだ。それも、とびっっっきりのクソガキだ。


 今まで見下していたオクルスの実力を認めたくない、自分のプライドを守りたい。

 だから、相手の失態をでっちあげ責めることで、マウントを取る。相手の手柄を帳消しにする。

 

 子供の世界ではよくあることだ。

 大人の世界でも時々あることだ。

 だがそれを、一国の運命を左右する戦場で行うことに、ノックスは呆れ果ててしまった。


 オクルスを十全に活かし、母国を勝利に導くことよりも、自分のプライドの方が大事なのだ。それが、スペルキリウム伯爵という男の器なのだ。


「貴様はクビだ! 二度とそのツラを見せるな! それにノックス、貴様も同罪だ! 出ていけぇええええ!」


 興奮して喚き散らす伯爵。


 対するオクルスは、流石にショックを受けたようで、悲しそうな顔で立ち尽くした。

 でも、しばらくすると静かに頭を下げ、その場から立ち去った。


 その姿に、ノックスとルーナは、伯爵への怒りよりも、オクルスへの心配が勝った。



   ◆



 戦場の東端、国内へ戻る道で、ノックスたちはオクルスに謝罪していた。

「我々のせいですいません。助けるつもりがこんなことになって……」


 ノックスが頭を下げると、オクルスは大きく手を振り、否定した。

「いえ、いいんです。それに不思議なものでね、実を言うとそれほど悲しくもないのですよ。きっと、私はスペルキリウム家ではなく、先代様を守りたかったのだと思います。あの方がいない家に、未練はありません。それに」


 一度息を着いてから、オクルスは晴れやかな顔で言った。


「これも時代の流れなのでしょう。お家を守るために尽くしたいと私が思ったところで、若者にとってはただの迷惑な老いぼれ。老兵はこの辺で消えますよ。幸い、妻なし趣味なしの数十年でしたから、蓄えは豊富にあります。食べるには困らないでしょう。では、機会がありましたら、またどこかで」


 好々爺然とした笑顔を残して、オクルスは歩き去っていく。


 その小さな背中を見つめてから、ルーナは一言こぼす。

「おじいちゃん、可哀そう」

「あぁ、本当に、世の中は理不尽だらけだ。だが、あの伯爵は報いを受けるだろうな。爺さんがいないなら、あの軍はもう駄目だ。次の戦で壊滅するだろうよ」


 肩越しに反対方向を見つめながら、ノックスは呟いた。


「自業自得だぜ、伯爵さんよ」

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