第69話 縁の下の力持ち……5
翌朝。
上機嫌なスペルキリウム伯爵は、作戦会議用の天幕で、家臣たちに計画を伝えた。
「斥候の調べでは、昨日敗走した敵軍は援軍と合流し、新たな総大将を得てから、西の森に潜伏しているようだ。よって、我々は今日中に森のすぐ手前まで進軍し、二日後の朝、森へ全軍で総攻撃を仕掛ける!」
頭の痛くなるような作戦に、ノックスとルーナがへの字口になるのにも気づかず、重臣たちは盛り上がる。
会議が終わると、ノックスとルーナは真っ直ぐ、オクルスのいる天幕へ向かった。
「オクルスさんはいるかい?」
天幕の中を覗くと、都合よく、オクルス独りきりだった。
独りきりで、天幕を片付ける準備をしている。
また、雑用を押し付けられているらしい。
「おや、なんの用ですかな?」
「あの馬鹿伯爵は危険だ。昨日敗走した敵軍が援軍と合流してから森に潜伏していると知って何をすると思う? 森のすぐ手前で一泊してから翌朝に森へ総攻撃だとよ」
ここで、オクルスの表情が初めて曇った。
「それはいけない。すぐ手前では、夜襲をかけてくれと言っているようなものだ。それに、総大将は昨日、貴方が討ち取った。新しい総大将は、森での戦いに精通した人物でしょう」
オクルスの額から、一筋の汗が流れ落ちた。
「……止めねば」
オクルスは手に持っていたものを置いて、天幕を飛び出した。
二人も、後に続いた。
◆
伯爵用の天幕の前で、ノックスとルーナが待っていると、伯爵の怒鳴り声が耳をつんざいた。
それから、肩を落としたオクルスが姿を現した。
結果は、聞かなくてもわかる。
「駄目でしたか」
「ええ……ですが、このままではいけない。なんとかしなくては……」
深刻そうな、あるいは、鬼気迫るような顔で、オクルスは独り言を呟きながら、その場を立ち去った。
「師匠、あたしたちはどうしようか?」
「どうしようもないさ。我々はただの傭兵だ。金を貰う以上、雇い主の作戦に従うまでだ」
ノックスの表情は、やりきれない思いでいっぱいだった。
◆
その日の夜。
予定通り、森のすぐ手前に陣を張ったスペルキリウム軍は、明日に備えてぐっすりと眠っていた。
そして深夜と言ってもいい時間。オクルスは独り、森の中を走っていた。
鎧兜を脱ぎ、動きやすい狩人のような服装だ。
その顔には、ノックスたちに見せていた温和な表情は無い。
月明かりも心もとない森の中、氷のように冷たく、ガラスのように無機質な眼差しで、油断なく敵の姿を求め続けた。
音もなく、気配を殺し、眠る獣に感づかれることもなく走り続ける事しばらく、彼は、敵陣の灯りを見つけた。
――あそこだ。
隠蔽魔法で周囲の光を屈折させ、体を半透明にする。
防御結界を階段状に展開して、上っていく。
森の開けた場所で野営する敵兵の数はざっと二千人。援軍と合流した割には、少なすぎる。
暗視魔法を使うと、松明の灯りが届かない木々の間にも、多くの兵士が身を潜めていた。
指揮官の言葉に耳を傾けると、どうやら、スペルキリウム伯爵の軍に、夜襲を仕掛けようとしているようだ。
オクルスは緊張しながらも、冷静に思考した。
この場で狙撃をすれば、すぐに敵襲を気取られ警戒される。
敵軍に最大のダメージを与えるには、この場で最も上の指揮系統を担当する者を見極めなくてはならない。
今、兵士たちに指示を出している男がこの場の最高指揮官なのか?
それとも、他にいるのか?
オクルスが悩んでいると、指揮官が声を大きくした。
「では、将軍殿から、最後の言葉を頂戴する」
指揮官の言葉に合わせて、立派な鎧を着た男が、兵士たちの前に進み出た。
将軍。
少将か、中将か、大将か、それはわからない。
だが、かなり高い地位の人物であることには違いない。
彼がこの場の最高指揮官だと推論して、オクルスは矢を引き絞った。
矢から手を離すと、矢は矢羽根の効果できりもみ状に回転しながら、五〇メートル以上の距離を飛翔した。
そして、狙い過たず、将軍と呼ばれた男の眼球を直撃した。
顔から生えた矢の長さから計算すると、矢じりは将軍の脳漿に達しているだろう。
兵士たちが悲鳴を上げながら、警戒態勢に入る。
さっきの指揮官は、近衛兵たちの背中に隠れようとするが許さない。
オクルスの二射目は、動く指揮官の首を正確に射抜いた。
けれど三射目はない。
別の場所に防御結界を展開して、そこへ跳び移る。
狙撃場所を知られないようにする、ヒット&ムーブで、オクルスは戦うつもりだった。
だが、オクルスの目論見は崩れた。
兵士の中から、一人の男がこちらに目掛けて氷の矢を飛ばしてきた。
「くっ」
緊急回避として、オクルスは防御結界の足場から、自ら転げ落ちた。
その落下地点から、岩の刃が跳び出し、オクルスは目を見張った。
空中で背骨を曲げて胴体をひねり、なんとか避けるも、おかげで受け身を取り損ねた。
地面と激突した衝撃で肺が潰れて、息が詰まった。
「あの猪突馬鹿の伯爵家に、貴様のように腕利きの暗殺者がいるとは思わなかったぞ」
顔を上げると、魔法使いらしき風体の男が、こちらに歩み寄ってきていた。
おそらく、彼の探知魔法か何かで、オクルスの居場所は看破されたに違いない。
見つかった暗殺者は、逃げるのが鉄則だ。
けれど、まだオクルスは十分に役目を果たしていない。
指揮官二人程度では、明日の戦に勝てるかわからない。
もっと、もっと多くの敵を殺さねば。
オクルスは速やかに生還を諦めた。
彼の頭脳は、一人でも多くの敵兵を道連れに死ぬ方法を模索した。
ためらいなく弓矢を捨てると、腰からダガーを二本抜いた。
――先代様、いや……私にとっては、貴方こそが、永遠の当主様です。今、貴方のお側に参ります!
いつ以来か。
オクルスは、マグマのように熱い感情を爆発させながら、ダガーを振り上げ敵魔法使いに跳びかかった。
そして、大地を割る爆音が、辺りを支配した。
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