第68話 縁の下の力持ち……4

 そうしている間にも、老兵が粛々と論功行賞の雑用を済ませ、とうとう最後まで名前を呼ばれることなく、論功行賞は終わってしまう。


「では各々方、明日も存分に励むが良い」


 そう言って伯爵が席を立つと、ノックスが待ったをかけた。

「待ってくれ伯爵」

「む、どうした?」

 伯爵は、意外そうな顔で眉をひそめた。


「今の論功行賞だが、何故そこの彼の名が挙がらなかった?」


 ノックスの指さす先、老兵に、皆の視線が集まった。

「何故も何も、こいつに武功がないからだ」

「ないわけはないだろう。彼が今日、何人の隊長を射殺したと思っているんだ?」


 周囲が水を打ったように静まり返る。

 それから、伯爵と側近が大口を開けて笑い出す。


「はっはっはっ、何を言う。こいつにそんなことが出来るわけがないだろう?」

 まるで、とびきりのジョークを聞いたように、伯爵は目に涙を浮かべて笑い転げた。


「だが私は見たんだ。彼が正確無比の狙撃術で指揮官を射殺す様を」

「ははは、何を勘違いしているのかはわからんが、それはないのだよ」

 伯爵は、老兵の肩を抱くと、指先でしわだらけの顔を指さす。

「オクルスは最古参の老兵だが、武功を挙げたことはないただの雑用。武芸を競う行事にも万年不参加だ。それに見てみろ、この新品同様の鎧を。傷ひとつ血痕ひとつないではないか。こいつはただの雑用係。ついたあだ名が雑巾騎士だ」


 周囲の兵士たちも、痛快とばかりに笑う。

「確かに、剣より雑巾のほうが似合うよな!」

「雑巾使わせたら右に出る者はいないな!」

「しかも真っ白な新品の雑巾だ!」


 長年勤める老兵を嘲笑する人々に、ノックスは嫌悪感で眉間にしわを寄せた。


 けれど、当人であるオクルスは、眉一つ動かさず、水面のように冷静な顔だった。



   ◆



「待ってください」


 論功行賞が終わり、皆が勝利の余韻で酒を飲み始めた頃。

 ノックスは、宴から離れるオクルスを呼び止めた。


「あぁ、貴方は先程の。ノックスさんとルーナさんでしたか?」

 オクルスは、孫ほど年の離れた二人に、物腰柔らかな敬語を使った。

 実に、穏やかな人柄が見て取れる。


「ええ、今回、傭兵として雇われました。それよりもさっきの論功行賞はなんですか? 何故誰も貴方の活躍を知らないのですか?」

 ノックスはやや熱を込めて、一気にまくしたてた。


「そうだよオクルスさん。今回、一番活躍したのはオクルスさんじゃない」

 ルーナは、胸の前でぎゅっと拳を作って主張した。


 けれど、オクルスはやや困った顔であごをかいただけだった。

「見ていたならお気づきでしょう。私の狙撃術は存在がバレると成功率が下がるのです。名声は、暗殺者には邪魔でしかない」

「ですが、では貴方の働きには誰が報いるのですか?」


 ノックスは、妙に必死だった。


「雑用を押し付けられ下働きをさせられ手柄は盗まれ、働いても顧みられることもない。私はそういうブラックな環境が許せないんだ」

「ブラック?」


 首を傾げるルーナとは違い、オクルスは話の前後関係から【ブラック】の意味を悟ったのだろう。疑問を呈さずに返事をした。


「騎士は主君の勝利のために尽くすもの。大事なのは自軍の勝利であり私の勝利ではありません」

 温和な声で言い切るオクルス。


 それでも、ノックスは食い下がった。

「しかし、指揮官たちを討ち取り敵軍の指揮系統を乱し、総崩れの原因を作り出したのは貴方だ。それをあいつらは自分たちの武威に敵が恐れおののいたからだと思い込んでいる!」

「敵兵と戦ったのは彼らではないですか。味方の勝利に、『お前が勝てたのは自分のおかげだ』と主張するのはナンセンスではないですか?」

「しかし……しかしそれではあまりにも……」

「ありがとう」


 予期せず感謝されて、ノックスは言葉を飲み込んだ。


「貴方のお噂は聞いています。苦しむ人々の弱みに付け込み足元を見て法外な料金を要求し脅迫する守銭奴、金の悪魔と。ですが、貴方は素晴らしい人だ」


 しわだらけの顔が、柔和に微笑む。


「見ず知らずの人の為に、ここまで怒れる人を、私は知らない」


 オクルスの人柄に、ノックスは毒気を抜かれて何も言えなくなってしまった。


 この年まで生きてきて、ここまで純粋でいられるオクルスのが在り方が、信じられなかった。


 同時に、自分の醜さを思い知らされるようでもあった。

 思わず、恐縮してしまった。


「それにねノックスさん。私は、出世なんてどうでもいいのですよ」

 何故か、オクルスは嬉しそうに目元を緩めた。

「あんな技が使えるのです。もうお気づきでしょうが、私はかつて、暗殺者でした。それも、先代の命を狙ったね。けれど、先代の飼っていた鷹狩り用の鷹に見つかり、私は捕らえられました。ですが、先代様は大変変わったお方で、暗殺者の人生観に興味をお持ちでした」


 在りし日を思い出すオクルスは幸せそうで、年老いた顔には愛嬌すら浮かんでいる。


「先代様は私に多くを尋ねました。何故暗殺者をしているのか、人を殺すことに抵抗はないのか、戦士と暗殺者はどう違うのか。逃げようと思えばいくらでも逃げられたのに、何故か私は逃げもせず、律儀に答え続けました。そうして、一時間も二時間も質問した後、先代様は言ったのです」



「私は人を殺すのが嫌いだし、今、うちは人手が足りないんだ。だから、うちで働いてくれると嬉しい」



「以来、私はスペルキリウム家のために生きようと決めました。だから良いのです。スペルキリウム家を守る。それこそが、私の望みなのですから」


 ひとり、満足げに目を閉じてから、


「それと、今の話はくれぐれも内密にお願いしますよ。先代様の命を狙ったなんて、恥ずかしいので」


 そう言って、オクルスは平兵士用の、粗末な天幕へと向かった。


 その背中を、ノックスとルーナは、なんとも言えない暗い表情で見送った。

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