第60話 何様神様気取りの人間様……1

 蝉が熱唱し木々の葉が青々と生い茂り、暑さで陽炎が立ち上る八月。


 ノックスとルーナは、涼しい風が吹き抜ける海岸線を歩いていた。


 今は八月だ。繰り返すが八月である。


 ただここは北極圏に近い、北方の国のひとつだった。


 夏は暑い国を避けて、北方の国々で仕事をしようと思ったのだが、少し涼しすぎた。

 八月だというのに、まるで秋の風情だった。


 逆に、この国で仕事をするなら、この時期をおいて他にはないとも言える。


 左手に砂浜の広がった道路は、海から吹く風のせいで砂だらけだった。


 冷たい潮風に頬を撫でられると、ノックスは気にしないものの、ルーナはちょっと頬を固くした。


 彼女を安堵させる意味を込めて、ノックスは予定を確認する。

「ここから十キロ先に漁港がある。そこで美味い魚料理を食べて、仕事がなければモノクロームに乗って内陸へ行こう」

 いつもとは違い、やや穏やかな声で、視線を海に放る。

「思ったよりも海が静かだ。今朝、水揚げされた魚には期待していいだろう」

「漁港の魚料理かぁ、楽しみだね、師匠」

 いつも通り、温かみのある微笑だった。


 彼女がいると、寒さも気にならない。

「あ、師匠。浜辺にかわいいのが落ちてるよ」

「えらく漠然とした説明だな。北国だからってペンギンのひなでもいたか」

 ペンギンのひなだった。

「…………冗談だったんだが」


「わーい、ぺんぎーん♪」

「おい待てよルーナ。て、あいつ本物のペンギン見るの初めてか」

 それなら、あのはしゃぎぶりも納得だ。


 道路から飛び出して、ルーナは砂浜の上に足跡を残しながら走る。


 ころんとした体で、よちよちと右往左往するペンギンのひなは、ルーナの接近に気づくと、嬉しそうに駆け寄ろうとして、ぽてんと転んだ。

 砂浜の上で短い足をぱたぱたさせる姿に、ルーナは鼻血を出さんばかりに興奮した。

「か、かわいぃいいいい♪」

 すぐさまペンギンを抱き上げ、両手でなでモフる。

「やぁん、ふかふかぁ♪」

「きゅ♪ きゅ♪ きゅ♪」


 人間社会に慣れていないルーナには、見るものすべてが珍しい。

だから、時々、子供っぽい一面を見せることがある。

 それでも、ここまではしゃぐのは初めてだった。


「きゅ~♪」

 ルーナの腕の中で、ペンギンはうれしそうに、もっちりと体を落ち着けていた。


 その人懐っこさに、少し疑問を覚える。


「妙に人に慣れているな。誰かのペットか?」

「聞いてみるね。貴方って人間の家の子?」

「きゅ」

「ん~、違うみたい。親とはぐれちゃったんだって」


 一見すると馬鹿みたいだが、ルーナはまじめだ。


 チェンジリングであり、妖精界で育ったルーナは、動物の気持ちがわかる。


 とは言っても、【会話】ができるわけではない。


 動物に言葉はない。

 そもそも、言語を操るだけの知能がない。

 だから、動物同士も意思の疎通はできていない。

 ただ、漠然とした感情を察し合うだけだ。


 けれどルーナは、その感情を伝え合うことができる。


「きゅ~きゅ~」

「お腹空いているみたい。師匠、エサちょうだい」

 ルーナが手を差し出してくると、ノックスは顔をしかめた。


「野生動物にエサを与えるな。海に返してやれ」

「でも親とはぐれちゃったんだよ。かわいそうじゃない。誰かがエサをあげないとお腹が空いて死んじゃう」


「それも自然の摂理だ。それにそいつがエサを捕れないとなぜ決めつける? その流線型の体と水流を切り裂く羽を見ろ。雄々しく海中を駆け抜けサメを仕留める可能性だってゼロじゃないだろう」

「それはゼロだよ」

 ルーナはぷくっと頬を膨らませた。


「ねぇお願い師匠。この子にお腹いっぱいのエサをあげて。そして親元に返してあげて。それがダメなら飼うだけでもいいから」

「譲歩する気ないだろお前」

 ノックスの口がへの字になった。


「あのなぁ、いくら可愛いからって特別扱いはだめだぞ」

「きゅーきゅー」

 お腹が空いた、と言わんばかりに、ペンギンは小さな声で鳴き続けた。

「きゅーきゅーきゅー」


 つぶらな瞳でこちらをじっと見つめながら、

「きゅうきゅうきゅう」


 首を縮め、灰毛の愛らしいまんまるボディをより球体に近づけて揺らしながら、

「きゅ~きゅ~きゅ~」


 愛らしい桜色のくちびるをチュッととがらせ、長いまつ毛に縁どられたタレ目を、睨むように細めながら。

「キューキューキュー!」

「お前は人間だろっ」

 語気を強めてツッコんだ。


「やれやれ、わかったよ」

 根負けしたようにため息をつくと、ノックスはストレージから魚フレークの瓶詰を取り出した。


 瓶の蓋を開け、ルーナの手にフレークを落としてやる。


「はい、ペンちゃんどうぞ」

「きゅ♪ きゅ♪」

「あぁん、カワイイ♪」

 フレークを喜んでついばむペンギンに、ルーナはめろめろだった。


「まったく、可愛い生き物は得だな」

「あ、師匠も可愛いって認めるんだ。だっこしてみる?」

「そりゃあな。それだけでこうして助けられちまうんだから大したやつだよ」


 ルーナから差し出されたペンギンを受け取ると、ノックスはそのたぐいまれなるやわらかさと弾力を甘受しながら、たわむれにぷくぷくの腹をつついてみる。


「きゅ~♪」

 ルーナの頬とは、またちがった気持ちよさがある。

 そしてペンギンも喜んでいる。


 それが可愛くて、面白くて、二度、三度と腹をつついた。

「はは、お前はぷくぷくで可愛いな」

 ノックスの顔に笑みが浮かぶと、ルーナの瞳に嫉妬の炎が燃え上がった。


 そして、何を思ったのか、上着の前を開き、豊満なバストの下で腕を組み、ぐっと持ち上げた。

「あたしだってぷくぷく可愛いもん」


 とろんとまぶたを下ろしたセクシーな流し目、両腕で寄せてあげられ爆乳へとクラスアップしながら揺れる胸。

 男なら三大欲求由来の欲望をむき出しにして然るべき光景を前に、ノックスは、

「魚フレーク気に入ったか? よしよしもっと食え」

 ペンギンに夢中だった。


 ルーナ渾身のセクシーポーズには見向きもしていなかった。


「グッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッ~~!」

 四つん這いになり、ルーナは砂浜を拳で叩いた。

 衝撃で通りすがりのカニが吹き飛んだ。


「ん、おいルーナ、こいつたぶんレッサーペンギンだぞ」

「何それ?」

 ノックスに話しかけられたことで、ルーナはゼロ秒で復活。

 なにごともなかったかのように立ち上がっていた。


「最近見つかった新種のペンギンだ。大人になっても姿が変わらない珍しい種だ。まぁ、大きさ的にこいつはひなだけどな」

「へぇ、どこに住んでるの?」

「レッサーペンギンは、ここから沖に五〇キロの距離に位置する島にだけ生息している固有種だ。こいつはそこから流れてきたんだろう」

「じゃ、そこに行けばお母さんに会えるね」

「ああ。漁港から船が出ていないか確認してみよう。船がなければ、海図で位置だけ聞いて空路だな」


 空路とは、ようするに風魔法で飛んでいくということだ。疲れる話である。


「待っててねペンちゃん。すぐお母さんの所に連れていてあげるから」


「きゅっ♪」


 小さな羽が、嬉しそうにばんざいをした。

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