第55話 親の心子知らず……1
とある戦場で、ナースス王国の大佐、ディギトゥス率いる二万の軍勢は、敵国プエル王国の軍勢を蹂躙していた。
ナースス人であるディギトゥスの青い瞳には、戦場の未来が見えると噂されている。
ディギトゥスの采配は、聡明叡知にして迅速果断。
敵軍の動きを察知して柔軟に対応し、敵陣の弱点を突いていく。
加えて、攻撃がそのまま防御にもなる、攻防一体の進撃だった。
未来が見える、と噂されて、しかるべきだろう。
プエル軍は総崩れとなり、雑兵たちは散り散りに逃亡し、騎士や貴族たちは我先にと敗走していく。
本陣にこもらず、最前線で指揮をするディギトゥスに、伝令兵が告げた。
「大佐。敵の動きから、おそらくは西の砦に籠城するものと思われます」
「構わん。その砦には別動隊を向かわせている」
「別動隊? しかし、砦を落とすほどの大軍などどこに……」
伝令の疑問はもっともだ。
ナースス軍は、今日、この戦場に、いま動かせる全兵力を投入しているはずだった。
「何、送ったのは、ほんの二人だけだ。奴らの自信が嘘でなければ、そろそろ……」
新たな伝令兵が駆け込んでくる。
「大佐、西の砦より狼煙が上がりました。符丁は一番です」
「落としたか。全軍に通達だ! 敵を掃討せよ! 我に続けぇ!」
剣を抜き、天に掲げるディギトゥスの号令に、周囲の家臣たちは鬨の声を上げた。
ナースス王国軍は、より苛烈に、そして勇猛に突き進み、プエル軍を徹底的に蹴散らしていった。
ナースス人たちの青い瞳は、自ら剣を手に敵を斬り伏せるディギトゥスの背中に鼓舞され輝く。
プエル人たちの赤い瞳は恐怖に歪み、逃げる味方の背中を追い求めた。
数時間後。
青い空には、ナースス王国軍が勝利を誇る絶叫だけが響いていた。
◆
戦場にほど近い、ナースス王国軍の砦で、ディギトゥス大佐は表彰を受けていた。
「此度の勝利、誠に見事である。流石はディギトゥス大佐。我が軍の誉れよ!」
「もったいなきお言葉でございます。陛下」
現在の国王は、王太子時代は元帥――軍事最高責任者――を務めていた武闘派で、戦場に自ら赴く剛毅な男性だった。
国王から褒賞証を押し頂いてから、ディギトゥスは踵を返し、列に戻った。
その間も、周囲の貴族や幹部軍人たちはディギトゥスの武功を噂しあっている。
「いったい何度目の表彰だ」
「落とした砦はこれで三八、制した戦場は十九だぞ」
「プエルの天敵の名は伊達では無いな」
「王都の劇場では、プエルを亡ぼした男、というタイトルで、奴を主役にした演目が大人気らしいぞ」
そうした賞賛にも、ディギトゥスは威厳のある表情を崩さない。
まるで、この程度の戦果など当然、ただの通過点に過ぎないと言わんばかりだ。
威風堂々とした足取りで諸将の列に戻り、粛々と論功行賞を見守った。
「続いて、西の砦をわずか二人で落とした傭兵、ノックス、そしてルーナ」
国王の呼びかけに、二人の男女が進み出た。
◆
その日の晩餐で、国王は上機嫌に大笑していた。
彼の右手の席にはディギトゥス大佐が、そして左手の席にはノックスとルーナが着いている。
「はっはっはっ、英雄と卓を共にして食べる肉は美味い! ノックスにルーナ、貴公らも遠慮せずに食え。こんな上等な肉は、市内では食えまい!」
分厚いステーキ肉をナイフで切りながら、国王はノックスへと体を傾けた。
「えぇ、こんなに肉質の良いステーキは、久しく食べていません」
そう、確かに肉は美味い。
口のなかでトロけるようなやわらかさと濃厚な肉汁は、【A5肉】、という単語を連想させた。
けれど内心、ノックスは、味が濃いな、とも思っていた。
横目で見ると、ルーナも二、三口おきに果物のしぼり汁を飲んでいる。
しかも、料理は揚げ物と肉、魚ばかりで、野菜はオマケ程度だった。
若い二人でも、胃にもたれそうなメニューだ。
なのに、五〇代の国王は小皿に用意された塩を指でつまみ、何度も振りかけている。
追い焚きならぬ、追い塩だ。
――あんなに塩をかけて、畜産家と農家がかわいそうだぜ。
おまけに国王は、ワインをグラスではなく、ジョッキになみなみと注いで、呷るように飲んでいた。
ワインはあえてグラスに少量そそいで、グラスにたまった香りを楽しむ酒だ。
なのに、あれでは香りも何もあったものではない。
「ところでノックス殿は、何故どこの軍にも属さないのだ?」
「旅が好きなんですよ。それに長く留まっていると、しがらみも増える。地位や名誉よりも、自由のほうが価値がある」
クールな声音に、国王は口笛を吹いた。品が無い。
「貴公のような男が本当にいるとは、信じがたいな。それで、我が国との契約が切れた後は、どこへ行くのだ?」
探りを入れるような語調に、ノックスは愛想笑い、というほどでもないが、僅かに口元を緩めた。
「心配しなくても、敵さんの、プエル側には行きませんよ。もっとも、敗戦続きのプエル王国に、私を雇えるだけの金があるとも思えませんがね」
「ふふふ、違いない」
満足げに笑ってから、国王は魚の揚げ物を頬張った。
「ところでディギトゥスよ。この調子なら、年内にはプエル王国は落ちそうだな」
「ええ。明日、首都を攻めれば、他の街も士気が崩れ、連鎖的に崩壊するでしょう」
戦場とは違い、落ち着いた、品のある喋り方だった。
彼は公私混同をしない男であると同時に、戦時と平時の使い分けもはっきりとしている男だった。
「ふふふ、流石はナースス王国の英雄。頼もしい答えだ。そもそも奴ら赤目のプエル人があの土地にのさばっているのが間違いなのだ。奴らさえいなくなれば、あの肥沃な土地は私のモノ。さらに捕虜となったプエル人を労働奴隷として使えば、我がナースス王国の繁栄は絶頂を迎えるであろうな。ははははは!」
有頂天になりながら、ワインをジョッキで干し続ける国王の姿には【暴君】の二文字がお似合いだった。
ノックスとディギトゥスが無表情な一方で、ルーナは呆れ顔だった。
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