第54話 千日の稽古をもって鍛となし、万日の稽古をもって錬となす……4

 厨房へ駆け込むと、今朝まで元気だった少年が床に倒れ、首を掻きむしっていた。

 首を中心に、赤い湿疹が全身に広がっていた。

 喉が晴れて気管が狭くなっているのか、呼吸が苦しそうだ。


「昨日とは症状が違う。再発したわけではなさそうだ」

「息子よ! おい、いったい急にどうしたのだ!?」


 主人に詰め寄られ、料理人は慌てふためく。

「私にもなにがなんだか。坊ちゃまにエビフライをひとつ味見して貰ったのですが、そしたら急に」

「エビを食べて倒れた!? そんな馬鹿なことがあるものか!?」


 だが、主人の叫びとは裏腹に、ノックスはぎょっとした。

「エビだって!?」


 ――そんな、まさかこの子は……ッ。


 まるで、頭をハンマーで殴られたような衝撃だった。自分はなんと愚かなことをしてしまったんだ。

「ッおそらく……息子さんはエビアレルギーだったのでしょう」

 後悔に苛まれながら、ノックスは絞り出すように言った。


「アレルギー、なんですかそれは!?」

「簡単に言えば、本来毒でないモノに対して、毒と同じような症状が出る事です。息子さんの体にとってエビは毒だったんだ」

「しかし息子は、今まで何度もエビを食べていますよ?」

「アレルギー症状は後天的に出ることも珍しくない」


 そして、その原因はきっと。


 ――私のせいだ……。


 あまりに苦い現実に、ノックスは顔をしかめ、額を抑えた。


「ルーナ、彼に回復魔法を」

「はい」


 指示通り、ルーナは少年の首に手を当てて、回復魔法を使った。すると、湿疹は消えて、呼吸も楽になる。


「やった」


 だが、ルーナが回復魔法を使うのをやめると。


「う、うぁあああ!」

「息子よ!」

「師匠! また湿疹が、呼吸も!」

「くっ、駄目か」


 アレルギーは、免疫機能の過剰反応が原因だ。


 全身から病原菌を抽出してから、免疫機能を強化した。


 結果、やることのない強化免疫細胞たちが、エビの成分に過剰反応して、体の中で暴れまわっているに違いない。


 だから、回復魔法で症状を治しても、免疫機能が治まらなければ、すぐに再発する。


 ――アレルギーの知識はあったはずなのに、長く接してこなかったせいで完全に忘れていた。私の落ち度だ。だがどうする? どうしたらアレルギーを抑えられる?


 免疫機能をダウンさせる魔法なんて使ったことが無い。


 免疫機能を下げ過ぎても、取り返しのつかないことになる。

 

 対象にマイナスの効果を与えるバッドステータス系の魔法。

 

 動きを遅くする魔法、筋力を低下させる魔法、強度を脆くする魔法。

 

 ――駄目だ。どれも免疫機能に適切な効果があるとは思えない。


「ノックス殿、なんとかしてください!」

「とりあえず、アレルギー物質を取り除こう」


 物質操作能力で、少年の身体からエビの成分を取り出した。それでも、暴走した免疫機能は収まらない。


「こうなったら、免疫機能を麻痺させるしかない。慎重な作業になる、静かにしてくれ」


 ルーナや主人、料理人は、素直に黙った。


 ノックスは、少年の身体に触れると、免疫機能そのものに麻痺魔法をかけた。


 ただし、免疫機能が完全に麻痺してしまうと、人は生きていけない。


 だから、最低限の、あまりに微弱過ぎる麻痺魔法を、じっくりとかけていく。


 昨日の自分は、深く考えずルーチンワークのようにして治療していた。


 自分にミスはないと、侮っていた。


 その慢心が、今、この少年を苦しめている。


 罪悪感で心臓が締め付けられるように痛みと苦しみが襲ってくる。


 今、麻痺魔法のコントロールをしくじるわけにはいかないのに、と自分自身が恨めしい。


 だが、弱音を吐いている場合じゃない。


 ノックスは罪悪感に耐えながら、意識を集中し続けた。


 長い。


 あまりにも長く感じられる時間だった。


 すると、徐々に少年の呼吸が落ち着いてきた。


 アレルギー症状が、治まって来たのだ。


 やがて、身体の湿疹も薄らいでいく。


 そうして、ついには完治して、少年が目を開けた。


「父さん」

「おぉ、息子よ!」


 親子が抱き合う横で、ノックスは安堵の息を着いた。


 ノックスの肩を、ルーナが抱きしめ労った。


 だが、ノックスはうつむき、自分を責め続けた。



   ◆



 翌朝。


 少年の無事を確認したノックスは、親子にアレルギー症状に関する指導をした。


 今後、エビは食べないこと。他、カニなどの甲殻類もできるだけ食べないよう。

魚や貝などの魚介類は、食べても平気か、少量だけ舐めて確認することなどだ。


「本当にお世話になりました。これは、約束の報酬です」

 屋敷を出る時、門前まで見送りに来た主人が、金貨の入った革袋を差し出してきた。


 けれど、ノックスは申し訳なさそうに背を向けて断った。

「いえ、結構です。行くぞルーナ」

「お待ちください!」

 割って入ってきた声は、主人ではない。


 振り返ると、昨日、カフェで会った国際医師ギルドの男が、屋敷の前を通る道に立っていた。


「昨日は失礼いたしました。考えてみれば、ノックス殿の言うことはもっともです。ですが、あらためてお願いいたします。どうか、我が医師ギルドに加入して頂けないでしょうか?」


 肩を縮め、恐縮した態度で、男は額に汗をかきながら眉を下げて頼んできた。


 しかし、ノックスは、昨日とはうってかわった、弱い語気で胸の内を吐露した。


「いや、私にそんな資格はない……私のような知ったかの素人が医師ギルドなんて、医術への冒涜だ……」


 そう言って、ノックスは重い足取りで立ち去った。


 そんなノックスを慰めるように、ルーナは彼の手を、優しく握り続けた。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 昨日投稿した53話に同じセリフが並んでいる部分があったので直しました。

 



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