第53話 千日の稽古をもって鍛となし、万日の稽古をもって錬となす……3

 けんもほろろに切り捨てられ、男の顔が怯んだ。


 それでも、猫なで声を出して食い下がって来た。


「もちろん、ノックス殿にも利はあります。医師ギルドのSランク回復魔法使いともなれば、誰からも尊敬され、大貴族とも対等な立場になりますし、一国の王や姫様に会う機会も」

「そいつは奇遇だな。私は仕事の依頼で現状、すでに世界中の王族貴族と会っているよ」

「し、しかしお言葉ですが口さがない者の批判もあるではないですか……」

「言わせたい奴には言わせておけばいい。むしろ、誰からも好かれようなんて虫がいい。私のことはわかる人がわかればいい」


 何故かルーナが照れた。妙に熱っぽい視線で見て来る。

 何を考えているかは、大体わかったから無視をした。


「お金も、年収金貨三〇〇〇枚はお約束しますよ」

「ルーナ、私の先月の稼ぎは?」

「金貨二万二千枚、飛んで五枚と銀貨八枚だよ」

「と、いうわけだ」


 男は、あんぐりと口を開けたまま、しばらく固まった。


「…………ハッ!?」

 正気に戻ってから、男はやや語気を強めた。

「ですが、世界中の難病に苦しむ人々はどうなるのですか。貴女の腕を必要としている患者は世界中にいます。今、こうしている間にも、患者たちは病に苦しみ、健康になれる日を心待ちにしているのです。貴方は彼らを見捨てるおつもりか!?」

「最後は情に訴えかける、か。本当にあんたらは馬鹿のひとつ覚えだな」

「なんですとっ?」


 今度は、ノックスが語気を強める番だった。

「はっきり言ってやろうか。私はね、おためごかしが嫌いなんだ。本当は自分の都合のくせにあたかも相手のためのようにいやらしい口調で騙して相手をコントロールしようなんて、恥を知りな」

「あ、貴方には人の心が無いのか。自分さえよければいいのか。だから守銭奴などと呼ばれるのですぞ」

 男は顔を真っ赤にして、声を震わせた。


 だが、ノックスの知ったことではない。

「そりゃあ私も病人は可哀そうだと思うさ。世界中の人間が健康になるべきだ。でもな、そのために【私の人生が搾取される】ってのは別問題だ。私は全自動患者治し機じゃないんだぜ? 私は組織に属するのも一か所に留まるのも他人の指図に従って生きるのも御免だね」

「なんて自分勝手な人だ! 貴方こそ恥を知れ!」

 男はそとづらを捨てて、喧嘩腰になる。


「恥を知れ? おいおい、私は治さないとは言っていない。こうして世界中を旅しながら難病に苦しむ患者を治療して回っているんだ。世界を回る旅医者は悪徳で、医師ギルドに加入すれば良心的か? 世界中の旅医者を馬鹿にしているのか?」

「むぐぐ、それは……」

「医師ギルドはただ組織の利益の為に私を便利に使いたいだけだろう。あんたも患者を救いたいんじゃない、私を勧誘して、組織における自分の評価を高めたいだけだ。冒険者ギルドがコントロールできない私を加入させれば、冒険者ギルドに対してもデカイ顔ができるし王族貴族からの信用も勝ち取れる」

「……ッッ」

「私はね、そういう利権団体の思惑って奴が大嫌いなんだ!」

「ぐぐ、ぐ……」

「それに、さっきは世界中の【人間】が健康になるべき、とは言ったが、世の中には助ける値打ちの無い人間以下の患者だっているんだ。命は平等、命は尊い、なんて笑わせる。助ける患者は自分で決めるよ。あんたらじゃなくてな」

「ッッ~~後で、後悔しますよ!」

 吐き捨てるような捨て台詞を残して、男はがに股で歩き去った。


「まったく、ギルドの連中はどうしてああもう勝手なんだ」


 ノックスが憤懣やるかたない思いで息を着くと、不意にルーナが甘えた声を出してくる。

「ねぇねぇ師匠。それよりもさっきぃ、私のことはわかる人がわかればいいって、あれあたしのことだよね? ね?」


 テーブルに大きな胸を乗せて、前かがみに倒れて豊乳を圧し潰しながら、ルーナは上目遣いに甘い視線を送ってくる。


 男なら、どんな紳士や聖人君子でも、三大欲求のひとつに主導権を渡してしまいそうな程、魅力的な光景だった。


 ノックスも、いい眺めだとは思うも、理性を放擲するような趣味は無かった。

 いつも通り、人差し指で、頬をつまんだ。


「テーブルに胸を乗せるな」

「いやん、今日もほっぺが幸せぇ♪」


 ルーナは、今日も平常運転だった。



   ◆



 お屋敷に戻ると、主人が出迎えてくれた。

「これはノックス殿、カフェはどうでしたかな?」

「おいしい紅茶でしたよ。ジャムとよく合う」

「はっはっはっ、あれがこの国の紅茶でしてな。先ほど、良いエビが入荷しました。一部はフライにして、本日の昼餐に出す予定です」

「ほう、エビフライですか。ソースは何が? それとも塩ですか」

 珍しく、ノックスが食いついた。


「師匠、エビフライが好きなんです」

「それはいい。塩もありますが、ソースも何種類か。それぞれ違うソースをかけたものを出す予定ですが、ちょっと厨房へ行ってみましょう」


 息子が助かったのがよほど嬉しいらしい。

 主人はいまだにニコニコだ。


 しかし、その笑顔を叩き割るように、甲高い悲鳴が上がった。

「キャーッ! ぼっちゃまー!」

「ぼっちゃま……ハッ、息子よー!」


 目を剥いて、主人は走り出した。

 ノックスとルーナも、耳を疑いながら走る。


 ――馬鹿な、細胞機能と免疫機能を高めたのに再発したのか?


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