第52話 千日の稽古をもって鍛となし、万日の稽古をもって錬となす……2

 昼前。

 外は快晴で、気持ちの良い青空が広がっていた。

 少し風が強いが、気温が高めなので、むしろ心地よい。


 ノックスとルーナは、主人から聞いた、オシャレなカフェに赴いた。

 ウッドデッキのテラス席で、白いテーブルに着いて、温かい紅茶とジャムを注文した。


 小皿の上に載ったジャムを、スプーンですくって舐めながら、合間に紅茶を飲むらしい。


「へぇ、ジャムをパンに塗らずに直接舐めるなんて珍しいね」

「まるでロシアンティーだ」

「へぇ、似たようなのあるんだ?」

「あ、あぁ、まぁ、な」


 ノックスは口ごもった。ルーナは訝し気に見つめてくる。

「それにしても、師匠の回復魔法って相変わらず凄いよね。ほとんど万能薬だよ」

 ころりと表情を変え、ルーナは温和な笑みを浮かべた。


「まぁ、十中八九の病気は治せるだろうな」

 話題が変わったことに安堵しながら、ノックスは謙遜した。


 というのも、流石に先天性の病気は治せないからだ。

 それでも、ほとんどの病気を治せるのは事実だった。


「そもそも病気、というものは毒、菌やウィルス、腫瘍、ストレスなどが原因で、細胞がダメージを受けたり、機能が低下することで起きるものだ。だから、【物質操作魔法】で原因となる異物を取り除き、【回復魔法】でダメージを受けた細胞を回復させ、【強化魔法】で内臓機能や免疫機能を上げて、再発の防止をするんだ」

「う~ん、でもそれって、知識が伴っていないと効果がないんだよね?」

「あぁ、だからこの治療法ができるのは、基本的には俺だけだ」


 事実、ノックスの魔法が、彼の言う通りの効果を発揮するのは知識が、厳密には、実感が伴っているからだ。


 だが、この世界はウィルスを知らない、細胞を知らない、内臓機能を知らない。

 だから漠然と「元気になれ」「傷よ治れ」というイメージでしか回復魔法を使えない。

 ノックスから知識を教えられたルーナはいい線までは言っているが足りない。


 百聞は一見に如かず。


 いくらノックスが口で説明しても、写真で、動画で、CGモデルで、レントゲンで、CT画像で見て知っているノックスとは、理解や実感に雲泥の差ができる。

 世界がノックスに追いつくには、数百年はかかるだろう。


「それはわかっているんだけどね。でも、師匠はその知識をどこで知ったの?」

「とある国の医者から聞いた」

「嘘つき。前に医学が発達した国の本屋さんで医学書を読んだけど、細胞やウィルスなんて書いていなかったよ?」


 ジトーっとした目線に、ノックスが居心地の悪さを感じた。

 果たして、ルーナに自分の過去を隠すことが、正しいことなのか。


 ――彼女になら、言ってもいいのかもしれない。


 けれど、それを彼女が信じてくれるかは、別だ。

 それに、彼女を経由して噂が広まり、よくない事件に巻き込まれるのも困る。


 ――やはり、誤魔化すしかないだろう。


 そう、頭を悩ませていると、ルーナが噴き出すように笑った。

「はは、いいよ、答えたくないなら。意地悪しちゃってごめんね師匠」

「……いいのか?」

「うん、いいの」

 あたたかい笑みを浮かべながら、ルーナは頷いた。

「家族の間で隠し事はだめって言う人がいるけど、あたしはそうは思わない。言いたくもないことを無理矢理吐かせるのが絆なんておかしいよ。家族だからこそ言えないこと、言いたくないこともあるだろうしね」


 包容力のある声音に、ノックスは自然と心が落ち着いた。

 罪悪感にも似た息苦しさが、するりとほどけていく。


 ルーナは、凄くいい子だと思う。

 世界中を旅してきたが、彼女のような少女に会ったことはない。


 だから、彼女の幸せを望まずにはいられない。

 そして、今の感情を、なんらかの行動に結び付けたくて、ノックスは彼女に礼を言おうとした。

「ルーナ……ありが――」

「貴方はノックス殿ではありませんか?」

 せっかくの言葉を遮るように、おっさんの声が割り込んできた。


 気分を害しながら首を回すと、口ひげを蓄えたフロックコート姿の中年男性が、こちらに歩み寄ってくる。


「あんたは?」

 無愛想な声で、ノックスは軽く睨んだ。


「どうも、お初にお目にかかります。私は国際医師ギルドの者です」

「医師ギルドが私に何の用だ?」

 わざとらしいお愛想笑いを浮かべながら、男は揉み手をする。

「ノックス殿の回復魔法使いとしての腕前は聞き及んでおります。なんでも結核やペスト、ガンや赤痢まで治し、致命傷を受けた者をたちどころに治し、とある戦場では一日で四〇〇人の命を救ったとか」


「正確には三七八人だがね」


「素晴らしい腕だ。昨日も、難病に苦しむ少年を救ったと聞きました。なのに、何故か冒険者ギルドには加盟せず、フリーランスを貫いているとか?」

「おたくも、私を闇営業だと言いたいのかい?」

「いえいえそんな」


 男は両手を振って、大仰に否定した。


「わたくしが本日参ったのは、ノックス殿を医師ギルドにお誘いするためです」

「私を医師ギルドに?」

「そうですそうです、そうですとも!」


 男は大きく頷いて、にこやかに笑った。


「我が国際医師ギルドには、日々、世界中から難病や重傷に苦しむ患者からの依頼がひっきりなしに来ています。ノックス殿の腕を在野に捨て置くのはあまりにも惜しい。ここはひとつ、我が国際医師ギルドに加入し、ギルド本部の医療機関でSランク回復魔法使いとして辣腕を振るって頂きたいのです! そうすれば、世界中の患者が助かります」


「お断りだね。そんなことをして私になんの得がある」

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