第51話 千日の稽古をもって鍛となし、万日の稽古をもって錬となす……1

 花のつぼみがふくらむ季節。

 雪が降ることも無くなり、雨が草木を濡らす二月の終わり頃。


 ノックスとルーナは、とある商人の家に招かれていた。


 依頼の内容は、跡取り息子の治療。

 王都でも五本の指に入る大商人で、家は貴族の屋敷と見間違うほど立派だった。

 しかし、主人の腰は、お屋敷の規模には似合わない程、低いものだった。


「先月から高熱が続き、医者に見せても原因が分からず、薬師の薬も効きません。回復系魔法使いの方に頼んで回復魔法もかけて貰ったのですが、御覧のとおりです」

 弱気そうな垂れ目で、肩を縮めて恐縮しながら、主人は息子の症状を語る。


 ベッドには、高熱にうなされ、赤い顔で苦しむ少年が横たわっている。


「ふむ……」


 少年の年は十一歳。

 細身で色白の、病弱そうな子供だった。

 高熱意外に目立った症状は無い。

 何かのウィルスに感染したのだろうか。

 本来、医者ではないノックスには詳しい病名はわからない。

 だが、それでも構わなかった。


「いいでしょう。治療費は金貨一千枚。病気が完治したあとに頂きましょう。治らなければ、銅貨一枚もいりません」

「え!?」

 垂れ目を丸く見開く主人を、ノックスは無感動な横目で見やった。

「何か意外ですか?」

「い、いえ。医者も薬師も魔法使いの方も、結果にかかわらず治療費は請求したので。それに、治療費とは治療行為そのものに対する料金ですから……」

「私からすればそんなものは詐欺だ。大工が家も建てずに建築料を請求するかよ。ルーナ、私の魔法をよく見ていろ」

「うん」

 ルーナな魔力的な性質を見抜く妖精眼で、ノックスの手元を観察した。


 ノックスは、両手で少年の頭に触れると、物質操作能力で、人体にはないはずの【異物】を体外に引き出した。


 主人の目には何も見えていないが、今、ノックスの手の平には、細菌、ウィルス、毒素、老廃物などが集まっている。


 両手を頭から首、肩や胸、腕や腹、そして足先へと流していく。

 これで、全身から異物を除去し終えたことになる。


 両手を離すと、ノックスは目には見えないミクロの異物を両手に保持したまま、窓辺に歩み寄り、窓の外に手を出した。


 庭には黄色い菜の花が咲き乱れ、風情のある雨に濡れながら、風になびいていた。

「滅菌」


 手の平に生まれる灼熱の炎。これで、細菌やウィルスは死んだろう。

 燃やしたナニカを地面に放る。

 しばらくすれば、雨に流れていくだろう。


 振り向くと、主人が不思議そうな顔でこちらを眺めていた。


「さて、次の治療だ」

 ノックスは、再び少年の頭に触れた。


 今度は、回復魔法をかけていく。


 体の痛んだ細胞、弱った内臓などを意識しながら、身体のパーツひとつひとつに、丁寧にかけていく。


 これで、今、この瞬間は健康に近づいたはずだし、深刻なダメージは消えただろう。

 頭から順に手を滑らせて、足先まで回復させると、治療は最終段階に入る。


 今度は、胸の上に両手を置いて、身体強化魔法をかけた。


 身体強化魔法は、人体の骨や筋肉、皮膚を強くして、接近戦を有利に運ぶ戦闘用の魔法だ。


 けれど、ノックスはその魔法で、少年の内臓機能と、細胞を活性化させた。

 細胞が持つ【再生能力】、そして【免疫細胞】そのものが活性化する。

 これで、少年の身体は完治へ向かいつつ、健康を維持していけるはずだ。


 少年が目を開けた。

「……パパ?」

「おぉ、息子よ!」

 主人は息子を抱きしめて涙を流した。

「ありがとうございますノックス殿! 噂にたがわぬ腕前、感服いたしました! 貴方こそ、古今無双の回復魔法使いです!」


 握手を求めて来る主人の手を握りつつ、ノックスはクールに対応した。

「まだわかりませんよ。我々は二日後の朝まで、この町に留まります。その時、その子が健康だったとき、治療費を頂きましょう」

「宿がお決まりでなければ、どうぞ我が屋敷に泊まって下さい。最高のおもてなしを致します」

「それは助かる。そのほうが、緊急時の対応も迅速にできる」

 口では謙虚なことを言うノックスだが、内心、緊急事態など考えてもいない。


 何せ、自分の治療は完璧なのだから。


 事実、このとき、少年の身体を冒していたウィルスは消滅し、ウィルスによって受けたダメージも、すっかり回復していた。


 強化魔法のおかげで、内臓機能と免疫機能は抜群。

 一週間は風邪ひとつひかないだろうし、むしろ、身体が軽く感じるはずだった。



   ◆



 翌朝、ノックスとルーナは、屋敷の主人と同じテーブルで朝食を摂った。


 テーブルに用意されたのは、主人と同じメニュー。


 搾りたての牛乳。コーンポタージュ。サラダ。とろけたチーズをのせた焼き立てのパン。それに三口サイズのオムレツだ。


 庶民にはあり得ない程の品数。

 いや、いくら裕福でも、朝からこんなにたくさんの量をよく食べられるなと、ノックスは感心してしまう。


「ささ、お二人は息子の命の恩人。遠慮せず食べて下され」

 主人は朝からご機嫌だ。

 息子が助かったのだから、当然だろう。


「ありがとうございます。ルーナ、いただこう」

「うん」

「「いただきます」」


 ノックスとルーナが、軽く頭を下げる。


 主人が、不思議そうにまばたきをする。

「あぁすいませんね。これはとある国の風習です。食べる前には食材になった生き物と自然に感謝の言葉を言うのです」

「ほほう、ノックス殿は信心深くていらっしゃる」

「そんなものではありませんよ。ただの習慣ですから。本心から神への感謝を捧げているわけではありません」

「えっと、確か食べ物を粗末にしないための教育の一環だっけ?」

「それもある」

 ルーナを肯定してから、ノックスはパンをかじった。


 そうして、ノックスたちが食事を堪能し終えると、昨日の少年が姿を見せた。

「あ、先生、昨日はありがとうございます」

 寝巻から平服に着替え、礼儀正しく頭を下げてくる。


 教育の行き届いた子供だと思いながら、ノックスは穏やかに笑った。

「先生はよしてくれ。私は医者じゃない。ただの傭兵だよ」

「え? 傭兵なのにあんな凄い回復魔法が使えるんですか!?」

「傭兵だからだよ。戦場で怪我をしても、すぐに治せる」

 少年は目を輝かせ、羨望の眼差しを向けて来る。


 彼には、ノックスがヒーローのように映っているのだろう。


 時々、仕事先の子供が、ノックスに憧れて傭兵を目指すことがある。


 ナルシストかもしれないとは思いつつ、ノックスは釘を刺しておいた。

「それに、傭兵はなんの保証もない不安定な仕事だ。治療費を払えない奴も珍しくない。自分で治せればタダで済む。だけど体が資本なのは商人も同じだ。君は父さんの跡を継いで立派な商人になるんだろ? 体は大事にするんだぜ」

「は……はい」

 一瞬詰まりながらも、少年は素直に返事をした。


 自分には傭兵よりも商人の方が向いていると思ったのだろう。


 おかしな夢は見させないほうがいい。


 ノックスはミルクを飲み干すと、ごちそうさま、と言って席を立った。


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 単語の意味は違うけど気分的には三冠です。

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 そしてノックスとルーナの物語を読んでくれた読者の皆様。

 フォロワー様、そして応援、レビュー、コメントをくれた皆さま。

 全員に感謝です。

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