第38話 机上の空論異世界転移……5

 その日の夕方。


 王都の高級住宅街にそびえたつ、順平邸の応接室で、ノックスはことのあらましを順平に説明していた。


 順平は、今や上流階級御用達のフリーランス冒険者なのだ。ノックスにならい、冒険者ギルドからの勧誘は全て断っている。

 冒険者ギルドは泣いている。


「はは、それは痛快でしたね。あの村長、がめついからなぁ」


 高級茶葉で淹れた紅茶を飲みながら、この世界では高級品のチョコレートをつまみながら、順平は笑った。


 ルーナも機嫌がいい。


「それにしても、ノックスさんには本当に感謝していますよ。ノックスさんに紹介してもらった貴族経由で捜索系クエストばかり地道にこなしていたら、あっというまに大金持ちですよ。これからは、自分のアビリティに合ったことだけに全力投球します。もう現代チートはこりごりですよ」

「?」

 ルーナは、ちょっと不思議そうな顔をしてから、ノックスと順平の顔を見比べた。


「そういえばノックスさん、あれから調べましたよ。ノックスさんて、超一流の傭兵らしいじゃないですか。最強の傭兵って呼び声もありますよ。最強の魔法剣士でルーナさんみたいにカワイイ女の子との二人旅なんて、まるでライトノベルの主人公みたいですね」

「……そうかい」

 ノックスの声は、無感動ながらも、どこか寂し気だった。


「俺の検知アビリティは、とある経緯で貰ったものなんですけど、ノックスさんは誰かから貰った力とか、神様の加護とかあるんですか?」

「いや、私の力は全て自前だ。長い修業で、徐々に身に着けたんだ」

 順平の、含むところがある問いかけに、ノックスは静かに答える。


「……そうですか」

 順平が少し残念そうな声で頷くと、ノックスは立ち上がった。

「じゃあ、我々はそろそろ帰るよ。また、この街に寄ることがあったら、尋ねてもいいかな?」


 順平の顔に、パッと明るい笑顔が広がった。

「はい! もちろん!」




 順平は、二人を見送ろうと、玄関の外までついていく。

 そうして、ルーナに続いてノックスが屋敷から離れようとすると、

「あの!」

 つい、その背中を呼び止めてしまった。

「貴方のことを色々調べて、それで聞いたんです。貴方は人の足元を見て困っている人たちから大金を巻き上げる守銭奴で、本当は冒険者ギルドに属しているのに闇営業を繰り返していて、その、だから……どうして! どうして俺を助けてくれたんですか!? あの時、俺は金なんて持っていなかったのに!」


 それが、どうしても知りたかった。

 世間の評判とノックスの言動との乖離。

 見ず知らずの自分を無償で、迷いなく救ってくれた理由、それは。


 肩越しに、ノックスは告げた。

「大した理由じゃないさ。私と同じ黒髪黒目だったからね、親近感が湧いたのさ」


 それでも、順平は納得できなかった。

 チートな強さ。

 不自然な知識。

 彼は、もしかすると。

「ノックスさん、貴方はもしかして……」


 漆黒の背中が、ゆっくりと振り返った。

 彼は、噂からは想像もできない程に穏やかな、そして慈愛に溢れた笑みを浮かべていた。

「私は双黒のノックス……ただの傭兵さ」


 胸の中にわだかまるものが溶けていく。

 この世界に来て二年。

 順平は、初めて、無二の親友を前にしているような気持ちになれた。

「はい。ノックスさん」

 だから、順平は明るい笑顔で頷いた。



   ◆



 順平の屋敷から離れていく道すがら、不意にルーナが尋ねてくる。

「ねぇ、そういえばジュンペイさんの故郷のニホンて、前にも師匠の口から出てきたことあるけど、師匠は行ったことあるの? 極東の海に浮かぶ島国だっけ?」


 その問いに、ノックスは答えなかった。

 黒い瞳には、まるで愛すべき人の仇を他人に殺されたような、やり場のない喪失感が映っていた。


 ルーナは、無理矢理、場を盛り上げるようにして明るく振る舞う。

「あ、あたしもそのうち、機会があったら行ってみたいなぁニホン。その時は案内してね」

 作り笑顔で顔を覗き込むと、ふと、彼の足が止まった。


「そんな国は無い」


「え?」

 ルーナも足を止めて、ノックスの顔を見上げた。


「日本なんて国は、この世界にはない……だから、順平はもう帰れないんだ……」



 他人事とは思えない、深い想いのこもった声。

 濡れた瞳をまぶたで覆い、ノックスは自身の感情を隠した。



 ルーナの胸の奥、その、一番深いところに痛みが走った。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 今回の【机上の空論異世界転移】を書くにあたって、農業の専門家の方に直接取材をしました。

 素人の私が知らない、農業に関する面白い話をたくさん聞けました。


 また、ノーフォーク農法など、一見最強奥義に見える農法の弱点なども大変勉強になりました。

 ただ、私の解釈や、ストーリーへの反映のさせ方が間違っている場合もあり、もしも農業高校の生徒さんがこの話を読んだら

「いや、ノックスも間違っているんだけど」

 となるかもしれません。

 その場合はすいません。

 

 次回予告

 決して終わることのない、冬に閉ざされた町で依頼されたのは塔に住む怪物退治。

 しかし、ノックスが目にしたのは、儚げな雰囲気漂う絶世の、そして真正の美少女だった。

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