第37話 机上の空論異世界転移……4

「おぉおぉ、これはノックス様、よくぞ参りました。貴方のおかげで村はこの通りです」

「そのようだな」


 村長と一緒にいた村人も、農民にしては身なりがよい。

 野良仕事には向かない服にはほつれた跡もなく、よそ行き用の服であることがうかがえる。


「いやぁ、去年はジュンペイに騙されましたが、貴方こそ村の救世主ですよ」

 もみ手でも始めそうな猫なで声で笑う村長の周りで、村人たちもにこやかに笑う。

 やがて、周囲から徐々に村人が集まり、ノックスに歓迎の言葉を投げかけてくる。


「そうか、豊作でなによりだ」

「はい、それはもうもうもう」

 村長は有頂天だった。


「では、約束のものを貰おうか」

 ノックスが手を突き出すと、村長の笑顔が固まった。

「へ? 約束のもの、とは?」


 ノックスは、無表情で無感動に告げた。

「忘れてもらっちゃ困るな。一年前に約束しただろう? 金貨一万枚を貸し付けて、豊作にならなければ返さなくてもいいが、豊作になったら金貨二万枚にして返すと」

「そ、そうでしたかな?」

 視線を逸らし、しらばっくれる村長。


 他の村人たちも、何かを思い出したような反応の後に、顔を背けた。


 どうも様子がおかしい。


 けれど、ノックスは慌てない。

 ――なるほど、このパターンか。想定内だな。


「そうですよ。だからほら、金貨二万枚、払ってください」

「う、ぐ、いや、だがしかしですね、豊作になったらとは言いますが、豊作の基準は曖昧ですし……」

 声を濁らせて、村長は言い訳を考え始めた。


「つまり、払わないと?」

「いえ、もちろんお礼金ぐらいは出しますよ。ですがね、正式な借用書もありませんし、いきなり来て金貨二万枚を払えと言われても困るのですよ」


 村長が目配せをすると、村人たちも頷く。


「そりゃあそうだ。だから分割払いには応じるつもりだ。それで、今年はいくら返せる?」

「金貨、500枚でどうでしょうか?」

「お前さん、40年がかりで返すつもりかい?」

 ノックスの声に険が混じると、村長たちは一瞬怯んだ。けれど、すぐに本性を現す。

「そうだ、計画が成功して豊作になったら金を返すとは言ったが、収穫量が上がったら返す、とは言っていない。わしの感覚では、まだまだ豊作とは言えないな。そうだろう、お前ら」


 村人はハッと気づいて、瞬時に頷きあった。

「確かに、前よりはマシだけど、豊作ではないよな」

「豊作は言い過ぎよねぇ」

「そうそう、微豊作ぐらいかな」


 村人の支持を得て、村長は勝ち誇る。

「ふふふ、これが民意という奴ですよ。それにわしらはジュンペイに騙されてひどい目に遭ったんだ。金貨一万枚はその慰謝料だ!」


 村長の尻馬に乗る形で、村人は口々に、そうだそうだ、と声を上げた。


「ノックスさん、あんたの噂は聞いていますよ。金にがめつい守銭奴だと。なのに、正式な契約書や借用書を作らないとは、ぬかりましたな」


 醜悪な本性を顔面ににじませながら、村長はしてやったりだった。


「とはいえ、我々は鬼でもあんたのような守銭奴でもない。先ほど言った通り、礼金として金貨500枚は差し上げますよ。なに落ち込むことはありません。あんたは、ジュンペイを助けたかったのでしょう? なら本来の目的は果たせたわけですし、ここはお互い、益を得たということで丸く収めましょうよ」


 今にも、グフフ、と笑い声を上げそうな村長に、ルーナは哀れみの眼差しを向けた。

 それは例えるなら、明日解雇されるのも知らずにプロポーズの成功を祝うサラリーマンを見るような目だった。


 そして、それはノックスも同じだ。


「そうか、では来年からまた凶作地獄に戻ってくれ」


 ノックスの一言で、その場は凍り付いた。

 ルーナは小声で、「あぁ、なんてバカな子たち」と嘆いている。


「そ、それはどういう意味だ?」

 わなわなと震える村長に、ノックスは言ってやる。

「いや、そのままの意味だよ。土壌改善は毎年やらないと駄目なんだ。豊作になったらそれを維持する方法を教えようと思ったが、そうか、豊作にはならなかったか。では私はこれで」


 ノックスが背を向けると、村長は強がりの声を上げた。

「ふん、その手には乗らないぞ。あんたが去年やった方法は覚えているんだ。山の土を入れ鶏糞と馬糞と魚の残飯を肥料にすればいいんだろう?」

「それじゃあ土壌改善には時間がかかりすぎる。去年は私らが魔法で土壌のサイクルを強化して、一瞬で肥料を土に還したからできたんだ」


 土壌を素早く改善するには、【適量の石灰】を撒く必要がある。魔法には劣るが、それでも土壌のサイクルはかなり早くなる。


 それに、山の土ならなんでもいいわけではないし、その土を人工的に作る方法もある。

 だが、ノックスは意図的にそのことを教えなかった。

 このような事態を見越していたからだ。

 ちなみに、石灰を撒きすぎると、不要な病気を招く。


 村長たちは、すっかり青ざめている。


「まぁ、私が農業指導をしなくても前と同じ生活に戻るだけだ。問題ないだろう。もっとも、この一年で贅沢を覚えたあんたらに耐えられるかは別だがね。帰るぞルーナ。王都でスペシャルディナーとデザートを堪能したあと金貨の風呂に浸かり金のインゴットでジェンガをして遊ぶんだ」

「はーい♪」

 ルーナはノリよく笑顔をはずませて、ノックスの腕を取り歩いた。


 村長は、すぐに追いかけてくる。

「ま、待ってください。わかりました。金は返します。だから豊作を維持する方法を教えて下さい」

「おや、金を返す? なんの話でしょう? 私はあんたらに金なんて貸しましたかね? 借用書はありますか?」

 ノックスは、トボけた顔でしらを切った。


「何を言っているんだ。去年約束したじゃないですか!」

「口約束なんて覚えてませんねぇ。ルーナは知っているか?」

「え~、あたし知らな~い」


 村長たちは、もう泣きそうだった。

「そうだな。私に農業指導をしてほしいなら、指導料として金貨を20万枚頂こうか?」

『にじゅうまん枚!?』

 村人たちの悲鳴が重なった。


「毎年5000枚ずつ、40年計画で返してくれればいい。それと、私の方法を他の村に教えてロイヤリティを貰おうなんて考えないほうがいい。そんなことをすれば肥料の取り合いで馬鹿をみるのはあんたらだし、私に断りなくそんなことをすれば、本気で潰しますぜ」

 ノックスの迫力は、借金の取り立て人さながらだった。


「ッッ……わかった……それでいい……」

 村長はあっさりと折れた。その場で四つん這いになって、がっくりと項垂れた。


 村人たちも、激しい悔恨の念にむせび泣いている。


「では、こちらの契約書に署名と捺印を」

「あーあ、黙って返済してくれれば、農業貴族になれたのにね」

「まったくだよ。村長さん。私が頻繁に口約束をする理由を教えてあげますよ。それはね、口約束を守るかで、相手の信用度合いを計れるからさ」


 村長たちは、もう何も言う気力が無かった。

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