第34話 机上の空論異世界転移……1
11月に入り、晩秋の寒さが頬をくすぐる昼下がり。
ルーナは甘えた声を出しながら、耕作地帯を歩いていた。
「きゃっ、秋風が冷たい」
「おいおい、歩きにくいからくっつくなよ」
「やぁん、冷たくしないで、世間の風が冷たいのぉ」
「冷たいのは物理的な風だろ」
「あ、やめて、頬をつつかないで。つつくなら胸にして」
無言で腹を突いた。
「あん、いじわる♪」
はた目にはバカップルのイチャイチャ道中にしか見えない痴態を、誰にともなく見せつけるノックスとルーナ。
すると、前方で袋叩きに合う、黒髪の青年が目に入った。
「あれは……」
青年の顔を見るなり、ノックスの瞳は凍り付いた。
「師匠、あの子、助けてあげよ……師匠?」
「ん? あ、ああ、そうだな」
仮に青年が泥棒でも、あれはやりすぎだ。
そう思えるぐらい、青年はギタギタのメタメタにぶちのめされている。
見たところ、中肉中背の、どこにでもいそうな、平凡な青年だった。
「取り込み中のところをすまないが、彼が何か?」
ノックスが声をかけると、青年を踏みつけていた男たちと、蹴り飛ばしていた少年たちと、棒切れで打ちのめしていた幼女たちと、農具で突き刺していた老人たちと、足にかみついていた犬と、顔をひっかいていた猫と、頭を突っついていたニワトリが一斉に振り返った。
――かつてここまで虐げられた男がいただろうか……。
ノックスの心に、ほのかな慈悲が浮かんだ。
「口を出さないでくれ旅の人!」
「そうだ。こいつは詐欺師なんだ!」
「この村を豊作にしてやると偉そうなことを言って一年も村で好き放題したくせにちっとも豊作にならないじゃないか!」
「ジュンペイの嘘つきぃ!」
「死ねぇ!」
「わんわん!」
「にゃーにゃー!」
「コケーッ!」
ジュンペイ、という名前に、ノックスは息を呑んだ。
「でも、これはやりすぎじゃないかな。かわいそうだよ」
興奮する村人たちを、ルーナは説得する。
だが。
「おーい、こっちにジュンペイがいたぞ!」
「みんな、こっちに集まれ!」
「あのやろう、ぶち殺してやる!」
怒り狂った村人たちが、次々集まってくる。
とてもではないが、許してもらえるような雰囲気ではない。
むしろ、ジュンペイの命すら危ない。
「少し待ってくれ」
ノックスはしゃがむと、ジュンペイの頭に触れ、回復魔法をかけた。
すると、ジュンペイの体の傷が、みるみる治癒していく。
その様子に村人は驚き、一歩下がった。
「こりゃ驚いた。あんた魔法使いか?」
「ああそうだ。双黒のノックスって呼ばれているよ」
村人たちは表情を改めて、囁きあう。
ノックスの名前は、この村にも響いているらしい。
「あ、ありがとうございます」
ジュンペイは、涙ながらにお礼を言うも、地面にへたりこんだまま、立てなかった。
よほど怖い目に遭ったのだろう。
見れば、ジュンペイは髪だけでなく、瞳の色までノックスと同じ、黒だった。
「あ、師匠と同じ色、珍しい」
ルーナが、しげしげとジュンペイに見入る。
「君の名前は? それから、村をどうやって豊作にしようと思ったんだい?」
ノックスの声音は、いつになく優しかった。
ルーナ相手ならともかく、他人にここまで優しいのは珍しい。
ジュンペイの髪と瞳の色に続けて、またもルーナは驚いた。
「はい、俺、山田順平って言います。輪栽式農業のノーフォーク農法ってのをやれば豊作になるはずだったんですけど、どういうわけだか駄目で」
順平はうなだれてから、がばりと顔を上げる。
「で、でも本当にすごい農法で、農業革命のヤバイやつなんです! ノーフォーク農法なら、収穫量が何倍にもなって、村が潤うはずなんです! きっとこれは何か別の原因があるです!」
順平が必死に訴える一方で、ノックスは顔に手を当て、ため息をついた。
「…………あれはフィクションなんだがなぁ」
「え?」
「いや、なんでもない……一応聞くが、そのノーフォーク農法とはどういうものなのかな?」
「はい、これはノーフォークっていう地方で発案された農法で、畑を四つのエリアに分けて、小麦、カブ、大麦、クローバーを植えるんです。あとは、四つのエリアで育てる作物を毎年ローテーションしていくんです。そうすれば土壌がよくなって大豊作になって冬はカブを食べれば乗り切れるし家畜の飼料にもなる、はずなんですけど……」
順平の声がしりすぼみになると、村人たちが口を挟んできた。
「この一年間、小麦も大麦も凶作だし、昨日、カブを掘り返したら小さいし量も少ないじゃないか!」
「散々偉そうに救世主づらしやがって!」
「このペテン師め!」
「ぐへっ、殴らないで……うぅ、こんなはずじゃあ……俺の異世界チートライフが……」
順平は、あらためて目から涙を流し、よよよと地面に手を着いた。
ノックスは、少し言いにくそうに、声を濁らせながら言った。
「……なぁ順平。話を聞く限り、それはノーフォーク地方の気候と土質に合った農法であって、どこでもできるものではないと思うんだ……」
「え?」
涙まみれの顔が、きょとんと上がる。
「作物には、それぞれ適した気候や土質がある。どんなに優れた翼を持った鳥でも水に沈めれば溺れるように、作物は適さない環境では育たない。たとえばカブは水はけのいい土地で育つものだ。川が多いこのあたりの土で育てるのは難しいだろう」
「そうなの!?」
順平は素っ頓狂な声を上げて驚愕した。
「それに、君の言っているのはつまり三圃式農業に一つ足した、四圃式農業とも言うべきものだ。だが、あれは毎年育てる作物を変えることで【連作障害】を防ぐものであって、収穫量が爆発的に増えるものではない……」
「ッッッッッッッッ!?」
「師匠、連作障害ってなぁに?」
「土から吸収する栄養は、作物によって違う。だから毎年同じ土地に同じ作物を植え続けると、特定の栄養が吸収され続ける。結果、土地は痩せて年々収穫量が下がってしまう。だから、吸収する栄養の違う作物をローテーションしてやるんだ。そうすれば、別の作物を育てている間に、以前吸収された栄養が回復する」
「わーお、流石師匠、物知りぃ」
「何よりもだ、順平……輪栽式農業は【ローテーション】させるから意味があるんだ。一年目は、ただカブとクローバーを植えただけだろう。せめて一巡させろ」
「え………………………………………………………………………あッッッ!!!」
順平の口から魂が抜け出た。
村人たちが、少しざわつく。
「なんだ、どうなった?」
「今、どういう塩梅だ?」
「結局ジュンペイをどうするんだ?」
このままでは、再び暴動が起きそうなので、ノックスは彼らをなだめた。
「みんな悪かったな。お前さんらには、災難としか言いようがない。だが許してやってくれ。順平は嘘も悪気もなかったんだ。ただ、知識が足りなくて、成功させられなかったんだ」
「それはできない相談だな」
人ごみをかきわけて、目つきの鋭い老人が現れた。
順平が小声で、村長、と呼んだ。
「あんたが村長かい?」
「いかにも。ノックス殿、貴方のおかげで、彼に悪気が無かったのはわかった。だが、我々はこの一年、ジュンペイを信じて働いてきた。その結果がこれではあまりにむごい。それに、ジュンペイには家と食事を提供し、村の娘の中には、ジュンペイに弄ばれた者もいる」
見れば、集まった人ごみの中には、親の仇を見るような目つきでジュンペイを睨んでいる少女たちがいた。
「もてあそんでなんか、女の子たちのほうから……」
「穀潰しは黙れ! とにかく、こいつのせいで村は今年の冬を越せるかも怪しいんだ。ジュンペイには村の奴隷として一生働いてもらおう。そしていよいよ食料がなくなれば奴隷商人に売り飛ばしてやる! 幸いこいつはアビリティ持ちだ、高く売れるだろう」
村長の顔が邪悪に歪んだ。
農村の村長というよりも、魔王の手先のようだった。
「穏やかじゃないねぇ」
言って、ノックスは順平を見下ろした。
「うぅそんなぁ……なんで、どうしてこうなっちまったんだよぉ…………」
すぐ隣で、ルーナがスーツの袖を引いてくる。
「ねぇ師匠……なんとかならない?」
相変わらずの慈悲深さを発揮するルーナと、その師匠であるノックスに、順平はすがるような視線を向けてくる。
「……ふむ……いいだろう。タダ働きは御免だが、この件を利用して、儲けるとしよう」
ルーナと順平の顔に光が差し、村長たちは眉をひそめた。わけがわからない、という顔だ。
「村長。まず、私がこの村に金貨を一万枚貸し付ける。それで食料を買い、冬を越すといい。その代わり、順平を解放してくれ」
「金貨一万枚!?」
村長の細い目が、まんまるになった。
「だが、あんたらには返すアテなんてないだろう。私が豊作にする方法を教えるから、その通りにやってくれ。一年後、失敗していたら金貨一万枚は返さなくていい。くれてやる。その代わり、もしも成功していたら倍にして返してほしい。もちろん分割払いには応じる」
「う~む、それだけの金があれば冬を越しても釣りがくる。来年豊作になっていれば良し、凶作なら金は返さなくていいし、残った金でその冬も越せるだろう。どちらにしても、村には得しかないな…………いいだろう。その話、乗った」
十分に思案してから、村長は手を叩いた。
「商談成立だな。では、約束の金だ。ちょうどあそこに荷車がある」
ノックスが指を鳴らすと、すぐ近くに停められている荷車の真上に、魔方陣が開いた。
そこから、壺をひっくり返したように、金貨がジャラジャラと溢れてきた。
途端に村人たちが群がり、村長が牽制する。
「こら貴様ら、これは村の金だ! 寄るな!」
なんとも醜い光景を無視して、ノックスは順平を立たせてやった。
「じゃあとりあえず、石灰と鶏糞とイワシと昆布がいるな。どこで手に入れるか……」
「あたしが海で獲ってこようか?」
「それは助かるが、海ならどこでもいいわけじゃないしな」
「あの……」
相談の途中、順平が声をかけてきた。
「それなら、俺のチートアビリティ、【検知】でわかりますよ?」
ノックスとルーナは、顔を見合わせた。
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