第33話 ジキルとハイド……5

 三人は苦痛に呻きながら、金が欲しかったこと、働くのが面倒だったことを述べていくが、それでもファキエースの拷問は終わらない。


 うずくまるチビの右手人差し指をつかみ、

「そうかそうか。でも、ここを出たら改心してくれるだろう?」

 容赦なくへし折る。


 チビは泣き叫びながら叫んだ。

 二度としませんと、真面目に働きますと、けれどファキエースの口角は、さらに上がるだけだった。

「本当かなぁ、口ではなんとでも言えるし、私は、君の正直な気持ちが聞きたいなぁ」


 さらに一本、今度は中指をへし折った。

 チビの心はとっくに砕けていた。

 改心するという悲痛な訴えは、彼の魂の叫びだった。


 そこまでして、ようやくファキエースは攻撃の手を休めた。

「うんうん、そうかそうか。君の純な気持ちは私に痛いほど伝わったよ。じゃあ君は休んでいなさい」

 そう言って、ファキエースの首と視線はぐるりと反転した。


 嗜虐的な眼差しは、デブへと注がれた。

 ヘビを前にしたネズミのように縮み上がるデブの姿に、ファキエースは快楽と興奮を抑えるのに必死だった。


 ああ、これだ、これこそが自分の生きがいだ。

 悪を討ち、悪を裁き、悪を改心させる。

 そして、この町はまた一段と平和になる。


 そう考えただけで、法悦に口元がゆるんでヨダレが垂れそうだった。

「何を怖がっているんだい? 君らの犠牲者は、もっと怖かったんだよ? なのに君らは今まで罪もない人々に何をした? 許しを請う人たちをどうした? 人々を苦しめておきながら、自分の番がきたら許してもらおうなんて都合がいいとは思わないかい? だから、私は分かって欲しいんだよ。弱者の気持ちが」


 そこにいたファキエースは、まるで別人だった。


 両目はぎらぎらと怪しく光り、ぴくぴくと痙攣させながら口角を上げ、口の隙間からは、ヨダレが溢れ出す。

 息は小さく荒く、小刻みに。まるで、極上のエサを前に「待て」と言われた犬のようだ。


 そうだ、まるで、ケダモノのような表情で、ファキエースは拳を握った。


 デブは早くも叫ぶ。助けてくれ、許してくれ、反省している、真面目に働く、だからやめてくれと。


 だが、ファキエースは、固く握った拳を振り上げ、心の中で声を大にした。


 ――喰らうがいい悪党め。これが正義のパンチだ!


 あまりの激痛に言葉を失い、全身の筋肉を硬くした……そして床に倒れ込んだ。他の誰でもない。ファキエースが。


 何が起こったのかわからず、五人は唖然として、ファキエースを見下ろした。


 ファキエースは胸を押さえてうずくまると、突然のたうち回り、悲鳴を上げた。


 次の瞬間、彼の手に、首に黒い毛が生え、美しい金髪は墨汁を垂らしたように黒く染まっていく。

 悲鳴は絶叫に、そして獣の唸り声と化した。人ではなく、まるで山犬のような。



   ◆



 黒い獣に、町は大混乱に陥った。


 突然保安隊の詰め所の床と壁を突き破り、外へ飛び出した獣は象のように巨大で、犬や狼のような姿をしていた。


 だが、顔は人間に成り損なったような、歪な顔で、甚だ不気味である。


 その遠吠えは空気を震わせ、保安隊の旗をなびかせ、町中に響き渡った。


 場所が場所だけに、保安隊に務める衛兵たちが、槍を手に次々集まって来た。


 衛兵の一人が叫ぶ。

「おい、隊長はどこだ?」

「馬鹿野郎、隊長は病み上がりだぞ!」

「ここは俺らで対処するんだ!」


 獣は犬のような姿をしているものの、決して機敏ではなかった。

 苦しむようなうめき声を上げるばかりで、走ろうとはしない。


 その足に、胴に、衛兵たちの槍が次々突き刺さった。

 混乱する住民の中から、弓を手にした猟師が集まってきて、獣に弓を射かけた。

 



 少し遅れて、ノックスとルーナも駆け付けた。

 けれど、予期せぬ大捕り物を前に、ノックスは憐れむような顔を作る。

「ノーフェイスドッグの末期症状だ。体を完全に乗っ取られている……」

「でも、師匠が退治したんじゃ」

「新しく憑りつかれたんだろう。進行が早いのは病み上がりのせいか」


 不意に、ルーナの瞼が、何かに驚いたように固まった。

「師匠……」

 悲しそうな顔で、手を伸ばして来る。


 彼女の手が、ノックスの後頭部に触れる。


 すると、彼女の聴覚情報が伝わり、ノックスの耳にソレは聞こえた。

『なんだこれは……体が、動かない……何故だ、何故みんな私に槍を向けて来る……痛い、やめろ、やめてくれ……私は、私は正義の味方、ファキエース……君たちの味方だ!』


 ノックスは、詰め所の壁に空いた穴に視線を投げた。


 そこから見える地下には、拘束された四人の男と一人の女。うち、三人には拷問の痕がうかがえた。


 その光景に、ルーナが息を呑む。


 ノックスは、侮蔑の含んだ眼差しで、ファキエースだったモノを見据えた。

「なるほど、これがあんたの正義かい」


 その時、詰め所から出てきた衛兵が声を張り上げた。

 ノックスたちを病室へ案内した、あの忠実そうな衛兵だった。

「大変だ! ファキエースさんは、その獣に食べられてしまったらしいぞ!」


 途端に町中の人たちが顔色を変えて、一度家に戻ったかと思えば、刃物を手に戻ってくる。


 地面倒れ、腹ばいになった獣に、衛兵や市民が群がる。


 市民たちは鉈や包丁を手に、勇ましい声を上げる。

「ファキエースさんの代わりに俺らがこの町を守るんだ!」

「隊長の志は、我らが遂げる!」

「いつまでもファキエース様に頼っている俺らじゃないぞ!」

「ファキエースさんの仇は俺らで討つんだ!」


 町の安全を脅かす化け物に、無数の刃が突き立てられ、獣の生命力を削っていく。


「■■■■■■■■■■■■■■■■■■!」


 黒い血だまりに溺れながら、獣は首を天高く伸ばし、前足を虚空に伸ばして、苦しみの咆哮を上げた。


 けれど、獣の身体は地面に縫い付けられたように動かず、首筋が震えるばかりだった。


 最後に、一度遠吠えを上げると、獣の首と前足が、糸の切れた操り人形のように落ちた。


 すると、その体が炎にあぶられた蝋細工のようにトロけ、液体状にその身を崩していく。


 衛兵と市民は、慌てて獣の身体から離れていく。


 そうして、液状化した体は黒い霧となり、虚空に雲散霧消していく。


 衛兵と市民たちは、自分らが討伐した獣の正体も知らず、自分たちの勝利を喜び、万歳をしている。


 これからは自分たちで町を守ると意気込む大団円に背を向けて、ノックスはルーナを引き連れて歩き出す。


「ねぇ師匠。前とこれから、どっちが正しいのかな?」

「さぁな、それはこの町の連中が決めることさ」


 ノックスは、なんとも後味の悪い顔だった。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

次回 ノックスとルーナは、

   とある村の改革に失敗した青年を助けることになるのだが、

   その青年の名前は、ヤマダ・ジュンペイ?



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