第25話 やりたいこともやれない人生より太く短い人生を……2
ノックスが両腕を治してやってから、フロンスは猛烈に絵を描き始めた。
場所は、大部屋から、空いた病室のベッドに移っている。
自身の寝かせた足をまたぐようにして、イーゼルを立て、病人が体を起こすために使う背もたれに上半身を預け、ペンを走らせていく。
わずか三時間の間に、もう全体の構成がつかめるほど、下書きを終えていた。
「わぁ、うまーい」
「筆が早いな」
「早く描かないと、インスピレーションが消えてしまいますから」
フロンスは苦痛に耐えながらも、嬉しそうだった。
ルーナもキャンバスを興味深そうに見つめ、和やかな雰囲気が流れる。
ノックスも、心の中でエールを送った。
けれど、若者の熱意に水を差す、空気の読めない男がそこにやってきた。
「フロンス、貴様こんなところで何をしているか!」
将校服に身を包んだハゲが、威丈高に怒鳴りながら、大部屋に入って来た。
ノックスは将校の声を聞くなり顔を渋く歪め、顔を見るなりげんなりした。
いかにも頭の固そうな、軍人堅気然とした爺さんだった。
彼の言いたいことは予想できるし、説得するのは難しそうだ。
よく見ると、その後ろには気弱そうな院長がセットになっていた。
ただでさえ情けない顔が、一段と脆弱そうに見えた。
「将軍、患者にあまり怒鳴らないでください……」
「黙れ! 患者は全員治ったと聞いたぞ! 貴様は何故、絵なんぞ描いている!? さっさと怪我を治して戦場へ戻って戦え!」
「まだ行けません」
フロンスの声には、強い意思がこもっていた。
「なんだと! もう一度言ってみろ!」
「まだ行けないと言ったんです。戦場のイメージが残っている間に、この絵を完成させたいんです」
「そんなもの、ならなおのこと戦場に出てイメージを掻き立ててこい!」
「今度、戦場に出たら僕は死んでしまうかもしれない。だから、今この絵を描き上げないと。それにはこの痛みが必要なんです。だから絵が完成するまでは傷は治せないし戦場にも戻れません」
上官に対し、毅然とした態度を崩さず、フロンスは言い切った。
「ぐぬぬぬぬっ! くだらん絵など描きおって、貴様には騎士としての誇りがないのか! ペンで国が守れるか!」
――やれやれ、どうして体育会系は文化系を馬鹿にするかねぇ。
この老害をどう処理しようか、ノックスは思案した。
すると、ノックスの黒い瞳にハゲジジイのハゲ頭が留まった。
「まぁまぁ将軍殿、そう怒らずに。血圧が上がると頭の血管が切れますよ」
言って、ノックスは将軍のピカ頭に触れて、回復魔法を発動させた。髪の毛を作る、毛母細胞の再生と活性化を念じながら。
「何をするか無礼者! ッ!?」
ノックスの腕を振り払い、自身の頭に触れた将軍は、目を丸くした。
彼の手に伝わる感触。
それは昔日の彼方に置いてきた、今は遠き、ショリショリ感。
生まれた時から傍らに居て、いるのが当たり前で、失って初めてその存在の大きさに気付いた。もっといたわってやれば良かったと、鏡を見るたびに想いを馳せ、もはや会うことは叶わないと諦めていた友の存在感に、将軍は打ち震え、膝を崩した。
「こ、これはまさか……わ、わしの頭に……髪の毛が……貴様はいったい?」
半ば放心状態の将軍に、ノックスはわざと優し気な声音を作った。
「申し遅れました。私は回復魔法師として呼ばれた傭兵、ノックスです。残念ですが、彼には回復の意思がない。患者のメンタルケアのためにも、絵を描かせて頂けないでしょうか?」
「………………わしの髪は、いつまで持つのだ?」
「髪を作る力を再生させたので、数か月でフサフサのつやつやですよ。ですが、不潔にしているとまたすぐにハゲてしまいます。毎日熱すぎない、ぬるま湯でゆっくりと頭皮を揉むようにして洗い、魚介類と野菜を食べ、脂っこい料理は控えて下さい。そうすれば、フサフサの青春は貴方のものです」
驚愕に目を剥き固まっていた将軍は、感動に涙を流したかと思えば、ニタニタと笑い始めた。
それから、急に踵を返した。
「そ、そうか、ごほんむほん、まっ、そいつ一人くらいいなくても戦況に変化はあるまい。せいぜいゆっくりと養生するんだな。では、わしはこれで。むふふ、ぐふふふふ」
将軍は、気持ち悪い声を上げながら、小躍りのステップで病室を出ていった。
その後ろ姿を、ルーナとフロンスは唖然と見送る。
「師匠、万能過ぎ……」
「ノックスさんて、何者ですか?」
「何者でもない。兄貴のダブりでハズレ品の次男坊さ」
クールに言って、ノックスは踏み出した。
「行くぞルーナ。他の部屋の患者が待っている」
「ああん、待ってよ師匠♪」
「そうです、待ってください!」
ルーナの甘えた声に続いて、院長が、すがるような声を上げた。スリーピーススーツ、そのジャケットの裾を、しっかりと握ってくる。
「ん、どうした院長?」
ノックスが振り返ると、院長は年甲斐もなく恥じらいながら、つつましくおねだりをした。
「その、ささやかでもいいので、私の頭にもお慈悲があると嬉しいのですが……」
今は夜、それでも、院長の頭はランプの灯りを反射して、ぴかりと光った。
ノックスの冷たい心に、一抹の哀れみが宿った。
「…………これはサービスにしておくぜ」
こうしてノックスは、【絶望】に苦しむ患者を、二人も救ってあげた。
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