第24話 やりたいこともやれない人生より太く短い人生を……1
木枯らしの吹く十一月。
ノックスとルーナは、とある戦場の野戦病院に呼ばれていた。
「戦場だと言うから来てみれば、まさかヒーラー、回復魔法師として呼ばれるとはね」
高齢の院長の案内に従って廊下を歩くノックスは、やや肩透かしを食らった顔をする。
「我が国は騎士中心の騎士国家ですので、戦争は神聖視され、余程の危機でなければ外部の人間には任せません。なので、わが国には冒険者ギルドが少ないのです」
「かまわないさ。今の私は、実質フリーの冒険者だからね」
「そう言っていただけると助かります」
やや申し訳なさそうに、院長は声を曇らせた。
「しかし、そうした気風のせいで後方支援は臆病者と罵られ、魔法騎士も攻撃魔法ばかり覚えたがり、回復魔法や医療技術を使える者が少ないのです」
この世界には、回復魔法とは別に、医療技術もしっかりと存在している。
回復魔法は万能ではない。
重症患者には効果が無いし、体内の異物を取り除かずに使うと、異物を残したまま傷口が閉じて、後に二次被害をもたらす。なによりも、病気には無力だ。
理想は、医学的な治療を施した上で、回復魔法を使うことだ。
医療技術と回復魔法の両方を使える者を、魔法医師と呼ぶ。
「しかしノックス殿、貴方はあらゆる魔法のエキスパートで、特に回復魔法は他の追随を許さず、魔法医師や宮廷回復魔法師ですら敵わないとか」
「そんなに有名かい?」
院長は、やや興奮気味だ。
「ええ、それはもう。噂では医療技術を用いず、回復魔法一つで異物を取り除き傷跡も残さずあらゆる外傷を瞬く間に完治せしめ、果ては内臓疾患などの病気をも治すと聞いています。それどころか【絶望の象徴】であるガン、ペスト、結核、赤痢、水虫にハゲですら貴方の前ではかたなしとか」
「ハゲは病気じゃないから許してやれよ……」
院長の頭が、ぴかりと光った。
◆
「けが人が多すぎるので、患者は、この大部屋に集めています」
広い、ホールのような場所に毛布が敷かれ、その上に患者は寝ていた。
包帯だらけの男たちは皆、苦悶に顔を歪めて、地獄絵図の二歩手前だ。
血と膿、消毒用に使われた酒の匂いで、気を抜くとむせ返ってしまいそうだ。
窓の鎧戸を開ければ、まだましなのだろうが、今は肌寒い秋。患者の体温保持を考えれば、換気は最小限に抑えなければならない。
「これは酷いな。回復魔法を使える人だって少しはいるのでしょう?」
「優秀な回復魔法師は精鋭部隊の衛生兵として前線に出てしまうので……」
ただでさえ気の弱そうな顔をしょんぼりとうつむかせて、院長は恐縮した。
「まぁ、それだけこちらは儲かる。兵士に一人につき金貨十枚、忘れないでくださいよ」
気を取り直してから、ノックスは大部屋全体に聞こえるよう、声を張り上げた。
「私と彼女は回復魔法師だ! 安心しろ、どんな重症でも直してやる!」
上着を脱いでから、ノックスは右手に進んだ。
「ルーナはそっちを頼んだぞ、私はこっちだ」
「うん」
ルーナが、おっぱいを揺らしながら左手に進んだ。すると、松葉杖をついて歩いていた患者は部屋の左側へ走り、ベッドで寝ていた男たちも逃げるように起き上がって左側へ向かった。
重症患者も、イモムシのように這いながら、必死になって部屋の左側を目指す。
「えーっと……」
『よろしくお願いしまっす!』
大部屋の右半分はがらんと閑古鳥が鳴き、左半分は、興奮したミイラ男たちのすし詰め状態だった。
流石のルーナも、たじたじだ。
兵士たちも男だ。
どうせ治療してもらうなら、無愛想な黒づくめの男よりも、金髪碧眼の豊乳美少女のほうがいい。だが、いくらなんでも極端に過ぎる。
「おいおい、傷つくぜ」
ノックスが冗談めいて肩をすくめると、怪しい影が忍び寄ってくる。
「俺はお前さんに治療してもらいたいもんだな。ブラザー」
「あらん、結構イケメン。優しくしてね。でゅふ」
同性から貞操の危機を感じる。
恐怖で尻の穴が締まった。
急速に、ルーナの温もりが欲しくなった瞬間だった。
◆
ノックスとルーナの活躍は、凄まじいものがあった。
回復魔法の効果は、当然ながら使い手によって変わる。
それでも、たちどころに直るのはせいぜいが皮膚、脂肪層、筋肉まで。
内臓の損傷と骨折はごく一部の天才にしか治せないし、神経に至っては不可能だ。
なのに、ルーナは骨折すらも次々直し、ノックスに至っては内臓の損傷と神経の麻痺まで完治させてしまう。
骨折も、接ぐのが困難な粉砕骨折であっても、綺麗に治してしまう。
それは魔法というよりも、まるで神の御業である。
しかも、二人の治療は体内の異物を取り除いた上のもので、二次被害の心配もない。
異物を外に押し出すように、傷が内側から治っていく光景に、患者たちは舌を巻いた。
「素晴らしい、これほどの回復魔法をどうやって身に着けたのですか?」
院長の問いに、ノックスは逡巡してから返事をした。
「私とルーナは特別な事情があるからね」
ルーナは、数十万人分の魔力を有し、かつ、生命の流れを感じ取る能力があるから。
ノックスは、人体構造と生物の細胞、臓器の役割について、正しい知識があるから。
ただし、人間には生命の流れを感じ取る能力なんてないし、この世界の人間に、人体は細胞という無数の小さな粒でできていて、なんて言っても、理解できるはずがない。
だから、無理なのだ。
二人に弟子入りしても、二人のような回復魔法を会得することはできない。
「治療の邪魔だ。元患者は出て行ってくれ」
完治し、ルーナのおっぱいとヒップラインにお礼を言うばかりか、握手を求めようとする元患者共を叩き出しながら、ノックスは苛立たし気に治療を続けた。
「まったく、騎士国家が聞いて呆れる」
「本当だよね。あたしのお尻とおっぱいは師匠専用なのに」
「謹んで辞退する」
「そんなこと言って本当は興味津々のくせにぃ。最近またおっきくなってきたんだけど、異常がないか、今夜診察するぅ?」
「……仕事は真面目にやれ」
ノックスは呆れ口調で溜息をついた。だが、ルーナは怯まない。
「いま間があったよね? あったよね!? よし、勝機は我にあり!」
「十死零勝の世界へようこそ……さて次は、あの子か」
部屋の角で寝ていたのは、小柄でまだ若い、青年のような患者だった。
全身の半分以上が包帯に覆われ、赤く滲んだ血が、彼の危機的状況を伝えて来る。
「これは酷いな、気づかなくて悪かった。だが言ってくれれば優先的に治療したのに」
ノックスが急いで回復魔法をかけようとすると、青年は待ったをかけた。
「いいんです。治さないでください」
苦痛に歪んだ、か細い声だった。
「治すな? 馬鹿を言うなここは病院だぞ。マゾか自殺志願者ならよそへ行け」
語気を強めるノックスに、青年は首を横に振った。
「違います……まだ、治さないでください……」
「まだ? それは何故だ?」
「何か事情があるの?」
ノックスの肩から顔を出して、ルーナも青年の顔を覗き込んだ。
「僕は……画家になるのが夢なんです。僕は僕の体験した、あの戦場を絵に残したい」
声は弱々しくも、その奥に不屈の想い感じさせる、熱いものだった。
指一本動かせない姿のまま、青年は、野心に燃えた瞳でノックスを見上げてくる。
「そのために、この痛みを忘れちゃだめなんです。この痛みと苦しみが無いとインスピレーションが消えてしまう。ぼくはあの地獄絵図を描けない。だからお願いです。ぼくを治すのは、ぼくの絵が完成してからにしてくださいっ」
重症患者とは思えない気迫に、ノックスも少し心を動かされる。
麻酔や鎮静剤なんて便利な物はないはずだ。
どれほどの激痛が彼を襲っているのか、想像に難くない。
この若さで、これほどの信念を持てることに、ノックスは感心させられた。
「いいだろう。患者が望まない治療はできない。でも、手は治さないとだろ?」
ノックスに指で差された腕を見つめ、青年は頷いた。
「いい子だ。じゃあ、手の治療を始めようか?」
言って、ノックスは青年の手を握った。
「ありがとうございます。ところで貴方のお名前は?」
「私は双黒のノックスと呼ばれている傭兵だ。今は、君らを治療するために雇われている。そういう君の名は?」
「フロンス。オース子爵家、フロンス・オースです」
全身の包帯に血を滲ませながら、フロンスは笑った。
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