夏休み充実大作戦 ⑦ fin.

「すいません、ありきたりなものしかなくて。本当は何か作ろうかなと思ったんですけど、やっぱりお店の味には敵わないかなと」


「そんな、とんでもないです!」



 食卓には色とりどりの料理が並べられていた。

 ここは玲華先輩達の住む賃貸。時臣さんが料理をご馳走してくれた。アレルギーや好き嫌いがないかなどの確認を事前にしっかりとした上でメニューを決めてくれた。本当に律儀な人だ。

 年齢は今年で28になるそうで、こういう配慮ができるのもそれなりに社会人経験を積んできているからだろうか。



 時臣さんがいると若干緊張するけれど、そんな私の緊張を和らげようとしてくれているのが伝わってきて、料理の味が分かるようになるまでに時間はかからなかった。他愛もない話が続いたけれど会話は私と時臣さんがメインで、隣に座っている玲華先輩はいつも以上に無口だった。



「未来さんはお料理はよくされるんですか?」



 食事が片付いてきた頃、時臣さんはそんな質問を投げかけてきた。



「あ、はい。作った方がやっぱり美味しいので!」


「そうですか。僕と玲華は料理はあまり得意ではなくて……買うことが多いです。僕の彼女がたまに作ってくれたりしますけど手料理も良いものですよね」


「確かにあんまり料理するイメージないかも……」



 家で何か作って食べる時は役割分担的に私が作って、玲華先輩が片付けをすることが多いし。

 隣に座っている玲華先輩のことを見ると、灰色の目がこちらに向いた。



「私も料理くらいできるわ。少なくともお兄さんよりは」



 そう言って玲華先輩はちらっと時臣さんの顔を見たがすぐに目を下に逸らした。



「……玲華?」


「……」



 玲華先輩は下を向いたまま黙っている。私は状況が掴めず2人の顔を交互に見た。



「ふふ……ははははっ」


「どうしたんですか?」



 妙な空気に加えて時臣さんが急に笑い出したので訳も分からず尋ねた。



「ごめんごめん、お兄さんだなんて呼ぶから……。未来さんの前で恥ずかしいのは分かるけどちょっと面白くて」



 時臣さんは口元を手で隠しながらクスクスと笑っている。

 私もつられて笑ってしまった。



「いつも何て呼ばれてるんですか?」


「玲華、教えてあげなよ」


「世の中には知らなくても良いこともあるわ」



 玲華先輩は無表情で水を口に含んだが、耳は赤くなっていた。



「いつも通り、時ちゃんって呼んでよ」



 ……かわいい。思わず顔がほころんだ。

 玲華先輩はコトンとコップをテーブルに置くと席を立った。



「……お手洗いに行ってきます」



 玲華先輩はそそくさとリビングから出て行ってしまった。

 今、絶対恥ずかしいから逃げた……! 私には分かる。



「玲華さんって恥ずかしがり屋さんですよね」


「本当、誰に似たんだか……。さて、食べ終わったことだし片付けますね」



 時臣さんは立ち上げると空になった皿に手をかけた。



「手伝います!」


「大丈夫ですよ。今日は未来さんがもてなされる側ですから」



 そう言うと、お皿をもった時臣さんはカウンターをまたいだ流しの方に歩いていった。



「あの、改めましてこの場を設けてくださってありがとうございます。美味しい料理もご馳走になって……」



 私がお礼を言うと、流しにお皿を置いた時臣さんは振り返って髪を上にかきあげながら笑った。



「いえ、なんだか家族が1人増えた感じがして楽しかったです」


 

 家族……。聞くなら今かもしれない。まずは触りから……。



「家族といえば時臣さんはもうそろそろご結婚されるんだとか」


「あぁ、そうですね。今ちょうど式場を探しているところですよ」


「羨ましいです。……私も将来的には玲華さんと一緒に暮らせたらな、なんて」


「はは、それは良い考えですね」


「それで……あの……」



 なんて言えば良いんだろう。下の方を見ながら口ごもる。

 受け答えの感じからして時臣さんはそれが近い将来のことだとは思っていない様子だ。来年から、だなんて言ったらきっと驚かれる気がする。

 このタイミングで言うのは間違いだろうか。次の言葉をなかなか切り出すことができなかった。



「……将来的というのはいつ頃のことを考えてますか?」



 時臣さんは私が言いたいことを察したのか、こちらまで歩いてくると優しく尋ねた。

 もし断られてしまったら悲しいな。適当に話を流して違う方向に持っていくこともできる。

 でも私は今日、このことを話すと決めていた。……ええい、言っちゃえ。



「えと……時臣さんがご結婚して引っ越しされるタイミングとかで……」


「なるほど」



 時臣さんは眉頭を上げて少し難しい顔をすると腕を組んだ。



「やっぱり難しいですかね」



 薄々そんな気はしていたけれど、そう簡単にはいかないか……。



「正直、まだ経済的に安定していない学生が同棲することに関しては全面的に賛成とは言えませんね。家賃とか色々かかってくるものがありますし。実家から通えばタダなものを、同棲となるとこちらから金銭的な援助は難しいかと思います。それに……僕から見たらまだまだ玲華は子供ですから心配で……」


「そうですよね……」



 その場で肩を落とした。

 時臣さんは自分を玲華先輩の親代わりのようなものだと以前言っていた。

 親の立場からしてみたら学生のうちの同棲にはやはり反対なんだろう。

 高校生の私に平気で一人暮らしさせてるパパのことを思うと何が当たり前なのか感覚が狂ってくるけれど。



「未来さんのお父様は同棲については何かおっしゃっていますか?」


「まだ父には……。でも、放任主義ですから多分反対しないと思います」



 玲華先輩との交際もすんなりと認めてくれた。

 お前がそうしたいならと反対はしない気がする。



「そうですか。本気ならば、同棲については未来さんのお父様にもしっかり確認しないといけませんね」


「え、それって……」


「……心配な一方で思うんです、やってみれば良いんじゃないかとも。玲華があのまま塞ぎこんで両親と口を利けないままだったら、僕が結婚した後はいずれ一人暮らしだったでしょう。そう考えると未来さんがそばにいるならまだ安心かな、と」


「時臣さん……」



 時臣さんは眼鏡を外し、眉間のあたりをつまんで力なく笑った。

 そして、灰色の眼差しがこちらに向けられた。



「あなたと交際してから、玲華は変わりました。両親と話せるようになったのも未来さんのおかげだと聞きました。本当に感謝しています。ありがとう」


「そんな……私なんて……」



 玲華先輩と同じ眼でじっと見られたこともあって、思わず顔を伏せた。



「まだ両親が何て言うか分かりませんが、僕の方から前向きに検討して欲しいと伝えておきます」


「ほ、本当ですか? ……ありがとうございます!!」



 まだ確定したわけではないけれど胸の内から喜びが溢れた。



「玲華ともしっかり話をしなくてはいけませんね」



 そう時臣さんが言ったところで、ガチャッとドアが開いて玲華先輩がリビングに戻ってきた。私たちは玲華先輩の方を同時に振り返った。



「……何を話していたの?」


「ん? 玲華の恥ずかしい話とか」



 時臣さんはふふっと笑いを漏らすと、外していた眼鏡を再度かけた。



「何?」


「冗談だよ」



 いぶかしげな顔の玲華先輩をよそに、時臣さんはドアを開けて玲華先輩と入れ替わりにリビングを出て行った。

 お手洗いだろうか。なんて思うのも束の間、リビングのドアが開いて時臣さんはひょこっと顔を出した。



「俺この後ファミレスで仕事してくるから」


「この時間から?」



 玲華先輩は壁掛け時計を見た。時刻は20時になろうとしている。



「家だとなかなか集中できなくてさ。この時間じゃカフェもすぐ閉まっちゃうと思うし」


「そう……」


「くつろいでて良いけど、遅くなる前に未来さんを家に返してあげて」


「そんなに遅くなるの?」


「何時か断言できない。先寝てて良いから」


「……分かった」


「未来さん、また近々お会いできると良いですね」



 時臣さんはこちらを見た。



「はい! 今日はありがとうございました」


「いえいえ、それじゃあ」



 玄関のドアが閉まる音が聞こえる。

 きっと私たちに気を利かせてくれたんだと思うけれど、時臣さんが家を出て行ってしまったのでせっかくだからと玲華先輩の部屋に案内してもらうことにした。



 小ぶりな部屋は玲華先輩の香りがした。趣味が読書というだけあって、本棚には参考書や文庫本がたくさん入っている。無駄なものがないというか、部屋はとても綺麗だった。



「ここが玲華先輩の部屋かぁ……」


「中に人を入れたのは初めてだわ」


「そっかぁ、じゃあ私が初めての人になれたんですね。嬉しい」



 私はラグにちょこんと腰掛けた。

 さっきまで時臣さんがいたからなんとなく賑やかな感じだったけど、狭い部屋に2人だとお互いの呼吸の音までもクリアに聞こえることがあって少しソワソワしてしまう。



「あなたは私の初めてをたくさん奪ってきたでしょう」



 玲華先輩も私の隣に腰掛けた。

 恥ずかしがり屋のくせにこういう人をニヤけさせるようなことは平気で言えちゃうんだよなぁ。



「んー、初めてって例えばなんですか? ……んぐ」



 両頬を片手でむぎょっと挟まれた。



「どうしてそういう恥ずかしいことを言わせようとするの?」


「えぇ、だって面白いか――」



 言いかけたその時、手が離れたかと思うと柔らかいものが唇に当たってすぐに離れた。



「不意打ちすぎ……」


「これが私の黙らせ方よ」



 夏休みの最初のやりとりを思い出して頬が緩んだ。



「アリですね。もう1回私を黙らせてください」



 玲華先輩は何かを考えるように一瞬斜め下の方を見たが、意を決したのか私に向き合うと再び唇を落とした。普段あんまり自分からキスしてくれないから嬉しい。こうして会えたのもなんだか久しぶりな感じがするし、唇で感じる玲華先輩の感覚に心が満たされていくのが分かった。



「未来。約束、覚えているわね」



 唇が離れると、少し潤んだ目が私の唇の方に向いた。目を合わせないのは恥ずかしいからだろうか。

 本当、今自分がどんな顔してるか分かってるのかな……。



「約束?」


「電話で話したでしょう」



 もちろん覚えてる。でも……。



「あぁ……。何でしたっけ? 忘れちゃいました」


「あなたは私が年上であることを忘れているようね」



 肩を押されてそのままラグの上に仰向けになった。玲華先輩の身体は上から注ぐ照明の光を遮り、私の上には黒い影ができた。



「へぇ、今日は上ですか?」


「……」



 覆いかぶさったは良いが、この先どうしたら良いのか分からないのかモジモジとしながら玲華先輩はそのまま固まってしまった。



「はははっ……。もう、なんでそんなにかわいいんですか」


「ちゃんと言ってくれるまでどかないわ」


「好きですよ。大好きです。大大大大好き。ちなみにどかなくて良いですよ」


「……」



 玲華先輩は手で顔を覆っている。

 もう付き合って半年以上になるのに、どこまでも初々しくて愛おしくなる。



「耳真っ赤」



 耳に触れるとピクっと反応した。



「未来、さっき兄と何を話していたの?」



 私の手を耳ごと巻き込むように玲華先輩は握ると尋ねた。



「……実は同棲のことについて話してました。将来的には一緒に暮らしたいんですってことを時臣さんに言いました」



 玲華先輩は目を見開いた。



「!? ……それで兄はなんて?」


「心配ではあるけど、前向きに検討したいって。どうなるか分からないけれどご両親に話つけてくれるみたいです」


「……あなたの行動力にはいつも驚かされる」



 そうかな? 千夏先輩ほどじゃないと思うけど。



「あ、そうそう。バイトしたお金貯めておこうと思って。いつか2人で何かに使えるように。最初は千夏先輩の誕生日プレゼントのためと思って頑張ってましたけど、後半は玲華先輩と一緒に使うんだって思って働いてました。それがモチベーションでした」



 結局私は2週間とちょっと、やりきった。

 失敗して佐藤さんに怒られたりもしたが、最終日を終えて清々しい気持ちで作業着を返しに行った時のことは強く記憶に焼き付いているし、やりきった経験が出来たことで多少自信がついた。時臣さんに同棲のことを聞く勇気を持てたのも多少そのおかげもあるかもしれない。

 色々勉強になったし結果的にやって良かったと思う。お弁当はもうしばらく見たくはないけれど。



「未来、それはあなたのお金よ。私が使うべきではないわ」


「私がそうしたいんです。ダメですか……?」


「……」


「玲華先輩が将来のために頑張ってるから私だって将来のために頑張っただけです。恋愛ゲームもやりませんでしたよ、私。約束守りました。偉いでしょう?」


「うん」


「……だから今夜は玲華先輩を攻略させてくれませんか?」



 言ったそばからカァッと顔が熱くなった。

 冗談のつもりだったけどちょっと今のセリフは自分で言ってて恥ずかしかった。



「……もう落ちてる」


「え」


「未来……」


「はい」


「……」


「なんです?」


「ぃて……」



 糸のような細い声が霞んでいる。



「はい?」


「抱いて」


「ふふふ……。この体勢でそれ言うんですか?」


「……」



 玲華先輩はゆっくりとずらかった。



「でも、今日は汗いっぱいかいちゃったからやっぱり……」



 太陽がカンカンに照り付けていたこともあって、玲華先輩の家に行くまでの間で結構汗をかいてしまった。こうなることは期待していなかったわけじゃないけれど、時臣さんもいるしさすがにないと思っていただけに歯がゆい気分だ。



「私はを感じたい」



 服の襟元を掴まれた。

 


 もういっか。ここまでされて断る方が無理だ。



「本当にどこまでもかわいい人ですね。電気、消してください」



 夏休みの終わり。

 室内はエアコンの冷気で満たされていたが私たちは確かに熱を持っていた。

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