夏休み充実大作戦 ⑥

「みっちー、注文してくるから荷物守っといてくれるー?」


「あ、分かりました! 抱きしめてれば良いですか?」


「うん、よろしく」



 みっちーは、私と千夏先輩の荷物をおもむろに抱えこもうとした。何をしてるんだろうか。



「みっちー、抱きしめなくても良いから。見てるだけで良いよ」


「え、でも守っといてって……」


「じゃあいいよそれで」



 店内に入り、入口から比較的近い位置に席を取ってから、千夏先輩と共にレジ待ちの列に並んだ。

 流れでハンバーガー屋さんに来たはいいけど、全然お腹が空いていない。飲み物だけならカフェとかで良いのに。

 中途半端な時間帯なこともあって店内は閑散としており、私たちの番はすぐにやってきた。



「ご注文はお決まりでしょうか?」



 ガタイが良く、爽やかな白い歯の店員さんは口元は笑っているが目は笑っていなかった。

 頬がピクピクと痙攣している。何かこの人、変だ……。

 その様子からただならぬ何かを感じ取った私は千夏先輩の方を見たが、何も気にしていないといった感じですました顔をしている。



「えーとりあえずスマイル1つください」



 え……ちょっと千夏先輩なに注文しちゃってんの……。

 恐る恐る店員さんの顔を見ると、注文とは裏腹に笑顔はみるみると崩れていった。



「おい、しばくぞコラ。俺が働いてる時は来んなっつったろ」



 店員さんは被っているキャップの位置を直しながら不機嫌そうに言った。

 ……この感じからして千夏先輩と知り合いかな。雰囲気的に仲はそんなに悪く無さそうに見えるけど。あれ、もしかして彼氏……?



「じゃあテイクアウトにすれば良い?」


「そうしてくれ。そんでとっとと帰れ」


「じゃあスマイル1つテイクアウトでお願いします」


「お次のお客様お待ちでしたら――」



 店員さんは次のお客さんを呼ぼうとしたので、咄嗟に私たちは後ろを振り返ったが、後に並んでいる客は誰もいなかった。

 千夏先輩は店員さんの腕を掴んでグッと引いた。

 ひっぱられた店員さんは若干前かがみになりながら、千夏先輩を睨みつけている。



「ねぇ、客の注文無視したって匿名で苦情入れちゃうけど良いのー?」



 千夏先輩の脅迫に店員さんはクソッと小さく呟くと腕を振り払った。

 ……どうやら彼氏ではなさそうだ。なんとなく分かる。



「……さっさと注文しろ。スマイル以外な」


「未来何にする?」



 千夏先輩はニッコリとこちらを見た。

 なんだかこの感じ、気まずい……。

 店員さんと目が合うと、軽く会釈をされたので私も頭を下げた。



「あ、えと……じゃあウーロン茶をお願いします」



 状況も状況なので少し小さめな声で言うと、千夏先輩はうなずいた。



「おけー。んじゃウーロン茶2つで」


「……あとは?」



 店員さんは無造作にオーダーを打ち込んでいる。



「以上で」


「飲み物だけかよ、だったら自販機で買ってろ! 暇つぶしに来てんじゃねーぞ」


「いやいや、ちゃんと目的あるからー。ねー、あそこに座ってる子どう思う? うちの学校の生徒会長なんだけど」



 千夏先輩は座っているみっちーの方向を指さした。



「何、三園の2年生? 別に……良いんじゃねーの」



 店員さんは目を逸らして口ごもっている。

 もしかしてツッコミのできる変態って、この店員さん……? みっちーに紹介しようとしてるのってこの人のことだったりする……?

 千夏先輩とタメ口で話しているから高3だろうか。変態っていうのが若干引っかかるけれど、見た目は好青年だ。



「彼氏募集中なんだってさー。だからまずは友達になってあげてくんないー?」


「はぁ? 俺がいつ女紹介しろっつったよ」



 店員さんはそう言いつつも、どこかもじもじとした雰囲気である。



「だって今彼女いないっしょ? エロ本何冊もベッドの下に隠し持ってるくらいだしねー」


「おま! おい、てめぇ他の客がこれ聞いてたらどうすんだバカ!」


「客いないじゃん」


「……すいません、こいつの言ってること本当適当ですから信じないでくださいね」



 店員さんは必死に弁明している。私は無言で数回小刻みに頷いた。



「まぁ妹の寝こみ襲うくらいだしエロ本持ってても無理もないかー」



 今度は店員さんが千夏先輩の腕を引っ張った。



「襲ってねーし、調子のんな! あの機械に突っ込んでミンチにしてやろーか?」



 妹……。あれ、もしかしてこの人千夏先輩のお兄さん?

 制服につけられているネームタグを見ると「神薙かんなぎ」と書かれていた。やっぱり……!

 たまに忘れそうになるけれど千夏先輩の名字だ。ここは千夏先輩の最寄り駅だしお兄さんがバイトしていても違和感はない。



「へー。あたしのこと気ー? さすが変態だなぁ」


「本当キモすぎ。……すいませんね、こんな性格悪い奴と仲良くしてくれて。嫌だったら遠慮せずに逃げて良いですからね」



 千夏先輩のお兄さんらしき人はウーロン茶を2つカウンターに置くと、再び私の方を見た。



「そんな、いえいえ……! いつも良くしてもらってます」


「んじゃ後でうちの生徒会長が注文しに来ると思うから声かけといて。よろしく」



 ウーロン茶を2つ受け取った千夏先輩はそう言い残すと、颯爽と席めがけて歩き始めたので、私も後を追うようについていった。



「ちょっ……おい! 金払え!」


「わたるんのおごりでー」


「てめっ」



 店員さんはレジカウンターから出て来ようとしたが、その瞬間にお客さんが店内に入って来たので、しぶしぶ接客に戻っていった。

 千夏先輩ってお兄さんに対してもあんな感じなんだね……。いつもいじられるけど私はまだマシな方なのかもしれないと思えてきた。



「あの人ってお兄さんですか?」


「そう。かわいいでしょ?」



 かわいいのかな……結構筋肉あってガタイ良かったからなぁ。



「……なんかお2人のやりとりが面白かったです。お兄さんのことみっちーに紹介するんですか?」


「んーまぁ人間同士の相性なんて正直はかりかねる部分はあるけどさー、兄貴ならみっちーの話し相手くらいにはなれるかなって」



 確かに悪い人ではなさそうだったな。ちょっと怒ってたけど本気で怒ってる感じではなかったし、千夏先輩のあの絡みに毎日耐えるくらいの忍耐力もあるときた。



「おまたー。みっちーは何頼む?」



 テーブルにウーロン茶を2つ置いた千夏先輩はみっちーに尋ねた。

 本当にお金払わなかったけど、千夏先輩のお兄さんのおごりってことで良いのかなこれ……。



「ナゲット頼みます」


「おっけー。んじゃ行っておいでー。あ、財布持っていかなくて良いよ。今日キャンペーンやっててナゲット無料でもらえる日だから」


「本当ですか? ラッキー!」



 みっちーは財布をバッグにしまうと、そのままレジの方に歩き出した。



「あっ」



 止める間もなく手ぶらで行ってしまった。



「さーてどうなるかなぁ。楽しみだー」



 千夏先輩は頬杖をつきながらみっちーの後ろ姿を見ている。



「良いんですか……大嘘じゃないですか」


「これで会話する機会作れるじゃん? まぁなんとかなるっしょー」


「後でウーロン茶の分もごちそうさまとお伝えください……」


「んー」



 テーブルに置かれたウーロン茶にストローをさして少し飲んだ。

 千夏先輩の横顔をちらっと見る。相変わらず綺麗な顔してる。系統が違うというか、あまりお兄さんとは似ていないな。

 


「あの、千夏先輩は恋人作らないんですか? モテるでしょ?」


「ん?」


「ひょっとしてもう誰かと付き合ってます?」



 さっき一瞬彼氏さんかと思ったけれど、お兄さんだった。

 千夏先輩はいつも人のこといじってばかりで自分の恋愛事情をあまり話そうとしない。経験は豊富そうだけれど……。

 渚にも頼まれていることだし、この機会に少し踏み込んだ質問をしてみようと思った。



「あたしに興味持つなんて、もう玲華に飽きちゃったのー?」



 おちゃらけたように笑うと、千夏先輩はウーロン茶にストローをさした。



「なわけないじゃないですか、話逸らさないでくださいよ! 真面目に聞いてるんですから……」


「そんなに気になるん?」


「はい……。いつもはぐらかして教えてくれないじゃないですか」


「あはは、未来はかわいいなぁ」



 千夏先輩はウーロン茶を持ち上げて氷をゴリゴリ鳴らすと、ストローを噛みながら椅子の背もたれに体重を乗せた。



「あの……渚、今でも相当千夏先輩のこと好きみたいですよ」


「あーなぎっちね」



 千夏先輩の乾いた声で察した。渚のことはどうも思ってないんだろう。

 指輪を買うんだと張り切っていた渚の顔が脳裏をよぎった。



 私も当初は玲華先輩にどうも思われてなかったと思う。でも徐々に距離を縮めていった。

 渚はどうだろう。努力することで報われる恋と言えるのだろうか。



「千夏先輩って経験豊富そうですけど、同性と付き合ったことあったりします?」



 今までのことを振り返ると、スキンシップには抵抗ないみたいだし偏見があるようには見えないけれど……。

 実際のところセクシャリティーは本人しか知らないと思うし、下手したら本人だって分からないこともあると思う。私だって自分のセクシャリティはよく分かっていないから。

 もし千夏先輩がはっきり自分は同性愛者ではないと自認しているのだとしたら、それは渚にとっては絶望的なことかもしれない。



 千夏先輩はウーロン茶をテーブルに置くと上の方をぼうっと見た。



「んーそういう意味でいうと同性と、はないかな」


「……なんか含みのある言い方ですね」


「好奇心で色々試してみたことはあっても、恋愛感情を自覚したことはないんだよねー」


「そうなんですね」



 恋愛感情がなくても、物理的な接触に抵抗のない人はいる。色々経験はしてそうだけど、なんとなくここは深堀りしてはいけない領域な気がする。今ここにみっちーがいなくて良かったかも。



「でも未来のこと見てるとさ……」


「ん……はい?」



 千夏先輩の綺麗な目がゆっくりとこちらに向いた。ゆっくりと近づいてくる顔に心臓の鼓動が少し早まる。

 見た目は私の知ってる先輩ではないけれど、少しどこか暖かみのあるその表情は見覚えがある。

 心臓を猫じゃらしでくすぐられているような、何となくむず痒い気分になった。

 


 手が頬に軽く添えられた。私は目を逸らして味のないウーロン茶をごくっと飲んだ。



「ははは。いや、なんでもない」



 千夏先輩は姿勢を元に戻すと上にぐっと伸びた。



 なんだ、ちょっと身構えてしまった。考えすぎかな。

 緊張が解けてふっと息を吐いた。



「……千夏先輩は今好きな人はいないんですか?」


「ドラムが好き」


「ドラムかぁ。楽器やってる人みんなそう言う気がします」


「人は恋の狩人なんて言うけど、あたしは音楽で満たされてるから」


「なるほど……」



 私にとっては玲華先輩なしの生活はもう考えられないけれど、今の千夏先輩には恋人は必要のないものなんだろう。

 同性に恋愛感情を自覚したことはないみたいだし、渚にとっては千夏先輩を攻略するのはいばらの道になりそうだ。

 渚への伝え方、考えないとな……。



「もしドラムよりも夢中になれる人が現れた時には……死ぬほど求めちゃうだろうね、相手が嫌って言うまで。こう見えて欲求には忠実だから」



 千夏先輩は舌をペロっと出して笑った。

 「ドラムより夢中になれる人」……それが千夏先輩と付き合うための条件、か。なかなか想像できない。



 話している間に、ナゲットを持ったみっちーが帰ってきた。



「おかえりー」


「千夏先輩のお兄さんに話しかけられました……! ここの店員さんだったんですね!」


「ふっふーん。どうだった?」


「良い人そうでした……かっこいいし」


「最近話し相手いないみたいでつまんなそうにしてるからさー、良かったら仲良くしてやってくんない?」


「あ、はい! ここ通えば良いですか?」


「あはは、まぁカウンター越しに話すのも悪くないかもだけど。あとで連絡先送っとくから」


「そんな、良いのかな……」



 みっちーは照れた表情で下を見ている。



「みっちーちゃんとナゲット買えた?」


「え? うん。なんで?」



 結局おごってくれたんだ。



「千夏先輩のお兄さんは良い人ですね、確信しました」



 千夏先輩のウインクを受けた後、レジカウンターの方を見ると、千夏先輩のお兄さんはこちらをちらっと見た後、キャップの位置を調整しながら厨房の方へ消えていった。

 これからみっちーとどうなっていくのか楽しみだ。



 夏休みの終盤、千夏先輩のお兄さんを初めて見た。

 お兄さんと言えば、もうじきに玲華先輩の兄――時臣さんに会う機会がある。

 初回だし、あまり踏みこんだ話をするのもどうかと思うけれど、将来のことを考える上で、時臣さんに聞いておきたいことがある。



 それは、私と玲華先輩との同棲についてである。

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