夏休み充実大作戦 ④
通話ボタンを押してから後悔に駆られる。
玲華先輩だって勉強頑張ってるのにこんな時に私の都合で……。すぐに切ろうとしたが、その前に玲華先輩は電話に出た。
『はい』
「れいぴー……」
鼻から抜けるような少し高めの声が出る。
なんとなく罪悪感を感じながらも、電話に出てくれたこと、声を聞けたことにホッとしている自分がいた。
『どうしたの?』
玲華先輩は心配そうな声で尋ねてきた。
少し驚いているみたいだ。
「バイト、思ったよりきつくて……」
本音がぽろっと漏れた。
「バイトやめたい」だなんてクラスメイトが言っているのを度々聞いて来たけれど、いざ自分がやってみると初日にしてこのざまだ。
風紀委員として今までやってきたこともあって、バイトくらい余裕だろうと高を括っていたが甘かった。情けない気持ちでいっぱいだ。
『何かあったの?』
「いやぁ単純作業も楽じゃないなって。時間の経過がものすごく遅くて。おばさんに怒られるしでメンタル削られました」
今日一日のことを思い出してため息が漏れた。
『あなたは自分で決めて、動いて、面接を受けて実際に働いた。ここまで来たことを私は評価するわ』
息が詰まった。
自分に厳しい先輩のことだから、弱音を吐いたところで良く思われないだろうとある程度覚悟していた部分はあったけれど、まさかそんなこと言ってくれるなんて……。優しすぎない?
「ありがとうございます。今日こうして初日を終えたわけですけど、これが2週間続くと思うと耐えられるかどうか……」
玲華先輩が優しいから、どんどん本音が飛び出してくる。
2週間といっても毎日働くわけではないし、たったそれだけの期間でって思われるかもしれないけれど、この2週間は私にとっては体感的に3か月以上に感じそうだ。ただでさえ、働いている時は進む時間が遅いのだから。
先が思いやられる。
『やめたいの?』
電話越しに聞こえるその声にズキンと心が痛んだ。
「やめたくないと言ったら嘘になります。何か欲しいものがあるわけじゃないし何のためにこんなことしてるんだろうってなんかバカらしくなってしまったというか……」
必要だからバイトをしている人もいる。生活のため、趣味のため、理由はそれぞれあるだろうが、私はお金のために働いているわけではない。
頭を使うわけでもなく、決して「自分」である必要のない、ただ単調に手を動かすだけの仕事が意味のあるものだとは思えなかった。
『本当に厳しいようであれば無理をして続ける必要はないと思う』
え……。
続ける必要がないなんて想定外な言葉に自分の肩の力はすっと抜けていった。
「……なんか意外ですね。玲華先輩がそんなこと言うなんて」
『それがあなたが良く考えて出した結論なら、間違いであるとは思わないわ。
大事なのは他の人からの評価ではなくて自分がどう感じたか、どうしたいか。
未来、自分を守るために時には逃げるという選択も必要よ』
「……」
私がどう感じたか、どうしたいか、か。玲華先輩は私がどんな決断をしても味方でいてくれるんだね。
嬉しい……。
「うん……。でも自分で決めたことだから、最後まで頑張りたいとは思ってます。たった2週間ですし。キツイけど、これを乗り切れたらもっと自分を好きになれる気がするから……」
何か1つでも自分でやろうとしたことに対して責任を持ってやりきる。そんな成功体験があればきっと私は自信を持つことができると思う。
キツいけど終わりが見えているから頑張れる。そんな気がする。
それに、私の1番の理解者であり、味方でいてくれる存在がこんなにも近くにいるのだからきっと乗り切れる。
私は1人じゃない。付き合うってそういうことだ。
スマホを力強く握りしめた。
『応援する。辛かったらすぐに連絡をして。気を使う必要はないわ。いい?』
「はい……なんか元気出ました」
『良かった』
「……それじゃあそろそろ切りますね。どうしようもない愚痴に付き合ってくれてありがとうございました」
これ以上勉強の邪魔しちゃ悪いし切ろう。明日もバイトはあるし、早めに寝て備えなきゃ。
『……』
玲華先輩からの返答はない。
「ん、どうかしました?」
『最近あなたから好きだと言ってもらってない』
「えっ」
『言って』
不意打ちすぎて言葉を失ってしまった。
……ずっと好きって言って欲しかったのかな、なんて思うと悶えてしまう。急にこういうところでかわいさ出してくるの、本当に反則だ。
「……嫌です」
にやけ顔のまま返した。
『……どうして?』
「ふふふ」
玲華先輩の不服そうな声色に、クスクスと笑い声が漏れた。
どうしてって、こういう反応が見たいからだよ。
そのままベッドに仰向けになって天井を見上げた。今日初めて笑った気がする。私、今癒されてるんだ。
『何が面白いの?』
「かわいいなと思って」
『未来。私が聞きたいのはそういう言葉ではないわ』
「へへ。今度会った時に言いますよ。だからそれまでおあずけです」
『私は待たされるのが嫌いだと言ったでしょう』
どうしても言って欲しいのか玲華先輩は引かない。かわいい。おねだりされるのも悪くないかも。
好きなのは事実だし別に今言ってもいいんだけど……でも……。私が胸を張って玲華先輩の彼女でいるためには、もうひと頑張りしないといけない、なんて思った。何となくだけど。
「一緒にこの夏、一山乗り越えましょう。玲華先輩が頑張ってるみたいに、私だって頑張りますから」
『あなたはそうやって焦らすのね』
「焦らすっていうか、次会うことを楽しみに私も頑張れるっていうか……」
次に玲華先輩と会う私は一回り成長していることを願って。
『はぁ……仕方ないわね』
「ふふ。じゃあまた――」
電話越しにちゅっとリップ音を立てた。
自分でやっといて恥ずかしくなってすぐに通話ボタンを切った。
『あなたの最後の電話の切り方で、もう勉強に集中できなくなった』
玲華先輩からすぐに来たメッセージにクスクスと笑う。
ゆっくりと目を閉じて深呼吸した。
きっと大丈夫。乗り越えられる。がんばれ、私!
――――――――――――――
――数日後の昼のファミレス。
相変わらず仕事は地獄だが、渚もいるしなんとかアルバイトは続けられていた。
そして今日はバイトの休みを取った。叶恵とみっちーと遊ぶからである。私たちは映画を見た後でお昼を食べ、ドリンクバーで粘りながら他愛もない話をしていた。
バイトのない日は天国である。辛いバイトの日々のおかげで、こうした日常のありがたみが身に染みる。気の置けない友人との貴重な時間を胸に刻み込んでいるところだ。
コーラを口に流しこむとしゅわっとした甘みが口に広がった。
「あのさ、報告なんだけど」
隣に座っている叶恵はブラックコーヒーをカタっとテーブルに置いた。コーヒーに負けないくらい叶恵の顔は日焼けで黒くなっている。
「ん?」
「彼氏できた」
「「え!?」」
一瞬時が止まったような感覚になった。突然の報告に思わずコーラを吹き出しそうになるのを手で無理やり抑え込んだ。
全然そういう話を聞かなかったから急だ。
みっちーは驚きすぎたのかソファに思いきり背中を打ちつけ、「いてっ」っと声を漏らしている。
「待って叶恵。いつからなの? てか誰?」
みっちーは先ほどと打って変わって前かがみになって叶恵の顔を食い入るように見た。叶恵はそんなみっちーの顔を鷲掴みして遠ざけると口を開いた。
「1週間くらい前から。他校の陸部。ごめん、直接会った時に言おうと思ってたから報告遅れた」
聞いたところによると、叶恵の新しい彼氏はこれまた同い年で、陸上の大会を通じて知り合ったそうだ。夏休み中は合同練習があったとかで急接近して今に至るそう。
「あぁああああ!」
みっちーは悲鳴にも似た声をあげながら小刻みに両手でテーブルを叩いた。
「何だよ! ちょっとヤバい子いるって思われるから静かにして!」
「おかしい。絶対おかしい。校則変えたのにわたしだけ恋人がいないのはおかしいと思う」
「まぁ今の状況だとみっちーだけだもんな……」
叶恵は気まずそうな顔をしながらこちらにアイコンタクトをしてきたので、苦笑いで返した。
「わたしも叶恵くらい黒くなれば彼氏できるかな? 叶恵が彼氏いるタイミングっていつも黒いじゃん」
「は? 気にしてんのに! ぶっ殺すぞお前!」
叶恵はナイフを握りしめたの私はすぐさま止めに入った。
「冗談だって!
未来はしょうがないけど最近叶恵もなんか構ってくれないなぁって思ってたんだよね。そうやって恋人優先してわたしのこと捨てちゃうんでしょ?」
みっちーはコップに注がれているドブのような色の液体をじっと見つめている。ドリンクバーで何か混ぜて作ったみたいだけれど、あえてそこには触れていない。
「別にうちはどっちを優先するとかあんま考えてないけど。遊びとかは決まった順にするし……」
「でも寂しい……。置いてかれる気分」
「みっちーはどんな人が良いんだっけ?」
「えっと、優しい人かなぁ。あと相性が良い人。ちゃんとお互いのツボを分かってるというか……」
私が尋ねると、みっちーはニコッと笑顔を返してきた。
相性……なんだか含みのある嫌な言い方だ。
「あのさみっちー、相性って何の相性のこと――」
「叶恵!! やめて!?」
昼間のファミレスで、みっちーから良からぬ発言が飛び出すことを恐れて私は叶恵を止めた。
「お、おう……」
間が流れる。
叶恵はコーヒーを再び口に含んで仕切り直すと口を開いた。
「あのさ、念のため聞いとくけどみっちーって男が好きなんだよね?」
「うーん。男の人が良いなって思ってたけど、未来見てたら女の人でも良いのかなって思えてきてる。でも分かんない。未来はどっちが良かった?」
「えぇ、どうかな。人それぞれそれ違うと思うし……」
「うーん」
みっちーは純粋だ。素直に疑問に思ってるから聞いてきてるんだということは分かっている。
私は性別云々よりも玲華先輩だから好きになったわけだけど、玲華先輩が男だったら同じように好きになっていただろうか。
仮に私が女性しか愛せないとしても、みっちーにそれが当てはまるわけではないだろうし、本人次第な部分はあると思うから一概に言い切ることはできなかった。
「みっちーは今好きな人いないの?」
「未来と叶恵は大好きだよ」
「そういう好きじゃねーよ。会話の流れをちゃんと読め」
「マッチングアプリでもインストールしてみたら? 最近流行ってるみたいだし」
恋愛解禁になってから、スマホにマッチングアプリをインストールしている生徒が増えたと聞く。
女性が無料なものが多いみたいだし、やってみても良いんじゃないかと思う。みっちーがやると思うとちょっと心配ではあるけれど。
「えー。自然な出会いが良いんだよね。パンくわえて曲がり角で誰かとぶつかったらイケメンだったみたいな!」
みっちーは顔を綻ばせた。
「少女漫画の見過ぎだろ。リアルにパンくわえて走ってる人なんていたらドン引きなんだけど。あざとすぎて生理的に受け付けない」
「えぇー。じゃあどうしたら良いんだろう……」
「出会いの場に行かない限り無理じゃん。ね、未来」
「そうだね……」
叶恵も陸上部だからこそ今の彼氏と出会えたわけだし。
女子高なのに校内で出会えた私は運が良かっただけかも。
「新しい人と会わなきゃじゃんね。みっちー今好きな人いないんでしょ?」
「叶恵のことは好きだよ」
みっちーは叶恵に向かって親指を突き立てた。
「もういいよそれ。だまれ」
「ひどい! ……あ、陸上部で良い感じの人いたら紹介してよ。未来もバイト先で良い人いない?」
「がっついてんなぁー。みっちーに合う人かぁ。今はパッとは思いつかないや」
「バイト先、おばさんばっかなんだけどそれで良ければ紹介するよ」
私の脳裏には佐藤さんの顔が浮かんだ。人妻だしちょっと紹介するのは気が引けるかも。
「おばさんはいいや……」
みっちーは微妙そうな顔をしている。
うん、やっぱり叶恵に紹介してもらった方が良い気がする。
「とりあえず夏休み中は外で散歩する時間増やそうと思う。そしたら出会えるかもしれないし!」
「良い人と曲がり角でぶつかれると良いね……」
「なんか本格的にみっちーが可哀そうになってきた。誰かいないかうちらで探してみるか……」
「うん……」
叶恵と顔を見合わせた。
天然だけど悪い子じゃないし、笑顔もかわいいからその気になればすぐできるんじゃないかなって思うんだけどな。
叶恵が彼氏を作って、みっちーは恋活をする決意を決めた。
夏休みの中盤――私たちは一歩一歩、それぞれの歴史のページに足跡を刻んでいるのであった。
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