夏休み充実大作戦 ③
宿題もようやく終わり、初めてのアルバイトの面接――。
事前にネットでサーチを入れてきちんと対策した後に臨んだ。とても緊張したけれど面接は難なく終わった。
簡単な自己紹介と志望動機を答え、後はたわいもない雑談をして、面接の最後には「是非うちで働いて欲しい」と言ってもらうことができた。見事合格である。
2週間ほどの期間限定ではあるが、めでたくアルバイトデビューが決まった。
「働く時は作業着の胸元に顔写真と名前の入ったバッチをつけてもらうんだけど、履歴書に貼ってくれたやつがそのまま顔写真になるから、そこんとこよろしくお願いしますね」
面接をしてくれたおじさんは苦笑いで私の履歴書の顔写真を見ていた。
まじか。
汗だくの証明写真、あれをいつも身につけていなくちゃいけないというのか。汗で前髪は張り付き、鼻と口の間に汗だまりを作っている私の写真を……。
全部スリリングモードのせいだ。全部……。開発者は一度ひどい目にあえば良いと思いながら笑顔を引きつらせて拳を握り込んだが、もうどうしようもないことなので諦めて受け入れることにした。どうせ2週間だけの我慢だ。
人手不足なのか翌日には来てくれとのことだったので、早速私は次の日の早朝に弁当工場まで足を運んだ。
作業着に専用のマスクと、頭をすっぽりと覆うような帽子、ビニール手袋を身につけた。ロッカーに備え付けられている姿鏡を確認する。目しか露出していないく、まるで白い忍者のようだ。
なるほど。きっと誰が誰かを判断するために顔写真と名前入りのバッチを胸元につけるのだろう。
厚手の装備だが、食品を扱うこともあって工場内は冷えており暑さは感じなかった。
「あんたは今日はこのレーンで作業ね」
始業時間になると、男か女か分からない人からあんた呼ばわりされて指示を受けた。胸元の顔写真を見てもやはり性別は判断できないが、「佐藤清子」と書かれているので男の人では多分ないだろう。多分。パートさんかな。
工場の中は見渡す限りおばさんばかりだが、若そうな人もちらほらと伺える。露出している部分が目元だけなのでなかなか判断が難しい部分ではあるけれど。
初日なのもあって私は簡単な作業から任されることになった。指示された仕事は弁当の白米の上、中央に梅干しをひたすら乗せていくといったものだ。
レーンの前で梅干しを手にして身構える。当たり前のようにベルトコンベアーに乗せられてやってくる弁当たち。私はそこにただひたすら梅干しを置いていった。
なんだ、簡単じゃん。
耳をすませば聞こえてくるのは機械の「ガー」という動く音だけ。無心で手を動かしていった。
しばらくそうして作業をしていたが疑問が沸き上がってきた。
梅干し乗せるくらい機械でなんとかできないわけ? なんで私がこんなことしてるんだろう。自分の存在価値ってなんなんだろう。この地球は何故存在していて――。
あまりの単純作業に雑念が沸き上がる。そうこうしているうちにタイミングを逃して弁当に梅干しを入れ損ねてしまった。
「ちょっと、気をつけて!」
佐藤さんがすかさずフォローに入り、白米に梅干しが届けられた。
「ごめんなさい!」
佐藤さんは私の謝罪を無視してそのまま持ち場に戻っていった。
感じ悪いなぁ。佐藤さんはどうやら私のいるレーンの管轄をしている人らしく、皆の作業に目を光らせている。監視されているようでなんだかやりづらい。
こんな単純作業、退屈でしかないのに何か考え事をすると目の前の作業に追いつけなくなる。しかも佐藤さんがちょっと怖い。これ、思ったより結構しんどいかもしれない……。
時計を見た。
1時間くらい経った気でいるのに時計は20分しか進んでいなかった。どういうこと……。空間を司る何者かに私は悪い夢でも見せられているのだろうか。
過ぎる時間の遅さに絶望しながら再び無心になって梅干しを白米の上に乗せていく。私はロボット、私はロボット。この工場の歯車の1つ。感情を消すんだ。そうすればきっとミスしない。
「……なんで私こんな思いしてんの?」
小さく呟く。心の声が漏れてしまったがどうせ機械の音でかき消され今の声は誰にも聞こえていないだろう。だからセーフだ。
流れてくる白米を睨みつけた。梅干しを力強く押し込む。ごめん、梅干しくん。君に恨みはないけれど私はこのバイトを選んでしまったことを少し後悔し始めているみたいだ。
「梅干し陥没させすぎ! 見栄え悪いでしょう?!」
「す、すいません!」
大丈夫だと思っていたけれど甘かったらしくまた佐藤さんに怒られてしまった。
キツイ……キツすぎる。仕事内容もそうだけれど怒られるのはもっと無理だ。そして、単純作業はどうやら私には向いていないということが分かってしまった。
これならまだ風紀委員の挨拶運動の方が何倍もマシだ。
これがお金を稼ぐ、ということなのか。
パパはすごいや……。
『楽しく稼いじゃおう』
求人雑誌に書かれていた内容を思い出した。全然楽しくない、うん。
しょっぱなからこんな気分になるなんて。
「バイトやめたい」という文字が頭をよぎった。何を言っているんだ。まだ始まったばかりじゃないか。この2週間はやると決めたんだ。ここで諦める訳には……。
再び梅干しを置いていく。
作業を続けているうちに頭の中に文化祭で歌ったラップが流れてきた。ラップのリズムに合わせて梅干しを置いていくが、案外悪くないことに気が付く。音楽にノっている時は不思議と時間の経過を遅くは感じないのだ。まさかここでラップが役に立つなんて。
流れ作業にはラップが相性が良い。私は頭の中のビートに合わせながらひたすら梅干しを乗せていった。
ラップのおかげで午前中の作業をなんとか終えた私は休憩室の椅子に座って、まかないのお弁当をテーブルに広げた。さすが弁当工場だけあって廃棄分の食材を使った弁当を従業員は無料で食べることができるのだ。
休憩室にはおばさん達の笑い声が響いている。おばさんが本当に多い。なんだか自分が場違いな気がしてくる。若めの人たちは私と同じように肩身を狭くしてぽつんとお弁当を食べていた。
「佐藤さん、武田さんと不倫ですって。旦那も可哀そうよねぇ何回すれば気が済むんだか」
「武田さんと? 怪しいと思ってたぁ。あんなおとこおんなのどこが良いんだか」
おばさん達の会話が耳に入ってきた。なんか聞いちゃいけない会話を聞いたような。おとこおんなって……。会話に出てきてる佐藤さんってあの人だったりするのだろうか。
物騒だ。いつも見てきたのが女子高生だったこともあって、不倫だなんて言葉を滅多に聞いてこなかった身としては、別世界にいるような感覚になった。やっぱ場違いだよ私……。
玲華先輩に今すぐ縋りつきたい衝動に駆られた。でも勉強中だろうしな。おばさん達に気が付かれないようにため息を漏らした。これからまた作業があると思うと憂鬱だ。
ちょうどその時、休憩室のドアが開いて見覚えのある人物が入ってきた。
「渚?」
渚は私を見ると驚いたような顔をして、こちらまで早足で歩いてきた。
「未来先輩、なんで!」
「ここで働いてたんだね!」
工場内はそんなに広いわけではないけれど、目しか露出していないこともあって渚がいるなんて分からなかった。
渚はあの一件以来、人が変わったように良い子になったし前みたいに粘着されることもなくなった。今では風紀委員の先輩後輩として適度な距離感で上手くやれていることもあり、渚を見た時に私のテンションは跳ね上がった。
「夏休み限定でやってます。未来先輩も?」
「うん、たまたま求人見つけてやってみようかなって思って」
「やっぱり風紀委員、普段バイトできる感じじゃないし考えること同じですね。隣、座って良いですか?」
「うん、座って座って」
心細さに押しつぶされそうになっていたので、知り合いが1人いるだけでもだいぶ救われた気分になる。
渚はまかないのお弁当を手に取ると、私の隣の席に腰掛けた。
「未来先輩は今日からですか?」
「そうだよ、渚はいつから?」
「なぎは夏休み始まった頃からやってます」
「そっか。じゃあ渚は先輩だね」
私が今日感じている絶望を、もう何日も経験してるんだと思うと尊敬する。
「何言ってるんですか、たいして変わらないじゃないですかぁ」
「いやぁ……。今日初めて働いてみたけど思ったよりキツいね、この仕事」
ため息を漏らした。
「未来先輩は単純作業苦手でしたっけ? なぎは得意だから合ってます。こんな楽なバイトないと思うんだけどなー」
渚は遠くの方を見ながらお弁当の白米を口に運んだ。
適職って言葉、本当にあるんだなぁ。気持ちを吐き出せる相手が見つかったのに、渚は私の心の苦しみを分かってくれないんだと思うと疎外感に見舞われた。
「渚はどのレーンでやってるの?」
「ひじきです。分量配分が難しいんですよね」
「そっかぁ」
私は今日は簡単な梅干しからのスタートだったけれど、もっと難しいレーンでの作業がこの先待ち受けていると思うと気が重い。
「未来先輩は?」
渚は身体ごとこちらに向けて私を見た。
「私は梅干し。お米の上に乗せるやつ」
「あぁ、なぎも最初そうだった! やっぱり入りだしは皆そこからなんですねー! 未来先輩、それ……」
渚の視線は私の作業着の胸元のバッチに向いていた。
「あ……」
慌てて手で押さえて隠した。
これ、知り合いに見られたくなかったなぁ。
「外、雨降ってたんですか?」
「いや……えと……」
自分の顔が真っ赤になっていくのが自分でも分かった。
咳払いをしてごまかして、何か他の話題がないか頭の中で必死に探した。
「あの、渚は稼いで何か買いたいものがあったりするの?」
「えー? かわいいものいっぱい買いたいじゃないですか。それに……プレゼントを渡したい人いるし。そう思うと仕事のモチベーションが上がるんです!」
なんとか話題チェンジには成功したようで安堵する。
「プレゼント?」
「はい!」
渚は誰かに何かをプレゼントしたいという気持ちが仕事のモチベーションになってるみたいだ。
私は何のために頑張ってるんだろう。別にお金に困っているわけでもないのに。ロボットみたいに手を動かしてさ……。
応募のきっかけは暇つぶしもあったけれど、第一に稼いだお金で千夏先輩にご飯をおごることだった。でもその動機すら薄れてしまう程にモチベーションが低下していて嫌になる。
「誰にプレゼントするの?」
「千夏先輩です」
やっぱりそうか。薄々そんな気はしていた。私たちは千夏先輩のためにこうしてバイトしてるんだって思うとなんだか面白いかも。
「この前誕生日だったもんね。何買うの?」
「指輪とかどうかなって思って。なぎとお揃いの」
渚は目を輝かせている。
「渚は千夏先輩と……その、付き合ってないんだよね?」
「はい。でも気持ちは誰にも負けませんから! あ、未来先輩のことももちろん好きですよ?」
「指輪かぁ、うーん。さすがに……もっとポップなものが良い気がするんだけど」
いきなり後輩に指輪渡されたら、いくら千夏先輩でも驚いちゃうんじゃないかなと思う。
「えー……」
渚は下唇を突き出した。
私だってまだ玲華先輩にそういうもの渡せてないのに。だって重い奴って思われたくないから。でもそのうちは……。
「千夏先輩って今誰かと付き合ってないですよね?」
渚の声で現実に引き戻された。
「ん、そうだと思うけど……」
「未来先輩って千夏先輩と仲良いですよね? どんな人が好き、とか知らないですか?」
「どうだろ……」
思い返してみるが、私思ったよりも千夏先輩の恋愛事情について知らないのかも。いじられてばっかりでそういう話になることがそもそもあんまりないような……。
「聞いといてくれませんか……?」
「う、うん」
「やったー! ありがとうございます。よし、午後も頑張ろう!」
渚はお弁当の残りを口に掻き込んだ。
渚、今度は正々堂々とやるんだもんね。
今度会う時に千夏先輩には聞いてみよう。私もお弁当を口に運んだ。
その後、休憩時間が終わるとお互いの持ち場について午後の作業に励んだ。やはり時間の経過は遅かったが、なんとかミスはなく終わらせることができた。
夕方だがまだ明るい街並みを背景にとぼとぼ歩き、家に着くとそのままベッドに寝転がった。立ちっぱなしだし思ったよりも疲れた……へとへとだ。
スマホを取り出して玲華先輩とのやりとりの画面を開いた。時臣さんへのご挨拶も兼ねた食事の日程は決まったが、夏休みの終わりの方である。
バイトの疲れもあって急に心細くなった。玲華先輩に会いたいな……。
私はそのまま勢いで通話ボタンを押した。
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