問題児登場!? ④

「千夏先輩……。あ、あの……ペットボトル蹴っちゃってすいませんでした!」


「ナイスシュートだったじゃん。良いサッカー選手になれるよ」



 ニっと微笑まれた。千夏先輩は全然気にしていないといった様子だ。こんな荒っぽいところを見られたのが千夏先輩で良かった……。ほっと胸を撫で下ろす。

 ペットボトルを拾ってくれた上に、捨ててくれたし安定の優しさだ。こんな形ではあったけれど、久しぶりに会えて良かったなと思う。よく姿は見ることはあっても、千夏先輩の周りに人が多すぎてあまり話すことはできなかったから。



「あはは、ありがとうございます……千夏先輩はスタジオ帰りですか?」


「そーそー。今日は午前授業だったし、待ち合わせまで暇でさー」



 千夏先輩はドラムのスティックケースをポンポンと叩いた。

 3年生は授業の数が減るため、今日のように午前授業で終わる日もある。羨ましい限りだ。



 風紀委員を引退してから、千夏先輩は本当に軽音楽部に入り、複数のバンドを掛け持ちしている。望んでいた音楽漬けな毎日を送れているようで、地下にある音楽スタジオが空いている時は、こうしてよくドラムの個人練習を行っているみたいだ。

 今日もその練習帰りといったところで、運良く鉢合わせた。



「そうなんですね、お疲れ様です」


「未来もお疲れ様じゃん……。大丈夫?」


「あ……」



 千夏先輩は顔を少し傾けてこちらを見た。私のことを心配しているようだった。



「やつれた顔してる」



 相変わらず、鋭い。

 さっきの暴挙といい、心配されるのも無理はないかもしれない。普段の私なら絶対あんなことしないし。



 風紀委員長になって分かったことだけれど、千夏先輩は「調整役」として委員会のメンバーの1人1人に目を配っていた。玲華先輩が執行し、千夏先輩が調整する。そんな役割分担がしっかりされていたんだ。だから私たちは何のストレスもなしに上手くやれていた。

 それに対して代が変わった今、私はいつも洋子に頼りきりだし役割分担なんてものがそもそもできていない。しかも後輩とうまくやれなくて、逃げるようにしてここまで来てしまった。

 比較して自己嫌悪に陥る。普通でない精神状態に自己嫌悪が上乗せされてもう心はズタズタだ。



「……大丈夫じゃないかもしれないです」



 力なく言った。

 そろそろ限界に近づいている。もう平気を装うことには疲れてしまった。



「言いたくないなら無理にとは言わないけどさー。……なんかあったの? 普通に心配」



 千夏先輩の前ではありのままをさらけ出せる。不思議とそんな安心感がある。

 助けてくれとは言わない。ただ話を聞いて欲しい。こういう時こそ甘えたい。そう思った。



「実はですね――」



 これまでのことを全て話した。

 千夏先輩は私の話に相槌を打ちながら、時には質問を小出しにしながら聞いてくれた。

 千夏先輩が聞き上手なこともあって、話の後半、私は感情的になっていた。枯れていたものが揺さぶられてじわじわと涙が出る。そんな私の涙を千夏先輩はハンカチで拭ってくれた。



「……ごめんなさい」


「なんで謝んの?」


「だって……泣いちゃって」


「未来が泣き虫なことは知ってるし」



 抱きしめられて背中をさすられた。久しぶりに感じる人肌に妙な安心感を覚えた。私が落ち込んだ時、よくこうしてくれたな。



「千夏先輩の前では私、泣いてばっかりですね……」



 深呼吸、深呼吸。呼吸を落ち着かせる。

 千夏先輩はしばらく無言で私の背中をトントンと叩いてくれていた。



「証拠が見つかるか、ほとぼりが冷めるまで、ね。玲華らしい判断だわ。証拠か……。なぎっちと仲良い人に聞き込むにもそれなりの手回しが必要そうだしなー」



 千夏先輩は私から身体を離し、うーんと一点を見つめながら顎に手を当てている。解決に向けてどうすれば良いのかを考えてくれているようだ。

 人脈の多い千夏先輩なら、渚の周りにいる人からヒントを得るのは難しいことではないのかもしれない。しかし、表情から察するにかなり頭を悩ませているのが分かる。



「そうなんですよ。何も証拠が掴めないし、方法も見つからないしでちょっと荒れてました……」



 監視カメラ、本当に仕掛けちゃう?

 この状況が回復するのであればもう何でもしてしまいたい気分ではある。



「そりゃイライラもするわなぁ。未来が剛速シュート決めて来た時は何事かと思ったけど」


「いつまでこんなこと続けてればいいんですかね……」



 玲華先輩に会いたい。連絡したい。でも私の前に現れるのはいつも渚。もうこんなのこりごりだ。



「ほとぼりが冷めるまででしょ? まぁちょっと現実的なことを言うと、そんな簡単には冷めないと思うよ」


「そんなぁ…」



 薄々そんな気はしていたけれど、千夏先輩に言われてしまったことで落胆する。

 じゃあどうすれば良いのだろうか。作戦を変更しようにも思いつかないし、とうとうもう手詰まり……?

 一度玲華先輩に相談して、今の方針を変えるよう説得すべきなのだろうか。でも代案はないし……焦る。



「なぎっちねー。なんかさ、最初見た時から未来に似てるなーって思ってたんだよね」


「え、私にですか??」



 聞き捨てならない千夏先輩の発言に目を丸くする。



「そう。気悪くしたら申し訳ないんだけどさ、ターゲット決めて執着するところとかそっくり。自分の気持ちよりも目的が先走るタイプ」



 ははっと千夏先輩は笑い声を漏らした。



「うぅ……それ言われたら何も言い返せません」



 私も最初は玲華先輩にそうだった。本当に好きだって気がついたのは途中からだったけれど、それまでは完全にゲーム感覚で行っていたし執着していたことも否めない。

 私が風紀委員に入った理由は玲華先輩。

 渚が風紀委員に入った理由は私。



 よく考えれば似たもの同士じゃん……。最悪だ。渚は私のこと、本当に好きなのかな。



「手に入れたいのに手に入らないからこそ燃えるって思ってそうだよね。だから手に入らないこの状況で、簡単にほとぼりが冷めるわけないよなーって」


「……私もそう思います」



 難易度の高いゲームの方が面白いし、燃える。私がそう思うのだから、渚もそう思っていても何も不思議なことではない。



「まぁ未来はまだかわいい方でさ、なぎっちの行動はさすがに行き過ぎっていうか悪質だよなー。あれはやっちゃだめなことでしょ、良心が完全に麻痺しちゃってるじゃん」



 千夏先輩は真剣な顔になって再び顎に手を当てた。

 これまで千夏先輩の悪ふざけは何度も見てきたけれど、やはり線引きは意識していたようで、こうして見るとすごくまともに見える。



「……やっぱり千夏先輩も渚がやったと思いますか?」


「まぁ200%なぎっちだと思うよ。噂で聞いたけど中学でも結構陰湿なことしてたみたいだしさ」


「そうなんですか……」



 噂だから確信はないけれど、渚がこのようなことをするのが初めてではない、ということが分かった。

 元々そういうことをする子だったということだ。どうすんのこれ。



「とりあえずもうこれ以上悪さしないようにさせなくちゃねー」


「今は私たちで済んでますけど、また他の人にやる可能性もありますもんね」



 二度あることは三度あると言う。私たちだけならまだしも、渚の手によって他の人がまた同じ目に合うのは良いことだとは思わない。

 渚の根本をどうにかして変えられる方法があれば良いのに……。



「うーむ。まぁいずれにしても本人の口からやったことを吐かせないとだ。鎌かけてみようかなー」



 千夏先輩はこめかみのあたりを押さえながら目線を斜め上に向けた。



「鎌……ですか」


「ちょっとシナリオ練る必要がありそう」



 何か千夏先輩に案があるようだ。希望がゼロではないことに少し安堵した気持ちになった。



 その時だった。

 静かな廊下に、足音が響いた。



「ちなーーーーっっつ!!!」



 階段から誰かが降りてきて、ダッダッと足音を響かせながら物凄い勢いでこちらに駆け寄って来た。

 何!? そう思っているのも束の間、その人物は千夏先輩の背後からガバッと抱きついた。



「うおっ」



 突然の衝撃に、千夏先輩は前によろけた。



「遅すぎたから様子見に来たニャン」



 その人物の正体は千夏先輩と仲の良い友達――吉野先輩だった。



「あーごめんごめん、ちょっと話し込んでたニャン」



 千夏先輩はポンポンと吉野先輩の頭を軽く叩いている。

 待ち合わせしてた相手って吉野先輩だったんだ……。千夏先輩のことを待っていたんだろう。話に付き合わせちゃって申し訳ない気持ちになった。



「おっすフューちゃん」



 吉野先輩はひょっこり顔を出してニコッとこちらにピースを送ってきた。

 雪合戦をしてからというもの、吉野先輩とはすっかり顔馴染みで、どこで覚えたのか私のことをフューちゃんと呼ぶ。どうせ千夏先輩が教えたんだろうけれど……。



「お疲れ様です、吉野先輩」


「……え、泣いてる? どったの? なんかあったん?」



 吉野先輩は千夏先輩と私を交互に見た。

 この暗がりでも泣いたことがバレてしまった。吉野先輩にことことを言うわけにもいかないしな……千夏先輩がどう答えるのかを待った。



「かわいいかわいいペットを苦しめる困ったちゃんがいてさー、飼い主としてちょっと一肌脱ごうかなって思ってたとこ」



 千夏先輩はやれやれといった顔をしている。



「チョコちゃんが何かされたの? だからフューちゃんが同情して泣いてんの?」


「違う違う、何かされたのは未来。未来もあたしのペットだからさー」



 相変わらず私は千夏先輩のペットのようだ。当初は複雑な気分だったけど、風化委員を引退して繋がりがなくなってしまった今、千夏先輩にペット扱いされるのは悪い気分ではなかった。



「あ、そういうことね、飼ってたの知らなかった。後輩ペットちゃんのために一肌脱ぐと……手伝おっか?」



 吉野先輩は腕を組むと仁王立ちしている。ガタイが良くて高身長、ベリーショート。それだけですごく頼もしく見える。



「いや、大丈夫。嫌われ役はあたし1人で十分だし」



 嫌われ役……?

 嫌な予感がした。



「何それかっこええやん。惚れてまうやろ」



 吉野先輩は千夏先輩を小突いた。



「いやん。そんなこと誰にでも言ってるんでしょっ? あたしの気を引こうとしたって無駄なんだからっ」


「俺にはお前だけだ……」



 千夏先輩と吉野先輩は何かの役に入ったのか寸劇をしながらふざけている。

 私はそれを笑いながら見ている心の余裕はなかった。先ほどの言葉が引っかかっている。



「あの、何をする気ですか?」



 空気をぶち壊すようで悪いけれど、千夏先輩が何をする気なのか確かめなければならない。

 ひょっとして1人で殴り込むつもりだったりするのだろうか。



「ちょっと今回ばかりはあたしが嫌な奴になって、なぎっちには反省してもらおうと思ってる……未来の悪いようにはしないよ」



 千夏先輩は真顔になって言った。吉野先輩も空気感を察したのか真顔になって沈黙した。



「直接言いに行くんですか?」


「そうだね。色々手はあるけど、それが1番早いって判断した」


「え、でも下手に動かない方が良いって玲華先輩も……!」



 仮にも千夏先輩が動いて、風紀委員内がぎくしゃくしてしまったら玲華先輩との約束を守ることができない。

 千夏先輩は頭が良いし、信じていないわけではないけれど何をするのか分からない属性を持っているので不安なのだ。



「ごめんねー。話聞いた以上はこれほっとくわけにはいかないんだわ。このままじゃ誰も幸せになれないじゃん。引退したし今回はただの玲華の友人として参戦させてもらうよ。玲華が何を恐れてるのかはだいたい分かったし丸く収まるようにするからさー。信じてよ」



 千夏先輩は私の肩を2回叩いた。



「……千夏先輩」



 これはもう止めても無理なやつなんだろうな。

 不安ではあるけれど、その一方でもしかしたら千夏先輩なら本当にうまくやってくれるんじゃないかという期待の入り混じった気持ちになった。



「すまんねー待たせちゃって。行こっか」



 千夏先輩は吉野先輩に目をやった。



「もう話さなくて良いの? 私が邪魔だったら全然離れるし上にいる皆にも言っとくけど」


「あーもう大丈夫。後はあたしでなんとかすりゃ良い話だし」


「あ、引き止めちゃってすいませんでした。待ち合わせしてたみたいなのに……」



 待ち合わせしてたのは吉野先輩だけではないみたいだ。私が話し込んでしまったせいで多くの人を待たせてしまった。申し訳なさで頭を下げた。



「気にしなくて良いよ。むしろ引き止めたのはあたしの方だし。ということで全部あたしのせいだからさ、後で人数分ジュース奢るってことで」


「まじ? さっすがじゃん! フューちゃんありがとう足止めしてくれて」



 吉野先輩は目を輝かせた。



「あの、話聞いてくれてありがとうございました!」


「あんま心配しなさんな。んじゃあそろそろ行くわ。またね、未来」



 いつもの笑顔で微笑まれた。



「またね、フューちゃん!」



 吉野先輩もそう言うと、千夏先輩と肩を並べて階段に向かって歩き始めた。背の高い2人の背中を見送る。



「あ、未来」



 千夏先輩は足を止めて振り返った。



「はい?」


「後でなぎっちの委員会ない日送っといて」



 千夏先輩はそう言い残すと、私の返事を聞かずに手をひらひらさせながら去っていった。



「あっ……」



 行っちゃった……。



 渚の委員会がない日に、仕掛けるつもりなんだ。渚に何て言うつもりなんだろう。

 あの雰囲気。日程は送らないという選択肢はなさそうだ……千夏先輩を信じるしかないのかもしれない。

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