問題児登場!? ③

 玲華先輩と距離を置くことになってしばらくが過ぎた。最初の方こそ頑張れたものの、積まれた重りが消えることはなく、心がどんどん蝕まれていくような感覚になっている。

 最近は素直に笑えなくなってしまった。何をするにも億劫に感じてしまう。



 不安定だ。



 恋愛は楽しいしワクワクするものだと思う。しかしその反面、考えたり悩んだりすることも多くある。例えば今みたいな状況になった時なんかは特にそうだ。

 


 手探りで光の当たらない場所を進むことに対する不安が私の中に渦巻いている。

 このまま距離を置いているうちに玲華先輩が私から離れていってしまわないか、もう元に戻れないんじゃないかと良からぬ想像をしては頭を悩ませている。

 学校、友達、委員会、家事……。私を取り巻く周りの環境は多々あれど、その中でも自分にとって恋愛の占める割合は比較的大きかった。

 この期間を通じて自分と向き合きあって分かった。私は自分で思っているよりも、女々しいのかもしれない。 



「はぁ……」



 ため息が漏れる。体育祭を目前とした今、風紀室にて机に腰かけて資料に目を通しているがまるで頭に入ってこない。



「どうしたんですかぁ? ため息なんかついて。元気ないですね?」



 あなたのせいですよ、と心の中で呟く。



「そうかな? ちょっと疲れてるのかも」



 私が風紀室で作業をしようとすると、渚は当たり前のようについてくる。委員会のある日は放課後になると教室の前で私を待っているのだ。直接作業を邪魔してくる訳ではないけれど、悩みの種の根源が近くにいるのは心晴れやかではいられないし、息つく間もない。

 しかし、渚に対してあからさまにそれを顔や言葉に出すのは良くないことは分かっている。あくまで大人な対応を……。

 到底笑顔になれる心情ではないが、力なく笑った。



「手伝いますよー?」



 向かい合うように座っている渚は身を乗り出して、こちらの顔を覗いている。渚の机には占いの本が置かれていて、それを視界に入れるだけで何故か苛立ちを覚えた。



「大丈夫だよ、資料読んで覚えるだけだから。ありがとね」



 渚を視界に入れるのを拒否するかのように私は再び体育祭の資料に目を通した。



「未来先輩ってもしかして玲華先輩と喧嘩しました? 最近一緒にいるところ見ないですよね」


「うん、喧嘩っていうか色々あって……」



 視線を資料に向けながら答える。



「かわいそうな未来先輩。疲れてるのに癒してもらってないんですねー? なぎならこんな状態の未来先輩ほっとかないのにぃ」


「……」



 私が元気がないのは仕事のせいだとでも思っているのだろうか。呆れたな。そう思いながら渚の方を見ると、薄ら笑いを浮かべていた。

 それは本当に人を心配している表情ではなかった。


 

「もうこのまま別れてなぎにしちゃえば?」



 渚は更に身を乗り出してきたので、持っていた資料を盾にして遮った。



「……今は体育祭のことに集中したいから」



 最近、渚は私と玲華先輩との仲を気にするような発言が多い。

 先ほどの表情といい、それらは渚の犯行を裏付けるようなものだが、まだ決定的な証拠を掴むことができないから歯がゆい。

 どうにかうまく情報を聞き出せないものか……。



 体育祭の資料はさておき、頭の中で作戦を考えるが結局良い案は思いつかなかった。平常ではない精神の中、思考力が低下しているんだろう。



 疲れているというのは嘘ではない。その日は家に帰るとすぐにベッドにダイブして眠りについた。



 ――翌日の昼休み。



「みっちー、バレーやろー?」



 教室の入り口で黄色のネクタイを付けた1年生たちがバレーボールを片手にみっちーを呼んでいた。生徒会の後輩たちだ。


 

「おっけー! ごめん、ちょっとバレーしてくるね」



 みっちーは後輩に誘われて教室を出て行った。



「めっちゃタメ口じゃん……」



 叶恵は信じられないといった表情で唖然としている。



「みっちーは後輩と仲良いよね」



 なんだかんだみっちーは先輩からも後輩からも好かれるし愛されキャラだ。

 愛され生徒会長。非常に微笑ましいことだと思う。



「いくら仲良いにしても生徒会長にタメ口って良いのか?」



 叶恵は椅子の背もたれに体重をかけて訝しげに顔を歪めた。



「いいんじゃない? みっちーらしくて」


「まぁそうかもしれないけど……運動部じゃあれはあり得ないわ。うちの部活も上下関係は緩い方だから先輩呼びはしないけど敬語はさすがに必須だよ」


「確かに叶恵は先輩のこと、さん付けで呼んでるもんね」


「そうそう」


「叶恵もさん付けで呼ばれてんの?」


「そうだよ」


「……叶恵さん」



 叶恵は真顔でこちらを見た。

 目が合って一瞬の間が過ぎる。



「うん。いや、うちらタメじゃん?」


「そうだね……はは」



 口だけで笑った後に、窓の方に目を向ける。

 叶恵も先輩か。クールなのに面倒見が良いところがあるから、それなりに好かれてるんだろうなぁ。



 校舎からみっちー達が出てきたのが見えた。



「みっちーは後輩とうまくやれてていいなぁ」



 つい本音が漏れる。

 きっとみっちーは私が抱えている悩みとは無縁の中にいる。無邪気に笑っている姿が羨ましく見えた。



「未来だって好かれてるじゃん。上手くやれてるように見えるけど」



 叶恵は自分の髪の枝毛を裂きながら言った。

 2年生になってから、後輩に優しくしてあげてと千夏先輩に言われたことをちゃんと守っているし、とっつきやすい風紀委員長としてそれなりに後輩とはうまくやれているのは確かだ。――約1名を除けば。



「好かれ過ぎっていうのもどうなんだろう……」


「渚ちゃん?」


「うん」



 髪をいじっていた手が止まり、叶恵は苦い表情になった。



「あれはちょっとやりすぎだとうちも思うよ。もうストーカーの域じゃん。よくあんなしつこくされて未来は耐えられるよね」



 叶恵はサバサバしてるからベタベタされるのは苦手なんだろうけれど、私を悩ませているのは渚のそういうところではない。

 

 

「別にしつこくされるのは良いんだけど、玲華先輩に嫌がらせしてるかもしれないんだよね」



 とうとう打ち明けた。

 証拠がないから、渚の面子を潰すわけにもいかないと思って2人には言っていなかったけれど、もういいだろう。ここ数日の言動から確信に近いものを感じているし、溜まりにたまった鬱憤を吐き出さないともうやっていけそうにない。



「は? どんな嫌がらせ?」



 叶恵は髪から手をサッと離して目を見開いた。



「未来に近づくな、とか消えろとか書かれた紙が玲華先輩のロッカーに入ってた」


「……それ渚ちゃんがやったの?」



 叶恵は眉をひそめた。



「多分。あからさまに玲華先輩を目の敵にしてたし、最近玲華先輩との仲がどうなってるのかよく聞いてくるし、こんなことするとしたら渚しか考えられないんだよね」


「はぁ!? ふざけてるだろソイツ。うち言いに行くわ」



 叶恵は席を立ちあがった。



「やめて! まだ確定したわけじゃないから……。それに叶恵がいきなり出て行ったらビックリさせちゃう」



 叶恵が一緒になって怒ってくれるのはすごく嬉しいけれど、このまま行かせてしまったら玲華先輩とした約束を守ることができない。

 私も立ち上がって、両手を広げて壁になって遮った。



「まぁ関係ないうちが行ってもそうなるか。でもさ、普通にウザくない? 後輩なんだから少しくらい強気に出たって良いんじゃないの?」


「うん……そうなのかもしれないけど……それは玲華先輩に止められた。まだ証拠がないし、下手に責めて関係が悪くなるのはお互いにとって良くないって」



 陸上部は個人競技だから部内がぎくしゃくしてもまだ救いようがありそうだけれど、風紀委員は基本的にはチームプレイだから……。



「玲華先輩自身は嫌がらせに対して何て言ってんの?」


「私たちが一緒にいると、何されるか分からないからしばらく距離をおこうって……」



 改めて言葉にするとつらい。ため息をついて目を伏せた。



「は? そんなの渚ちゃんの思い通りじゃん。許せないんだけど。なんとかならないの?」



 叶恵はイライラしているのか腕組みをして舌打ちをした。



「なんとかしたい。今は渚がやったっていう証拠集めようと思ってるんだけどなかなか難しくて……ホントどうしたら良いんだろう」


「監視カメラとか仕掛けたら?」


「簡単に言うけど、どっから手に入れるのそれ」



 探偵になった気分になれそうだし、興味はあるけれど現実的な話ではない気がする。



「ネットで売ってるんじゃない?」


「そこまでするのも……。一旦は距離を置いてる状況だし、今もその嫌がらせが続いてるのかも分からないからなぁ」


「問い詰める以外に方法が浮かばないんだけど」



 叶恵はそう言いながら乱暴に腰掛けた。



「さりげなく聞き出せたら一番良いんだけどね……」



 渚は自分がやったなんて絶対言わないんだろうな。それはなんとなく分かる。どうすれば良いんだろう。



「ちょっとうちも何か方法ないか考えてみる」


「うん、ありがと」



 再度ため息をついた。

 やっぱり渚のしてることって普通のことじゃないよね。



 悩ましいことは、玲華先輩と実際に距離を置いてしばらく経つけれど、渚の言動がエスカレートする一方で何も解決の方向に進んでいないということだ。

 いつまでこれに耐え続けなければならないのか。気が狂いそうだ。



 放課後になってすぐに私は地下の資料室に向かった。体育祭関連でやらなければならない作業が少しあったが、風紀室でそれをやる気にはなれなかった。渚に会ってしまうかもしれないからだ。じゃあ教室? 図書室? どちらもお断りだ。渚が現れる可能性のある場所はできるだけ退避したい。



 今日の昼に叶恵に打ち明けてスッキリしたけれど、同調されたので渚に対する嫌悪感と苛立ちがその分跳ね上がってしまった。

 人の気配があると心が乱される。1人で落ち着ける場所は私にはもう資料室しかなかった。

 薄暗い地下の階段を下って、廊下を早足で進む。



 程なくして資料室に辿り着き、入って中を見渡す。よし、誰もいない。ドアを閉めてから息をふぅっと吐いた。



 本当は玲華先輩がここにいたら嬉しかったけれどさすがにいなかった。

 連絡はとらないようにはしているけれど、一目でも見れたら、会えたら良いなってずっと思ってる。どんだけ好きなんだよ。惚れすぎだ。

 距離を置いたことで、失いたくない気持ちが湧き上がってもっと玲華先輩のことを好きになっている気がする。



 ここは玲華先輩との思い出の場所だ。



 私がここに来る時は精神的に平常でない時。自然と資料室に足を運んでいる自分を客観的に見て、相当精神がやられている状態なんだと改めて実感する。

 明日になったらきっと大丈夫になってる。信じよう。こんな状態なのは今だけ。きっと今だけ……。

 


 私はバッグからプリントと筆記用具を取り出して台に広げた。



 ――集中。

 手を動かしていった。



 作業が終わったのはその数十分後だった。

 書き込んだプリントをファイルに挟み、バッグに押し込んでチャックを乱暴に閉めた。

 比較的集中はできたけれど、心の靄を忘れられたのはこの一瞬で、また押し寄せてくるイライラに身体が支配される。



 今日も帰ったら早く寝よう。

 現実に向き合う気になれない。



 資料室のドアを開けると、目の前に空のペットボトルが捨てられていた。誰だよこんなところに捨てた奴。私は怒りに任せてペットボトルを蹴り付けた。

 蹴り飛ばされたペットボトルは真っ直ぐに飛んで行き、何度かバウンドした後にコロコロと回転しながら床を進んでいった。

 そのままペットボトルの行く末を乾いた目で見ているとコンッと音がして誰かの足で止められたのが分かった。……誰かいる。まずい! 息を飲む。風紀委員長がペットボトルを蹴り付けていたなんて知られたらマイナスイメージでしかない。暗がりから顔はハッキリとは見えないがシルエットから生徒であることは確かだ。



 生徒はペットボトルを拾うと、近くにあったゴミ箱にそれを捨て、ゆっくりとこちらに向かって歩いてきた。……逃げるか。でもここで逃げたらさすがに不自然だしすぐバレそう。とりあえずこのことは素直に謝っておこうか。拳を握り込む。



「ぷんぷんしちゃってどうしたよー?」



 暗がりから現れたのはドラムのスティックケースを肩にかけた人物――千夏先輩だった。

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