問題児登場!? ②

「未来、申し訳ないけれどしばらくは会う時間が取れそうにないの」



 学院のカフェテラス。春と夏の中間とも言えるような、風は涼しいのに暖かな陽光がささやくように照る中、水筒に入ったお茶を1口飲むと玲華先輩はそんなことを突然言ってきた。

 その言葉に私の心臓は速まり、暖かな日差しとは対照的に心が風に吹かれて凍りついた。



 やっぱり私は玲華先輩に避けられている。それが確信に変わり、胸の奥を何かに鷲掴みされているような息苦しさを覚えた。

 

 

「玲華先輩……私何かしましたか? あの、本当に私に悪いところがあったら直しますから! だから教えてください!」



 心臓が張り裂けそうな思いで早口に言葉を発する。嫌われるようなことをした覚えはないけれど、もしかしたら知らぬ間に傷つけていたりするかもしれない。

 朝一緒に登校できなくなったと連絡が入ったかと思ったら、今日は会う時間も作れないと言われてしまった。大事なものが失われつつ、去りつつある現状に私は気が気ではなかった。

 


「……あなたは何も。私の問題よ」



 玲華先輩は落ち着いたトーンで静かに言い放った。



「それじゃあ分かりません! ……もしかして渚のことが関係したりしてますか?」



 もし本当に私に問題がないとしたら考えられる原因は渚しかない。

 やはりあの時、露骨に避けたのが悪かったのか。もしくは渚が玲華先輩に直接何かをしたのか……。あの子がそんなことをするなんて考えたくはなかったけれど可能性が0とも限らない。

 それか、とうとう私自身が日々の行いで愛想をつかされ、こうしてうまく丸め込まれようとしているだけなのか……頭の中で様々な可能性を巡らせる。

 不快感の募る重い呼吸に耐えながら口の中は乾燥でカラカラになっていった。



「……はぁ。未来、私は決してあなたのことを嫌ったりなんてしていない。これだけは覚えていて欲しい」



 ため息をつくと、玲華先輩の灰色の目が真っ直ぐこちらに向けられた。嘘をついている顔ではない。その表情と言葉に、懸念が1つ取り除かれて少し安堵するが、話を逸らされてしまった。

 渚のことで何か隠されている。私の直感はそう告げている。

 


「渚と何かあったんですか。教えてくれませんか……」


「……あなたが気にするようなことは何もないわ」



 再び質問とは違う答えが返ってきた。やっぱり何か隠してる。もどかしさに唇を噛んだ。



「気にしますよ。じゃあどうして会えないなんて言うんですか。私のこと嫌いになったわけではないんでしょう? ……他に何か理由があるんですか」


「それは……」



 玲華先輩は目を伏せた。



「教えてくれませんか、玲華先輩が何を考えてるのか……。じゃないと納得できません……」



 会えない理由をまだ明確にできていない。適当な理由で引き下がるほど、私は都合良くはできていない。玲華先輩のことがすごく好きだから尚更だ。

 控えめにテーブルに置かれている玲華先輩の手を握った。この手を離したくない。祈るような思いでじっと視線を送った。

 

 

「はぁ……分かったわ。これを」

 

 

 しばらくの沈黙の後、観念したのか玲華先輩はバッグから透明のクリアファイルを取り出した。中には、黒字でプリントアウトされた紙が何枚か入っていた。

 その中の数枚かを取って玲華先輩はテーブルの上に並べた。



『未来さんに近づくな。連絡するな』

『さっさと別れろ』

『消えろ』

『これ以上近づいたら未来さんを痛めつける』

 ・・・



「――! なにこれ……ひどい」



 並べられた紙を見て驚きを禁じえない。どう見ても脅迫文だ。こんなこと実際にする人が本当にいるなんて……。

 脅迫のトリガーとして自分の名前が書かれている。目の前の光景が信じられず息を呑んだ。

 


「個人ロッカーに入っていたわ……。今朝も1枚。おそらく三栗さんでしょうね」



 玲華先輩は淡々と無表情で言った。



「なんでこんなこと……信じられない」


「私が見るに、三栗さんのあなたに対する執着は入った頃から異常だったわ。こうなることはある程度は覚悟していた部分はある」


「……ありえません」

 


 プリントアウトされた文字のため、字体からは本人なのかは特定できないが、こんなことをするような人は私も渚しか思い当たらない。邪魔な障壁は排除するといった渚の言葉が脳裏で再生される。玲華先輩がどこかそっけなくなったのもあの日以降だった。

 本当にこういうことをしちゃう子だったんだ。初めてできた後輩。どこか私は渚のことを信じていた。いや、信じたかった。でもいざ起きていることを目の前にすると絶句してしまう。

 もうあの子と一緒に仕事をしていく自信がない。無理だ……。拒絶反応で手が震え、気持ち悪さが込み上げる。



「生徒に嫌われることには慣れているわ。別に私は大丈夫よ」



 玲華先輩は落ち着き払っていた。玲華先輩は現役の時から人気だったけれど、風紀委員を疎ましく思う人も一定数はいる。しかし、いくら嫌われ慣れてるとはいえ、こんなことされて平常を保っていられるなんておかしい。

 きっと強がってるだけだ。

 

 

「どうして言ってくれなかったんですか?」



 意地を張って相談できなかったんだろう。こんなことに遠慮なんてして欲しくなかった。何も理由を言われないまま避けられた方がよっぽどつらいってことを分かって欲しいのに。

 


「あなたは最近疲れた顔をしていたわ」


「……え?」



 予想だにしない言葉。

 手の爪先で頬を撫でられた。



「私も去年のこの時期は肩が凝ったわ、あなたと同じように。立場も変わって、やらなければならないことが増えて大変でしょう」


「……はい」



 確かにここ最近は忙しかった。周りの助けがあってなんとかやれてきたけれど、玲華先輩は去年はこれをほぼ1人でやってきたから私の気持ちは痛いほど分かるんだろう。



 でもどうして今そんなことを言うのか。そう疑問に思ったのも束の間、答えは玲華先輩がこの直後に発した言葉で明らかになった。



「そんなあなたに、こんな無粋なものを見せて困惑させたくなかった。これ以上肩の荷を増やしたくなかったのよ」



 そう言うと、やや斜め下の方に視線を落としながら玲華先輩はゆっくりと手をおろした。



「玲華先輩……」



 想像とは違った回答だった。

 こんな時まで私のこと……。



 どことなく悲しそうな表情。私の彼女にこんな思いをさせているのは渚のせい。そう思うと、気持ち悪さに似た不快感は怒りへと変わっていった。



「ちょっと許せません。こればかりはガツンと言わなきゃ」



 玲華先輩にこんな思いをさせるなんて。今すぐにでも捕まえて言い聞かせなきゃ。今日の放課後の見回りは渚が担当だった。この時間ならもしかしたら風紀室、教室、または図書室にいるかもしれない。

 ガガッと椅子が押されて床と擦れる音が響く。立ち上がって校舎の方に身体を向けると手を掴まれた。



「……!?」



 振り返る。

 玲華先輩は首を横に振ると私を諭すようにして言った。



「証拠がそもそもないわ。これで不躾に決めつけて相手を責めるのが良い方法だとは思わない。風紀委員として、これからあなた達はチームメイトとしてやっていかなければならない。1年は思ったよりも長いものよ。ここで揉め事を起こすのは未来にとっても、そして三栗さんにとっても良いことではないわ」


「でも――!」



 ほぼ渚の犯行であることは間違いない。こんなに好き勝手やられてるのに放置しろというのか。そんなの嫌だ。

 玲華先輩の手を振りほどこうとしたが強く掴まれた。

 


「未来。気持ちは分かる。でも落ち着いて。私は大丈夫だと言っているの。彼女は私を傷つけることが本当の目的ではないはずよ。あなたに近づくために私が邪魔なだけ。こちらが大人しくしていれば誰も傷つかずに済むわ」


「……」



 まっすぐに向けられた眼差し。手を引かれるままゆっくりと座席に腰かけた。悔しい。何もできないなんて。

 玲華先輩は悔しくないのだろうか……?

 俯いてテーブルの木目をじっと見た。



 先ほどの会話がぐるぐると脳内を巡回している。

 確かに私が仮に渚に詰め寄ったところで、何のことですか? と白を切られてしまったら元も子もないかもしれない。そして、それ以降の渚との関係は絶対に良い方向には向かわないだろうということは分かる。

 これはチーム。私たちは柵で囲われている限りは、1年は共存しなければならない。今後のことを考えると証拠がない今は下手に動かない方が良いというのは一理あるのかもしれない。

 でもこんなのって……。このままじゃ無力なままだ。



「証拠があれば良いんですか」



 木目を見ながら、かすれた声で問う。



「そうね。断言できないからこちらも動けないだけ。犯行が公になれば彼女は風紀委員を下されるだけでは済まないでしょう。でも、まだあなたたちは風紀委員でありチームメイトでもある。彼女を咎めるのは今ではない、というだけのことよ」


「……」



 テーブルに並べられた紙に目を移す。

 玲華先輩はゆっくりと1枚の紙に手を伸ばした。



『これ以上近づいたら未来さんを痛めつける』




 そう書かれている紙の上で手が止まった。



「この手紙にも書いてある内容……。未来を痛めつけると書いてあるわね。私はあなたが傷つけられることが1番嫌。こんなことをしてくる人よ。本当に何をするのか分からないでしょう。傷つけられてからでは遅いこともある。だから、ほとぼりが冷めるまでは私たちは一緒にいるべきではないわ」



 玲華先輩は視線を逸らして窓の方を見た。まつ毛が小刻みに揺れている。

 渚は直接私のことを傷つけるなんてできないと思う。ここに書かれているのは私たちを遠ざけるためのただの脅しだろう。でも、玲華先輩の言う通り、本当に手を下す可能性が0ではないことは否めない。



 一緒にいるべきではないなんて、本当はこんなこと言いたくないんだろう。その気持ちが分かるから余計に胸が痛い。怒りを収めるようにゆっくりとその場で深呼吸を繰り返した。



「……玲華先輩は優しいですよね。こんなことされたら、普通は渚のことを恨みますよ。でも自分のことは置いておいて、私と渚の関係の心配をするなんて」



 落ち着いた心になって見えてくるもの。本当は玲華先輩が1番の被害者じゃないか。そんな玲華先輩が落ち着いて対応しているのに、私は怒りに任せて癇癪を起していた。取り乱していた。なんだか自分がすごく子供っぽく見えた。

 思えば玲華先輩はいつも落ち着いて物事に対応していた。去年、私が体育倉庫で暴行を受けた時も――風紀委員長としての措置を先輩相手に怖気付かずに行った。

 これが経験の差、なのかな。私ってまだまだだ。



「未来、あなたのことが大事だから。だからこそ……分かって。あくまで三栗さんには風紀委員長として大人な対応を心がける、それが今のあなたにできる最善な行動よ」



 真剣な表情。もう頷くしなかなった。



「……分かりました」



 私たちは固く手を握り合った。



 解散してからいつもの道を通って家を目指す。足取りは決して軽くはない。



 改めて思うこと――

 甘えてきたり、かわいい姿をたくさん見てきたからたまに忘れてしまいそうになるけれど、玲華先輩は私が思っているよりもずっとずっと先輩だった。

 風紀委員長になってから、物事の判断基準が分からずに玲華先輩に助言を求めることが多々あるけれど、どれも論理的で的を得ていて頭が上がらなかった。

 今回だってそうだ。



 本当は渚になんとか言ってやりたいし、玲華先輩と距離を置きたくなんかない。全部渚の思い通りに事が進んでいると思うと悔しくて仕方ない。

 玲華先輩もそれは一緒のはずなのに、大人だった。自分のことよりも、私たちのことを考えた上でこうして結論を出したんだ。だから私はそれに従うしかない。それが玲華先輩のためにもなるのであれば。



 しかしながら、正直不安じゃないと言ったら嘘になる。

 好き同士なのに自由に会ったりすることが制御されてしまうこの状況。しかもたった1人の人間のために。

 いつまで距離を置くのかも分からない。先が見えない不安がのしかかる。玲華先輩に嫌われていないということが分かり、少し気は晴れたけれどずっと身近にいた存在がいなくなってしまうのは心細さしかない。そう感じてしまうのは私が未熟だから、子供だからなのだろうか。



 右手のリストバンドに左手で触れた。今までが上手くいきすぎていたんだ。何も問題なく、熱はずっと冷めないままここまで来た。

 その付けが今、回ってきたのかもしれない。



 奥歯を噛む。

 我慢しなくちゃ、大人にならなきゃ。



 これが私にできる最善の行動。

 玲華先輩のその言葉をただ信じるしかなかった。

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