夏休み充実大作戦 ①

 今年も夏休みがやってきた。



 エアコンの利いた室内、ストローに口をつけてアイスティーをごくっと飲み込んだ。コップの表面には結露した水滴が汗を流している。

 テーブルを挟んだ前には玲華先輩が座っていて、氷の入ったカフェオレをストローでかき混ぜている。氷と氷のぶつかる音が静かに響き、店内にかかるジャズ調のBGMに溶け込んでいた。

 ここは玲華先輩の最寄り駅の近くにあるカフェ。普段の集合場所は学校の最寄駅であることが多いのだが、いつも来てばっかりも申し訳ないので今日は私が電車を走らせた。



 3年生、玲華先輩はやるなら上を目指したいとのことで、我が校の指定校推薦の制度は使わずに実力勝負で挑むんだとか。受験のことはよく分からないけれど、夏休みは受験生にとっては「天王山」と言われているようで、玲華先輩は相変わらずのタフさとすさまじい集中力で勉強に打ち込んでいる。

 塾には行かず、今日も最寄りの図書館で勉強。椅子の横に置かれている手提げ袋には参考書がたくさん入っていていかにも重そうだ。

 そんな玲華先輩の姿を見ていると、ちょっかいを出したくても少し躊躇してしまう部分があるというものだ。せっかくの夏休みだし遊びたい気持ちは山々なんだけれど……旅行にでも一緒に行きたい気分ではあるが玲華先輩を見ているととても誘える雰囲気じゃない。

 私も自分の将来のことをそろそろ考えるべきなんだろうか。ストローを舌でそっとなぞった。



「玲華先輩は去年の夏休み何してました?」



 私の夏休みは委員会もないので去年と同様、暇である。

 去年の夏休みは、みっちーや叶恵たちと遊んだり、千夏先輩のライブを玲華先輩と一緒に行ったりなどしたけれど、毎日のほとんどはゲーム漬けだったことを思い出す。



「ランニング、勉強、読書。充実していたわ」



 玲華先輩はかき混ぜられているカフェオレの表面を見ながら言った。



「そっかぁ」



 なるほど。運動に勉強に趣味、か。私はランニングも読書もしたくないや。勉強なんてもっての他だ。

 普段、委員長として多忙な日々だけれど、こうして一気に何もなくなると最初こそ暇のありがたみが分かるものの、それがずっと続くとつらいということは去年身をもって体感した。

 千夏先輩のドラムみたいに夢中になれる趣味の1つでもあれば良いんだけど。



「暇だかられいぴーに似たキャラのいる恋愛ゲームでもしようかな」



 ストローを噛みながらいたずらな表情を浮かべて言うと、玲華先輩の手の動きが止まった。



「どうしてそういうことを言うの?」



 少し眉間が狭まった。

 怒ってる怒ってる。かわいい。



「だって構ってくれないんだもーん」


「聞き捨てならないわね。いつ私があなたへの対応をおろそかにしたというの」


「だって忙しそうじゃないですかー。私も玲華先輩の邪魔はしたくないしー? ゲームだったら気兼ねなくできるかなーって」


「……」



 玲華先輩は不機嫌そうな表情になってそのままムっと黙ってしまった。



「画面の中の玲華先輩を攻略するのも悪くないかなって」



 去年私は女性キャラクターを攻略するギャルゲームというものに手を出した。それは玲華先輩に似たキャラが攻略対象にいたからだ。

 歴史は繰り返す。そして今年も……と言いたいところだが、こうして玲華先輩に言っていることは冗談半分だったりする。少しいじわるをしてからかいたくなっただけだ。せっかくの夏休みなのにあまり遊べないことへの不満を後輩らしくいじけて演出してみた。



 学年が変わって、後輩と接する機会が増えたから私は普段は先輩として、風紀委員長として頑張っているけれど玲華先輩の前では唯一後輩でいられる。そんな時間が結構好きだったりする。



「ふざけないで。あなたのしようとしていることは浮気よ」



 ニヤけそうになるところを堪えた。玲華先輩の反応は私の期待を裏切らない。



「玲華先輩だって勉強に浮気してるじゃないですかー」



 そう言った途端、玲華先輩は身を乗り出して私の両頬を片手でむぎょっと挟んだ。



「うぅ……なんでふか」


「……ここが公共の場でなかったらあなたの口をふさいで黙らせているところだったわ」



 玲華先輩の表情は固いものだったけれど、私は思わず笑顔になった。



「どうやって口ふさいでくれるんですかー?」



 私の質問にたじろいだのか、玲華先輩の手の力が少し緩んだのが分かった。



「……うるさい」


「えぇ、教えてくださいよー」



 こちらも前屈みになって玲華先輩の顔を覗き込むと、目を逸らされてしまったが、すぐに何かを思い出したかのような表情になると再び視線がこちらに向けられた。



「未来、宿題は終わっているの?」



 形勢逆転。

 「宿題」という言葉にテンションは一気に下がり、顔から笑顔は一瞬にしてなくなった。



「あ……まぁそれはなんとか……します」



 優勢を勝ち取った玲華先輩は姿勢をもとに戻してカフェオレを一口飲んで、こちらを見た。



「去年のようなことが起こったら推薦した私たちが責任をとることになるわ。ゲームをしている暇があるならまずは宿題を終わらせて」


「はぁーい」



 これは夏休み前にあらかじめ聞かされたことだけれど、今年も宿題を提出できなかった生徒への罰掃除が実施される。

 宿題を提出しなかった生徒が掃除をきちんとしたかを管理するのは生徒会と風紀委員の2トップの仕事である。風紀委員長である私が宿題を忘れるなんてことがあったら大問題になる。気が重いけれど、宿題については早めに対応しなければならない……。



 まだ夏休みは始まったばかりだ。何も焦ることはない。帰ったらとりあえず宿題、進めておこう。

 玲華先輩も勉強頑張ってるんだし私もこれくらいはしっかりやっとかないとだ。



――――――――――――



 帰り道。日も沈み、仕事帰りのサラリーマンの姿がちらほらと伺える。街灯に照らされた道を歩いて駅を目指していると、玲華先輩が急に立ち止まったので繋いでいた手が瞬時に解かれた。



「ん? どうしたんですか? あ……」



 玲華先輩の視線の先――駅の入り口の方から歩いてきたスーツ姿の茶髪、長身、眼鏡で色白の男性。なんとそれは玲華先輩のお兄さんだった。仕事帰りだろうか。

 見るのは文化祭以来だけど相変わらずオーラがすごくてビクッと身体に力が入った。

 玲華先輩のお兄さんはこちらに気が付くとキラキラ光る笑顔を向けながら歩いてきた。



「今帰り?」


「そうよ」



 玲華先輩はお兄さんからの問いに少し不愛想気味に返事をした。



「未来さん、こんばんは」


「こ、こんばんは! お久しぶりです」



 名前を呼ばれ、今度は視線がこちらに向けられた。整いすぎている顔立ちに玲華先輩と同じ目。声が裏返りそうになるところを何とか抑えた。

 あの時と違って今は玲華先輩と付き合っているから少し緊張する。あいさつ、しっかりしておかなくちゃ。



「まさかここで会えるなんて。偶然ですね」


「そうですね……! 驚きました」



 玲華先輩の最寄り駅だし、偶然会う可能性も無きにしも非ずだけれど驚いた。



「また会えて嬉しいです。いつも玲華に未来さんをうちに連れてきて欲しいって言ってるんですけどね。恥ずかしいのか話題を逸らされてしまうことが多くて……」


「……そうなんですか?」


「別にっ……そういうわけでは……」



 玲華先輩の方を見ると、そっぽを向かれてしまった。若干顔が赤くなっている。

 前にも、お兄さんが私に会いたがってるみたいなことを聞いた気がするけれど、玲華先輩が話題を逸らしてたのは初耳だ。



「はは。そういえばちゃんと自己紹介できていませんでしたよね。改めまして羽山時臣ときおみです。よろしくお願いします」



 腰にきそうな低音ボイスが響く。

 さすがに名前は官兵衛じゃなかったか……。でも素敵な名前だ。

 律儀にこんな女子高生に丁寧に挨拶してくれるなんて品があるというか、とても好印象だ。



「清水未来です、改めましてよろしくお願いします。あの……なんてお呼びすれば……時臣さんで良いでしょうか」


「はい、好きなように呼んでください」


「じゃあ時臣さんで……」



 若干照れ臭い気分になる。

 玲華先輩のお兄さんを名前で呼べる日が来るなんて。



「もういいわね、行くわよ未来」


「え」



 玲華先輩に腕を引かれた。


 

「待ってよ」



 そんな玲華先輩の手を時臣さんが掴んだので私たち3人はその場で静止した。

 時臣さんの視線はこちらに向かれたままだ。



「未来さん、今度3人で食事でもどうですか? 平日は仕事があるので土日あたり是非うちにご飯でも食べに来てください」


「良いんですか……? はい、ぜひ!」



 少なくとも時臣さんからは悪く思われてはなさそうで安心だ。玲華先輩のご家族とはぜひ仲良くしておきたいと私も思うし良い機会だ。若干緊張するけれど。



「妹の彼女なら大歓迎です。ということだから玲華、日程調整お願いね」



 時臣さんのさわやかな笑顔と白い歯が光った。

 玲華先輩は返答はせずに私の腕を引いて歩きだしたので、一礼してその場を後にした。



「……」


「……」



 無言で手を引かれるまま駅の改札を目指す。



「私を紹介するの、恥ずかしかったんですか?」



 改札の前まで来たので立ち止まって尋ねた。

 明らかにお兄さんの前で様子が変だった。あんなところでも恥ずかしがりを発揮しちゃうなんてさ。



「……例えばあなたの父親が私に会いたいと言ったらどう思う?」



 灰色の目がこちらに向けられた。



「うーん。私は全然良いですけどね。自慢の彼女ですし。何も恥ずかしくないです」



 そのうちパパにも紹介できたら良いなと思っている部分はあるし。

 美人で何でもできてタフで……でも優しくて良い匂いがしてかわいい。とにかくかわいい。私にはもったいないくらいだ。



「……。未来、勘違いしないで。私はあなたが恋人だということを恥じたことは一度もないわ」



 それは分かっている。

 私の言い方が誤解を生んでしまったんだろうけど、そう言ってくれて嬉しい。



「ふふーん、じゃあ何が恥ずかしかったんですか?」



 玲華先輩が恥ずかしいと思っているのは、きっと「恋人を前にした自分を兄に見られること」と、「兄を前にした自分を私に見られること」なんだろうなとなんとなく思う。



「……」



 玲華先輩は顔を赤くして俯いてしまった。



「私も玲華先輩のお兄さんに改めてご挨拶したいと思ってました。将来一緒に暮らすかもしれないんだし……。彼女の家族は大事にしたいなって。やっぱり気早いですか?」



 玲華先輩が目指す大学はここからそう離れていない。順調にいけば一緒に暮らす日もそんなに遠くはならないだろうと思う。早く来て欲しいな、そんな日が。

 もちろん同棲をするならご家族の許可をとらないとだし挨拶くらいはしておかないといけない気はする。だからこのタイミングで時臣さんに会えて良かったかも。時臣さんは自分が玲華先輩の親みたいなものだなんて言っていたわけだし。



 なんて考えていると不意打ちで抱きしめられた。



「あっ」



 苦しいくらいの抱擁にハッと息を吸い込んだ。



「未来、好き……」



 耳元で聞こえてくる玲華先輩のささやきに心臓がトクンと脈うった。ちょっとこれは……クる。



「どうしたんですか、急に」



 玲華先輩の背中に軽く手を置いた。

 さっきの言葉、結構効いたのかな。



「……こんなことに躊躇している場合ではなかったわ。あなたは真剣に考えてくれているというのに」



 3人で食事する件、前向きに考えてくれるんだ! 嬉しい。



「ふふ、日程調整お願いしますね」



 私はそう言って玲華先輩の肩に自分の頭をコツンと置いた。



「……分かった」



 しばらく頭をなでられた後、ゆっくりと手を離してこちらを見つめてきたので、満面の笑顔を返した。



「そろそろ行きますね。楽しかったです。じゃあまた!」



 本当はこのままくっついていたいし名残惜しいけれど、玲華先輩はこの後も勉強をするようなのでここまでだ。



「待って未来」



 改札に入ろうとしたところで引き止められた。



「何でしょう?」


「絶対に恋愛ゲームはしないで」



 まっすぐな眼差しで玲華先輩は言った。これは本気の顔だ。



「……分かりました」



 恋愛ゲーム禁止令が発動されてしまった。



 2年生の夏。

 充実した夏休みにするのもしないのも私次第だ。さぁ、どう過ごそうか。



 とりあえず帰ったら宿題しよう……。

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