問題児登場!? ⑥ fin.

「大丈夫ですって。今日は誰も来ないと思うから」



 ――あれから2日後の放課後。

 玲華先輩の手を引いて見慣れたドアの前に立った。



「未来、ここは私のような部外者が容易に入って良い場所では……」


「いいからいいから。風紀委員長の私が良いって言ってるんですから」



 ドアを開けて、背中をそっと押す。

 私に促されるまま、玲華先輩はしぶしぶ徐に歩みを進めた。



「……」



 中に入って私はカーテンを開き、外の光を取り入れた。



「どうですか? 久しぶりの風紀室は」


「まだ引退して間もないのに、ずいぶんと懐かしい気がする」



 棚に並べられている本に手をかけると玲華先輩は呟いた。

 またこの部屋で玲華先輩の姿を見られることがどうしようもなく嬉しくて、つい顔がほころんでしまう。



「玲華先輩はよくここに座って作業してましたよね。今は私がここに座ってます」



 私は少し高めの椅子に腰かけた。

 風紀委員長の席というものはないけれど、玲華先輩がよく座っていた席に私も座るようになった。

 特に理由はない。なんとなくだ。ここに座れば玲華先輩みたいにちょっとできる女になったような気になる。実際は全然そんなことはないのだけれど……。もっと頑張らなくちゃな。



 なんて思いながら玲華先輩の方を見ると、さっきまでいた場所に姿はなかった。

 あれ、どこ行った? と思うや否や、後ろから腕が伸びてきて抱きしめられた。ふわっと香る良い匂いに鼻腔が満たされていく。



 回された腕に自分の手を添えて、玲華先輩の体温に直に触れた。あぁ、戻ってきてくれたんだ。体温が神経を伝って、また元に戻れたという実感に変わった頃、熱い何かがこみ上げて来そうになった。



「どうしたの? 甘えたくなっちゃった?」



 自分でもびっくりするくらい優しい声が出た。



「……」



 返答はない。



「れいぴー?」


「……しばらくこうさせて」


「はい、いくらでも」

 


 私もしばらくこうしていたい。胸いっぱいに空気を吸い込んだ。先輩の匂い。安心する。



「距離を置くというのは苦渋の選択だったわ」



 玲華先輩が口を開いたのはしばらく経ってからだった。



「本当は不安だった……。あなたがこのまま三栗さんの元へ行ってしまうんじゃないかと思うと」



 耳元、消え入るような声でそう言われた。はぁっと声にならない吐息を漏らすと、玲華先輩は腕にさらに力を込めた。

 私もぎゅっと細い腕に自分の手を絡めた。



「行くわけないじゃないですか……。私も不安でしたよ。玲華先輩がこのまま私から離れていっちゃうんじゃないかって。……私たち同じ気持ちだったんですね」


「ごめんなさい。自分が傷つくこと以上にあなたが傷つけられることの方が嫌だった……。しょうがなかったのよ」



 分かってる。よく考えた上での判断だったってことは。



「玲華先輩は私のためを思ってそうした……。きっと私にはできない決断でした。そういうところ、なんか改めて先輩だなって……。本当に尊敬してますし、好きです」



 玲華先輩だって距離を置くのは嫌だったし、不安だった。でも、自分のことよりも私のことを考えてくれた。そういうところも含めて本当に好き。

 愛おしさで胸がいっぱいになってしまう。



「もっと言って」


「え?」


「もっと好きと言って」



 その言葉にきゅっと胸が締め付けられた。仕事は凄くできるしかっこいいのに、こういう時だけ……いちいちかわいいなぁもう。



「……好きですよ、玲華さん」



 なんとなく先輩呼びは避けて呼んでみた。



「っ……」



 ピクッと回された腕に力が入ったのが分かった。

 首を横に向けて玲華先輩の顔を見ると、真っ赤になって目を伏せていた。

 自分から言えって言ってきたくせに、なんでいざ声に出すと意表を突かれたような表情になって顔を真っ赤にさせてるんだろう。さん付けで呼んだからかな? 本当かわいい。



「はぁ……今回ばかりは千夏には感謝しなければならないわね」



 玲華先輩は腕を緩めて背筋を伸ばすと、窓の方に目を向けた。



「そうですね、本当に」



 私も椅子ごと身体を斜めにずらして、窓に目を向けた。快晴の空に鳥が2羽飛んでいる。



 千夏先輩がいなかったら今頃私はこうして玲華先輩と話せていないだろう。

 自由気ままな人だけど、いつも私が落ち込んでいるとどこからとなく現れては助けてくれるのが千夏先輩だ。

 今何してるんだろうか。同じ空の下、きっとどこかでドラムを叩いてるんだろうな。



「千夏が言ってたわ。自分は風紀委員を引退した身だし、もう飴と鞭の飴担当でもない。第三者である自分が怖い先輩になって1人嫌われれば済む話だと」



 風紀委員である私。被害者である玲華先輩。千夏先輩は風紀委員でもないし、被害者でもない。あくまで被害者の友人という第三者の立場を利用して1人で踏み切った。



 私や玲華先輩が近くにいない方が良いと千夏先輩は言っていたけれど、そういうことか。

 後になって聞いた時に「後輩相手に先輩が複数人でいったらかわいそうじゃん」などと言っていたけれど、それだけではなかった。私たちを嫌われ役にさせないようにする為だったんだ。

 こうして玲華先輩の言葉を聞くと色々考えていたんだなと改めて思った。やっぱ千夏先輩には敵わない……。



「……結果的に好かれちゃったみたいですけどね、ははは」



 嫌われる見込みだったみたいだけど、むしろ逆だった。これは良い誤算だと思っておこう。



「千夏は三栗さんになんて言っていたの? 千夏に聞いても、ちょっと怒ったとしか教えてくれなかったわ」



 電話では用件しか伝えていなかったから、まだ玲華先輩は詳細の内容までは把握はしていない。ここで改めて話しておいても良いかもしれない。



「えっと……。一言ではまとめきれないというか……さっきも話に出てましたけど、飴と鞭でいうと完全に鞭でした。とにかく玲華先輩のこと傷つけるなってことを前面に出してて、絆の固さを実感したというか……なんか良いものを見せてもらったというか……すいません、こんなんで伝わりますか?」



 千夏先輩、かっこ良かったな。怒ったとしか言わなかったのは千夏先輩なりの照れ隠しだったりして。



「……風紀委員に入った当初、私と違って何でも飲み込んですぐにできてしまう千夏のことを良く思ってない時期もあった。でも今は千夏が副委員長で良かったと思う。私にできないことを彼女はしてくれた。何度も助けられたわ。そして今回も」



 玲華先輩は懐かしむような、少し優しげな目になっている。



「なんだかんだ良いコンビでしたよね」



 努力型の玲華先輩と、天真爛漫型の千夏先輩。

 いつも玲華先輩をいじってる千夏先輩のイメージが強いけれど、支え合うところは支え合っていた。

 風紀委員を引退した今でもそれが残っていて微笑ましいというかなんというか……。

 私と洋子もそんな風になっていけたらな。……なんて思うけれど今のところゲームトークがメインになっている。大丈夫なのかな、私たち。



「あの三栗さんがよく自分がやったと認めたわね。証拠があったわけではなかったのでしょう?」


「あ、そうそう。鎌かけから始まって探偵みたいに証拠を拾って渚が犯人だって導いたんですよ! 凄かったなぁ。なんかいつもと雰囲気も違って驚いたというかドキっとしたというか……とにかくすごくかっこ良かったです」



 冷静に落ち着いて言葉を選んでいたし、あの会話の持っていき方は私じゃ無理だった。



「……そう」


「あとは――」


「千夏の話はそれくらいで良いわ」



 玲華先輩は私の話を遮った。



「へ?」


「もうそれ以上言わないで」


「玲華先輩が聞いてきたんでしょう?」



 意味が分からない!

 玲華先輩の方をキッと睨んだ。



「私は何を言ったのか聞いただけであなたの感想は求めてない」



 玲華先輩の口調は淡々としているが、頬がうっすら染まっている。

 かっこいいとか言っちゃったから……ひょっとして妬いてる?

 でもそれを言ったら自分だってそうじゃないか。



「む。自分だって千夏先輩のこと褒めてたじゃないですか」


「私は良いの」


「なんでれいぴーだけ良いの!?」


「……」


「……」



 お互い睨み合った。

 なんかこの会話の流れ、懐かしい気がする。どっかでしたことあったっけ。



「……本当やきもち焼きさんだなぁ」



 こういうので妬いてくれるのも実は嬉しかったりするんだけどね。距離を置いていたこともあって、余計に嬉しさは倍増だ。戻ってきた日常にハハッと笑い声が出た。



 もう何もかも解決だと思って良いだろうか。

 後、気になることと言えば――



「そういえば渚、謝りに来ましたか?」



 千夏先輩、謝るなら渚にって言ってたけど結局謝ったのかな。



「ええ、今朝」



 本当に謝ったんだ。良かった。胸をなでおろした。



「そっか……許しました?」


「千夏が鞭であれば私は飴にならなければいけないでしょう。水に流したわ」



 玲華先輩は浅くため息をついた。その表情は清々しく、大人びているように見えた。



「やっぱりれいぴーは優しいや」



 玲華先輩は表面上は鞭だったけど中身は元々は飴だもん。本当はすごく優しいお姉さんだ。



「過ちは誰しも犯すものよ。勇気を出して謝りにきてくれた。だから私も勇気を出して許した。それまでのこと」


「そっか……そうして自分のことも許しましたし、私の過去の過ちも許してくれましたもんね」


「あなたも父親を許したでしょう」


「……そうですね」



 そういえばそうだった……。もう遠い昔のことのように感じる。



「許すということは簡単なことではないけれど、いつまでも負の感情に囚われていても前には進めないから」



 渚のことを許せないと私は思っていたけれど、渚の背景を知って見方が変わった。許すということは相手を理解し、認めるということに近い気がする。もちろんそれは決して簡単なことでない。

 でも、許すことが前に進むこと――自分のためになるというのなら、許す努力をしてみても良いのかもしれないな。



「……」



 玲華先輩の顔をじっと見た。今回の件を通じて玲華先輩の良さをもっと見つけてしまったように思う。ずっとこの人について行きたい、なんて思いがふつふつと湧き上がった。



「……何?」


「やっぱり好きだなーって」


「未来……」



 私は立ち上がって玲華先輩のところまで歩みよると、少し背伸びをしてキスをした。



「――!」



 好きが溢れて止まらない。

 首に手を回して体重をかけた。



 玲華先輩の手が腰に伸びて、そのまま抱きしめられながらキスを繰り返す。久しぶりの感覚。

 何かに火がついたかのように夢中で口付けた。どうか私のこと気持ちが伝わりますように……。



 唇が離れたタイミングで見つめあった。

 あぁ、この顔……じわりじわりと自分の中の何かがうずくのが分かる。



「未来、ソファで」



 少し息を荒くした玲華先輩は目を潤ませていた。



「あの……。もしかしてここで――」


「今日は誰も来ないのでしょう?」



 もうこの流れでやることは1つしかない。

 体育祭が終わって仕事は落ち着いた。誰かくる可能性は少ないけれど、ゼロという訳ではない。

 しかも皆がよく座るソファで……。もし、誰かに見つかったら終わる……。



「そ、そうですけど……万が一のことを考えると」


「誘ったのはあなたでしょう? 私がどれだけ我慢したと思っているの」



 我慢してたんだ。それは嬉しいけれど……。



「誘ったというか……衝動というか……」



 キスが止まらなくなっただけで……。誘っただなんて玲華先輩も言うようになったなと思う。



「はぁ……。拒否をされるというのは悲しいものね」



 玲華先輩はふてくされたような表情になって、私に背を向けてしまった。 

 別に拒否したいわけではない。場所が場所だからというだけで……。



「……そんなこと言ったら私だって……」


「何?」



 玲華先輩は振り返った。



「……」



 私だってずっと我慢してた。触れたくて触れたくてしょうがなかった。

 玲華先輩にそんな顔されたら私は……。



「言って」


「うち来ますか? って言いたいとこ――」


「行く」



 間髪入れずに返された。



「でも寄り道に……」



 風紀委員長である私が、こんなに堂々と校則違反を許容してちゃまずい気もする。



「あなたは風紀委員長でしょ。私を注意するも注意しないのもあなた次第よ」



 玲華先輩は私の頬を爪先で撫でた。

 まさかそんなこと言われるなんてな。なんだか可笑しくてふふっと笑ってしまった。



「もう……今年の風紀委員長は緩くて良かったですね」



 そのまま軽く唇に口付けて、玲華先輩の手を引いた。

 校舎を出た私たちは手を繋いで帰路を歩いたのであった。

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