バレンタイン――後編
放課後に風紀室に向かうと既に玲華先輩は中にいて、カーテンを開けて光を取り入れていた。姿を見るだけでぽわっと身体が暖かくなってしまう。
「もういらしてたんですね」
「わざわざお昼に来てくれたのに対応できなかったから。あなたをこれ以上待たせることにならないようにと」
玲華先輩は振り返るとそう答えた。
風紀委員長としての仕事があったんだししょうがない。むしろ、こうして放課後に2人きりになれた方が私にとっては嬉しいことだ。いつも忙しそうだから、なかなかこちらから誘うことができないでいたし。
「気にしないでください、こうして時間作ってくれるだけで私は嬉しいですから」
ソファに腰掛けて背中を委ねた。
早々にチョコを渡すべきなんだろうけど、これで渡したら用が済んだことになり、玲華先輩との時間が少なくなってしまう気がする。だからもう少ししてから渡そうと思った。
せっかくの2人の時間だしとりあえず何か会話しよう。
「玲華先輩は匿名の人からチョコもらいましたか?」
今朝ロッカーを開けたら、私のファンを自称する匿名の人たちからのチョコレートが何個か入っていた。私であれくらい入ってるんだから玲華先輩はもっともらってるんだろうなぁと思う。
「以前よりはだいぶ減ったわ」
玲華先輩は無表情で答えた。
やっぱりもらっていたんだ。まぁ納得。
「そっか……私と付き合ってるって知ったからかなぁ。なんか申し訳なくなりますね」
「……どうしてあなたが謝るの」
「いやぁ、玲華先輩独り占めしちゃってごめんなさいみたいな」
玲華先輩の恋人が自分なんかで良いのかとたまに不安になることがある。
美人で近寄りがたい雰囲気を醸し出しているので生徒たちはうかつに近づけない。だからこそ、孤高の存在として少し離れた場所で玲華先輩に熱い視線を送る生徒が多いんだと思う。まぁ、本当はそれは外側の姿で中身はかわいいの塊みたいな人なんだけど。
風紀委員は基本生徒からは嫌われるけれど、うちの委員長と副委員長はなんか特別だ。「風紀委員」という肩書きが更に彼女たちの魅力を高めているように思う。
そんな孤高の存在である玲華先輩が冬休み明け、後輩と恋人関係になっていたと知った取り巻き達の心情を察する。しかも相手は同性で1年の私なんて。幸いにも今のところ取り巻き達に直接何かされたりした訳じゃないけれど、私にも多少罪悪感というものはあったりする。
「未来。何のために私たちは付き合ってると思っているの。あなたは私を独り占めする権利があるし、私もあなたを独り占めする権利があるわ」
玲華先輩は私の隣に座って淡々と告げた。そんな先輩の目をじっと見つめると、頬を僅かに染めてその場で目をパチパチとさせていた。いきなり見つめられるなんて思ってなかったんだろう。いちいちかわいいなもう。
「膝、お借りします」
「――!」
そのまま横になって玲華先輩の膝に頭を乗せてみた。少し柔らかくて良い枕だ。
ちらっと首を動かして様子を伺うと、玲華先輩は驚いたように私をただ見下ろしている。私の行動が意外だったようだ。
「玲華先輩を独り占めして良いなら、先輩の膝も好きにして良いってことですよね?」
「……」
玲華先輩は無言で私のおでこにそっと触れた後、髪の毛全体を優しく撫でた。膝枕で撫でてもらえるなんて、なんか愛されてる感じする。しかもこの撫で方、ホント千夏先輩とは大違いだ。私は安心して目を閉じた。ずっとこの時間が続けば良いのにな。
しばらく私の髪を撫でていた玲華先輩の手が私の頬に伸びた。人差し指でつんつんされたり、親指と人差し指で軽くつままれたりしている。
「ちょっと……くすぐったいですって」
頬に文字を書くように人差し指で触れられたので思わず、顔が緩んだ。
「膝を貸しているのだからそれくらいさせなさい」
「もう、しょうがないなぁ」
肉球のストラップにもよく触ってるし、プニプニした触感が好きなんだろうなぁ。
触られるのは嫌じゃない。先輩になら触れて欲しいと思う。
こんな何気ないひと時が私にとってはすごく意味のあるものだった。好きな人と一緒にいるだけでこんなに心が満たされるなんて。
やっぱり玲華先輩が誰かに取られちゃうのは嫌だな。先程のチョコレートの会話を思い出して改めて思った。だって先輩は私の彼女だし、こうして先輩の膝をずっと独り占めしてたいと思う。
「玲華先輩がもらった本命チョコは私が食べちゃいます」
「え?」
「嫌ですもん。玲華先輩が他の人が作った本命チョコ食べるの」
個人ロッカーに入っていたチョコの送り主は、あくまでファンとして応援してくれる姿勢だったけれど、玲華先輩がもらったチョコレートの中には本気のものもきっとある。そんなものは私が食べてやる。
「あなたも嫉妬してくれるのね……」
再度頭を撫でられた。
他の人よりは嫉妬心とかは感じにくい方だとは思うけど、私だって嫉妬くらいする。恋人を取られて嫌な思いをしない人なんていないはずだ。
「嫉妬しますよ。だから玲華先輩が食べる前に私が食べ……んむっ――!」
「そんなものより、私の本命チョコを食べなさい」
玲華先輩は私の口に1口サイズの丸いチョコレートを入れてきた。口の中でなめらかに溶けていく。トリュフチョコレートだ。口全体に広まった濃厚なチョコレートの香りが鼻から抜けていくのを感じた。鼻腔がビターなチョコレートの香りで満たされた。
「ちょっと苦いけど美味しいです。ダークチョコレートですか? 大人な味がします」
「そうよ。あなたももう直、上級生なのだからいつまでも子供ではいられないでしょう」
上級生か。そうだ、あと1ヶ月半ほどで新入生が入ってくるんだ。私にも後輩ができる。早いな。
普段食べているのはだいたいミルクチョコレートだけれど、こういうのも悪くないかも。美容成分があるとかで、叶恵にもらった高カカオのチョコレートに味が似ている。少し大人になった気分だ。
「そういえばチョコレートって媚薬の効果があるらしいですよ。本当ですかね」
昼休みに千夏先輩が言ってた言葉を思い出した。本当に媚薬の効果があれば、チョコレートの扱いは違ってきただろうし、迷信なんだろうなとは思うけど。
「……それはチョコレートというよりは、カカオのことね。テオブロミンという興奮作用のある成分が含まれているから。
イギリスの研究結果ではカカオ70%以上のチョコレートを口の中で溶かす時の心拍数は、恋人とキスをする時の心拍数より約2倍の増加率があったと文献に書いてあったわ」
玲華先輩は物知りだ。
道端に咲いている花が綺麗だと言った時に、その花の名称から分布、花言葉を教えてもらったことがある。なんの花かもう忘れちゃったけど……。
アメジストのことも知っていたし、こうしてカカオのことも知っている。
「玲華先輩は成績優秀だし、いろんな知識がありますよね。それはすごいなっていつも思います。でも1つ気になることがあったり、なかったり……」
「……なに?」
私は身体を起こして玲華先輩の顔を見た。眉を八の字にして不思議そうに首を傾げている。かわいい。
「玲華先輩がくれたチョコレート、カカオ70%以上ですよね? しかも口の中で溶けやすいトリュフチョコレートだし。そんなに私を興奮させたいんですか?」
「……は? ち、ちがうわっ! たまたまよ!」
慌ててる慌ててる。思った通りの反応してくれるのが面白い。
でも、そんな知識あるくせに私に高カカオのチョコレート食べさせようとするなんて、やっぱりわざとじゃないとしても、そういう気持ちが少なからずあったんじゃないかと思っちゃう。
「チョコレート、もう1つありますか?」
「あるけど……」
私はもう1つトリュフチョコレートをもらって口に入れた。今度は歯で噛まずに舌の上でチョコレートを転がして体温で溶かしていく。贅沢な時間だ。
こうして意識してみると、少しは興奮してるのかな? 不快な感じは全くしない。
私は玲華先輩の頬に片手を伸ばしてこちらを向かせた。
「――うんんっ」
息をつく間もなく軽く口付けて、舌で先輩の唇の内側を円を描くようにゆっくりなぞってから、唇を離した。
「はぁっ……おすそ分けです」
「……っ」
玲華先輩の顔は途端に真っ赤になった。
「どうですか? 媚薬の効果、感じますか?」
「どこでこんなことを覚えたのっ……」
先輩は真っ赤なまま手で口を押さえて目を伏せている。
「こんなことしたの、玲華先輩が初めてですよ」
「そ、そう……」
チョコレートを食べた後に意図的にキスをするっていうシチュエーションは初めてだ。
我ながらドキドキしてしまっていた。心臓が速い。これはチョコのせいなのか、それともキスのせいなのか。玲華先輩がかわいいからもっと、意地悪したくなってしまう。
「美味しかったですか?」
「悪くは……ない」
「もっと欲しいですか? ……なんて」
「……」
玲華先輩は目を伏せた。こうして恥ずかしそうにしながら黙る時は、基本的にはYESと言いたくても言えない時だ。
ゆっくり顔を近づけると、玲華先輩は目を閉じた。そのままキスをして少し舌を伸ばすと、先輩の舌で迎え入れられた。まだ残っているチョコレートが舌と舌の間でより溶けていく。苦いのに甘い。舌が美味しい。心臓の高鳴りと同時にどんどん体温が上昇していくのが分かった。
しばらくチョコレートの味を楽しんだ後に唇を離すと、脱力して力の抜けた玲華先輩がいた。こうして見ると、もうただの女の子だ。
そのままぎゅっと背中に手が回ってもたれかかるように抱きしめられる。玲華先輩の速い心臓の音が直に伝わってくる。手を回して抱きしめ返した。熱い。きっと私の胸の高鳴りもバレてるけど、もういいや。触れ合ってるだけで心地良いし。
「玲華先輩。私も本命チョコレートをあげます。私のはミルクチョコレートですけど、甘いのも悪くないでしょう?」
抱きしめ合った後、身体を離してから本命チョコレートに手を伸ばした。作り方は友チョコと同じようにミルクチョコレートを湯煎で溶かして型に入れて固めただけだけれど、より気持ちを込めたかったので包装はちゃんとしたバレンタイン用の箱を買ったし、友チョコと差別化を図るためにハート型の型を使った。ハートはちょっとベタかもしれないけれど。
箱から一つ取り出して玲華先輩の口の前まで持っていった。
「食べてみてください。そして私にも同じようにしてください」
唇にチョコレートを軽く押し当てると、控えめに開かれた口からハート型のミルクチョコレートが消えていった。
「噛まないで舌の上で溶かしてくださいね」
先輩はゆっくりと頷いた。素直だ。あれ、私の目の前にいる人って本当に風紀委員長だっけ? 年上だっけ?
「……美味しい?」
まるで小さい少女にするかのように玲華先輩の髪の毛を撫でながら問う。
「……ええ」
「じゃあ味見させて」
顔を近づけようとすると、咄嗟に肩を押された。
「未来待っ――」
「……いつもキスを急がせて来るくせにこういう時だけ待てって言うんですか?」
「それはっ……」
伏し目になりながらも目を泳がせている先輩の頬を両手で挟むようにして触れてこちらを向かせた。
「私のこと興奮させたかったんですよね。だとしたらもうしてます。先輩のことを求めてます。だから早くください」
「んっ――」
抵抗を受ける間もなく少し強引に唇を奪った。
先輩の舌を上唇と下唇で挟んで優しく吸い上げる。甘い。甘すぎる。
慣れぬ感覚に玲華先輩から小さな声と吐息が漏れて、それが私をより興奮させた。
そのまま勢いで押し倒すような体勢になってしまったが、甘いチョコレートの誘惑に私は勝つことができなかった。まるでガムに味があるのに捨ててしまうのと同じくらいもったいない。味がなくなる前に味わい尽くしたい。
先輩の手が首に回った。安心した。これは許可してくれてる証だ。
もう少し、味わわせてくださいね。
今年のバレンタインはチョコを溶かすほどに熱く、口の中で溶ける媚薬は私たちをより燃え上がらせたのであった。
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