バレンタイン――前編

 我が校のバレンタインデーはお菓子の交換パーティーである。それぞれがチョコレートやクッキーなどを持ち寄って交換し合うらしいということを、前々から聞いていた。



 市販のチョコレートを買う人もいるみたいだけれど、良い機会なので私もチョコレート作りとやらに挑戦してみた。作り方は単純で、板チョコを湯煎で溶かして、型に入れて冷やすだけ。上からパラパラとカラースプレーと呼ばれるカラフルなチョコレートをかけて完成だ。小さな透明の袋に、作ったチョコレートを3こずつ入れて、針金の留め具をねじねじと巻いて口を留めた。どれくらいもらえるかは分からないけれど、足りないよりは良いかと思って少し多めに作って紙袋に入れて学校まで持ってきた。



 学校に着く。騒がしい。

 みんなバレンタインデーでテンションが上がっているのか廊下をうろちょろしている生徒が多かった。



 そんな光景を横目に教室の横にある個人ロッカーを開けると小袋に入ったチョコレートがいくつかと手紙が2枚ほど入っていた。わぁ。それらの送り主は相変わらず不明だが、手紙の内容は、いつも応援してますといった心暖まるものだった。

 玲華先輩との噂もあってかあくまでファンとして応援してくれているみたいだ。文化祭のライブ効果はまだ続いていたようである。



 早速チョコレートをもらって少しハイテンション気味なまま教室に入り、叶恵とみっちーの席まで向かった。



「おはよ!」


「おっ未来おは。早速だけどチョコレート」



 叶恵から小袋に入ったチョコレートを貰った。

 アルミカップで象られたチョコレートだ。私も自分のチョコレートを叶恵に渡した。



「あーわたしもわたしもー! 交換しよ!」



 叶恵に続き、みっちーからもチョコレートをもらった。

 私たちと同様、透明の袋の中に何個かチョコレートが入っているが、スパイシーな香りが一瞬鼻をかすめた気がした。



 やめておけば良いものの、私は自分の探究心に抗うことができなかった。鼻を近づけてみてそれが確信に変わる。



「みっちー……これ灯油入ってないよね?」


「は? 入ってるわけないじゃん! いつまでそれ言うのさっ」


「なんかスパイシーな匂いがするんだけど……」



 チョコレートなのにスパイシーって聞いたことないんだけど、どういうことなの? 何があったの?



「千夏先輩に教えてもらったレシピでやってみたんだけど……」



 みっちーはこめかみの部分を人差し指でかいている。

 千夏先輩に教えてもらったレシピ……。

 嫌な予感しかしない。



「あの……何入れた?」


「カレー粉」


「ブっ!!」



 叶恵は吹き出した。

 私もカレーっぽい匂いだと薄々気がついてはいたけれどまさか本当に入れるなんて思わないじゃん……やば。



「千夏先輩がカレー粉入れろって言ったの?」



 私は真偽を確かめるべく尋ねた。

 もしかしたらみっちーが血迷っただけかもしれないし。



「カレーの隠し味でチョコいれるのと同じようにチョコにもカレー入れると美味しくなるって……」



 千夏先輩何教えてくれちゃってんの……。本当に作ってきちゃったじゃんこの子。



「味見した……?」


「してない。チョコレート溶かして固めるだけだし、しなくて良くない? って思って……」


「チョコ溶かして固めるじゃないよね? カレー粉っていう爆弾入れてるよね? これ配ったらどうなるか想像した時に怖くなって味見くらいするでしょ! ね、叶恵?」



 チョコにカレー粉入れといて味見しないで配るってどういうことなの……。叶恵が吹き出してしまっていたので、ツッコミの代役は私が担った。



「味見するしない以前に、そんなものそもそも作んねーわ……あぁ腹いてぇ」


「……叶恵、試しに食べてみて」



 叶恵の肩に手を置いた。



「は? なんでうちが?」


「美味しいかもしれないじゃん。お願い。叶恵が食べられそうだったら私も食べるから」



 悪どいかもしれないけれど、叶恵は頼まれたら断れない性格であることを私は知っている。

 もし、本当に美味しかったらそれはそれで大発見になるし、興味深い。ただ、自分の舌は犠牲にしたくない。分かって欲しい。



 叶恵はみっちーの顔をちらっと見た。みっちーは苦笑いしながらも少し悲しそうだ。

 この空気から、頑なに拒むこともできないんだろう。一応手作りでみっちーが頑張って作ってくれたものだし。叶恵は少し嫌な顔をしながら1粒取り出すと、ひとかじりした。



「……うっわ。カレーの主張が強いなぁこれ……もはやチョコレートの食感したカレーなんだけど」



 叶恵は顔をしかめながらスポーツウォーターで口の中のものを流し込んで、かじりかけのカレーチョコレートを袋に戻した。

 その動作で私は察した。食べるのやめとこ。



「雫会長に何か言われなかったの? さすがに妹がチョコにカレー粉入れてたら止めると思うんだけど……」



 雫会長はみっちーよりはしっかりしてるし、こんなものが製造されてたら止めてくれそうなのにな。



「確かに。チョコレート作ってるのにキッチンからカレーの匂いしたら絶対おかしいと思うよね普通」


「お姉ちゃんは、私の分作っておいてって言ってどっか遊びに行っちゃったから……」


「今頃、雫さんもカレー配ってるってことか……生徒会長、最後にやらかしたな……」



 叶恵はそう言うと、ふっと鼻で笑った。

 雫会長、あの笑顔でカレー味のチョコレートばらまいてると思うとなんだか……。



「……今からお姉ちゃん止めに行ったほうがいいかな?」



 みっちーはおもむろに立ち上がった。



「いいっしょ、もう。妹に仕事ぶん投げた罰受ければいいと思うよ」



 叶恵はみっちーの手を引いて座らせた。

 気の毒だけど叶恵の言う通りだ。楽をしようとするならば、それなりの代償を受けるべきだと思う。



 みっちーは、あぁと言いながら絶望した表情で机に突っ伏した。



「みっちーはさ、最近千夏先輩と仲良くしてるの?」



 頭をつんと人差し指で押すと、みっちーはむくりと顔だけ起こして、曲げた肘に顎を乗せた。



 もとを辿れば、今回の事件の元凶は千夏先輩だった。

 こんなにいじりやすい性格してるんだから、千夏先輩がみっちーに目をつけるのも時間の問題だと思ってたけどこの時期か……。



「うん、最近よく話しかけてくれる」


「大丈夫? 何かされてない?」



 みっちーの丸いおでこをつんつんと人差し指で突っついた。

 この子を千夏先輩の魔の手から守らなければ……。



「今のところ大丈夫だよ。普通に優しい」


「いや、チョコレートにカレー粉入れろって教えられた時点でもう何かされてんじゃん」


「確かに……みっちー、これから千夏先輩の言うことは全部無視して良いからね」



 みっちーの頭をポンポンと叩いた。



「えぇ、全部……? そんなぁ」



 今日チョコ渡しに行く時に千夏先輩に一言、言ってやろう。



 ――――――――――――――



 昼休み、早々とお弁当を食べ終えた私は3階に足を運んだ。2年生の階だ。

 朝の時間や、授業と授業の間の休み時間を使って1年生には配り終わったので、昼休みの時間を使って今度は2年生に配る予定だ。みっちーと叶恵は放課後の委員会や部活で先輩に配るみたいだったので、私1人で来た。先輩の階だから少し身が引き締まる。

 A組から順番に回って、知り合いの先輩にチョコレートを配っていく。風紀委員はA組からE組までバラけているので、全クラス回らなければならない。頑張ろう!



 A組、B組と回り終わって、大本命のいるクラスのC組にたどり着いた。教室のドアの付近で中の様子を伺うと、由紀先輩と目が合った。文化祭で一緒にライブをしたギターの先輩である。



「未来じゃん!」


「由紀先輩! これ、チョコレートです。良かったら」


「やった、ありがとー! うちもあげるね」


「ありがとうございます!」



 そんなやりとりをしていると、玲華先輩がドアの前を横切った。



「玲華先輩! あの、チョコを……」


「未来。ごめんなさい、これから学院長に資料を渡しに行かなければならないの。放課後なら時間を作れるわ」


「分かりました! じゃあ風紀室にいます!」



 急いでいたようであっという間に玲華先輩は去っていってしまった。

 本命チョコレートは何が何でも今日渡すつもりだったから無理そうなら個人ロッカーにでも入れようと思っていた。でもなんとか放課後は時間を作れるとのことなので一安心だ。1つ楽しみが増えた。



「風紀委員長って大変だね」



 由紀先輩は玲華先輩の背中を遠い目で見ていた。



「そうですね……」



 うん、風紀委員長は大変だ。私に務まる気がしない。



 由紀先輩と別れてそのままD組を回り、最後にE組まで到達した。途中、雫会長に見つかってしまい、チョコレートを渡されかけたが、なんとか躱して自分の作った分だけを渡すことに成功した。快挙である。



 E組の教室の前に立つ。千夏先輩のクラスだ。

 教室のドア付近に立って中を伺うと、千夏先輩はベランダで複数人の生徒たちと戯れていた。何やらみんな爆笑している。こんな感じだろうなとは想像はしていたけど話しかけづらいな……。

 どうしようかとそのまま立っているとこちらに気がついた吉野先輩が千夏先輩を小突いたので、千夏先輩はベランダから教室に入り、私のところまで来てくれた。



「おっすーフューちゃん」


「千夏先輩、チョコレート届けにきました!」


「おぉ、わざわざ? さんきゅー」


「いえいえ」


「やっぱ友チョコかー」



 私が差し出したチョコレートを受け取ると千夏先輩はわざとらしく残念そうな顔を作ってみせた。



「風紀委員には特別にチョコの数ちょっと増やしてますから!」


「ほぉ。あ、あたしもチョコあげるからちょっと待ってて」



 そう言って千夏先輩は自席に戻ると紙袋からチョコレートを取り出し、こちらまで来た。

 もらったのは真っ赤でデコボコとしたチョコレートだった。



「なんですかこの歪なチョコレート……」


「んーまぁ食べてみてよ。今ここで」



 千夏先輩は意味深な笑みを浮かべている。先輩のことだから絶対チョコレートに何か入れてくるなとは想定していた。



「危険な香りしかしないんですけど。何入ってますか?」


「食べてからのお楽しみ」


「先に誰かに食べてもらって、その反応見てからにしますね」



 よし、後で叶恵に食べてもらおう。



「えぇー。今ここで食べてくれなきゃつまんないじゃーん」


「色からして絶対やばいもの入ってるじゃないですか……! っていうか! みっちーに変なこと吹き込んだでしょう?」


「えぇ、変なことー?」



 千夏先輩はとぼけたように笑いながら、ドアの柱に背中を預けた。



「チョコにカレー粉入れろって! 本当に作ってきちゃったんですよ? あの子純粋なんだからいじめないでください!」


「ククク、まじで作ったんだーウケる。みっちーホント面白いね」


「これ持ってきました。千夏先輩は責任とって食べてください」



 みっちーが作ったカレーチョコレートを千夏先輩に差し出した。



「……これは玲華に食べさせるわ。カレー好きじゃん?」


「やめてください! 玲華先輩がかわいそうです!」



 千夏先輩が私の差し出したカレーチョコレートを受け取ろうとしたので腕を引っ込めた。



「ははは。まぁ冗談はさておき、風紀委員用の真面目なやつもあるからさ。ほい、あげる」



 千夏先輩はどこからともなく透明の袋を取り出した。中には茶色のマフィンが入っていて、上の方に白いパウダーシューガーがかかっており、まるで売り物のような見事な見栄えだった。



「おぉ、すごい! チョコレートマフィンだ……まさかこれ手作りだったりします?」


「うん、そんな感じかな」



 やるなぁ……!

 千夏先輩はお菓子作るイメージ全然ないけど、やっぱ何でもできちゃうんだ。何気なくマフィンを裏返すと底には値札が付いていた。が付いていた。

 ……よく手作りだなんて言えたもんだな。



「あの……。思いっきりここに値札貼ってあるんですけど……」


「あ、やべ、はがすの忘れちゃったっ」



 千夏先輩はペロっと舌を覗かせた。



「私と千夏先輩の絆の値段が200円だってことは分かりました」


「我々の絆に値段などない!」


「じゃあせめて値札を……値札を外してください……!」


「はい、外した」



 爪でカリカリと値札を剥がして、それを人差し指につけて私に見せてきた。



「今じゃなくて!」


「ははは。そういえばチョコレートってさ、媚薬の効果があるって知ってた?」


「へ、へぇ……そうなんですか。知りませんでした」



 別にチョコレートを食べたところであんまり興奮したりしない気がするんだけど。



「媚薬を皆で交換し合うなんて、バレンタインってなんかえっちだよねー」


「そうですね……」



 苦笑いをしていると、ベランダの方から千夏先輩を呼ぶ声が聞こえた。何かのゲームの途中だったらしく、次は千夏先輩の番みたいだ。



「んじゃそろそろ戻るわー。チョコレートありがとね」



 千夏先輩は投げキッスをすると、ベランダにいる仲間の元に戻っていった。



 2年生はとりあえず全クラス回り終わった。残っているチョコレートを確認する。だいぶ少なくなってきた。いい感じに配れている。

 よし、後は放課後に玲華先輩に本命チョコレートを渡せば私の任務は完了だ。

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