未来誕生祭

 今日は私の誕生日。

 私のスマホにはクラスメイトや友達から、多くのお祝いメッセージが届いた。朝起きてからその通知の多さにビックリした。こんなに祝ってもらったのは過去初めてかもしれない。その中からひと際目立つメッセージ――



『お誕生日おめでとう。後で改めて祝わせてもらうけれど、取り急ぎ』



 受信時刻は日付が変わったその瞬間。

 業務連絡のようだけど、どこか暖かさを感じるメッセージは玲華先輩からのものだった。



 誕生日に恋人が祝ってくれる。

 これ以上ない喜びだ。



 約束の時間になり、玲華先輩を部屋にあげた。うちに来るのは何回目だろうか――5回目だ。

 1回目は体育祭の打ち上げ、2回目は雨の日に私を家まで送ってくれた時、3回目は千夏先輩がドタキャンしたあの日、4回目はクリスマス、そして今回で5回目。

 いちいちカウントしちゃうなんて我ながら相当惚れてるんだなと思う。

 玲華先輩に視線を送ってみる。



「?」



 私の視線に気が付いてこちらを見た。

 そのままニコニコしながら視線を送り続ける。



「なに?」


「いやー、玲華先輩がうちにいるーって思うと嬉しくて」


「もう何度も来ているでしょう」



 こうして思い出を重ねていって、そのうちに何回来たかなんて忘れてしまうくらいの数になっていくんだろうな。



「ふふ、適当に座ってくつろいでてください」



 私はコップを棚から取り出して、ペットボトルに入ったお茶を2人分注いだ。



「これは……」



 玲華先輩は床の隅に無造作に置かれているネックレスに気が付くと、拾い上げた。

 私はペットボトルの口を上にして、お茶を注ぐのを一旦止めた。

 先輩が家に来るので事前に片付けておいたがネックレスは拾う気になれず、そのまま放置していたのだが気が付かれてしまった。



「あぁ。それは……実は父から早めの誕生日プレゼントでもらったもので……」


「こんなところに無造作に置いておいて良いの?」



 玲華先輩は自分の手にネックレスを絡めつつ、私を見た。



「はい。父からもらったものなんて……。今までずっと私のことほったらかしだったくせに、先日急に家に来たかと思ったらそのことについて謝ってきたんです。今更すぎますよね」



 渇いた笑いが漏れた。私は再びお茶を注ぐとそれらをテーブルまで運んで、その場に腰掛けた。

 


「あなたはお父様からの謝罪に対してどう返事を?」



 玲華先輩は、ネックレスを手に持ったまま私の隣に腰掛けて尋ねてきた。



「怒りに任せて帰ってって言っちゃいました……。まだ私は父のことを許せてないんだと思います。でも、それとは対照的にどこかまだやり直せるんじゃないかって期待してる自分もいて複雑なんです。難しいですね」



 こんな時こそ甘えてもいいかな。私は本音を話した。



 いつも私の中にいる対極な2人が戦っている。



 玲華先輩は以前、感情を抑えようとする自分と感情を出したい自分とで戦っていた。先輩なら私の気持ちを分かってくれる気がした。



 玲華先輩は私の固めた握りこぶしの上にそっと自分の手を重ねた。灰色の瞳は私をしっかり捉えていた。



「私も両親とずっと疎遠だった。口を利くことができないでいたの。2番目の兄を失って、親は私を恨んでいると疑心暗鬼になって何年もろくに顔を合わせることもできなかった」


「そうだったんですか……」



 家庭環境が複雑だと玲華先輩の上のお兄さんは話していたけれど、玲華先輩もご両親と口を利いていなかったんだ……。



「そんな私を気遣って上の兄が声をかけてくれたわ。1人暮らしをするから一緒に来ないかと」


「だからお兄さんと2人暮らしをしているんですね……」



 あまり突っ込んじゃいけないことかと思ってあえて聞かなかったけれど、話が繋がった。



「ええ。でも、年末に親戚が集まることになって……。気が乗らなかったけど勇気を出して行った。その時に両親と何年かぶりに口を利いたわ」



 玲華先輩は何かを思い出すかのように視線を斜め下に向けた。

 先輩は年末はイギリスで過ごしたみたいだけれど、詳細な話は聞けていなかった。ご両親もイギリスに……。



「気まずくなかったんですか? もう何年も口を利いてなかったんですよね?」


「そうね、最初は。でも近況を尋ねられて、そこから話が広がっていったわ。案外普通に話せたことに自分でも驚いた。そして、その時に分かったの。両親は私のことを恨んでなんていなかったと。結局全部私の思い込みだった……」


「……私だって玲華先輩は悪くないって思いますよ」



 玲華先輩は全部自分のせいにしちゃうから。

 私が親の立場でもきっと玲華先輩のことは責めないと思う。



「未来。私が両親と話すことができたのはあなたのおかげよ。あなたが私のことを肯定してくれたから、踏み出す勇気が出た。未来がいなかったら私は祖母の家には行っていなかった。きっと両親との関係も拗れたままだったわ」


「そっか……良かったです。私はたいしたことしてないですけど、そう言ってもらえて嬉しいです」



 こんな形で感謝されるなんて思わなかった。少し照れ臭くなって俯き加減になって口角を上げた。



「未来。もしあなたがお父様との関係の修復を望んでいるのなら、それは不可能なことではないと思う」



 玲華先輩の瞳は真っすぐこちらに向いた。



「……そうなんですかね」



 私は父を許せるのだろうか。

 仮に許せたとしても、良好な関係を築くことはできるのだろうか。



「これはおそらくアメジスト。2月の誕生石よ」



 玲華先輩は再び指に絡められているネックレスを見た。



「アメジスト……」



 名前は聞いたことある。ネックレスの中央部分にある紫色の石のことだろう。

 2月の誕生石。私が誕生日だから、父は誕生石をわざわざ選んで……。



「アメジストは真実の愛を守り抜く石と言われているわ」


「詳しいですね。真実の愛の、か……」



 父は私を愛してると言った。

 それは嘘だと思った。でも仮に本当だとしたら――。

 ただ父は不器用で、愛情表現がうまくできなかっただけだとしたら――。



「未来。お互いその気があれば修復できない関係はないわ。それが血というものよ」



 手を強く握られた。

 何年も口を利いていなかった玲華先輩は、一歩踏み出して両親との関係を修復した。私は……私は――。



 黙っていると、玲華先輩はネックレスをこちらに差し出してきたので受け取った。



「……」



 掌の上で輝くそれを再度見つめてみる。相変わらずギラギラと光っているが、不思議とその輝きは不快ではなかった。



「未来、誕生日おめでとう。私からはこれを」



 沈黙を破るように玲華先輩は手提げからモノを取り出した。



「リストバンド……?」



 渡されたのはリストバンドだった、伸縮性のある特殊な茶色の糸できめ細やかに編みこまれていて、綺麗だった。



「そうよ。私の方が裁縫に長けているでしょう。だからさっさと今つけているそのくだらないものを外しなさい」


「先輩が編んだんですか……すごすぎます」




 くだらないものって……。先輩は完璧主義というよりは、負けず嫌いなだけな気がする。

 


 私の手には、家庭科部のかおり先輩が作ってくれたリストバンドが装着されていた。家にいる時は外しているのだけれど、なんとなく玲華先輩に傷を見られるのが嫌だからつけていたのだ。



 私は今しているリストバンドを外して、玲華先輩お手製のリストバンドを手首にはめた。



「……これ、手作りかぁ。嬉しいです!」



 まじまじと見つめてみた。私のために時間を使って編んでくれたことが嬉しい。



「……」



 玲華先輩は少し照れたような表情になった。



「似合ってますか」



 装着したリストバンドを見せてはにかんだ。



「えぇ、とても」


「嬉しいなぁ……。こんなのもらっちゃったら、もう寝る時も外したくないです。玲華先輩大好きです!」


「未来」



 名前を呼ばれて玲華先輩の方を見ると、ゆっくりと顔が近づいてきた。玲華先輩が何を求めているのか分かった。

 私もそれにつられるように顔を近づけた。



 唇が触れ合うその直前のこと。



「――あ、ちょっと待ってください!」


「……?」



 私がそう言うと玲華先輩は動きを止めて、きょとんとした表情になって固まった。



「これをつけてから」



 千夏先輩にもらったリップバームを口に塗った。

 乾燥注意報出てるらしいし……。あまりつけすぎてもベタついてしまうで、あくまで少量。ローズの香りがふわっとほのかに香った。



「未来。私はあなた自身を求めているのだから、そんなものをつける必要はないわ」



 玲華先輩は少し不機嫌そうな顔になった。



「保湿大事ですから」


「……私を待たせないで」


「……せっかちさん」



 そう囁いてすぐに玲華先輩の唇を奪った。待たせてごめんね。



「んんっ……」



 リップバームの効果はすごかった。摩擦が少ないので唇を捕らえて離さず、ダイレクトに柔らかい唇の感触が伝わってくる。

 唇と唇が間を埋めるようにねっとりと絡まるそれは極上だった。これはリップバームの効果だけでなく、玲華先輩が日に日にキスが上達してることもあるだろう。

 愛おしい人。何度も何度も角度を変えて唇を重ねる。だんだん自分の息と心臓が荒くなっていった。



「……はぁ……んっ」



 それは玲華先輩も同じなようで、吐き出される吐息とくぐもった小さな声が混じり合う。



 もっと欲しい。玲華先輩がもっと欲しい。



 ちゅっと音を立てて唇を離して玲華先輩の顔をまじまじと見た。

 玲華先輩は少し息を荒くして頬を赤く染めていた。私はその顔に更に渦巻く欲求が高まった。



「あの……舌入れたら怒りますか?」



 普通のキスでは足りなかった。

 玲華先輩自身に触れたいと思った。

 でも、そういうキスが嫌いな人も世の中にはいることを知っているし、いきなりしたらビックリされちゃうかもしれない。もちろん、玲華先輩が嫌ならするつもりはない。ちょっぴり悲しいけれど。



「……怒らない」



 先輩は恥ずかしそうに下を向いた。



「じゃあ……その……いいですか」


「……私はどうすれば良いの」



 玲華先輩はこちらを少し上目遣い気味に見てきた。

 あぁ、かわいいなぁ。いつもこうして私にやり方を聞いてくる。教えたら覚えて次回からちゃんと実行してくれる。そんな先輩が愛おしくて仕方ない。



「少し口を開けてください」



 玲華先輩はわずかに口を開いたので、私も少し開いて顔を傾けて唇を合わせた。

 唇で先輩の唇を密閉すると開かれた穴めがけて自分の舌を伸ばしてゆっくりと口内に侵入する。

 そしてついに先輩の舌先に触れた。しかし、ビックリしたのかすぐに舌を引っ込めてしまった。



 私は舌先で玲華先輩の頬の内側の柔らかい部分にタッチして、唇を離した。



「ビックリしちゃいました? なんかごめんなさい。つい……もうこういうことはしないようにしますね……」



 こういうキスはやっぱり玲華先輩には少し早かったかもしれない。相手はウブなのに自分の欲求を前面に出してしまったことを少し恥じた。



「大丈夫だからもう1回して」



 玲華先輩は顔を真っ赤にして手の甲で口を押さえている。



「いいんですか……」


「いちいち確認しないで」



 そう言うと、先輩は手の甲を自分の口から離した。



「分かりました……」



 先程と同じようにもう一度口づけて舌を伸ばした。先輩の舌先に再度触れるが今度は引っ込まなかった。控えめに玲華先輩も舌を伸ばしてくれたので、お互いの舌の触れる接地面積が徐々に広がっていった。

 玲華先輩自身に触れていることが嬉しくて、ゆっくり優しく舌を動かしながら触れ合っている部分に神経を集中させた。しっかりと私の舌の動きに応えてくれているきめ細かくてなめらかな舌。痺れにも似た感覚が口内から全身に広がっていく。こんなの知ったらもう戻れない。



「せん……ぱい……」



 夢中だった。舌を交えたり、上唇、下唇をあまがみしたりしているうちに、どうしようもなく自分が興奮しているのが分かった。



 こんなキスしたら、最後まで欲しくなる。高鳴る心臓が理性の扉を何度も叩いている。だめだ、これ以上は――。



「っふ……はぁ……はぁ……」



 欲望をぐっと抑えて唇を離した。

 全身が火照っている。熱い。濡れた唇を手の甲で拭う。唇につけたリップバームは完全に落ちていた。



 呼吸を整えて、玲華先輩から少し離れてお茶を飲んだ。



「これ以上はやばいです……」



 落ち着け私。こんなに余裕がない私を見せてはだめだ。こういうのは私がリードしなきゃいけないんだから。

 玲華先輩も乱れる息を整えていた。



「……未来、お手洗いを借りたい」


「いいですよ」



 目に涙を溜めながら、もじもじとしている。

 まさか――。



「むずむずしちゃいました?」



 トイレから戻った玲華先輩に尋ねる。



「……うるさいわ」



 玲華先輩は目を逸らした。だいたい図星の時にこういう反応してくれるよね。かわいい。

 という私も全然余裕なんてなかった。これ以上は自分を抑えられる自信がなかった。

 家は危険である。まだ付き合って浅いのに欲望のまま玲華先輩という名の純白のドレスを汚したりして嫌われてしまうのは嫌だから。



 リモコンを操作してテレビをつけた。



「映画でも観ませんか? 最近動画見放題サイトの会員になったんですよ。どれがいいかなぁ」


「あなたの好きなアクションでも何でもいいわ」


「んじゃあこれを――」



 恋愛系にしてしまうと、妙な空気になってまた先ほどの件をぶり返してしまいそうだったのでアクションにした。

 しかしながら、先輩自身に触れられたことは私の中で大きな思い出だ。玲華先輩にとってもそうであるといいな。



 その日は玲華先輩と寄り添いながら私は自分の誕生日をとことん満喫したのだった。



 ――――――――――――――



 玲華先輩が帰った後、なんとなく鏡の前で父からもらったネックレスをつけてみた。

 紫色に輝くアメジストは私の肌の上で綺麗に光っていた。指先で石に触れてみる。普段はアクセサリーなんてつけない。ネックレスを身につけた自分はどこか大人びているように見えた。



 スマホを開く。



 『誕生日おめでとう。直接言えなくてごめん。寒い日が続いてるが風邪ひかないようにな』



 そう書かれた父からのメッセージに静かに返信ボタンを押した。

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