救世主
1月の半ば。
窓の外にはポップコーン級の雪が天空から舞い降りていた。見渡す限りの白。
見慣れない光景に、教室から見える雪景色に目を奪われていた。すごい。
「うわぁ、やば……これ帰り大丈夫かな。歩いて帰るのとか勘弁して欲しいんだけど」
叶恵はそう言うと、溜息を吐いた。
今朝も雪だったがそんな大そうなものではなかった。けれど、お昼時の時間になる頃には朝とは比較にならないくらいのたくさんの雪が吹き付けて、中庭を白で埋め尽くした。
外気に冷やされて窓も少し曇ってきている。
「珍しく積もったよね」
私はそう言いながら弁当箱を片付けた。
雪は別に嫌いじゃない。非日常な感じがするし。それに雪で電車が止まっても徒歩圏内の私には関係ないのだ。雪よ、どんと来い。
「外行こうよ、雪合戦しよ」
みっちーはそう言うとバッグから手袋とマフラーを取り出して装着した。
「えぇ嫌だ。寒いじゃん!」
叶恵は嫌そうな顔をしているが、私はそんな叶恵の手を引いた。
「行こうよ!」
「まじでぇ……? もー」
「さすが未来ー! 行こ行こ!」
私たちは外に出た。降りつける雪が顔に当たって冷やされて若干痛い。
でも見慣れない雪景色に私の気持ちは高ぶっていた。
「おぉ、すごい! 真っ白だね」
両手を広げて全身で雪を感じる。寒いけどなんか楽しい!
雪にテンションが上がったのは私だけではないようで、キャッキャと声を上げながら遊んでいる生徒達も何人かいるようだが、降りつける雪で視界が曇り顔はよく見ることはできなかった。
「これなら倒れてもきっと痛くないね」
みっちーはしゃがむと積もっている雪に触れた。
「確かに……! みっちーのこと押してみても良い?」
「えーやだよ!」
「なんでよー倒れて痛くないか教えてよー!」
「未来が教えて! 私が未来のこと押し倒しちゃおっかな」
みっちーはいたずらに微笑んだ。
「なんか若いわ……うちだけ年老いたババアになった気分」
叶恵が寒そうに白い息を吐きながら私たちを見ていた。
「――いっ!」
その時だった。突然の衝撃を背中に感じる。
思わず振り返る。
「あっちゃーごめんねぇ、手が滑っちゃったー」
ニヤニヤしながら雪玉を手のひらに転がしている千夏先輩が立っていた。
「千夏先輩! 絶対わざとですよね? このっ」
私は足元の雪をすくって玉を作って千夏先輩に投げ返した。
しかし私の投げた玉はひょいと避けられてしまった。
「おっとー。宣戦布告かな?」
「宣戦布告です!」
やられてばっかで終われない。今日こそは千夏先輩をぎゃふんと言わせてやるんだ。
ブラを外されたことを私は決して忘れてなんぞいない。あの日はトイレの個室に籠もって制服を脱いでブラを付け直した。何故あんなところで上半身ほぼ裸にならなければならなかったのか。
屈辱を晴らすのだ。
「へぇ、いいんだ? あたしの相方、元ソフトボール部のピッチャーだけど」
千夏先輩は隣に立っている生徒の肩に手を置いた。ガタイが良くて、千夏先輩並に背が高い。
知ってる。この人、吉野さんだ。千夏先輩と同じクラスで良く絡んでいるのを見てきた。ノリが良さげで千夏先輩と同様に人気者で常に周りに人だかりができているイメージ。
ベリーショートのヘアスタイルで、ボーイッシュ。「吉野」と皆から苗字呼びされるようなキャラの人。
「なにー、粋の良い子は好きだけどいじめちゃって良いの?」
吉野先輩はこちらを見るとニヤッと笑った。類は友を呼ぶからか、この2人からは同じオーラを感じる。
「チーム戦なんですか?」
「そうだよ。で、お宅のお仲間は?」
千夏先輩はニッと口角を上げるとそう尋ねてきた。
なるほど。であるなら私の仲間は2人だ。
「わ、私には……どんな玉でも避けられる脚力を持った現役陸上部のエースがいますし、えっと……うーんと……無限大の可能性を秘めているみっちーがいます!」
みっちーの紹介が浮かばなさ過ぎて焦った……。でもなんとかそれっぽく言えただろう。
数的にはこちらの方が1人多いから有利だ。何も心配することは……多分ない。
「ほぉ、よかろう。その勝負受けて立つ!」
千夏先輩は腕組みをしてニコっと八重歯を見せて笑った。吉野先輩は、うぇーいと低めの声を出した。
「え、うちらも参加するの?」
私たちのやり取りを見てた叶恵はゲっとした顔をして聞いてきた。
「ごめん叶恵。付き合って」
元々雪合戦しようって言って外に出たんだし。
千夏先輩をぼこぼこにするために協力して欲しい。
「はぁ……。なんか弟と妹に付き合ってる気分」
叶恵はそう溜息を吐きつつも、付き合ってくれるそうで私の隣まで歩いて来てくれた。みっちーも何でもないという顔をしている。
ルールは3回相手の雪玉に当たったら終わり。チームメンバーが全員やられたらゲームオーバーである。チーム戦ということで、2対3に別れて各自スタートラインについた。
「まじでやるのか。元ソフトボール部のピッチャーいるの普通に怖いんだけど」
叶恵は少し嫌な顔をした。
「やるよ。負けない!」
私は拳を固めた。相手が誰だろうとまず私が狙うのは千夏先輩だ。
「おーい、みちおー。もうすぐ始まるぞー」
見るとみっちーは蹲って雪を叩いていた。
「え? あ、ごめん。なんかここだけめっちゃ積もってるなって思って見てた」
叶恵の問いかけにみっちーは笑顔で振り返った。
「呑気すぎなんだよお前!」
「ほらー、もうはじめるよー? 吉野、カウントお願い」
千夏先輩は吉野先輩に言った。
「おっけー。じゃあいくよ。3、2、1……スタート!」
「いくぞぉ!」
千夏先輩はスタートと同時に目にも止まらぬ速さの剛速球を投げてきた。
叶恵は間一髪でそれをかわした。さすがの運動神経だ。
「うわっ、何これ、やばくない? ガチじゃん!」
「うらぁ!」
千夏先輩に続いて吉野先輩も本気の一球を投げてきた。真っ直ぐこちらに飛んでくる。
「……おわっ!」
なんとか当たらずに済んだけれど、のけ反って思わず尻餅をついた。速すぎる……! さすが元ソフトボール部のピッチャーだ。でも千夏先輩の玉も全然負けてないくらい速かった。
あれ。この2人、相当レベルが高いのでは……勝負を仕掛けてしまったことを少し後悔し始めた。
「未来、一旦移動しよう。ここじゃやばい」
感心している場合ではなかった。叶恵に手を引かれて近くの岩陰に移動した。
「ねぇ見て! 雪だるまできたよ」
「アホか! 死ぬぞ!」
みっちーが満面の笑みで雪だるまを見せてきたので、叶恵はそれにパンチをして粉々にするとみっちーの手を引いてこちらまで連れてきた。いくらなんでも粉々にする必要はなかったのでは……。
みっちーは作った雪だるまの残骸を見て何とも言えない表情をしていた。
「千夏先輩ってハンドボールとか球技系やってた?」
叶恵は私に問いかけた。
「やってないと思う」
「まじか。それであんなん投げてくるのやばすぎるし、容赦なさすぎでしょ。あれ当たったら痛いどころじゃ済まないじゃん……。千夏先輩がドSだって言ってたのちょっと分かったわ」
「あの人は、人が痛がる顔とか嫌な顔が大好物だから……」
「うわー……。反撃したいところだけど先輩に雪玉ぶつけるの普通に抵抗あるんだけど……」
確かに叶恵はどっちの先輩とも直接話せる間柄ではないだろうしやり辛そうだ。
「千夏先輩には何しても大丈夫! もう1人の吉野先輩も千夏先輩とつるむくらいくらいだから大丈夫だと思う」
「なんだその理論。……でもどうしよう。ここから出たら絶対狙われるじゃん」
そう。一歩出たら再びあの剛速球と向き合わなければならない。
私たちは岩陰に身をひそめるしかなかった。
「オッーホッホッホ。隠れてばっかじゃワタクシ達は倒せませんことよー?」
「出ておいでーかわいこちゃん。もしかして怖いのかしら? まだまだですわね」
千夏先輩と吉野先輩は何かの役になりきっているのか、悪い顔をしながらこちらを挑発してきている。
「どこの悪役令嬢だよ……」
叶恵はそう呟いた。
ホントだよ。
勝つためにはどうすれば良いだろうか。うーんと考える。
「なんとか隙をつくしかないね……。あの2人が投げる玉ってどこまででも飛んでくるじゃん……? 飛距離的に敵わないから、少しでも相手の陣地に近づけば私たちにも勝機はあるかもしれないけど、その前に当てられそうだよね」
遠距離じゃこちらは不利だろう。でも近づいたところであの豪速球を間近で受けるのもいただけない。シューティングゲームみたいに銃型の何か武器みたいなものがあれば良いのに……。
「相手の陣地まで行けばいいんだ? じゃあ頑張る」
「え、みっちー行くの?」
「うん。わたし一応元陸上部だし」
みっちーが元陸上部なことをすっかり忘れていた。
みっちーは親指を立てると一気に相手の陣地目指して駆け出した。足の速さは現役を引退しても健在だ。次々に飛んでくる玉を器用に避けて進んでいる。すごい!
「相手の陣地まで着いたよ!」
とうとうみっちーは千夏先輩たちの陣地に着いて笑顔でピースを送ってきた。
さすがだ。やっぱりみっちーはやる時はやる子なんだ。
「いや、喜んでる場合じゃねぇから! 早く攻撃しないと!」
叶恵がそう叫んだかと思うと、みっちーの後ろに影ができた。
「ようこそ我が城へ。歓迎の印として、天然性の冷凍顔面パックをくらうが良い!」
千夏先輩は両手いっぱいに雪をかき集めると、みっちーの顔面にそれを浴びせた。
「わあっ……! 鼻が……! 鼻がぁぁああああああ!」
「「みっちぃぃぃぃーーーー!!!!!」」
みっちーはその場で膝をついて倒れた。
「ありがとうみっちー。……みっちーの分まで私たち強く生きるよ」
私は胸に手を当ててみっちーの頑張りに感謝した。
「いや、勝手に殺すなよ!」
「仲間がやられてさぞ悔しかろう……。さぁ、かたき討ちをしたければさっさと出てくるが良い」
吉野先輩はふんと鼻息を鳴らした。
「腹立つなもう! まじで投げちゃうよ?」
とうとう叶恵も雪玉を作って戦闘態勢に入った。
千夏先輩は余裕そうに雪玉を手のひらで転がして上に放り投げてはキャッチをしていた。吉野先輩もニヤニヤと悪い顔をしながら雪玉をこねている。
「行くしかないか……!」
このままここに隠れていても何にもならないし。
雪玉を持って立ち上がった。
「姿を現したな、いざ勝負!」
私と叶恵が岩陰から出ると、千夏先輩の渾身の速球が飛んできた。これ当たったらやばいやつだ! 飛んでくるそれは確実に私を射止めていた。無理だ。当たる。その一瞬がスローモーションのように感じられた。
「未来、危ない!」
「うわっ」
咄嗟に叶恵が私の手を引いたので間一髪で避けることができたが、手を引いた反動で私と叶恵は雪の海にダイブした。
バスっとにぶい音がした。
雪の海から顔を上げておそるおそる音の方を見ると頭を押さえている玲華先輩がいた。千夏先輩が放った雪玉は玲華先輩に命中してしまったのだ。よりによってなんでいるの!?
千夏先輩たちは顔面蒼白している。
「あなた達、何しているの……」
真顔の玲華先輩は私たちにそう尋ねた。
これは怒られる……?
降りつける雪のように凍り付く。叶恵もあきらかにヤバイといった顔をしている。一応正直に答えておこう。
「玲華先輩……あの……雪合戦をしてました」
倒れた姿勢のまま頭を上げて回答した。
「大丈夫?」
「なんとか……」
「私に雪玉を投げたのは千夏?」
「……はい」
玲華先輩は千夏先輩の方をギロっと睨みつけた。
「うわ、やべ。逃げよ」
千夏先輩は逃げようと背を向けたが、玲華先輩の放った豪速球が千夏先輩の背中を捉えた。
バンっと雪玉は千夏先輩の背中を叩いた。
「いったぁー。へぇ、そっちがその気ならこっちも本気出すけど」
千夏先輩は振り返って、玲華先輩を見た。
吉野先輩は少し離れたところでその様子を見守っていた。
「のぞむところよ」
玲華先輩は雪玉を握りしめた。
こうして風紀委員長と副委員長の戦いが幕を開けたのであった。
両者一歩も譲らないバトルが目の前で繰り広げられる。私たちはその光景を唖然としながら見ていた。あの玲華先輩が雪合戦してる……。
気がつけば何人もの生徒がその様子を見ていた。
運動神経抜群の2人が放つ目に見えないくらいの速い玉が宙を舞っているが、お互い相手の玉には当たらないように器用に避けながら攻撃を繰り広げていた。
「あなた達、玉を作って!」
「「「はい!」」」
そう声をかけられたので、私とみっちーと叶恵は玲華先輩に言われるがまま、玉をいくつも作り先輩に渡した。
「待って、それ卑怯でしょ! うわっ――いっだぁ」
たくさんの玉を速攻作って渡すと、玲華先輩は一気に投げつけた。びゅんと音を立てて真っすぐに標的に向かって飛んでいく。最初の何球かは器用に避けていたようだが、連続の投球に身体がついていかず、ついに千夏先輩にクリーンヒットした! おぉ、という声がどこからともなく聞こえる。
しかし、1度当たったくらいではこちらの攻撃は止まらない。次々と放たれた玉が千夏先輩の身体のいたるところに命中している。
「ちょっとタンマタンマ! もうめっちゃ当たってるから! 3回以上当たってるから――ってうがっ!!」
最後の一球が顔面に命中した千夏先輩はそのまま後ろに倒れた。
「千夏!!!!」
吉野先輩は千夏先輩のところまで駆け寄った。
「燃え尽きたぜ……真っ白にな」
「立て! 立つんだ千夏―――――!!!!!」
吉野先輩の声が中庭に響いた。
なんかどっかで聞いたことあるようなセリフだ。
「あなたたちの仇は討ったわ」
息を切らしながら玲華先輩は私たちに言った。
「先輩……! ありがとうございます!」
千夏先輩を撃破した。嬉しさに私は玲華先輩の元に駆け寄った。
かっこ良すぎた。こんな姿見せられたらキュンとしてしまう。
「少しは痛い目見れば良いと思っていたのよ。いい気味ね」
玲華先輩は制服についた雪を払うと、私を見た。
「すごいです! 本当すごいです!」
「未来。私もご褒美を要求するわ。後でキスして」
玲華先輩は私の耳元でそう言うと校舎に消えていった。
突然の不意打ちに口元を押さえた。こんなの反則すぎる……。
「未来の彼女めっちゃかっこ良くない? 最初怒られると思ったんだけど、一緒にやってくれたの意外だった」
みっちーがひょっこりと背後から話しかけてきた。
「いやあれはイケメンすぎだろ……やっぱうち羽山先輩派かも」
「わたしも玲華先輩派になった今。あ、未来が玲華先輩って呼んでるからついそう呼んじゃった」
2人は千夏先輩から玲華先輩派になったようだ。
そりゃそうだ。玲華先輩は私たちの救世主なんだから。
昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。
私たちも校舎に戻らなければ。制服についた雪をはらった。
「みっちー鼻大丈夫?」
「なんか溺れたときみたいになってる」
「どんまい」
私たちは笑いながら校舎に入った。
今日の昼休み、なんだかんだ楽しかったな。
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