甘えん坊
風紀室に差し込む放課後の光はあまく、カーテンの動きと共にゆらゆらと揺れていた。淡い光に照らされながらファイルに目を通す玲華先輩の長いまつ毛の1本1本が良く見える。今日も玲華先輩は美しい。
書き初め展示会――結局千夏先輩は私と玲華先輩を同じ組み合わせにした。そして、今日がその警備の日だった。皮肉にも生徒が書いた書き初めには皆興味がないようで講堂はガラガラだった。
玲華先輩の字は相変わらず綺麗で目を引くものがあって、玲華先輩の作品の周りをうろうろしていたらもっと広範囲で見回るようにと注意されてしまった。記憶に新しいのはそれくらいで、これといって特に目立ったことはなく平和に終わった。
展示会の見回りは終わったけれど、下校時間までまだ時間はあった。せっかく2人になれたのにここで帰るのはもったいないと思ったのは玲華先輩も同じなようで、理由もなく風紀室を訪れたのであった。
体育祭、文化祭と大きな行事は終わったので、3学期はそれほど忙しくはならないそう。玲華先輩も特にやらなければならない仕事が溜まっているわけではないみたいで、本を読むかのようにファイルに目を通しているだけだ。
私もぼうっとしながら呼吸を繰り返していた。何か話すわけでもないけれど、玲華先輩と一緒にいると居心地が良い。私は一緒にいられる空間そのものを楽しんでいた。
一緒にいられるだけで良いだなんて欲がないなと思いながら、ふとソファに目をやり私は千夏先輩に言われた言葉を思い出した。
リードするのは私、かぁ。玲華先輩も暇そうにしているし、今この瞬間こそ仕掛けるにはうってつけのチャンスかもしれない。やるか。いちゃいちゃできる様々なシチュエーションを頭の中で巡らせる。ああでもないこうでもないと考えているうちに1つ案を思いついた。
その名も「後ろから抱きしめて胸に触れる」作戦である。以前、千夏先輩がそれを玲華先輩にやっていて、先輩は嫌がっていたけれど顔は悶えていて可愛かった。先輩の照れる顔、泣いた顔、笑った顔を見てきたけれど、ああいう顔は私と2人きりの時に見せてくれたことがない。だから今日は是非とも見せていただきたいところだ。
いきなり胸に触れたら玲華先輩はきっと驚いて千夏先輩にやられた時のように抵抗してくるだろう。その顔をばっちり見届けた後に言うセリフは決めている。「私たち付き合ってるんだからいいじゃないですか」と。
きっと先輩は何も言い返せないか、ムキになって何か言ってくるかのどちらかだ。それで相手のペースを崩して流れを掴み、玲華先輩唇を奪う。後ろから抱きついてキスするなんてちょっとドキドキする。我ながらこれは名案だ。
たかがこんなことに作戦を立てるなんて笑ってしまいそうになるけれど、この時間もゲームの戦略を練っているようで楽しい。
ファイルに目を通している玲華先輩の背後に回ってゆっくりと近づいた。
「隙あり!」
「――っ!」
唐突に後ろから抱きしめて胸に触れてみた。おぉ、思ったより柔らかい。何度かその感触を確かめるように、あえていやらしく手を動かしてみたが何故か玲華先輩は立ったまま固まってしまった。
あれ、思ってた反応と違う。
「……なに」
玲華先輩はそう言うと、持っていたファイルを机に置いて首をこちら側に少し動かした。
「え……こうしたらどんな反応するかな、と思って」
「触りたければ触ればいいわ」
あれ、抵抗されない……?
「嫌じゃないんですか?」
「私たちは付き合っているのよ。別に触れられて嫌だとは思わないわ」
私が言おうとしていたセリフを玲華先輩に先に言われてしまった……。
「あぁ……そ、そうですよねぇ。はははは」
予想だにしない展開に戦意喪失してしまった私は一旦玲華先輩から離れてソファに腰掛け、頬杖をついた。
どうしよう。作戦失敗だ。何か新しい作戦を……。
そう考えていると私の隣に玲華先輩は座ってきた。
「未来、腕を出しなさい」
「え? 腕……? こうでしょうか」
何の意図なのか分からないまま腕を軽く持ち上げてみると、玲華先輩は私の腕を抱え込むように抱きしめた。
「せんぱい!?」
「……だまって」
そのまま私の肩に玲華先輩の頭が触れて体重が乗せられた。だまってと言われてしまったので口を閉じて玲華先輩の顔を覗き込むが、既に瞳は閉じられていてゆっくりと呼吸を繰り返している。
少し動かそうと力を入れてみるが私の腕はビクともしない。玲華先輩の体温が私の腕全体を包み込んでいる。
え、このまま寝ちゃうの?
私、どうしたら良いの?
密着しているのでこちらもドキドキしてしまうけれど、これは何のプレイなのか。とりあえず空いている片方の手で玲華先輩の頭を撫でてみた。
うん、かわいい。かわいいんだけどいつまでこうしているつもりなんだろ。
本当に眠ってしまったのか、スースーと小さな呼吸音が真横で聞こえてきた。
どうしよう。何もできない。私も倣ってちょっと眠るべきなのだろうか。でも下校時間までもう少しだし、寝過ごしたら……。仕事もせずに居眠りしてたなんて他の人に知られたらそれはそれで困る。
動けずにじっとしていると、風紀室の扉が開いて洋子が入ってきた。
やばいっ。立ち上がろうとするが私の腕は動かない。
「お疲れ様ー! ってあ……」
異変に気がついたのか洋子はその場で固まってしまった。
「洋子お疲れ……」
「あのー……未来さんの腕に絡まってる人、ダレ?」
洋子は扉の前に立ったままおそるおそる私に聞いた。
私と玲華先輩が付き合ってることは、初日に恋人つなぎをしたせいで一斉に噂が広まってしまい、もう風紀委員全員に多分バレているが、暗黙の了解なのか誰からもこの件については触れられなかった。
しかしながらこんな姿の玲華先輩はさすがに知らなかったようで、洋子の顔面は引きつっていた。
「風紀委員長だよ……」
「へ……えええぇぇぇぇ!!」
洋子は分かりやすく驚いてみせた。
いや、知ってて聞いてきたよねあなた?
「しーっ。起きちゃうから……!」
「あ、ごめん。やばい、かわゆい! これ写真撮りたいいい」
洋子は玲華先輩の寝顔を見ると、ぴょんぴょんとその場で飛び跳ねた。そうだ、私の彼女はかわいいだろう! でもスマホは使えないから写真はNGである。
「どうぞって言いたいところだけどね……。洋子は何しに来たの?」
「見回りまで暇だったから誰かいるかなーって思って来てみたんだけど……やばす。
アレだ! ねむると、あまえると、まきつくと、かたくなるを覚えたポケットサイズのボールから出てくる新モンスターだ羽山先輩は! 未来さんやばすなぁ、すごいモンスター捕まえちゃったね」
「どうしようこれ。ボールに戻すべきかな?」
「未来さん頑張って! 私図書室行くから。羽山先輩には、ゆめくい使われないように気をつけて」
「ゴーストタイプには気をつける……!」
「健闘を祈る!」
洋子はその場で敬礼して風紀室から出て行ってしまった。そりゃこんな状態だったら無理もないか……。私も同じ立場だったら見なかったことにしてすぐ出ていくと思うし。
でも入ってきたのが洋子で良かった。千夏先輩ならどうなってたことか。きっといじり倒される。いや、でも空気が読める千夏先輩のことだから洋子と同じように出て行くのだろうか。あの人は行動が読めないなぁ。
再び2人だけの空間になる。
相変わらずかわいい顔して寝ているけれどいつまでもこのままでいるわけにもいかない気がする。
「せんぱーい」
返事がない。ただの屍のよう――。
「おーい。れいぴー」
空いている手でほっぺをつついてみた。
ふにゃっとした感覚を指先で感じる。されるがままの先輩がかわいい。そのまま頬を撫でてみた。しっとりとして少し冷えている。白くて綺麗な肌に手がまるで吸い付くようだ。これは癖になりそう。
しばらく玲華先輩の頬をいじくったりして遊んでいたけれど、時計を見てずいぶんと時間が経過していることに気がついた。さすがにそろそろ起きてもらわないと困る。
「おきてー。そろそろ帰りますよー」
軽く頬を叩いてみたけれど反応はない。
どんだけ眠いの……。また何か色々と頑張りすぎて疲れちゃっているのだろうか。
「起きないとキスしちゃいますよー?」
相変わらず無反応。
もう本当にしちゃおっかな。顔を少し近づけてみるけど罪悪感に駆られてやめた。こんな綺麗で私のことを信じて包まって寝ている人の唇なんか奪えない。汚しちゃだめだ……。純白なんだから。
あぁ、理性よ保て……。ぐっと唾を飲み込んだ。
もう無理やりでも起こす……?
でもこんなに気持ちよさそうに寝てるのになぁ。
「……じゃあ、起きてくれたらキスしちゃいます」
ダメ元でそう言ってみると玲華先輩の目がパッと開いた。
「え……」
「……」
玲華先輩は私の肩から頭を起こしてこちらを見た。
目が合う。
「早くして」
早くしてってキスのこと?
「あの、起きてたんですか……?」
「……今起きた」
これ絶対前から起きてたよね? いつから起きてんだろう。
唖然と瞬きを繰り返している私のネクタイを引っ張って玲華先輩は距離を縮めてきた。
目の前に綺麗なグレーの瞳。じっと見つめあってみると先輩の頬が赤く染まり出してなんとも艶やかな雰囲気である。あぁ、自分から近づいてきたくせにかわいすぎる。鼻から吐き出される息を微かに感じる距離感に心臓が高鳴り、息苦しさにも似たようなドキドキを感じる。
玲華先輩はやっぱりキスは私からして欲しいって思ってたんだろうな。ネクタイを引かれている今、もう私は前に進むしかなかった。そのまま口づけて、唇を離して再度見つめた。蕩けるような眼差しで見られている気がして胸が更に脈打つ。
足りない。もう1回。
「んっ……」
少し口を開けて玲華先輩の唇を挟み込むようにしてキスをしてみた。相手も私の動きに合わせてくれたようで唇と唇の隙間を埋めるような何とも言えないフィット感に身体の力が抜けていく。そのまま何度か相手の唇を挟むように口づけを繰り返した。唇と唇が離れたときに出るリップ音が風紀室に静かに響き、耳で感じるそれに身体が、心が満たされていく。
「……玲華先輩、キス上手くなりました?」
玲華先輩の成分を補給して少し満足した私は一旦唇を離してから尋ねてみた。
あきらかに最初の頃よりも上達している。こんなにキスに心地よさを感じたことなんてなかった。
「あなたにへたくそと言われたから練習したのよ」
玲華先輩はそう言って目を伏せた。
勉強においても予習復習をかかさないんだもん。負けず嫌いだから下手って言われて頑張ったんだろけど、はたしてどうやって練習したのか。
「練習……? 私じゃない誰かとしてたんなら、さすがに怒りますよ?」
口をムッと結んで尖らしてみた。
きっとそんなことないって分かってるけれど、少しいじめたくなってしまった。
「そんなわけないでしょう!?」
焦ったように玲華先輩は答えた。
あぁ、思った通りの反応。かわいい。
「じゃあ1人でしたんだ……どうやって練習したんですか?」
「うるさいわ。言わせないで!」
顔を真っ赤にした玲華先輩は恥ずかしそうにそう言うと口をギュッと横に結んで俯いてしまった。この顔、千夏先輩にやられた時にしてた顔だ。
私にも見せてくれた! 途端に嬉しくなってもっとからかいたくなった。
「どんな風に練習したか知りたいなぁ。私の前でやってくれませんか?」
「だまって」
「嫌です。だって先輩がかわいいか――んっ」
先輩の方から一瞬口づけられて離される。
「……だまってと言ったでしょう」
「分かりました。じゃあ黙りますからもう少しキスしましょう」
玲華先輩の頬に手を添えて固定して、再度唇を重ねた。練習したであろう柔らかな唇で受け入れられる。それはあまりに甘美なる時間だった。
練習してたくらいだし、きっと玲華先輩もまたキスしたいと思ってくれていたんだろう。そう考えると少し遅くなってしまったかもしれない。といってもまだ付き合って1ヶ月も経ってないのだけれど。
冬休み中、現在はイギリスで暮らしている祖母の家に行くとかで玲華先輩には会えなかった。正直寂しかった。
その会えない時間を埋めるように優しく何度も口づけた。
再び感じる塩味。目を開けると玲華先輩は泣いていた。
「先輩……?」
制服の袖で涙を拭った。
「嬉し涙よ……」
「……それなら大歓迎です」
また求めてしまうのが辛いなんて言われたらどうしようかと思った。ほっと一息つく。
催促されるかのようにネクタイを引かれたので、再び口づける。
「ん……未来……」
そう名前を呼ばれて玲華先輩の手が背中に回った。
下校時間までもう少し。
もう少し、こうしていても良いよね。
この日私たちは今までで1番長いキスをした。
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