校則違反 Ⅱ

『放課後に風紀室へ ――清水』



 そう書いた手紙をこっそり玲華先輩の席の上に置いた。

 私は1人の風紀委員として玲華先輩に注意しなければいけないことがある。今日はそのために先輩を呼び出した。



 まだかな。時計を見る。時間はまだ全然経っていないが少し落ち着かない。



 いきなりの呼び出しに応えてくれるか若干不安だけれど、きっと大丈夫だろう。来てくれるはずだ。

 風紀室で仁王立ちで待ち構えていると、少ししてから扉が開いて玲華先輩が入ってきた。



「何? 私を呼びだすなんて良い度胸ね」



 玲華先輩は少し不機嫌そうに腕組みをしながらこちらを見た。

 来てくれた! そのこと自体が嬉しくてつい顔が綻びそうになるのを抑えた。普段の玲華先輩のあの感じ、厳粛な空気を醸し出そうと咳払いをして真顔を作る。



「そこの椅子に座ってください」



 手を引いて玲華先輩を椅子まで誘導して座らせ、向かい合うと肩に両手を置いて体重を乗せて顔を覗き込んだ。



「私は注意しなければなりません。何故なら先輩は校則違反をしているからです」


「は? 何を言っているの。校則違反なんてしてないわ」



 少し目を見開いて訝しげな表情で反論される。座っていることもあって玲華先輩に上目遣いで見られてソワソワしてしまう。あぁ、冷静に、冷静に。湧き上がる感情を必死に抑える。私、演技下手かもしれない。



「だって……じゃあなんでこんなに良い匂いなんですか。香水は禁止ですよ」


「香水はつけてない」



 私は玲華先輩の髪に鼻を近づけた。ふんわりと香るシャンプーの匂いだ。これはこれで良い匂いなのだけれど、あの独特の石鹸のようなさわやかな匂いはどこから来てるのか。

 制服の時も私服の時もいつも同じ香りを漂わせている。髪の毛ではないとしたら柔軟剤かな?

 どれどれ。制服の香りを嗅ごうと襟元に顔を近づけると、ごくっと玲華先輩の喉元が動いた。



「何をしているの……」


「検査です」



 襟元の制服の匂いをくんくんと嗅いでみたけれど無臭だった。

 じゃあ肌から直接香っているということだろうか。でも、そんなことってある? 

 玲華先輩の白い首元に鼻を近づけるが髪の毛から近いからかシャンプーの香りがほわっとするだけだ。あの香りはどこから出てるんだろう。ホント、不思議だな。

 そのまま息を鼻から吸いながら胸元の方に顔を下らせる。香りの根源はどこだ。

 


「未来。やめなさい。私は校則違反なんてしてないわ」

 


 耐えきれなくなったのか玲華先輩はそう言うと私の肩を少し押して遠ざけた。耳がちょっと赤くなっている。

 自分の行動を振り返ってみたけれど、好奇心に任せてちょっと変態ちっくなことをしてしまったかもしれない。

 仕方ない。香りの件についてはまた別の機会に検査するとして、今回は許してあげよう。



「分かりました。じゃあこの件は100歩譲って良しとします。でもまだ私は注意しなければならないことがあります。先輩の肌も校則違反です」



 淡々と告げた。

 玲華先輩は一瞬固まった後に、ようやく口を開いた。



「どういうこと?」


「こんな綺麗な肌、化粧してるようなもんじゃないですか」



 玲華先輩の陶器のようなきめ細かな頬を両手で包むように挟むと少し上を向かせて目を合わせた。

 ずっと触っていたくなるようなすべすべとした肌なのにどこか瑞々しい。色素の薄い白くてシミ1つない肌。どうしてこんなに綺麗なんだろう。



「……そんなこと言われたって知らないわ」



 私の両手に挟まれた玲華先輩は目だけ動かして斜め下の方を見た。されるがままになっているのがかわいい。

 あぁ、もう分かってないな。そういうところが反則なんだよ。先輩の存在そのものが私にとっては校則違反のようなものなのに、なんでこの人は風紀委員長やってるんだろう。



「あとね、その目も表情も校則違反です。目はカラーコンタクト入れてるようなものですし、表情もかわいすぎます。自分が今どんな顔してるか分かってるんですか? あぁ、もう本当かわいい……」



 思わず目を瞑って片手でおでこを押さえた。こういうの悶えるっていうんだろうな。



「未来……後輩のあなたが先輩の私にそういうことを言うものじゃないわ」



 少し困ったような表情の玲華先輩の目がこちらに向いた。



「いつも先輩が後輩がって言ってますけど、そんなの私たちには関係ないでしょう?」



 玲華先輩は責任感が強いから先輩である自分がって思っていそうだけれど、付き合っている私たちには関係のないことだと思う。

 実際、先輩である玲華先輩がよく甘えてきてるわけだし今更だ。



「でも……」


「かわいいものはかわいいんですから、しょうがないです」



 思えば心の中で何度も何度もかわいいと言ってきたけれど、玲華先輩に直接かわいいと言ったことは全然なかった。後輩にかわいいだなんて言われたら戸惑ってしまうものなのだろうか。



「そんなことない。あなたの方が……」



 そう言うと、玲華先輩は口ごもってしまった。



「私の方がなんです?」


「…………」



 頬を紅潮させてもじもじとしている。

 その表情があまりにもかわいかったので座っている玲華先輩を思わず上からぎゅっと抱きしめてしまった。玲華先輩の香りに包まれる。

 そのまま玲華先輩の回答を待ちながらじっとしていると、ゆっくりと背中に手が回し返された。暖かい。



「言ってくれないと、離れちゃいますよ?」



 いたずらに耳元でそう言うと、離れるのを拒むかのように玲華先輩は更に力を込めて抱きしめてきた。



「先輩、教えてください。私の方が、なんですか?」


「……か、かわいいと思う」



 玲華先輩の小さな声が首元で聞こえる。



「私が、かわいいんですか……?」


「……そうよ」



 玲華先輩が「かわいい」という言葉を使うのがなんだか意外だった。抱きしめているから顔が見えないけれど、どんな表情をして言ってるのか少し気になる。



「かわいいって顔がですか?」



 正直顔についてはずっと言われてきたことだから、あまり目新しさはない。

 人からかわいいと言われて嬉しくないわけではないけれど、もし玲華先輩が私のことを顔だけで選んでいたのなら少し残念な気もする。



「全部よ……何もかも」



 ぼそっと呟かれる。

 存在そのものがかわいいと思われているなら、それはそれで嬉しいかも。先輩が後輩をかわいがるなんてよく聞く話だし。



「全部かぁ……。先輩からはそう見えてるんですね。嬉しい」


「自覚がないの? だとしたらあなたの方が罪よ。あなたのその……かわいさに私は何度も自分のペースを崩されてきた……っ」


「え、そうなんですか?」



 少し驚いて、抱きしめていた手を緩めて玲華先輩を正面から見てみた。相変わらず顔が真っ赤で恥ずかしそうに目を逸らされた。

 私が玲華先輩のペースを崩してきた……? 

 そういえば千夏先輩にも、かわいすぎる時があるとか言われたことはあるけれど、そんなの嘘だ。自分のことをかわいいだなんて思ったことはない。

 私なんかよりもずっと玲華先輩の方がかわいいと思う。



「……」


「ねぇ、こっち向いてください」



 じっと目線を送ると、ちらっとこちらを見たがすぐに顔を背けられてしまう。人にかわいいって言うことがそんなに恥ずかしいのだろうか。なんか面白い。これまで自分の感情を封じ込めていたからか、こういうことを言い慣れてないんだろうな。

 恥ずかしがってる顔もかわいいのだけれど。



「やっぱり先輩の方がかわいいです。私なんかよりもずっと」


「ふざけないで! あなたの方が……かわいいわ」



 さっきとは一転、ムッとした表情で玲華先輩はこちらを見ると言い返してきた。



「いいえ、先輩の方がかわいいです!」



 私の方がかわいい訳ないじゃん! 

 ふざけてるのはそっちの方だ!



「……っ」


「むー」



 お互いムキになって数秒睨み合った。

 時が止まったかのような感覚になったが、五感が研ぎ澄まされて校庭で遊ぶ生徒たちの声が微かに耳に入ってくる。



「あははははっ。何やってるんですかね、私たち」


「……」



 なんだかこの空間が面白くて思わず笑ってしまった。玲華先輩も一瞬表情を崩して、少し口角を上げた。

 こういうやりとりでも、いちいち幸せを感じてしまう。



 笑った表情のまま玲華先輩の髪の毛を1束すくって耳にかけてみた。なんだか愛おしいな。



 再び見つめ合う。何か愛おしいものを見るかのような視線がお互い混じり合うと、自然と頭が動き先輩の唇に短い口付けをして、今度は口を尖らせてもう一度、口先で音をたてて軽く触れるキスをした。



「学校でこういうことするのは校則違反じゃないんですか? 風紀委員長さん。教えてください」



 近い距離感。吐息まじりの声で尋ねる。



「これが校則違反だとしたら私たちはもう風紀委員ではいられないでしょう」


「でも風紀室でこんなことしてるんですよ。しかも1度じゃない。校則違反ではないかもしれないですけど悪い子ですよね、私たち」


「……」



 言い返せないようで黙ってしまった。

 再び玲華先輩のなめらかな髪をすくって耳にかける。



「しかも私だけならまだしも、風紀委員長がこんなことしてるなんて」


「……あなたが……あなたが私をこんな風にしたんでしょう」



 玲華先輩は髪の毛に触れる私の手を掴むと、胸の位置で握り込んで俯いてしまった。



 私がこんな風にした。

 ……してしまった?



 玲華先輩は私と付き合ってから随分と変わったと思う。少しずつでも自分を出せるようになっているのは良いことだと思うけど……。

 玲華先輩は私と付き合って良かったとはたして思ってくれているだろうか。自分を出すことをずっと拒否していた先輩が、変わった。自分自身の変化に対してどう向き合っているのか。本当は困惑して戸惑っているのかもしれない。こんな自分は好きじゃないって。

 どのような心境で、先程の言葉を言ったのか先輩の俯いた表情からは読めない。



「玲華先輩。今幸せですか」



 少し緊張して身体に若干力が入る。



「……これが幸せじゃなかったら何になるというの。あなたが私に幸せを教えてくれたのよ」



 俯きながらも、握った手に力込められたのが分かる。



「良かった……」



 玲華先輩の返事を聞いて、安心して身体の力がスッと抜けていった。玲華先輩の幸せは、私の幸せだから。

 微笑みながら軽くハグをした後に、上に伸びをすると自分のバッグに手をかけた。



「そろそろ帰りましょうか」


「……帰るの?」



 玲華先輩は椅子に座ったまま私に訪ねてきた。



「玲華先輩に注意もできしたし、風紀委員としての私の業務は終わったので。……あれ、もしかしてもっと一緒にいたかったりしますー?」



 意地悪な言い方をしてみた。玲華先輩は少しムッとした表情で目を細めると立ち上がってこちらまで来ると、私の頭を持って引き寄せてきた。

 もう一方の手で前髪を横にかき分けてきたかと思うとおでこに、むにゅっと暖かくて柔らかい感触を感じる。



「ひゃっ」



 いきなりのことに驚いて声が漏れた。



「私を冤罪で呼び出した罰よ」



 唇を離すと玲華先輩はこちらを見下ろしてきた。後頭部に回った手が私の髪を優しく撫でている。玲華先輩の撫で方、好きだなぁ。



「玲華先輩。こういうのはご褒美っていうんですよ」



 また今度呼び出しちゃおっかな、なんて思った。



「……帰るわよ」


「はーい」



 玲華先輩も自分のバッグを持った。

 しっかりと付けられている猫の肉球ストラップが目に入って笑みが漏れた。



 風紀室のドアに手をかけようとしている玲華先輩の元に駆け寄って空いている方の手を握って指を絡ませた。



「ふふ、校門出るまで手繋ぎましょ?」


「未来……私のことを良い匂いがすると言ったけれど、あなたからも良い匂いがするわ」


「え、本当ですか? 柔軟剤新しいのに変えたからかなぁ」



 茜色に染まる冬の空の下、私たちの繋がった影は長く伸びていた。






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