特等席

 風紀委員、昼のミーティング。

 お弁当を持って風紀室に入ると、もう既に皆席に着いていた。

 ミーティング前にトイレに寄ったのだが、珍しく人が並んでいて結構待たされてしまったため、着くのが少し遅れてしまった。時計を見るが、まだミーティング開始まで時間には余裕がある。

 直前の授業が移動教室だったり体育だったりする生徒もいるため、配慮としてミーティング開始の時間は少し後ろにずらしてあるのだ。



 玲華先輩はホワイトボードの前に立って、綺麗な文字で今日の話すことのアジェンダをまとめていた。

 風紀委員の皆は適当な席に座ってだべっている。

 どこに座ろうかな。

 いつもなら、私は自然に洋子の隣に座っているのだが今日は他の1年生に座られてしまっていた。



 空いている席を探す前に近くに座っている千夏先輩が目についた。のけ反って暇そうにペン回しをしている。ここでいいや。



 私は千夏先輩の前まで行くと、膝にちょんと腰掛けた。



「うお、なんか来た」


「来ました」


「へぇ、飼い主の膝に座るなんて未来も分かってんじゃん」



 千夏先輩はそう言うとガシガシと私の頭を撫でてきた。



「ちょっと! だからその撫で方やめてくださいよ、いつも髪ぐちゃぐちゃになって直すの大変なんですよ?」


「うん。そう思ってあえてこの撫で方してる」


「……は!? 信じられない! もうやめてください!」


 

 わざとだと……? あり得ない! 悪意の塊じゃん!

 いつも無造作に頭を撫でてくるけど、これが千夏先輩のデフォルトなのかと思っていた。なのに、あえてこのような撫で方をしているという事実がたった今発覚して私は怒りに任せて千夏先輩の手を掴んで下に追いやった。



「同じことしてあげましょうか?」


「えー?」



 立ち上がって反撃しようとしたが、千夏先輩の腰に回った手が私の腕ごと巻き込んで力を込めてきたせいで叶わなかった。その場で足をじたばたさせて抵抗を試みるが圧倒的力の差で抑え込まれてしまう。



「離してください!」


「離したらあたしの髪の毛ぐちゃぐちゃにして来るんでしょ? じゃあ無理かなー」


「自分がやられて嫌だと思うことは人にもしないでください!」



 千夏先輩が私の怒りに燃え上がる心に油をまいたせいで私の声のトーンは大きくなる。

 いっつも自分だけずるい。私はそんなに負けず嫌いな方ではないけれど、千夏先輩に負けるのはなんか嫌だ。



「まぁ落ち着きなってー」



 私がこんなに頑張ってこのアリジゴクから抜け出そうとしているのに千夏先輩は余裕そうな声のトーンだ。

 この剛腕女め……! 悔しい!



「落ち着いていられますか!」


「はは、必死すぎだなー。そうやって抵抗するから余計にやりたくなるんじゃん」



 千夏先輩の片方の手が伸びたかと思うと、なんとその手は私の胸を掴んできた。



「は! なにしてっ……!」


「うーん。B?」


「最低!」



 少し気にしていたことなのに言い当てられて思わず身をくねらす。

 しかも皆のいる前で最悪だ!



「お、ビンゴかー」


「ばか! 変態! ドS!」



 面白がっているようでクスクスと笑い声が背後から聞こえる。もういくら抵抗しても身体の自由が得られない今、私にできることは声を出して千夏先輩を罵倒することくらいだった。しかし全然効いてないみたいだ。



「千夏、やめなさい。嫌がっているでしょう」



 私の声に気が付いたようで玲華先輩はこちらを向くとそう千夏先輩に言った。



「えー? ペットを愛でてるだけだよー」



 千夏先輩は私の胸を掴んだままの体勢で答える。

 玲華先輩は不快そうに顔をしかめた。



「いつからあなたのペットになったの?」


「えー? ずっと前から。ね?」



 同意を求められたけど、私は千夏先輩のペットなんかには――



「ふざけないで!」



 玲華先輩の声が響いた。

 風紀室にいる皆は威勢に驚いて口を閉じてしーんとなってしまった。



「……こわっ。あはは、参ったなぁ。怒られちゃったー」



 千夏先輩はそんな空気をなんとか和ませようとして笑顔を作っているが皆、苦笑いだった。



「早くその手をどけなさい」


「へーい。……これ絶対将来、鬼嫁になるやつじゃん」



 千夏先輩は手を緩めると、ぼそっと呟いた。



「何か言った?」


「なんもー」



 やっと解放された私は、空いている席に腰掛けた。

 千夏先輩の膝は地雷だった……。玲華先輩に助けられたけれど、変な空気になってしまった。みんな口を閉じている。

 隣に座っている2年生の先輩は妙な目でこちらを見ると、うんと頷いた。これって私のせい……?


 

 

 そうしているうちに時間になったのでミーティングがスタートした。いつも通り、玲華先輩は淡々と司会進行を務めているが、今日は何度も玲華先輩と目が合う気がする。



 内容としては特段目立ったものはなかった。書き初め展示会の反省や新しい風紀委員長の自薦はあるかといった話で、私たち1年生からの立候補者は今のところいない。

 また、最近は校則違反をする生徒も減ってきたそうで、学院長からお褒めの言葉をいただいたみたいだ。挨拶運動や校内巡回を通して思うことだが、3学期になってから生徒たちはどこか生き生きしているように見える。これが恋愛禁止の校則が緩んだことと関係があるのかは分からないけれど、そうであったら良いことだと思う。



「――以上で昼のミーティングを終了します。未来は残って。やってもらいたいことがある」


「え……あ、はい。わかりました」



 ミーティングが終わり、ぞろぞろと他の風紀委員が風紀室を出て行く。

 一応3学期も役職にはついているわけだし、きっと書記としてやってもらいたいことが何かあるのだろう。



「あの、やってもらいたいことって何ですか?」



 先輩の近くまでいって問いかける。



「後で言う」



 玲華先輩は椅子に座ると、生徒会の発行した学院新聞に目を通しながら短く回答した。



「分かりました……」



 後でっていつだろう。

 とりあえず玲華先輩の近くの席に腰掛けて、業務を告げられるタイミングを待った。

 見渡すと風紀室の中にはまだ1年生と千夏先輩が残っている。



「ねー、購買に買い物行きたいんだけど付き合ってよー」


「え、でもこれ書かないと……」


「それ後で手伝ってあげるからさー。あとなんかジュース奢ってあげるから。ちなっさんのお願い聞いてよー」


「もージュースで釣ろうとしましたね? 分かりましたよ……」



 風紀室で残って何やら作業をしていた1年生の手を引いて千夏先輩は出て行ったので、ついに私たち2人になった。



 玲華先輩が口を開いたのはその直後のことだった。

 


「未来、ここに座りなさい」



 玲華先輩が指さしたのは自分の膝だった。



「え……」



 思わず固まってしまう。



「……なに? できるでしょう」


「え、やってもらいたいことってそれですか?」


「そうよ」


「ええぇー……」



 業務関係じゃなかった……。その場で瞬きを繰り返す。



「千夏の膝には座れるのに私では無理というのは納得ができないわ」



 玲華先輩は強固な姿勢を崩さない。

 まさかそんなこと言われると思ってなかった。風紀委員長のお膝元なんて。

 玲華先輩の綺麗に伸びる脚を凝視して、私は思わず手で口元を押えた。



「いや、なんか恐れ多いというか……玲華先輩だから変に意識しちゃうっていうのはあります」



 相手が玲華先輩だと途端に恥ずかしくなるのってなんでだろう。だってあの玲華先輩の膝だぞ……。

 いつもこういうことは玲華先輩からしてくるイメージがあるし、自分がやるとなると躊躇してしまう。



「いいから座りなさい」


「はい……」



 やらない以外の選択肢はなさそうなので言われるがまま、徐に玲華先輩の膝に浅く腰掛けた。全体重をかけるのは恐れ多いので少し脚に力を入れて、玲華先輩にかかる体重を減らした。

 腰の位置に先輩の片手が回ってホールドされる。あぁ、これはドキドキする……。相手が違うだけでこんなに変わるものなんだ。



「未来。もう他の人の膝には座らないで」



 背中から玲華先輩の声が聞こえた。



 やってしまった……。

 さすがにそんな気はなかったとしても、千夏先輩の膝に座るのは玲華先輩の前では配慮が足りていなかったかもしれない。

 次から気をつけよう。反省反省。



「……ごめんなさい。なんか自然にそうしちゃってました。もうこれからは玲華先輩の膝にしか座りません」


「当たり前でしょう」



 少し強い力で抱きしめられる。



「あの……重くないですか?」



 叶恵やみっちー、千夏先輩には遠慮なく座れるのに玲華先輩には重いって思われたくなくて……。

 地につけた脚の力を抜くことができなかった。



「重くない。まだ力を入れているでしょう。抜いて」


「はい……」



 見破られていたようで、そう言われてしまったので諦めて脚に入っていた力を抜いて体重を預けた。あぁ、大丈夫かな、重くないかな。

 そんな私の心配とは裏腹に、ゆっくり吐く息と共に全身が沈んでいくような感覚に陥る。玲華先輩は私を黙って後ろから抱きしめてくれている。背中に感じる体温が心地良い。そのままもたれかかるようにして体重を乗せてみると、しっかりと受け止められた。



「……」


「……」



 交わす言葉はなく、身体が密着した状態で、お互いの体温を感じていた。



「先輩の事抱きしめたいです。いいですか?」



 抱きしめられるのはとても心地良い。だけれど、湧き上がる欲求には抗えない。

 背中に感じる体温だけでは物足りなくなって、無性に玲華先輩の身体に手を回したいと思ってしまった。



「……だめなわけがないでしょう」



 その言葉を聞いて、私は90度向きを変えて先輩の膝に座り直し、体を斜めに曲げてすがりつくように上から抱きしめてみた。あぁ、良い匂い。

 体を丸めて玲華先輩の首元に頭を埋めて目を閉じて深呼吸した。密着したこの状態から大きく鳴っている自分の心臓の音が聞こえてしまうのではないかと少し心配になるが、制服越しに伝わる玲華先輩の心臓の音も速かった。



「先輩の身体、柔らかくてあったかくて気持ち良い」



 母親に抱きしめてもらったことってあったっけ……。女の人の身体って柔らかい。暖かくて落ち着くのに、ドキドキが止まらない。このなんとも言えない心地良い感覚に呼吸をただ繰り返しながら、その場の空気に浸る。



「……あなたもこういうこと、できるのね」



 玲華先輩は片手で優しく私の頭を撫でながら、耳元で細い声を出した。



「私が甘えるの意外でした……? なんかこうしてるとなんか安心しますね」


「未来……」



 人肌が無性に恋しくなることがある。今日はこうしてくっついていたいな。

 だって昨日――



「昨日ね、怖い夢見て夜中起きちゃいました。その時思ったんです。玲華先輩が隣にいてくれたらなって……」



 前よりは頻度は減ったけれど、私はまだ悪夢にうなされることがある。私に恨みを持った男が殺しにくる夢だ。

 昨日は起きてしまった時、隣に誰かいて欲しいと思った。でもそれは誰でも良いわけじゃない。玲華先輩にいて欲しかった。



「どうして連絡してくれなかったの」


「だって、寝てるかなって思ったし……」



 時刻は深夜。

 怖い夢を見たからといって連絡しても迷惑なだけかと思った。

 暗闇も中で乱れた息を整えて、またかと思いながら耐えていた。



「そういうことは遠慮しなくて良いのよ」


「ありがとうございます。なかなか人に頼るっていうのが苦手で……」



 未だに誰かに甘えることにはどこか苦手意識がある。でもこうして優しく包んでくれるなら――。



「甘えて欲しいと言ったでしょう」


「そうですね。じゃあもうちょっとこうして甘えてもいいですか?」



 先輩になら甘えたい。玲華先輩の首にキスをして、その後また頭を埋めた。



 返事の代わりのように玲華先輩はもう一方の手で持っていた学院新聞を机の上に置くと、その手をこちらに回してきて、両手で抱きしめられた。

 暖かさに力が抜けた。



「玲華先輩、あったかい。好き」



 感じる体温、安心する。

 ずっとこうしていたいと思ってしまう。体重を預けてゆっくりと深呼吸を繰り返した。



「未来……。っ……未来未来未来!」


「玲華先輩!?」



 突然、玲華先輩は千夏先輩にも負けない腕力で締め付けてきた。どうしちゃったの!



「あなたが愛おしくて仕方ない……」



 玲華先輩は更に腕に力を込めた。



 呼吸ができない。



「痛いって! 力強すぎですっ! あぁっ」


「うるさい」



 抱きしめられるのは嬉しいけれど、これはちょっとやりすぎだ。リラックスどころではなくなって、あたふたしていると昼休みの終わりを知らせるチャイムが鳴った。



 玲華先輩はハッとした顔をして腕を緩めると、すぐに学院新聞を棚に戻してから風紀室の扉に手をかけた。

 そういえば今日、玲華先輩はこのあと移動教室だった。



「私は悪くない。あなたがかわいすぎるからいけないのよ!」



 そう言い残すと、玲華先輩は風紀室のドアを閉めてあっという間にその場を去っていった。



「あぁちょっと……」



 そんな捨て台詞ってある……?



 玲華先輩に甘えてしまった。こんな自分もいたんだと我ながら少し意外だ。

 どこか人肌が恋しいと思うことはあったけれど我慢していた。

 玲華先輩にならまた甘えられる気がする。



 そろそろ私も行かなきゃ。

 ふっと息を吐き出してから風紀室を後にした。



 ――――――――――――――



 その日の夜のことだった。

 私の携帯に1通のメッセージが入った。



『出張で一時帰国することになった。時間作れるか?』



 それは父からだった。

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