2月
ガラクタ
2月の頭。
夜、父が私の家を訪れた。
出張で日本に一時帰国した父は、取引先の会社の近くのビジネスホテルに泊まるそう。ホテルからここはそこまで離れていないため、空いた時間を使って私に会いにきた。ずっと今まで音沙汰なしだったのに何故急に連絡して来たのかは分からない。たまたま出張のタイミングが合ったからなのか、何か重要なことを伝えに来たのか、単なる気まぐれなのか。
とりあえず父を家にあげると、お茶を出した。
父はテーブルにノートパソコンを置いてカタカタとタイピングしている。こんな時にも仕事。私はタイピング音を聞きながらスマホの画面とにらめっこしていたが、父のことが気になって気が散ってしまい、スマホに映し出されている内容は全く頭に入ってこなかった。
父は一息つくと、パソコンの画面を閉じて眼鏡を外し、眉間を親指と人差し指で押さえた。……こんな顔してたっけ。少し疲れているみたいで眉間のしわが以前よりも濃くなっているように見える。父は私を視界に入れた。
私は父を前にどうして良いのか分からず俯いた。目を合わせたくない。さっきみたいに何かやってくれていた方がまだ良かった。
私が出したお茶をぐびっと飲むと父はカバンから袋を取り出した。
「少し早いが誕生日プレゼントだ。未来も高校生になったし奮発した」
「……ありがとうございます」
今月は私の誕生日の月。
普段全く話さないくせに父は毎年何かしらを私にプレゼントする。きっと事務作業のように思ってるんだろう。とりあえず何か渡しておけば良いだろうと。
私は袋を受け取って、そのままテーブルの上に置いた。その場で中身を確認する気にはなれなかった。
父は立ち上がると部屋の様子を見渡した。
「綺麗にしてるな」
「……はい」
一応、父が来ると分かっていたので少し片付けておいた。
「飯はちゃんと食ってるか」
「はい」
「自炊してるんだな」
キッチンに置かれた調理道具や調味料を見ると父は顎に手を置いて感心したように言った。
「はい」
「学校はどうだ。うまくやっていけてるか」
「はい。それなりには」
「友達はできたか」
「はい」
「彼氏はできたか?」
「……いいえ」
父は間を持たせようとしているのか知らないが次々に質問してきた。
彼氏はできたかなんて、私の男関係を心配して女子校に入れたくせによくそんなことを聞いてくるな……。
この人は私が通っている学校が男女交際禁止だったということも、私が風紀委員であることもきっと知らない。無関心。所詮はそんなもんなんだ。私のことなんてどうだっていいくせに何でうちに来てるんだろう。なんでここにいるんだろう。
「……未来。その話し方やめてくれないか」
父の眉間のしわはより一層濃くなった。
「……」
そんなこと言われても、無理して明るく答えろとでもいうのか。私は質問に答えているだけだ。今更何も話すことなんてないのに。
何も言い返す言葉が見つからずに黙って目を伏せた。
「敬語なんて使わないでくれ」
「……もうどう話せばいいのか忘れちゃいました」
父のこの声を聞いたのもいつ以来だろうか。連絡も滅多にしてこないからどう話していたのかも忘れてしまった。連絡があったとしても事務連絡のようなやり取りしかしてこなかった。
親しげに話すなんて到底できないし、タメ口を使うことにも違和感がある。
「親子なんだから普通に話せばいいだろ」
一瞬理解が追いつかなかった。目の前に立っている中年の男の人が、自分は親だと言っている。
そんな風にしか受け取ることができない。
「あなたは私のことを子供だって思ってくれてるんですか……?」
親子という言葉が父から出てきたことに動揺を隠せなかった。
一緒に住んでいる時は同じ家に住む「他人」のようだった。父は、ロボットのように私にお金さえ渡しておけば良いと思ってる。檻にいる動物に餌を投げ入れるかのように雑で淡白な扱いだった。
そんな人が――。
「当たり前だろ。何言ってんだ!」
父は目を見開いてすごい剣幕になった。
「親子か……。じゃあ私のことを愛してますか」
声が震えた。答えは分かっている。父は私を愛してなんかいない。
どうして答えが分かっているのに、こんな質問をしてしまうのか自分でも分からなかった。多分、愛してないって言わせたかったんだと思う。そう言ってくれたら、あぁやっぱりそうだったんだねって諦めがつくから。今更親子だと主張する父にそう言わせて私たちの関係なんて所詮そんなもんなんだって思いたかった。
でも、愛してないと面と向かって父に言われることはどこか怖かった。それは自分の存在を真っ向から否定されていることと同じだから。だから私の声はこうして震えているのだ。
「……愛してる」
父は私にそう言った。
その言葉を聞いて私は怒りが溢れた。
嘘をつかれたからだ。
「嘘だよ! パパは私のことなんて愛してない!!」
感情が爆発して声を張り上げた。
「未来。馬鹿を言え。子供を愛さない親がどこにいるんだ!!」
父も興奮しているのか私に負けない声のボリュームを出した。
「そんなの嘘。嘘だよ!」
『子供を愛さない親なんていないじゃないですか〜』
以前、テレビに映るタレントが言った言葉に私は不快感を募らせてチャンネルを変えた。すぐにチャンネルを変えたのにその言葉は私の中に今でも残り続けている。
子供を愛さない親なんていない。そんな言葉は世の中を美しく見せるための建前の言葉でしかない。
言い訳にも使えるその言葉を目の前の男に使われていることに苛立ちを隠すことができず、同時に涙が溢れてきた。どうしてこんなに惨めな思いをしなければならないのか。
だったら最初からはっきり愛していないって言ってくれた方がマシだった。
「嘘じゃない!」
それでも父は断固と否定した。自分をそうやって正当化して責任逃れをしようとしているだけだ。私には分かっている。
「私知ってるよ。この学院に入れたのも私が男関係の揉め事を起こすのが面倒くさかったからでしょ? 結局私はパパにとって面倒くさい存在でしかないって知ってるよ」
「違う、未来を守るためだ! 子供を傷つけられて俺はショックだった。あそこは治安が悪かっただろ。お前を刺すような奴がいない治安の良い秩序の保たれた学校に行かせたかっただけだ」
「……よくそんなこと言えるね」
呆れた。
頬に涙がつたっているが、私は鼻で笑った。
「未来。俺はお前の将来に希望が生まれるようにと願いを込めて、未来と名付けた。それは今でも変わってない。愛していなかったらこうして顔を見に来ないし、振込だってしない!」
「……振込をすることがパパにとっては愛なの?」
「……」
父は息を切らして肩を上下に揺らしながら目を見開いて唖然としている。こんな父を初めて見た。でもそれはお互い様だろう。
「お金を渡しておけばそれで良いって思ってるでしょ……」
お金は愛情なんかじゃない。
それだけは私にもはっきり分かる。私は愛に飢えていた。お金は私を満たしてくれなかった。
「……俺は家が貧乏で、ろくにうまい食べ物も食べられなかったし欲しいものだって手に入らなかった。金を持ってないだけで除け者にされて、お前の家は貧乏だと後ろ指を指されてきたんだ。腹を空かせながら毎日毎日どうやったら俺は幸せになれるんだって考えていた。
でも未来は違うだろう? 欲しいものは手に入るし、うまいものだって食べられるはずだ。金を持ってないと馬鹿にされることもない」
父の顔をまじまじと見た。嘘をついている顔ではなかった。本気でそう思っている。
動揺しながらも心配そうな表情をしていて、それはどこか自分と面影が重なる気がして余計に涙が溢れた。この人、やっぱり私の父親なんだ。それが無性に悔しい。
「私が欲しいのはお金なんかじゃないよ! もっと一緒に過ごしたりしたかったんだよ……でも私のことを無視してた。今までずっと連絡もしてこなかったくせに急に来たかと思ったら親ぶってさ! もう放っておいてよ、私のことなんてどうだって良いんでしょ!」
言葉にしてから気がつくことがある。私は父に対してもう何もかも諦めていると思っていたのに、違った。まだどこかで父の愛情を求めている自分に気がついてしまった。
悔しくて悔しくて仕方ない。こんな人に何かを望むことは無駄だと分かっているのに。求めたくなくても求めてしまっていることが辛い。もどかしさは苛立ちに変わり、大粒の涙となって私の頬をつたった。
その場で部屋着の袖で涙を拭いながら声を殺して泣いた。
「……ごめん、未来」
父は静かに謝罪した。
私は初めて父に対して感情を荒げて、本音をぶつけた。
こんな私は知らなかったようで、父も口を半開きにして顔を下に向けている。
今更謝られたって、何にもならない。
本当にこの人は反省しているのかさえ分からない。何に対しての謝罪なのかも分からない。もう何もかも最悪な空間だった。呼吸をしているだけで辛い。
「金のない生活は考えられなかったからキャリアは捨てられなかった。それで寂しい思いをさせたことは謝る。でも、そのうち未来も自室にこもって俺を避けるようになっただろ。どう接していいのか分からなかった」
「なにそれ……」
昔からそう。貧乏な家庭で育った父はお金に対する執着がすごかった。総合商社の営業マンで、海外を飛び回る日々。父は家庭よりも仕事を優先させた。家にいる時間が圧倒的に少なかった。そうしているうちに、子供の愛し方さえも忘れてしまったんだろう。いや、最初から愛し方なんて知らなかったのかもしれない。
母が浮気をしたのも、きっと父が家庭をおそろかにしていたせい。
母と離婚してからも父の生活スタイルは変わらなかった。
一緒にいる時間が1番多かった母親を失った私は孤立した。そんな私の寂しさを父はお金の力でカバーしようとした。
「これからはちゃんと連絡するようにするし未来との時間も作るようにする」
父はどっしりとした声で言った。
ずっと仕事を優先させてきたあなたが、今更何を言っているの。
「今更? もう遅いんだよ。取り戻せない。絶対!」
私が今まで1人で過ごしてきた時間は何だったのか。私の時間はもう戻っては来ない。どんなに心細い気持ちで今まで生きてきたと思っているのか。誰にも頼れなかった。甘えられなかった。
ストレスで頭がおかしくなりそうだ。涙が止まらない。
「未来!」
「もう帰ってよ……。もう無理だから……」
心にダメージを受けて力のない声が漏れる。さっさと私の前からいなくなって欲しい。
視界に父を入るだけで悲しさと怒りと虚しさを含む感情が鍋のようにぐつぐつと煮立ち、熱い何かが込み上げてきて過呼吸にでもなりそうだ。
「おい、未来」
「帰って!!」
こちらに近づいてこようとしたので、残っているわずかなエネルギーをしぼり切って声を張り上げた。
「……」
父はその場で握りこぶしを固めて奥歯を噛んでいる。沈黙が続いた。
私はずっと下を見ていた。
「……また連絡する」
父はしばらくこちらの様子を見ていたが、諦めたようで玄関に消えていった。
ドアの閉まる音が聞こえると私はその場に崩れて、声を上げて泣いた。なんとも言えない感情に押しつぶされる。
呼吸が落ち着いてきたところで、もらった誕生日プレゼントの袋を開けた。
中には鑑定書付きのネックレスが入っていた。
中央部分に紫色に輝く石、その周辺に小さなダイヤモンドがいくつも散りばめられている。
部屋の灯りを多方に反射させてギラギラと艶かしく光るその輝きは私の心を一層イラつかせた。
「こんなものっ」
私はネックレスを壁に放りつけた。
ジャラッと音を立ててネックレスは壁に当たるとそのまま下に落ちて乾いた音をたてた。
下に落ちても尚、相変わらずギラギラと光って存在感を際立たせている。目障りだ。
きっと売ったらすごい額になるものだと思う。
でもこんなもの私にとってはただのガラクタでしかないんだよ。
もう何も見たくない。目を開けていたら嫌でも瞳に入るそれを拒むように両手で顔面を押さえ込んで、嗚咽を漏らした。
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